設計仕事の次は大工仕事。
【2012.05.30やわらかな建築・私が残したいもの】での、『8年間、のべ320棟もの私の実体験』のひとつ。
まずは、通常の磨き丸太の通し大黒柱。
玄翁と鑿で加工しているのが私。
玄翁は幸三郎、叩き鑿は清久を使っています。
設計をする大工、大工をする設計士。かつての”棟梁スタイル”ですね。
特命で時間を貰えれば全ての接合部を木組みだけで作るのですが、
標準では2階床梁の差さる部位は大入れ+短ほぞ+接合金物使用で作ります。
実物仮組みは一切行いません。そもそも仮組みとは間違えていないかの実物確認作業なので。
『8年間、のべ320棟もの私の実体験』で、ほぼノーミス、ノークレームでしたヨ。(^^ゞ
調子良い時、私はおよそ墨付け開始から刻み修了迄2日~2.5日(関連材を含む)です。しかも現場で微調整も必要無い精度で私は仕上げます。接合部に隙間は無し。
仮組みについては、私が師事した棟梁は否定的でした。
私もその考えを踏襲しています。
★WARNING!) 私が具体的数字を掲載する事で、特に大工技能に無知な木造建築業界内の人々の『捕らぬ狸の皮算用』に、私は同乗・提携するつもりは毛頭ありません。高い技能を保持する職人に対する正当な評価を社会に啓発していきたい為に、私は記事を書いています。
人間とは自分に都合良く考える性質があるものだけれど、まあ、私の褌で勝手に相撲を取りたがる輩の何と多い事! 私からは一言です 『やれるものなら、やってみなさい』 (^-^)/ ★
話しを戻して、例えば水盤舎(手水舎)。
私が見習いの頃に勉強させていただいた建築です。
【四方転び】といって、4本の柱を内側に転ばせる(傾倒させる)事で、筋違い(すじかい)が無くても自立する伝統建築構法。全て木組み、小屋には桔木も入れ、柱を直接礎石に建てる木口建て【石場建て】のこの小規模建築でさえ、棟梁は一切仮組みを行いませんでした。しかも現場対応一切無し。
『腕の良い大工は仮組みしない。一度組んでしまうとその分接合が甘くなる。時間も無駄だ。』と。また、『東大寺大仏殿の様な大きな建築では仮組み出来ないだろう?なのに何で小さな建築で仮組みするんだ?』と。
注):この水盤舎、風圧力対策で見えない様に補強ボルトを仕込んであります。私が師事した棟梁は、単なるファナティックな伝統構法主義者ではなく、現代の構造力学を見越した現代棟梁でした。
コストダウンの為には、仮組みしない方が短工期で済みます。
だから、私もお施主様に余計なコストをかけない様、師事した棟梁に習って仮組みしません。
私なりのミス撲滅作戦を実行する事で、それが可能になります。
ちなみに”棟梁スタイル”つまり設計をする大工・大工をする設計士のスタイル、
残念ながら現在の東京首都圏ではほぼ絶滅、伝統大工も絶滅寸前だと思います。
何しろ20代前半で人の3倍努力して建築大工1級技能士同等のスキルを自分のモノにした若者が、大工そのものを辞めてしまう時代。
【木組みによる隅木(隅木の金輪継ぎも)~~~~~~以下】。
もはや優秀な人間にとっては、魅力ある職業ではなくなってしまった。
だから、世襲以外の優秀な若者がやって来ないし、来たとしても去って行く。
この業界も今はジバン・カンバン・カバンが無いと、自立出来ない膠着した体質です。
『お施主様の喜ぶ顔が見られて好きな事が出来て飯が食えて私は幸せ者です』
上棟式後の宴会である直会(なおらい)で、棟梁がお施主様と語り合っていたのを昨日の事のように思い出します。
下の画像は私が見習いの頃、およそ20年程前。4段目右の画像で後列右から3人目が私。
自分が設計した家を仲間と共に自分の手で作って建てて、自己実現が出来て。
人さま並みの生活が出来て、高度成長時代であれば工務店も開業出来て、将来性があって。
だから、かつては優秀な方が大工を志したのだと思います。(私は優秀ではありませんが)
タイトルから最初の画像の私、右足に包帯を巻いてサンダルで仕事をしています。
【2012.06.07木組みによる隅木(隅木による金輪継ぎも】記事で、『労働環境が劣悪』
の1コマ。
フォークリフトの爪が足に落下する大怪我事故に遭い、松葉杖後で靴が履けないまま仕事に戻らざるを得なかった為です。無免許運転を強いる、救急車を呼ばない事業所でした。
何をかいわんや、である。
さて、【枝付磨き丸太】
埼玉の毛呂山の幼稚園の通し大黒柱だったように記憶しています。
実はもう1本同じ枝付磨き丸太があり、枝付磨き丸太ツインタワー幼稚園です。
ただし設計者は私ではなく、現場仕事も担当していませんので、竣工後の画像はありません。
手間が掛かりましたが、墨付け開始から刻み終了まで約3日/本。2本で1週間程。
他にも磨き丸太の桁、柱、特殊な材料、木組みと、もう何でもありの”構造材プレカット”。
工期に間に合わせる為に外注した縁桁関連以外の墨付けと刻みの全てを、私一人で行いました。現場の大工さん達は組み立てるだけ。
”埼玉版数寄屋建築”ですね、ここまでくると。
【2012.05.30やわらかな建築・私が残したいもの】で、『埼玉ではゴツゴツした木太い原木丸太をそのまま表わしとする様な豪快で武骨なデザインが多く、木割りの細い『綺麗数寄』と呼ばれる様な瀟洒で繊細な意匠はデザインされないように思います。』の、ひとつの印象。
設計者は【上高地の大正池の幻想的な光景】(Google画像検索より)をイメージしたのでしょうか、
それとも、【立ち枯れの木の神秘】(Google画像検索より)をイメージしたのでしょうか。
立木の状態に近い使い方をする事で、生命の尊さを表現したかったのかも知れませんね。
それともただ単なるデザインだったりして。
にほんブログ村