田舎の倉庫

Plala Broach から移植しました。

感動的な~なかにし礼著「長崎ぶらぶら節」

2010年01月09日 | 読書三昧

先日、今年もあせらず気長に本を読んで行きたい、その中で良い本にめぐり合えればと書いたばかりなのですが、幸先良く感動的な本に出会いました。

なかにし礼著「長崎ぶらぶら節」。第122回(平成11年/1999年下半期)直木賞受賞作で、江戸時代から長崎に伝わる民謡「ぶらぶら節」を発掘、普及した芸妓「愛八」の生涯を情感豊かに描いています。

この本は、以前、同氏の「戦場のニーナ」を読んだ際、直木賞受賞作であることを知り、いつか読みたいと思っていたのですが、機会に恵まれませんでした。

発刊は平成11年ですから、もう一昔も前に出ていたのですね。
今回、町の図書室から借りて読み、エンターテイメントとしての小説の面白さを再認識させられました。一読をお勧めします。

井上ひさし氏は選評で、「仕立ては古風である。それは四千曲に及ぶ歌詞の実作で得た作者独自の「歌論」をふんだんに盛り込むための作家的な戦略だったと思われる。歌を発掘するしか生きようがなかった二人の幸福な、しかしある意味では不幸な人生が、読む者の胸を打たずにはおかない。」 と述べています。

(注)上記で言う「歌論」の部分を2・3引いてみると、
・人は泣きたい時に歌ば歌うということですたい。声をあげて泣くかわりに、歌ば歌う。歌うたあとはすっきりして、また生きてみようかと思うたい。

・むかしは、川の向こうのかわらで祝(ほが)い人たちが死人をあの世に送っていた。芸とはそもそも霊鎮めじゃけんね。歌は川の向こうから聞こえてきた。川の向こうとは、この世ならぬもう一つのこの世のことやろうね。・・歌に誘われて、人は橋ば渡り、あの世の景色に似たもんば眺めにいくとたい。川の向こうで人は歌に魂ばあずけて一時天国に遊び、やがて夢さめて、橋ば渡ってこの世に帰り、味けなか日常の生活に戻るったい。歌は、この世とあの世ばつなぐ掛け橋たい。

・人間の声は化粧もできんし、衣装も着せられん。しかし歌う時とか芝居をする時、または嘘をつくとき、人の声は化粧もすれば変装もする。この時に品性がでるもんたい。上手く歌おう、いい人に思われよう、喝采を博そう、そういう邪念が歌から品を奪う。
等々。