心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

曲がった梁①

2005年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

前回記事で紹介した画像をご覧になってみて下さい。
京町家の通り庭上部に、曲がった梁が架け渡されているのがありますね。
今回はその梁についてのお話。

この、曲がった梁を使うのは伝統大工の技術の一つで、適材適所を目にすることが出来ます。
木は生物として、置かれた自然環境に適応しながら生育しています。それは人間と同様で、一本一本が異なる個性を持っています。

適材適所とは、いうなれば配置の妙。人間にも向き・不向きがあるように、木にも向き・不向きがあります。しかも一本の木の根元・中間・先端部分とでは全く性状が異なっていたりして、木材となった後もその性状は残るのです。『トラは死んで皮を残す』といいますが、『木は伐採されてもクセは残る』というわけです。

適材適所とはこの木のクセを生かす技術といえるのです。

伝統大工はそれを知っています。知っているからこそ、千年の生命の木造建築を可能にすることが出来たのだし、百年を優に超す民家(京町家も蛤御門の変(1864)、鳥羽伏見の戦(1868)以降のものが大多数らしいものの、おおむね百年以上の生命)を建築することが出来るのです。

現在の木造住宅の多くでは、木材を一本一本異なる個性を持つ生物材料として扱っていたのでは大量生産、品質管理、コストダウンが出来ないという生産論理で、画像のような曲線のある木材を使いません。全て製材されて正四角形になった木材を使用します。

それは『全自動構造材プレカット』と呼ばれる生産供給方式を採用しているからなのですが、曲線のある梁はともかくとして、角柱にしても、自然の木、いわゆる無垢材ではなく、『エンジニアリングウッド』と呼ばれる人工的に生産された木でなければ扱いたくない事情があるようです。まぁ、経営判断なわけですけど。

下の画像は一見ヒノキ無節の柱に見えますが、主に北欧のホワイトウッドという木を5層接着剤で集成材として、その表面にヒノキ1.2ミリ程度の薄い板(というには余りにも薄い)を接着剤で貼った『エンジニアリングウッド』です。


本物そっくりにフェイク品を作るのは日本人の得意技の一つですが、現在の多くの木造住宅の、これが現実です。

ただし、構造性能では無垢材に比べて数値にばらつきが無いということや、供給量が安定している、つまり価格が比較的安定しているというメリットがあります。しかしホワイトウッドはシロアリには滅法弱いので、耐久性では何回か前のブログで書いた大壁構造同様、私はお勧めしません。

何より物理的なことよりも、私はこのフェイク木を、本物の木、法隆寺と同じヒノキだと思って育つ子供がかわいそうだと思っています。

ホワイトウッドにしても木としての生命があり、決してヒノキと樹種の優劣を言っているのではないのですが、暮らしの基本である『衣食住』の”住”で、こんなことをしていて本当にまともな情操教育って出来るのだろうか?♪柱の傷はおととしの♪と、傷を付けたら表面の薄い板が剥がれたなんて、こころに傷がつくのではないだろうか?信じることより疑うことを覚えるのではないのだろうか?と疑問を持っています。

現に、少し前に確かドイツで製品化されたエンジニアリングウッドの接着が大量に剥がれて、しかもJAS(日本農林規格)適合シールが貼ってあったものの実は捏造だったことが判明して、業界では大問題になったことがありました。

かつてのように、棟梁が棟札(むなふだ)を残して建築の品質を競っていた頃の良き伝統を復権したいものです。

さて、自然木の曲がった梁ですが、いくら何でも山から30メートルもある木を丸ごと搬出するのは大変なので、現地で『玉切り:たまぎり』といって、ある規格長さで全長を分割してから搬出するのが一般的です。その時、最も曲がりのある根元の玉、それは最もクセのある部分なわけですが、そのクセを利用する形で材木として使ったのが、自然木のままの曲がった梁なのです。

この木、製材してまっすぐにしても、経年変化でまた曲がるんですよ。それを知らないで床梁に逆さに使うと、後で床が垂れてきます。これは構造計算では出てこない計算なんですね。机上の理論をいくら積み上げても片手落ちで、賢い知恵がないと木造は上手くいきません。

京町家の通り庭上部の曲がった梁、美しいでしょう。この町家を建築した大工棟梁がデザインしたのだと思います。ちなみに社寺建築では『虹梁:こうりょう』といいます。

虹梁といえばここ、法隆寺西院伽藍・回廊でしょう。修学旅行で多くの生徒が見ているはず…なんだけど。

今から約1350年前、飛鳥時代のデザインです。
虹が架かったようなやわらかな曲線美がありますよね。
時代が下るにつれ、虹梁も直線的になっていくのですが、やはり虹梁というからにはこうあってほしいなぁ。

ちなみに現在建っている江戸・元禄時代の再々建・東大寺大仏殿には『大虹梁:だいこうりょう』とよばれる長さ24メートル、最も小さい部分の直径が1メートルもの松の長大材が使用されたようですが、いったいどんな梁なのか、実際に見てみたいものです。(ただし、構造的には明治大修理で使用された鉄骨トラスによって架構されて、現在に至っています。)

構造計算の無かった当時、棟梁は度胸の塊だったのでしょうね。すごいですね。

次回につづく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿