心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

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豊かな住まいについて

2007年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

現場仕事が続くと、HP・ブログ等やる気はあってもなかなか出来ないものですね。3月から、朝5時45分に起床して家を6時10分頃に出掛け、帰宅がだいたい20時前後の毎日。遠い現場だと朝4時に出掛けて、帰宅が21時過ぎ。体力消耗による睡魔には勝てないなぁ。

と、言い訳をしている場合ではないので、久しぶりの更新。前回『隅木』のパート②は後日にして、今回は『豊かな住まいについて』あるいは『住まいの豊かさについて』。

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画像は、映画監督小津安二郎による昭和24年『晩春』のセットをモチーフに、私が学生時代に作成したもの。(物持ちがいいでしょ!?今から約23年前のものなんですよね。)

この、小津安二郎監督作品に私はのめり込みまして、映画館に通い詰めの日々を当時送っていました。そういえば、大林宣彦監督作品にもこの頃はまり、過去のブログに当時からの想いを寄せています。

で、話は、映画監督小津安二郎による昭和24年『晩春』から始めなければ、筋道立てて語れないので、豊かな住まいについてお考えの方は、ご覧になられる事をお勧めします。

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小津作品も、多くの日本文化のご他聞にもれず、その評価は外国、確かフランスで絶賛されて、その評価につられて、日本でも後になって評価された(かなり乱暴な言い方なのですが…)というもの。どぉ~して日本人って、日本の良さ、日本らしさを、自分自身で評価出来ない民族なんでしょうかねぇ~。

物語の内容は、至ってホームドラマの範疇で、ハリウッド映画張りの、ジェットコースターに乗って振り回される類いのものでは全くなくて、穏やかにとうとうと流れる四万十川の川面(かわも)のような、ほんわかしたもの。

ただここで、今のほとんどの日本人が忘れてしまった、豊かな住まいのありようというか、住まいの豊かさのありようというか、”住まう” ことが演じられている訳です。

この映画を心から真に観終わった時、どんなにお金をかけて豪邸を建てようが、どんなに品確法による最高等級のグレードで建てようが、どんなに趣味嗜好を凝らして自分(建築主)好みの理想を追求した住宅を建てようとも、そこに本当の意味での豊かさは備わっていないと実感するはずです。

参考までに。

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京都・麩屋町の家にて。私の母と父、そして祖父です。父と祖父は今はもうこの世にはいません。でも、この家はまだあります。その後引越してしまったので、家の主は当然変わってしまいましたけれども…

映画の中の、笠智衆と原節子と同じなのです。昭和36年頃だと思います。

今の住まいに、こうした光景がありますか?

『住まいを ”物” として考えている以上、永遠に豊かさを実感することは出来ませんよ』と私は申し上げたいのです。

いつの日か、続く。