心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

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屋並み・街並み

2006年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

前回記事で、京町家の”つぼ庭”をめぐる屋根の画像を見て、今回は『屋並み・街並み』について。

 

屋根の連なる風景って、良いと思いませんか?もちろん、ある程度の歴史的耐用年数(100年程度は)を伴う屋根が連続していることなのですけど。それに比べてビルに多く見受けられる水平の『陸屋根』(ろくやね)、あれはいけません。都市景観が完全に醜いものになっていますよね。この屋根のデザイン、街並みを左右する大変重要な要素です。

 

画像は1978年9月30日の京都の風景。【鉄道ピクトリアル1978年12月号:京都市電訣別特集】から。写真/高橋弘氏。

 

ヤマケイ私鉄ハンドブック11京阪/山と渓谷社 写真/廣田尚敬氏より。

 こうして見ると、瓦の色彩も一様ではなくて、所々に微妙な風合いが異なり、それ自体はもちろんですけれど、空の色をも反映していて、一日の移ろいがとても美しいのです。

 

また、屋根に”むくり”があるのが解りますか?京町家独特のやわらかな曲線美が周囲の山並みと呼応して、京都の美しいスカイラインを形作っているのです(むくりの反対の”反り”は社寺建築)。 その町家の瓦屋根に比べ、ビルの陸屋根の何と味気ないこと!景観を壊しているに尽きますね。このロク屋根、本当にロクなものではありません。

 

外国では、こういう美しい屋並み・街並みがあります。私が移住したいと思っている、イタリア・ヴェネツィア。画像上から2枚はサン・マルコ広場に建つ鐘楼から私が撮影、3枚目は【魅惑の街・ヴェネツィア】STORTI EDIZIONI(刊)から。

ここは今も水の都。現在、自動車は走っていません。ここではバポレットと呼ばれる水上バスとゴンドラと徒歩・自転車がメインの交通手段です。

 

家からたかが100メートル程度の買い物にも自動車を使う現在の多くの日本人にとっては、この街の魅力は到底理解出来ないのではないでしょうか。『日本の常識は世界の非常識』とはよくいったものですが、現代日本人の豊かさの価値観って、所詮文明の産物を無尽蔵に便利に使えることなのでしょうか?

 

ここではおそらく、法律で建物の外観は変更してはならないとか、巨大広告禁止規制をしているのだと思います。本当に美しい屋並み・街並みなんですよ!

 

少し北へ行って、スイスの屋並み・街並みもたいへん美しい。

 画像はチューリッヒの市街、教会の鐘楼から私が撮影しました。余談ですがひょっとして、「スタジオジブリ版【魔女の宅急便】の背景の街って、ここチューリッヒじゃない?」と私はひそかに思っているのですけど、誰かご存知ありませんか?

 

で、またまたイタリア・ローマに戻って…

サン・ピエトロ大聖堂の上から見たローマ市街

 

ピンチュの丘から見たポポロ広場とローマ市街

 

ピンチュの丘から見たポポロ広場とローマ市街の夕景。遠くの巨大ドームがサン・ピエトロ寺院

いずれも私が撮影したもの。

 

…街が美術館なのですよね。

 

『ヨーロッパでは”公”は広場によって培われた』と何かの本で読んだことがあります。日本では広場は発達しませんでしたが、教育基本法の改正で”公”にも触れられているように、利己的過ぎるほどの行き過ぎた感のある個人主義の反省として、”公”はやはり大切なものだと私は思います。

 

”公”なくしてこれらのような魅力ある屋並み・街並みは絶対に出来ないので、今の日本人も住宅を建てる時には、少しはそのことを意識するようにしたいものです。かつては出来ていたのだから…

 

それに何より、平均寿命26年の住宅では、絶対に魅力ある街並みは出来ません。少なくとも75年、出来れば100年は長持ちする住宅を作らなければ。そのためには、木造では伝統構法にそのノウハウがぎっしり詰め込まれています。京町家は伝統構法なのですから。

 

意匠・機能・文化的特長に長けた長持ちのする住まいを建てて、ヨーロッパ等の魅力ある街並みにいつか追いつけるようにしたいものです。

 

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追記:2024年7月16日

 

過去記事《【年暮る】東山魁夷》2012年12月31日より。

東山魁夷画伯が60歳の時に描いた京都の街並み。【年暮る】1968年(昭和43年)ー山種美術館 蔵ー 

2024年の今から、56年前の京都の街並み。

「京都は今、描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」
とは、画家・東山魁夷に進言した文豪・川端康成の言葉とのこと。

 

 

2012年(平成24年)の、同じ位置の京都の景観。

《ブログ季節の変化》の【東山魁夷の「年暮る」から半世紀】からいただいた画像です。

 

たったの56年で、日本人はこうも、しかも京都という日本の伝統文化の中心地でさえ、醜く変容させてしまった。東京と変わらない景観にしてしまっている。

 

京都でさえ、半世紀前にはあった「年暮る」の様な美しい街並み・屋並みは、もう今は過去のものとなってしまっています。日本中で、何か大切なものを置き忘れて走り続けてきた、紛れもない現実。

景観法がようやく制定された今、将来の子供達の為に、美しい日本の街並み・屋並みを取り戻してあげたいと、私は切に願っています。

 

 


坪庭のすすめ

2006年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

【坪庭のすすめ】小埜雅章(監修)・水野克比古(写真)/講談社(刊)1575円より。

庭というと、「小さいながらも庭があって…」といった表現がされがちな、マイホームの夢を語る上でのひとつの憧れを言い表しても使われるようです。でも、広ければ良いというものでもなさそう…この”庭”、実に奥が深いのですよね。

庭は環境を素晴らしくしてくれる空間ですが、その中でも世間一般的?として形容される、敷地内で建物の余白として計画される庭ではなく、建築との渾然一体化を前提とした坪庭・壺庭を私はおすすめしています。

つまり”建ぺい率”を埋める手だてというか、建ぺい率の有効活用というアプローチでその空間を意識するのではなくて、建築と一体、建築そのものといった感性で考えることによって、住まいは驚くほど魅力に充ちたものになるからです。

画像は【坪庭のすすめ】から引用させていただきました。三条烏丸(さんじょうからすま)付近の家並みの写真だそうです。私がこの世に生を受けた場所が三条新町付近だそうですから、たいへん近い場所です。瓦屋根が連続していて、実に美しいですよね。

ここは建築基準法制定の遥か以前からある住まいであり、街並みです。全国一律の【法42条2項道路】などという規制で縛られて街が形成されていません。ですから自動車のスケールではなくヒューマンスケールによって環境が構成されています。

しかも、いずれの住まいも築100年は優に超えていますし、スラム化も起こっていません。それどころか、ご覧の様に緑のグリーンベルトが形成されている程の良好な環境なのですね。この緑こそが、坪庭・壺庭や奥座敷の庭の緑なのです。

この緑の庭は、現代的思考である”建ぺい率の有効活用”から発生したものではなくて、文化的背景は別にして、室内温熱環境の良好化にとっての温度調節・採光・通風・換気等といった工学要素から計画されたもの。

それは『法律がこうなのだから、こうせい!』といった半ば強制で導入されたものなのではなくて、京都という気候風土から京都人の民俗学的知恵として長い年月をかけながら導き出され、住まいの手法として確立したものなのですね。

この、”庭”を住まいの本質として取り込んできた空間構成は、『表屋造り』という”様式”にまでに高められたものです。

『名の通った建築家が設計したから凄い』といった”ミーハー”(古いね!)的なレベルなのではなくて、純粋に地域の気候風土からの進化論的発展を遂げてきた形態だからこそ誰もが納得する様式になり得た訳ですし、だからこそ建築や街並みに”生命が宿っている”といえるのではないでしょうか。

それは例えばバーナード・ルドフスキー著【建築家なしの建築】(渡辺武信(訳)/鹿島出版会(刊)1890円)に見られるべくものですね。自然発生的だからこそ誰もに魅力的なのでしょうし、居心地の良い環境なのだと思うのです。

建築家と称する方達は多いし、建築家に依頼する方達も多いし、何より住まいの本質に無頓着な方達が圧倒的多数ではあるけれど、この本を読んでみたら、きっと考え方に影響があるのではないでしょうか?

京町家を体験なさってみて下さい。そして世界第2位の経済大国の国民として、その住空間・住環境・街並み、そしてそこに暮らす人々の所作振る舞いから学ぶことがおありでしたら、是非私にご依頼下さい(^-^)

 

追伸

ちなみに、京都では『火事を出したら7代先まで怨まれる…』と、亡き祖母にたしか言われたような… 市民の火の用心の意識は相当高いものがあるのですね。日本は技術立国なのだから、都市・街並みのヒューマンスケールを残したままで、大火の防災の技術を開発すればいいのに、と私は思います。それが可能になれば、文字通り軒を連ねる住人同士のコミュニティはかつての日本のように豊かなものに戻るのに…と私は思うのですけれども。


融通無碍

2006年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

小さな子供のいる家庭にとっては『ゴールデン・ウィーク』ならぬ ”ごっつぅしんどい・ウィーク”でしたよね(^-^)凸。私は頭痛に強度の肩こりにと、もうヘトヘト~(x_x;)でした。仕事が始まって、直りましたp(^-^)q。

今回は、【京町家】神崎順一(写真)/新谷昭夫(文)/光村推古書院株式会社(刊)定価1050円から抜粋させていただきました。

さてこの画像、前回記事で紹介した【京都町家 色と光と風のデザイン】の表紙と同じ部屋なんですよ。信じられないでしょう(・・;)?  京町家・吉田家の玄関(正しくは玄関庭)から坪庭を見たところです。

日本の伝統建築の真骨頂である、建築と建具・調度とが横糸と縦糸を織り成す様に自在に紡ぎ出す空間の綾。そのとらわれのない空間を称して”融通無碍”と言い当てることがいえましょう。

融通無碍である日本の伝統建築は、ほぼ伝統構法によってのみ可能になる空間の構築の仕方です。

春夏秋冬。日本の多くの地方では、世界でも珍しい、穏やかでたいへん美しい季節の移ろいがあります。私は、この季節の移ろいこそが日本文化の基底にあると考えています。

ですので、住まいにとっても、現在の高気密住宅にみられる多くの考え方『自然という外部環境は、室内環境にとっては克服すべき対象である』に異を唱える立場です。もちろん、白か黒かといった"all or nothing"といった極端な立場ではありません。設計にとって最も大切なことは、建築主や建築地の環境にとって、何が最も適しているか?を探し出すことだからです。

今、憲法と並ぶ重要な柱であるとされる教育基本法の改正が議論されています。それを住まいの立場から考えると、やはり伝統建築であるとか伝統構法による住まいは、日本を日本的に形作ってきた具体的な”容れ物”であり、”文化”であることに間違いは無い訳だから、日本という”品格”を正す為には、絶対に博物館に収蔵してはならないものです。

例えて申し上げるならば、京都から京町家が消滅した日、それは京都が京都でなくなる日、京都がリトル東京になる日、と同義語なのではないでしょうか。

例えばウイーン・フィルハーモニー管弦楽団は、”彼ら自身の音”を愛していることの証として、ムジークフェライン・ザールは永遠の本拠地であることは無論のこと、ホルン・クラリネット・オーボエ等々、楽器改良により今はもう他の現代楽器使用による管弦楽団では全く使用していない(※作曲当時の演奏様式を再現することを目的とした古楽器等は除く)旧式楽器をわざわざ日本のヤマハ楽器に製造してもらってまで、かたくなにウイーン風の音を守っているのだそうです。

知りませんでしたでしょう? 世界中の人々のこころを捉えて離さない、世界で唯一のあの美しい音色は、日本人の手仕事によって伝統を継承しているそうなのです。そして、メンバーも可能な限り、ウイーン人であるように努めているそうです。ウイーン・フィルの音色は正に ”ウイーンなまり” なのですね。

私は、私を育ててくれたものに愛着があります。ウイーン・フィルの音色に感動することが出来た”こころ”がありました。人はもちろん十人十色です。押し付ける気は全くありません。ですけれども、比喩的な意味でいうところの”方言”を愛するこころを私は次の世代にも引き継いであげたい。本当に大切なのは、文明ももちろんそうですが、文化なのだと思うのです。住まいについてだって、そう思うのです。

文明を文化だと思い上がるようではいけないのではないでしょうか。それでは、いつまでたっても豊かになれないのではないでしょうか。品格を持ち得ないのではないでしょうか。