心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

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やわらかな建築・私が残したいもの

2012年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、ご縁があって、木造住宅の設計をさせていただいております。

 

そこで、いろいろと心にうつりゆくよしなしごとをフォルム化して図面に記録していくにつれ、微力ながら『後世に残ってもらいたいなぁ』との思いで、ブログにもしたためておく事にしました。

 

いぶし銀に輝く日本瓦の屋並み、そしてやわらかな曲線を描くむくり屋根。
日本の風景として、後世にも残って欲しいと、私は切に願っています。

 

私の原風景のひとつ2005/5/30】【川床と納涼床2005/7/30】【屋並み・街並み2006/5/28
坪庭のすすめ2006/5/21】【豊かな住まいについて③2007/9/21
に、いぶし銀の屋根瓦の屋並みやむくり屋根の画像がありました。


そして今回、私が設計した住宅の立面図。



図面ではとても表現出来ないのを百も承知で画像を掲載しましたが、それでもこうして直線屋根と比べてみると、むくり屋根の醸し出すやわらかなフォルムはやはり美しいし、はんなりとしていると私は思う。

 

それは、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の音色のよう。
京おんなの京ことばの響きのよう。

 

それは、研ぎ澄まされた中にもストレートにものをいう事を丁寧に遠慮した感性の発露の様に思えるのです。

 

やわらかな建築が私は好きです。
でも、このような感性はやはり京都にしかない文化なのかもしれない。

 

何故そう思うのか?

 

それは、8年間、のべ320棟もの私の実体験に基づきます。

 

私は埼玉県をメインとするとても木にこだわった設計事務所や工務店による設計の構造材の墨付けと刻みを手掛けてきました。ですが、ついに1棟もやわらかな曲線を描くむくり屋根のデザインに出会いませんでした。1棟も、です。

 

埼玉ではゴツゴツした木太い原木丸太をそのまま表わしとする様な豪快で武骨なデザインが多く、木割りの細い『綺麗数寄』と呼ばれる様な瀟洒で繊細な意匠はデザインされないように思います。

 

京都と江戸の社寺建築の意匠の違いである程度は予想していたのだけれど、これだけインターネットが発達して世界中の”方言”が標準語化している現代に於いても、やはり伝統はいくばくかあるものなのだな、と思う。

 

500キロ程しか離れていないウイーンとベルリンとで、かくも音色の異なる音楽を奏でる2大管弦楽団が存在する事実とでもいうか、”方言”つまり地域性・土着性として、少なくとも住まいの文化の差異が日本でもまだありますね、やはり。嬉しい。

 

ただ、差異はあるのだけれども、設計士と大工棟梁がほぼ完全分離してしまった現代の都市部では、この様なフォルムを具現化させるのは難しいかもしれませんね。というのも、設計士は詳細な曲線を具現化する生産技術・技能を持っていないからです。それに、CADで設計するので、曲線で寸法指定して描けないし(笑)

 

社寺建築でさえ、近畿では垂木に居定(いじょう)を掛けるのに比べて関東では掛けていない例も多数あり(その方が圧倒的多数)、美意識の違いは如実です。大工自身にさえ曲線を扱う生産技術・技能を持った人が近畿以外にいない(京都では町家大工でさえ起り屋根の設計施工が出来ます。近畿以外でも伝統大工はもちろん技能保持者です。全国にいらっしゃるぶっつけ大工に申しております)。

 

『居定(いじょう)って何?』 という設計士、大工が9割9分9厘だと思います。

 

住宅のようなコストを掛けられない建築ではなおさらで、、設計士が仮に図面化出来たとしても工務店の見積もりで多額のコストを乗せられてしまい、生産技術を持たない者の悲哀を現実として突きつけられる事も多々あるのではないか。

 

何しろ、高く販売したい事しか考えない工務店が主流なので。住まいの文化、街並みの文化、文化の容れ物としての住宅の発想を持ってしまうと、お客さんが逃げてしまうだろうし。

 

よって、設計士と大工棟梁とが完全分離してしまった現在主流の住宅産業の現実では、分譲住宅のローコスト式大量生産型を忠実に見習った『あなただけよセールトーク』1品注文住宅こそが矛盾と思われようが何と思われようが経済原則の正義を貫く王道。

 

文化の継承であるとか、街並みであるとか、美意識を持ち出してしまうと儲からないというただ一つの理由だけで却下されてしまう時代ですし。

 

それに、施主自身にデザインして色決めして仕様決めして貰うというパンドラの箱を開いてしまった以上、ここは何処の国?何処の街?と、無国籍満艦飾ニュータウンの乱立を阻止する手立ては無くなってしまった訳だし。

 

ネイビー、イエロー、ピンク、レッド、パープル、ブルー、グリーンetc.の強烈自己主張住宅が大音量のスピーカーの如く、街並みを席巻していく現実。もはやウイルス感染ですね、この現象。

 

日本の住まい、日本の街並みは何処に行くのかなぁ。
景観法に期待するしかないのかなぁ。

 

せめて、いぶし銀の屋根瓦が続く街並み、そしてやわらかな屋並みを形成するむくり屋根の、しかも低く・深い軒が連続するヒューマンスケールのしっとりとした大人の街並みが後世にも残っていって欲しいと切に私は願い、設計しました。

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