2017年 盂蘭盆会。
母の墓参に奈良へ、父の墓参に京都へ、妻とお姉ちゃん、弟クンの家族4人で自動車で行ってきました。
お兄ちゃんは残念ながら、今回の旅行は不参加。
墓参を済ませ、琵琶湖、京都市内を周遊後、8月16日、
京都五山送り火(東山如意ケ嶽の大文字)を皆で観ました。
場所は、今からおよそ17年前に妻と二人で観た同じ場所。
鴨川のほとり、丸太町橋の上流、「荒神橋」辺り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/27/2a7e297e34ae9406cdc2cfea61984553.jpg)
今、この時も、精霊が彼岸へと帰っているのでしょうか。
『ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、~』
・・・この時、私は、100年単位の時間を自由に行き来しているような想いでいました。
『~5年前だったかなぁ、妻と一緒に丸太町橋そばの鴨川の川原でみました。
その後、男の子が授かった際、命名にこの『大』の字をどうしても使いたかったのですが、
大よりもさらに大きい『太』(大大の意味)の字を一字つけて命名しました。
子供が大きくなったら、両親がどう考えて命名したかを、8月16日、妻と見た同じ場所に
息子と行って話してあげたいと思っています。~』
(過去記事 【2005年8月15日 盂蘭盆会の送り火】 より)
その想いを叶える事が出来たよろこび、安堵感。
目がうるんだような ” 大 ” 。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/35/1257d03946cf28963226c0afffdc7687.jpg)
(単に、手振れなんだけどね (^_^;) )
今、私は妻と二人の男の子、一人の女の子の家族に恵まれています。
悠久の時の流れの中の、今このときという時間。
だけど、うたかたのようではあるけれど、しあわせな時間。
感謝。ありがとう。
万感の想い、尽きませんでした。