心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

思えば遠くへ来たもんだ

2007年01月08日 | 旅行記

20070107091714 七日正月。

我が家では、邪気を祓うといわれる七草粥を朝食で頂きました。そして、家族の無病息災をお祈りしました。

凧上げも家族でしたのですが、あまりの強風でクラッシュ!(;_;)

皆様のご家庭ではいかがお過ごしでしょうか。

さて、八日は成人の日。私は23年前に成人式を迎えました。私にとってそれは単なる通過点に過ぎませんでしたけれど…

今振り返ってみても、私は私なりの道を捜し求めては迷い、三歩進んでは二歩下がる様な生き方に身を置いて、”旅” をしてきた様に思います。様々な事があったけれど、それでも斜に構えるような事はせずに、一生懸命に上と前を向いて歩き続けてきました。

人間の成長には、やはり何らかの節目があり、転機、ターニングポイントというようなものがあります。それは子供の成長をよ~っく観察していると理解出来ます。(私の場合はスパイラルポイント?だった様に思っているのですが)

例えば、私が歩いてきた道…

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私は、20歳の時ではなくて、30歳の時に自分の人生を最も深く見つめていた様に思います。

論語・爲政第二 『子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩 』 も意識していました。

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人には、その人でなければならない生き方 ”も” あるわけです。

荘子・内篇・人間世篇第四の ”樗礫散木” あるいは ”樗礫之材” ですね。

『匠石之斉、至於曲轅、見櫟社樹。其大、蔽数千牛、絜之百囲。其高、臨山十仞、而後有枝。其可以為舟者旁十数。観者如市、匠伯不顧、遂行不輟。
弟子厭観之、走及匠石曰「自吾執斧斤以随夫子、未嘗見材如此其美也。先生不肯観、行不輟何邪。」
曰「已矣、勿言之矣。散木也、以為舟則沈、以為棺槨則速腐、以為器則速毀、以為門戸則液L、以為柱則蠹。是不材之木也、無所可用、故能若是之寿也。」
匠石帰。
櫟社見夢曰「汝将悪乎比予哉。若将比予於文木邪。夫柤梨橘柚果M之属、実熟則剥、剥則辱。大枝折、小枝泄。此以其能苦其生者也。故不終其天年而中道夭。自N撃於世俗者也。物莫不若是。且予求無所可用久矣。幾死、乃今得之為予大用。使予也而有用、且得有此大也邪。且也、若与予也、皆物也、奈何哉其相物也。而幾死之散人、又悪知散木。」
匠石覚而診其夢。弟子曰「趣取無用、則為社、何邪。」
曰「密。若無言。彼亦直寄焉。以為不知己者詬厲也。」
「不為社者、且幾有翦乎。且也彼其所保与衆異、而以義誉之、不亦遠乎。」 』

……

私は、自分の息子と娘の命名に、荘子の世界観を一番意識して、名付けました。「名は体を表す」といいますが、まったくもって、その通りになってくれているようで、親としての重責を果たしているような気がします。お蔭様で、心の底から楽しませて貰って、子育てをさせて貰っている次第ではありますが…(^-^)v

よくいわれる様に 「世間のレールに乗る事」 は人生です。でも、自分の人生を捜し求めてレールを外れた旅に出てみることも、人生です。私は ”旅行” ではなくて、 ”旅” をしている人が大好きです。

そういう訳で、今年も私は、私の歩幅・ペースで、歩いて行く ”旅” を続けてまいります。


笑う門には福来る(^-^)

2007年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

20061231224611 2007賀正

息子いわく『パパと一緒に電車を見ているところ』だそうです。このような絵を描いてくれたことに、私はジーンと嬉し涙が込み上げてきてしまいました。(T-T)

20070102164110 とはいえ、新年早々、デパートの轟轟戦隊ボウケンジャーショーに出くわしてしまったんですよね~(-_-;)。当然、帰宅するなり、ボウケンジャーごっこ(×_×;)が始まってしまいました。今年も予定通り、息子と娘に振り回されっ放しのスタートです。は、早くも強烈なめまい、肩凝りが… パ、パパはがんばるぞ~  p(^-^)q