心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

私の原風景のひとつ

2005年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 



”廃市”を鑑賞してみて、人それぞれが抱いている原風景のことについて、少しばかりつれずれなるままに・・・


私は京都で生まれました。父親も、祖父も、ひいおじいさんも、そのまたご先祖様も、先祖代々京都の人のようです。当時、大家族で、麩屋町松原(何て読むか分かりますか?)の家に住んでいました。伝統的な町家です。

私にとって、そこでの生活の日々は、私が多くの人たちに愛されて人生を始めることが出来た、このうえなく貴重で大変幸福なものです。かけがえのない宝物が詰まった時間であり場所です。それはただ単なる記憶というものなのではなく、私自身の一部です。

『三つ子の魂百まで』といいますよね。

私は愛されて人生を始めることが出来た恩返しというか、よろこびに突き動かされて建築をなりわいに選びました。学生時代の卒業論文にも全国の町家の考察をテーマにした程です。

とにかく何でもいいから、幸福の舞台である住環境について少しでも多くを知りたかった。奈良の今井町は何度となく行ったし、遠くは北海道まで足を運んで見学に行ったり、ゼミの先生に連れられて文化庁まで勉強させて貰いに行きました。

間取り、ハレとケ、陰翳、ヒエラルキー、桧に代表される木材の香り、漆喰の壁、木の建具、屋根瓦、通り庭、坪庭、光庭、露地、畳の匂い、そしてかび臭ささえも勉強して、住まいというものを自分なりに整理して解釈したかった。そして今振り返ってみて、それは自分探しの旅だったのだと思うのです。


そして確信を持って思います、『住まいや町並み、そして言語(私の場合は京ことばでしたが)は間違いなく人を育てている』と。

さて、住まい云々についてはいつの日かのブログに譲るとして、今日のはもう少しくだけた事を。

私が幼い頃、よく祖父や父に連れられて、鴨川の堤を走る京阪電車を見せに五条大橋か松原橋(旧五条橋)に連れられた記憶が鮮明にあります。実はその時の記憶が”私の原風景のひとつ”です。私にとっての京都は七条から三条にかけての鴨川と京阪電車と東山と町並み、といっても良いかも知れません。

そこは私にとってかけがえのない時間を封印した空間です。今はもうこの世には居ない父や祖父にいつ行っても逢える場所。胸がキューンとなるところ。五条京阪の位相の異なる機械式の踏み切りの「ちんちんちんちん」という音が、彼岸から聞こえていたような。

ただ、今はもうこの風景と音はありません。写真に見られる京阪電車は地下になってしまい、地上は道路になってしまったからです。だから私にとっての原風景は今、数少ない写真の中と、私の心の中にあるだけです。だからなおさらいとうしく思えてくるのです。

このブログをご覧になった皆さんの原風景はどのようなものなのでしょうか?

 

 

 

 

☆追記:2021年10月10日

後日記事【2016/05/12 母さんありがとう。より。

今から約57年前の京都市下京区・七条から三条の鴨川べりにて。

おそらく五条大橋か松原橋付近の鴨川西岸にて、父が撮影して残してくれた写真。

鴨川と京阪電車の線路と東山を背景に、母と私。

 

私、今でも墓参りの際にこの地を訪れると、

脳裏では、この写真の時代にタイムトラベルが出来るのです。

 

 


廃市

2005年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

懐かしい映画をDVDで観ました。

作家・福永武彦氏の同名小説を映画監督・大林宣彦氏が16ミリフィルムで映像化した文芸作品です。

1984年の公開ということなので、今から21年前の"ふた昔”程前に、東京の吉祥寺の小さなシアターで観た作品です。

当時、なぜか琴線に触れるものがあり、3回は鑑賞した記憶があります。それからは、舞台である柳川の街を訪ねてみたいと切に思い続けるようになり、1990年の春だったか、九州を旅していた時に思いを実らせることが出来ました。

そして今、改めて観返してみて、映像をめぐる私自身の移ろいを垣間見ています。

映画のオープニング、気動車が筑後柳川駅へと訪れる鉄路はその後廃止されて今はもうないのですが、私が訪れた90年にはまだ映画そのままに鉄道があり、”ふた昔”という時の流れと共に廃市というタイトルに感慨無量です。

『取り返すことのできない、滅びゆくものへの痛切なる思い』とはDVDの裏にあるコピー。

”日本のベニス”といわれている柳川の叙情、そこには決して綺麗ごとだけではない済まないリアリズムといえども、人生に美しさを見出そうとする或る人々にとっては、”滅びゆくもの”とは退廃的でも何でもなく、こころの拠り所なのであり、原風景なのではないか。自分自身というひとつのかけがえのない大切なものなのではないか。

とにかく美しい。私は美しいと思います。そして豊かだと。

弦楽四重奏を織り込ませながら、スローなライフスタイルの場であり、またコミュニティーの場としての象徴のような運河と伝統的な家屋と町並みを舞台にして、”新しいもの”へ盲目的に雪崩れ込むことの出来ないひとびとのこころの綾が伝わってくるのです。

私は建築をなりわいにしていますので、今風に言う『環境に共生している住宅』のお手本の一つがこの映画の中に描かれています。置かれた環境の中で、どのようにひとびとは住まいをつくり、生活を営んできたか。私は2000年秋に水の都の本家本元イタリア・ベネツィアを訪れましたが、その10年前に筑後柳川を訪れていました。たいへん勉強になりました。

今私たち夫婦はベネツィアで暮らしたいと考えています。(笑)


蒸気機関車

2005年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

鯉のぼりも悠然と泳ぐ素晴らしい五月晴れに恵まれた今年のGW、
息子とSLに乗車してきました。

息子はSLが大好き。

ビデオでしか見たことがなかったので、本物のSLがホームにやって来た時の喜びの顔といったら、親として、とても幸せでした。

汽笛を聞きながら見る車窓からの風景は、それはそれはたいへんのんびりと移ろいゆくもので、
まるで映像の中にいるような錯覚を覚えるほど、家族で過ごす楽しいひとときがそこから見えているようでした。