心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

大晦日

2005年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も今日で終り。2005年私自身にとっては本厄(数え42歳はそうですよね?)だったせいか、とても大変な一年でした。四十肩等身体の変調が本当にあり、来年も後厄ということで、メジャーリーガーの投手の様に?気を引き締め、身体をいたわり、ケアしながら日々の生活を営まなければいけないなぁと思う大晦日であります。

とはいえ、いまだかつて、健康診断で一度も要注意チェックをされたことのない健康な身体は、おそらく20歳代の男性と同じ体力と持久力だと自負しているp(^-^)qので(筋力や瞬発力はちょっと落ちてるかなぁ)、昨年から今年と、とにかくいろいろな事、まぁ、生活に親の介護に家族のことに仕事に趣味に子育てetc.で大変だったにもかかわらず、我ながらまあタフなこと!これが頑丈なんですね~(^-^)v  エヴェレストに行く人間はこれぐらいヒョイヒョイっと!

本当に今年一年、家族無事に健康で笑顔で暮らせたことにとても感謝しています。幸福ってこういうことなのでしょうね。(*⌒▽⌒*)

ぎゃあてい ぎゃあてい

来年も私は一歩65センチの歩幅で、一歩一歩、歩き続けますよ!晴れの日も、雨の日も、台風の日も、風の日も、酷暑の日も、凍て付く日も。そう、2000キロを歩き続けた日々のように。気合だあー! p(^-^)q

追伸:私は大晦日の夜のNHKのTV「ゆく年くる年」が好きんなんですよねー (´-`)


お餅つき

2005年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の12月24日は、我が家は親類で集まって、お餅つきをしました。

息子にとっては、サンタさんがやって来る楽しみな日。さらに『じーじ』のおうちに行けるワクワクしっ放しの日。

もう、ついたお餅は、息子にとっては紙粘土と同じなんですよね~(^0^)

画像の木の臼は、その『じーじ』の手作り。ケヤキなんですよーp(^-^)q

息子に『これは臼って言って、じーじが作ったんだよ』と言ってあげると、『へぇー、すごぉ~い!』と言ってました。(^_^)

 

親は親で『今年もいろいろなことがあったなぁ~』と、振り返る間もない忙しさでした。子育てはたいへんなのだ。でも、家族みな健康で、感謝、感謝 (*⌒▽⌒*)


しっかり組む①

2005年12月18日 | うんちく・小ネタ

寒いですね~ (>_<)

はっきり言って、大変だったんですよね~、この工作。
もう、手が傷だらけ、アザだらけ、血だらけ、絆創膏だらけになってしまいました (;_;)

私はいっぺん、設計者にノミとノコギリを持たせて、私の手元で実際の大工仕事をやらせたいと思っています。法隆寺や東大寺を初めとする国宝・世界遺産建築の木組みも教えてあげますから、やってみませんか? p(^-^)q  (冗)

これを工作するのに、墨付けまで含めると、丸2日かかりました。”2人工”ですね。全自動プレカットはこんな木を扱えないので、比較しても意味が無いのだけれど、建売規模だと一日に3棟は加工してしまうので、推し量ってみて下さい。

でもね、私は構造で絶対に手を抜きませんよ。 (-”-)

それでは、細かい話は、次回に。


バイロイトの第九 OTAKEN盤

2005年12月13日 | 音楽
第九交響曲のつづき。

『この国ではベートーヴェンの《第九》を「忠臣蔵」と並ぶ歳末行事に仕立てた。それを嘲う人もいるが、欧米、特にヨーロッパの人々にとっても、古来《第九》はやはり思い入れの深い別格の音楽であった。バイロイト祝祭劇場定礎式、ベルリンの壁崩壊時など、歴史の節目にはよくこの曲が演奏された。こめられた感動が〈音〉になって迸るとき、作曲者・演奏者・聴き手を貫く魂の共鳴が生まれる。音楽だけが持つ異常な力である。

フルトヴェングラー《バイロイトの第九》は、戦禍で中断していたバイロイト音楽祭の復活記念コンサート(1951年7月29日)のライヴである。平和到来の喜びの背後には、ナチズムとワーグナー思想(反ユダヤ主義)の関わり、フルトヴェングラー自身のナチ協力疑惑(裁判の結果無罪)など、複雑にして微妙な問題が潜んでいた。音楽が再現芸術である以上、「空前」であっても「絶後」の名演はありえないはずであろうが、背景にあるこうした事情を考えてみると、この演奏から得られる以上の感動がこの地球上で再現される可能性は、限りなくゼロに近い。

第一楽章の深沈たるテンポ、第三楽章の諦念を湛えた透明感、終楽章にみられる狂瀾怒涛の自己投入―ベートーヴェンの音楽を「思想」としてとらえ、無限の共感を強靭な構想力をもって演奏し、生きることの苦しさと歓びを極限まで歌いあげた―崇高な魂の記録がここにある。ベートーヴェンは生涯を通じて理想を追い続け、人間存在そのものをテーマに音楽を書いた。”そのこと”が、フルトヴェングラーの演奏を聴けば心の底から納得できると思う。』

文春新書069・クラシックCDの名盤/宇野功芳・中野雄・福島章恭著/文芸春秋刊より、
中野雄氏のコメント。

何しろ54年前の録音なので、録音だけを比べれば今よりも貧弱なのですが、それでもOTAKEN盤を聴くと、この演奏記録がそんな昔のものだとは全く分からないほど、豊かな音ですね。それに比べて今の演奏にはここに記録されている感動は絶対にありませんね。ただ、私も5年間程第九の合唱体験があり、師走のNHKホールに立って実際にこの第九を歌いましたが、それは大変な感動がありました。その体験のおかげで終楽章の合唱が全て聞き分けられるのですが、実際、良いものです。ソプラノのパートは大変なんですよね~。

さて、《第九》の決定的演奏といわれているのが《バイロイトの第九(1951年盤)》であり、その決定的CDがこのOTAKEN盤といえるでしょう。前回記事で紹介したCDはフルトヴェングラーが指揮台へ歩く足音が入っているもので、しばらく決定盤といわれていたものです。私もバイロイトの第九のCDを4枚持っていたのですが、つい先日、OTAKEN盤を入手して聴いたところ、軍配がこちらに上がった次第です。クラシック音楽を聴いたことの無い人は是非一度聴いてみて! 凄いですよ~♪

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第九交響曲

2005年12月10日 | 音楽
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師走。この曲が日本中で鳴り響きます。

Ludwig van Beethoven(1770-1827)
Symphony No.9 in D Minor,Op.125 "Choral"

そう、『第九』。

私がこの曲と真に出会ったのは、26歳位だったでしょうか。
もちろんそれ以前にも、曲そのものは知ってはいましたけど…

『バイロイトの第九』といわれているこの演奏は、
私が死んだ時、棺の中に一緒に入れて彼岸へと送って欲しいと思っているものです。

私にとって、フルトヴェングラーのベートーヴェンは、
かけがえのないもの。

どれほど、生きていくための勇気と力と希望を与えてくれたことだろう。

……

さまざまな思いを込めて、師走の日本ではこの曲が演奏されています。