田舎の倉庫

Plala Broach から移植しました。

雄山荘の焼失

2010年01月02日 | 読書三昧

ニセコは、今朝もひどい吹雪です。
ベランダには吹き溜まりができていて、50cmくらい雪が堆積しています。早速、ママさんダンプで積もった雪をベランダの外の溝へ落とす作業を始めましたが、その量の多さにうんざりしました。

年末に、太田治子さんの「明るい方へ」を読み、彼女の数奇な運命に驚くとともに、その真摯な生き方に共感を覚えました。

そこで、喰わず嫌いを改め、太宰治の作品も読んでみようと、町の図書室から現代日本文学全集の内、「太宰治・坂口安吾集」を借りて来て、先ずは「斜陽」を読みはじめました。

ところが、読み出してすぐに、この小説の舞台となった小田原の雄山荘が、突然焼失したとのニュースが流れ驚きました。

この雄山荘は、東京の印刷会社社長の別荘として建てられたそうですが、戦後、太宰治と愛人関係にあった太田静子さんがお住まいになり、ここで治子さんを生み、3歳頃まで育てたといいます。

従って、治子さんにとっては、かけがえのない思い出深い建物だったわけですが、ここ10年ほどは無人のまま放置され、今回は、それが突然、焼失してしまったわけで、さぞ残念だったことでしょう。

「斜陽」には、主人公のかず子(太田静子)さんとお母さんが、東京から引っ越してきて、初めてこの山荘に着いたときの情景が次のように記されています。

”三島で駿豆鉄道に乗りかへ、伊豆長岡で下車して、それからバスで十五分くらゐで降りてから山のはうに向つて、ゆるやかな坂道をのぼつて行くと、小さいがあつて、そののはづれに、支那ふうの、ちよつとこつた山荘があつた。

「お母さま、思つたよりもいい所ね。」
と私は息をはずませて言った。
「さうね。」
とお母さまも、山荘の玄関の前に立つて、一瞬うれしさうな眼つきをなさつた。
「だいいち、空気がいい。清浄な空気です。」
と叔父さまはご自慢なさつた。
「本当に、」
とお母さまは微笑まれて、
「おいしい。ここの空気は、おいしい。」
とおつしやつた。
さうして、三人で笑つた。

玄関にはひつてみると、もう東京からのお荷物が着いてゐて、玄関からお部屋からお荷物で一ぱいになつてゐた。

「次には、お座敷からの眺めがよい。」
叔父さまは浮かれて、私たちをお座敷に引つぱつて行つて坐らせた。

午後の三時頃で、冬の日が、お庭の芝生にやはらかく当つてゐて、芝生から石段を降りつくしたあたりに小さいお池があり、梅の木がたくさんあつて、お庭の下には蜜柑畑がひろがり、それから村道があつて、その向ふは水田で、それからずつと向ふに松林があつて、その松林の向ふに海が見える。海は、かうしてお座敷に坐つてゐると、ちやうど私のお乳のさきに水平線がさはるくらゐの高さに見えた。

「やはらかな景色ねえ。」
とお母さまは、もの憂さうにおつしやつた。
「空気のせゐかしら。陽の光が、まるで夷京と違ふぢやないの。
光線が絹ごしされてゐるみたい。」
と私は、はしやいで言った。

十畳間と六畳間と、それから支那式の応接間と、それからお玄関が三畳、お風呂場のところにも三畳がついてゐて、それから食堂とお勝手と、それからお二階に大きいベツドの附いた来客用の洋間が一間、それだけの間数だけれども、私たち二人、いや、直治が帰つて三人になつても、別に窮屈でないと思つた。”

「斜陽」の物語自体は、先の「明るい方へ」で紹介されていたので、新鮮味はないのですが、太宰の文章はしっかりしていて、何とか最後までたどり着けそうです。