心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

川床と納涼床

2005年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

暑中お見舞い申し上げます。

画像は京都・貴船の『貴船荘』のHPから。
たいへん美しいHPです。
避暑に訪れてみてはいかがでしょうか。

今から4年ほど前の旧盆、炎天下。
墓参で京都へ帰った際、従兄弟夫妻に案内されて、妻と丁度ここで食事をごちそうになりました。

その時の涼しさ、風情、そして料理の美味しかったこと!
とても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。私も妻も(o^_^o)
子供が大きくなったら、家族でまた行きたい場所です。

貴船は”京都の奥座敷”といわれる洛北の山中にあります。
そこは”うだるような”と形容される市内盆地特有の暑さとは無縁の別世界。

私は根っからのアウトドア派なので、このような環境が大好きです。
ただ、山紫水明の日本にあっても、こうしてせせらぎに床を張って花鳥風月を愛でるのは、京都だけではないでしょうか。貴船では『川床・かわどこ』というそうです。

貴船荘によれば、夏の川床の平均気温23.5度とのことですが(京都新聞社の調査だそうです)、
何より見た目がすでに涼しいですね。
徒然草第55段、有名な『家の作りやうは、…』の後に続く『深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。』そのまま。

風流だなぁ。

 

 

こちらはご存知の方も多い、京都・鴨川の風景と、『納涼床・のうりょうゆか』です。

この納涼床、鴨涯保勝会によると、江戸時代に始まったそうです。
大正時代なのかな?、三条大橋(旧東海道の終点)らしき下に床机を並べて人々が涼をとっている画像は、今では考えられない風俗ですね。当時を垣間見ることが出来て、面白いです。

昔の川は、現在とは比べ物にならない程澄んでいて清らかだったと、祖父母から聞きました。
おそらく私がケラマで見た海にも似た美しさがあったのでしょう。

昨今、都市部での夏のヒートアイランド現象解消のために、風の通り道を計算に入れた都市計画の必要性が話題になっています。また、愛・地球博では『自然の叡智』がメインテーマ。

自然のもつすばらしい仕組みと生命の力。
その舞台である環境を考えるのであれば、環境の中へ自らが入っていって、足を伸ばして美味しいものを食べながらするのが一番(o^_^o)

厳しい暑さが続くと思われますが、お身体ご自愛下さい。


一級建築士

2005年07月24日 | 資格・転職・就職

今日は平成17年の一級建築士・学科試験の日だったようです。

一級建築士試験は梅雨も明け、暑さ厳しい夏本番の真っ最中に、一次試験である学科試験が行われます。そして、学科試験の合格者のみが2次試験である製図試験φ(._.)を10月に受験して、クリスマス頃に合格者が発表ヽ(^▽^)ノされる長丁場の試験です。合格者には”クリスマスプレゼント”といわれている、難易度の高い資格試験ですね。

また、この試験はその難易度もさることながら、宅地建物取引主任者資格試験等とは異なり、受験資格そのものもかなり高いハードルが設定されているのも特徴です。建築系学校で学ぶことなく、ゼロからの実務経験だと確か7年もの長い間、受験出来ません。

複雑多岐に渡る総合的見地に立たねばならない建築についての、公正で深い知識とそれを図面という表現方法で正しく的確に行えるかどうかを見極められるからでしょうか。

合格率は初受験で学科・製図共に同一年合格の”一発合格”で3%ぐらいだと聞きました。ただ、この試験は学科合格者は直後の製図試験に不合格だったとしても次年の学科試験が免除される特典?があり、一年目は学科、二年目に製図を合格しても一級建築士になることが出来ます。

学科は計画・法規・構造・施工の4科目をそれぞれ25点ずつ計100点満点で行われますが、4科目共基準点が設定されていて、基準点以上の得点がなければたとえ総合得点が高くても不合格(T_T)になります。その後の製図試験も合わせて、総合的な知識が問われるのですね。

私は平成8年度に”一発合格”しました。ちなみに学科は計画20点・法規22点・構造21点・施工20点の総合83点だったようです。合格点って、どれくらいだったのだろう?また、製図は一級建築士試験初?だったのかな、敷地が斜面の「景勝地に建つ研修所」という課題でした。

製図試験は二級・一級・木造を問わず、今でも手φ(._.)で図面を描きます。いかにも試験慣れ?してるような人も多数いて、”あっ”という間に描き終えて、退出開始時間まで♪~( ̄ε ̄)状態の人もいました。その人たち、合格したのかな?

登録は『いつでもいいですよ』との建築士会だったかのお話で、平成9年の8月20日でした。『合格からそんなに期間を置いてからの登録って、嬉しくなかったの?』といわれたものですが、事務的な処理って面倒くさいんですよねぇ(х_х;)

私はすべからく事務という仕事に大変不向きだと思われ、国連のアナン事務総長って、もの凄い人なんだろうなぁ…と思ったりしています。

その平成8年から9年程が経ちましたが、当時を振り返ってみて、学科も製図もとにかく勉強することが楽しくて仕方がなかったなぁ(^o^)

社寺建築見習いの大工をしながら週末には一級の勉強という毎日だったのですが、知識と技能を両方高い次元で勉強してマスターしたかった私にとっては、たいへん充実した日々でした。

私は『設計だけではダメ、施工だけでもダメ、設計が出来て施工も出来なきゃ良い仕事は出来ない』、と常日頃から思っています。

そのことを『三回ぐらい人生を使わなければそんなこと出来っこないよ』と鼻でからかわれたことがありますが、(今でもからかわれたり、全く信用されなかったりしますが…)そう対応されればされる程私はファイトが沸き起こります。やってやろうじゃないの! いいモノ作るぞーっ!!と。

私は『自分の家を、自分で設計して、自分で墨付けをして、自分で刻んで、そうして建てたい』との初志をもっています。だって、それって絶対に楽しいし、愉しいですよ。だからもっともっと上手くなりたいし、もっともっと知らないことを知りたいし、もっともっと出来なかったことが出来るようになりたい!ものづくりって、とってもたのしいんですよp(^-^)q

一級建築士になってみて思うことは、『ようやくスタートラインに立ったなぁ』ということです。

簡単ではない試験だとは思いますが、それは私にとっては目的ではなく、手段です。もちろん建築士事務所を開設する為には絶対に必要な資格なのですが、名刺に『一級建築士』と記入するためにではなく、”良いもの”をつくり出すための勉強のひとつ。資格はあくまで資格であって、資格を持たないけれど素晴らしい仕事、ものづくりをしている人の方が圧倒的に多いではありませんか!

それは職人がそうですね。

職人にも”技能士”という制度があり、例えば大工にも”〇級建築大工技能士”という資格がありますが、その資格がないからといって大工技能が劣っているかといえば必ずしも言えないところがあるのです。またその資格があれば透けて見えるミクロン単位の薄いカンナ屑が出る美しい仕上げが出来るとか、五重塔を建てられるかといえば全くそのようなことは無い訳で、技能の仕事ではあくまでひとつの目安。職人は口で仕事をするわけではありませんから。

『講釈たれてねぇで、黙って良い仕事しろ!』と、職人は出来たモノが全て。そこには彼のところへの経過がたとえどのようなものであれ、確実にそして美しく収めなければならない責任の大きさがあります。

出来たか出来なかったか。そこに弁解の余地はなく、真剣勝負の中で寡黙に仕事をするのが職人です。その点技能ではなく技術の仕事である建築士には少し異なるところがありますが、職種にかかわらず大切なのは、何事からも学習するということ、謙虚さをもって勉強し続けるということなのだと思います。

ただ、そのためには目標を持ち、到達するために努力して、そして達成感を味わうことがとても大事なことだと思います。そしてそれを繰り返すこと。

私の場合、目標に向かって一直線に突き進むのではなしに、時間軸にスパイラル状に、歩どり遅くではあるもののしかし確実に一歩ずつ前進してきたつもりです。

そして実に様々な経験や体験を通して学習してきたこと、そしてもちろん机の上で勉強してきたことの一つ一つが”シナプス”のように次から次にネットワークし出しています。それは、確実に面的な広がりをもたらしてくれています。それがとてもたのしい。だから、やはり一級建築士資格を取得して良かったなぁと思います。

私はその後、一級建築施工管理技士資格、宅地建物取引主任者資格をそれぞれファイトォ!”一発合格”で取得しました。『当てずっぽうを言っているかどうかすぐにわかっちゃうから、そういう意味でもとても面白いですよ』(笑)

ちなみに私は東京・御茶ノ水の文化学院の卒業です。4年制大学卒ではありません。

入り口のアーチに象徴される自由を架け橋にした校風の文化学院で学ぶことが出来て、本当に良かったと思っています。

欠陥住宅問題や、悪質リフォーム問題で、”インチキ一級建築士”の存在が指摘されていますが、残念ですね。宅建資格のように建築士の資格も胸元に分かり易く証明書を提示したほうが良いのかも知れませんね。


海の日

2005年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 

この青をどう表現すればいいのだろう!

ここは日本なのだ。
そう、世界でも五指に入ると云われる美しい海、沖縄・慶良間諸島の海。
撮影地は沖縄県島尻郡座間味村阿嘉。透明度は『30メートルは下らない』そうです。

日本には、本当に美しい自然があります。
私がこの奇跡の”ケラマブルー”を初めて目にしたのは、1990年でした。

この美しい海でスクーバダイビング”オープンウォーター”のライセンスを取得したのも、その時です。
この時を境に、私の『海』の概念は、それまでのものとは全く別のものになりました。私にとっての海が開かれたとき、楽園を探し出したとき、この上ないかけがえのないものに巡り会えたとき。

ダイビングは神秘と出会えるスポーツですね。
ブルーのとばりにピアニッシモで消え入るように繰り広げられていく世界は、人間の五感を飛び越した次元。

『凍れる音楽』とフェノロサは薬師寺・東塔を形容したそうですが、この海では、日常が芸術的。
形容のしようがない…


私は沖縄本島へは、鹿児島から24時間程をかけた船旅がとても好きです。

朱夏。大スペクタクルが展開される地球大劇場は、夕暮れの18時00分に鹿児島新港で幕を開けます。

晴れていれば大感動の夜明けとともに奄美大島の名瀬に入港、5時50分に出港すると、徳之島・亀徳を9時40分、沖永良部島・和泊を12時00分、与論島・与論を14時00分、沖縄本島・本部を16時50分に出港して、終着沖縄本島・那覇港に18時40分に到着。

 このときの時間と空間の推移は、緯度と太陽高度と海の透明度を劇的に伴って、抱きつきたくなる程、感動的です。

『地球上の全ての青い絵の具を溶いたよう…』と形容されるブルーの表現方法、そのまま!
いや、もっと凄い!!

とても”言葉”では、表現できない。

感動という生身の感情を言語という記号で表現するのには、あまりに私には語彙が少なすぎるように思う。

私はこの美しい海を、まだ幼い息子と娘に言葉で伝えるのではなく、実際に一緒に行って、こころの底から体験して欲しいと願っています。そのためには、後世に残さなくては…

2005年 海の日に思います。


これも重要な大工の手仕事

2005年07月07日 | うんちく・小ネタ

☆今日は七夕。息子は短冊に『もっとにんじんが食べられますように!』と書いたそうです。(o^_^o)


画像は大黒柱の柱脚、つまり根元です。樹種はクリ。


『おーきなクリのぉきのしたでぇ♪』とみんなが唄うあのクリの木です。この唄って、外国の民謡・童謡なんですか? 作詞 作曲者不詳らしいのですが(2、3番の作詞は阪田寛夫さんとの情報がありますが…)、歌詞は次のようです。私は一番しか知りませんでした。(^^;;

♪大きな栗の木の下で あなたとわたし たのしく遊びましょう 大きな栗の木の下で
♪大きな栗の木の下で お話しましょう みんなでわになって 大きな栗の木の下で
♪大きな栗の木の下で 大きな夢を 大きくそだてましょう 大きな栗の木の下で

この住宅の設計者は私ではありませんが、この歌詞と同じような思いを込めて、大きなクリの木を大黒柱として設計したのでしょうか。

ちなみに建築用材としてのクリは水・湿気に大変強く耐久性大の重硬な樹種で、鑿や鉋を入れると樹液に含まれる成分(タンニン?)で黒がかった褐色に道具も手も染まり、手は2~3日色が落ちません。

木造の世界では土台に使うと『へぇ~!』と感嘆があがる程高級で高性能な木材でして、他には数奇屋建築で柱に名栗(なぐり)仕上げとしても用いたりします。注文住宅で、この木を贔屓とする設計事務所以外ではあまり使わないんじゃないかなぁ。

クリは”あの”三内丸山遺跡で超有名になった木ですね。私もこの遺跡を見学に行きましたが、いやはや、圧倒されました。縄文人も手を黒がかった褐色にして建築していたのでしょうね。

建築用材では高級扱いでも、かつては鉄道の枕木で使われていました。

ただし、クレオソートといって今はシックハウス要因で使われなくなった防腐防蟻用薬剤をインサイジング処理(料理でいう隠し包丁といった感じの加工)をした加圧注入材(それも最高に毒性の強い等級)としてですけど。鉄道の枕木としては25年程の耐用年数がある旨を訊いたか読んだかした記憶があります。薬剤処理材とはいえ、そんな過酷な使用環境に25年も耐える樹種なのです。

ここで、話題を前回の続き、耐久性のことに。

耐久性とは、『人間がそこに住み続ける限りは維持しなければならない構造安全性』とも言い換えることが出来ます。耐久性能こそが構造安全性能なのだと。また、それは雨・結露等の水・湿気に極めて影響されるものであることにも触れました。

耐久性能の伴わない構造強度性能は、こと住宅については危険だと私は思っています。

当然ながら、人は自分の身体のようには住宅を捉えられません。

つまり、人は風邪をひいたり、怪我をしたり、病気になれば自分から病院に行き、健康を回復しようとします。しかしながら、住まいの柱や土台が壁体内結露で腐っていても、シロアリの食害でスカスカになっていても、雨漏りや漏水で腐っていても、その”痛み”に自覚症状は出ません。その違いです。

住まいの劣化、特に構造安全性能は”痛み”という自覚症状が無いまま進行し、低下してしまうのです。メンテナンスフリーを求めがちな現在の住宅ではこのことは致命傷になり兼ねない危険性をはらんでいます。




画像は【阪神大震災に見る木造住宅と地震/坂本功監修・鹿島出版会、第2章第8節蟻害・腐朽と木造住宅の被害】よりピックアップさせて頂きました。

木造住宅に携わっている人は職種を問わず、必ず目を通して勉強しなければならない内容の本です。もちろんこれから住まいを建てようとされる方、既に住まいを建てられた方にも是非見て頂きたい本です。かなりショッキングだとは思いますが。

ここで、大阪市立大学の宮野道夫先生・土井正先生らの調査によれば、「蟻害を受けている家屋については、その用途に拘わらず、ほとんどが全壊になっている。一方、蟻害を受けていない家屋については、(中略)軽微被害の方が多い結果が得られた」とのこと。

また、奈良女子大学の疋田先生らの調査でも「被災度が大きいほど、腐朽やシロアリの被害を受けた住宅が多くなっている」とのことです。

そして「…中には土台が形を留めないほど、蟻害に侵されていたものもある。この場合、柱脚は宙に浮いているような状態であった。…」と続き、締めくくりとして「…モルタル外壁の内部結露で、断熱材のないものや、あっても不十分な施工の場合に、内部で結露を生じたものと考えられる。(中略)旧来のモルタル外壁構法が防腐上も問題の多い構法であることには、異論がないであろう。モルタル外壁とする場合には、少なくとも土台の腐朽の具合が確認できるような構法とすべきであろう。」としています。

どんなに新築時に強度性能が高くても、20、30、40、50、…X年後に柱や土台、木材や建築金物が腐食していてはいけないのですよ。画像の本にも築2ヶ月!の外壁サイディング貼りの新築住宅の倒壊が2例掲載されているように、大地震がそれを証明しています。

『大地震で人は命を落とすのではなく、大地震で倒れた建物で命を落とす』

災害列島である日本では諦念にも似て誰もが見て見ぬフリをしているように思えてしまうのですが、厳然たる事実はこういうことです。

詐欺師としてではなく、本物のプロとしてこの業界に携わっている人は、このことを肝に命じなければダメだ。家族の幸福の為に建てた家によって家族が命を落とすなんて、絶対に馬鹿げています。

建築基準法の目的はその第一条『この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする。』なのですから。

私は自分のHPで、『真壁構造の木組みの家』を勧めていますが、それは建築に長けていない人にでも構造が『目に見える、触ることが出来る』ことが大きな理由の一つです。

痛みという感覚が無いのだから、耐久性つまり構造安全性が維持されているか否かが見えれば、手抜き工事もインチキ一級建築士によるおかしな提案にも大壁構造の比ではない程の高い確率でストップをかけられるでしょうし、社会的大問題にまでなっている悪質リフォーム集団に付け入られるスキもかなり低くなるのではないでしょうか。

”見える”のだからおかしな仕事は出来なくなるはずです。嗜好により一概には言えないのですが、真壁構造の木組みの家には、腕の良い大工による惚れ惚れするような美しい手カンナ仕上げの木肌があるではありませんか。

さて、初めの画像に戻りましょう。

クリの大黒柱の柱脚木口が白いのは何だか分かりますか?実はこれ、割れ止め・防水剤を塗っているのです。

木口は植物としての特性上、水分の通る導管が幾本も束ねられた、いわばストローがまとめられて一本の大きな筒を構成している面のようなものなのです。伐採されて木材となった後もこの面は吸水性が大変大きい性質があります。耐久性を考える時、この生物材料としての特性を理解していなければなりません。

そしてこの柱の立つ基礎は鉄筋コンクリート造なので、水を必ず使います。コンクリートの性能はその水が大変影響するのですが、コンクリートの設計基準強度は打ち込み後4週間目の強度のことを言い、日数が経たないと強度が出ない特性があります。それは硬化の為の水分が抜けるに従って、強度が発揮されてくることを意味しているのですが(実はこんなに簡単に言えない程、様々な諸要素・諸条件が複雑に絡み合っています)、乾いているように見えていても、5年は水分を出し続けていると言われています。

ここで、話がようやくつながりましたが、木口に塗った割れ止め・防水剤は、このコンクリートから出る水分と床下の高い湿気から構造材を少しでも守る為に、大工が自分の手で塗るのです。

どの木造技術書にも書かれていないことを、良心のある大工の自発的な心意気で施工しているのです。『少しでも長持ちしてほしい…』と、鑿を主とした道具を使って自らの”手”で加工し終えた後に。誰もそんな事は知りませんし、立柱してしまえば痕跡さえも何も分からないことです。しかしながら、これもたいへん重要な、大工の手仕事なのです。

私は四十一級建築士ならびに四十一級施工管理技師でもあります(笑)

 

追伸

2015年、私は五十一級建築士ならびに五十一級建築施工管理技士になります(笑)