ちくわブログ

ちくわの夜明け

思いをたぐる

2005-11-29 02:19:11 | Weblog
ベランダで、雑草飼ってます。
ガーデニング。

なんか、一部紅い。秋だからだろうか。病気だろうか。
それにしても雑草ってすごいですね。ほうっておいてもみるみる育ちます。たくましいよ。
でもたまに栄養剤とか、霧吹きで水とかあげています。こいつら、雑草としてはかなり幸せな部類に入ると思う。

名前はヨン太郎。「天高くモテますように」と、ぺ様から名前の一部をいただきました。

こいつの前世は月見草です。一般によく勘違いされている宵待草ではなく、「本当の月見草」こと、白い花の月見草です。
延示』の撮影用に、とネットで取り寄せたのですが、撮影後、役割を終えたかのようにしぼんで枯れてしまいました。除虫剤や栄養剤をいくらやってもダメでした。
死にゆく月見草を見て、いくらか切ない気持ちになってしまいました。こういう感情を知ると、「植物は生き物だ」と言っている人の心も分かるような気がします。

撮影するまではほとんど毎日、その可憐な花を開いて見せてくれていました。
月見草の花は、夕方開き、夜半にかけて色を薄く桃色に染めながら、朝、人知れずしぼんでゆきます。
順調にいくと、つぼみが絶えずみのり、それが次々と夜にむかって開き続けます。ホントに月を待ち続けるかのようです。

夜、暗くなってから、その美しさの絶頂を迎える月見草は、静かに、はんなりと咲き誇ります。
いちばん飼い主に観て欲しいであろうその姿。暗い中でひっそりと、小さく息衝くように開くその花を、いじらしくも、また、ゆかしくもはかなくも思ったものです。

月見草の花言葉は「自由な心」。
自由を求めて月を見上げるその姿は、「宵待草のやるせなさ・・・」と詠われたことも重なり、切ない心をたぐって待ち続ける恋慕の思いを孕んでいるかのようでした。

咲き続けている時は、それが終わりを迎えることなんて、考えてなかったけど・・・・。
まるで、もらわれてきて、環境の変化にとまどう子猫みたいに華奢な月見草でした。


植物も人間も同じで・・・・
生きるものは、死に際してまわりの人々にいろいろな思いを残してゆきます。
生き続けるものの役割は、そこから何かを汲みとって、それを紡いでやることだと思う。
そしてただ、生きていることに対して、謙虚になる。

よく言う「生きていることに感謝」というのは、こういうことだと思います。
コメント
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