心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

風をよむ

2005年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

残暑お見舞い申し上げます。

処暑が過ぎたとはいえ、『暑さ・寒さも彼岸迄』の通り、まだまだ日中暑い日が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか?一転夜には、こおろぎや鈴虫らの鳴き声が聞こえ、秋の気配が感じられるこの頃。

明かりを落として、静かに、彼らが奏でる調べに眼を閉じてしばらく耳を傾けるのも、秋の夜長の楽しみの一つ。私はこういう時間がとても好きです。


さて、風をよみましょう。

といっても、住まいの中を流れる風や換気についてですが。

『はじめに設備ありき』とする住まいと、そうではないものとでは空間そのものが全く異なります。

電気・ガス炊飯器、換気扇、扇風機、エアコン、空気清浄機、等々、今ではどこの家庭でもある電化製品(設備)のなかった時代、住まいは人間の知恵によって形作られていました。

画像は別冊太陽・日本のこころ113号・『京の町家に暮らす』から。

”うなぎの寝床”といわれる間口と奥行きの比が極端に異なる京町家には、”通り庭(とおりにわ)”とよばれるユーティリティ空間があります。

当時は”かまど”でご飯を炊いたりと、マキや木炭を室内で燃やす必要があったので、その為のサービス動線、排煙や換気を建築のアプローチから設計しなければいけませんでした。

画像でも、通り庭上部は吹き抜けになっていて、分かりにくいけれど、採光の為よりもむしろ排煙の為の窓がを屋根にあけられています。『煙出し窓(けむだしまど)』といいます。

当時は通風・換気の良い間取りや立体構成でなければ、大変住みにくい住宅だったと言える訳です。

さて、今の住まいは…というと、大変便利な電化製品・設備のあるおかげで、がらりと質が変わりました。
暖房や冷房の効いた空気を部屋の外へ出さないように密閉化して、住居内を外環境と遮断する造りが一般化しました。

そして設備運転の高効率化を、やはり電化設備の無かった当時と同様、建築のアプローチから設計して高気密・高断熱住宅を生みだしました。(注:高断熱・高気密ではない)また、設備に頼りきることで、設計者が知恵を出さなくなったようです。

Q =α・A√2g⊿p/γ Q:換気量 α:流量係数 A:開口部面積 g:重力加速度 γ:空気の比重量 ⊿p:圧力差
Qw=α・A√Cf-Cb・V V:風速 Cf、Cb:風上・風下の風圧係数
Qg=α・A√2gh{(ti-to)/273+ti} h:給気口と排気口との高さの差 ti:室温 to:外気温

これらは換気量の基本理論式ですが、専門家や環境との共生を考えている一部の方を除き、一級建築士を名乗っている人でも普段の住宅設計ではほとんど意識していないのではないでしょうか。意識しているのは、建築基準法で必要とされる換気扇の種類、設置箇所および数と、意匠のみのようです。

何回か前に記事を書きましたが、建築基準法とは最低基準です。有資格者といえどもお寒い限りといわざるを得ませんね。機械や設備に頼りようが無かった昔の人達、特に設計・施工を統括した棟梁をはじめ、知恵を出し合った職人さんにもっと学ばなければいけません。

というわけで、現在は自然通風・自然換気の良い間取りや立体構成では、逆に、住みにくい住宅という人が増えているようです。

ですが、私は思います。『住まいにとって、風通しの良さはとっても重要』だと。
最初の画像、見た目にも涼を感じませんか?

かすかな風、人がすぅーっと通っただけでなびく薄い生地ののれんは、簡易パーティションの機能も兼ねた涼をとる装置でもある訳です。涼を感じるものとしては、風鈴と同じですね。設備に頼りきった『はじめに設備ありき』の住まいでは、暮らしの中で忘れ去ってしまう大切なものも小さくはないのではないでしょうか。

かすかな風になびくのれんや涼しげな風鈴の音色を五感で感じながら育つ子供と、エアコンが効いて快適ではあるでしょうが外環境に対して閉じられた部屋で育つ子供とでは、やはり違ったこころを持って大人になるのではないか。

子供だけではなく、大人にとっても、職場ならいざ知らず、くつろぐ場所である自宅で住まいを閉じたものにしない方が良いと私は考えます。風通しの良い、秋の夜長にはその時でなければ体験出来ない自然と触れ合えるような住まいの方が、癒されるでしょう。

桂離宮・古書院の月見台ではないですが、中秋の名月を自宅で愛でることが出来るようなふところの深い数寄なものへの遊び心を住まいに取り入れておいて、損することなど何もないばかりか、豊かさを実感出来るはずです。

微妙なニュアンスを込めたピアニッシモを聴き分けることが出来るような豊かな感性は、こうしてかすかな風を眼にすることでも培われるのでしょうし、何より、美しいと感じるこころのゆとりや豊かさが、住まいによってもたらされるって、とても素敵なことではありませんか!

風をよみませんか。


夏休みの工作

2005年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ夏休みもあと10日程になりました。みんな、宿題は済んだのかな?
(^-^)済んでないよね!
おじいちゃんやおばあちゃんの家へ遊びに行った時のことを絵日記にしたり、かぶと虫やくわがた虫の観察日記を付けてみたり、お父さんと一緒に木工作品をつくったり、夏休みって楽しいし、あっという間に終わっちゃうんだよねぇ。

大工さんも炎天下で熱中症に注意しながら、工作(?)しています。
ちょっと難しいけど、夏休みの工作でお盆を作ってみるのもいいかもね。
今回は大工さんのお盆作りのおはなし。

今僕達は小学校で、角度を習う時に”分度器”を使って学習します。だけど、大工さんは”分度器”を使わないで、”さしがね”という大工道具を使って角度の寸法を出して工作します。



このさしがね、表側には普通の目盛りが刻印されているんだけど、その裏側に表側の目盛りの1.41421356・・・倍(=√2倍)の目盛りが刻印されています。”表目”と”裏目”と呼ぶんだけど、分度器の角度に該当する目盛りはありません。大工さんは角度ではなく、”勾配”という概念で斜めのある部材の墨付けをしているんですよ。

例えば、屋根。大工さんは『5寸勾配』というふうに捉えて寸法を決めていきます。だいたい26.34度かな。他にも4.5寸勾配(よんすんごぶこうばい≒24.13度)とか、矩勾配(かねこうばい=45度)といったような具合。

底辺1尺の長さに対して高さが5寸上がれば『5寸勾配』、同様に4.5寸上がれば『四寸五分勾配』、一尺上がれば『矩勾配』となる訳です。尺貫法でなければ、10センチに対して5センチ上がれば5寸勾配(寸ではないので正しくは10対5勾配といいますが)。同様に4.5センチ上がれば『四寸五分勾配(10対4.5勾配)、10センチ上がれば矩勾配となります。

また、この勾配は平勾配と隅勾配の2種類があり、大工さんは『勾殳玄』(こう・こ・げん)と呼び、さしがねの表目と裏目を使い分けて、複雑な斜めの寸法を計算しないで部材に墨付けをしていくのです。だから、屋根は30度とか、60度といったような角度の概念での整数(45度は除く)で出来ていないんですよ。

さて、ということで、大工さんが作ったお盆です。三・四・五・六・七・八角形と、ちょっと難しいけど、全て電卓を使わないでさしがねだけで寸法が出ますから、お父さんと一緒に工作してみよう!p(^-^)q



(ー’‘ー;)どうしても難しい場合は側板の”転び”をやめて底板に垂直に作れば簡単だよ。



画像のお盆は底板が杉の源平(赤と白の混ざった板)で、側板が松。接合は木工ボンド。材料の木材は近所の工務店か材木屋さんに行けば、処分待ちの端材をタダで譲ってくれるかも知れないから、行ってみてね。ホームセンターでも購入出来るけれど、大工さんにノウハウが聞ける分、工務店か材木屋さんの方がお勧めですね。たのしいこと、いっぱい聞けるよ!



専門的には正多角形屋根の軒廻り(茅負い・かやおい、広小舞・ひろこまい)と同じです。

工作墨の出し方は勾殳玄法、展開図法、木の身返し法とそれぞれあり、特に木の身返し法をマスターすればとても簡単にこのような斜めの部材の墨付けがあっという間に出来るようになります。正113角形だって出来るんですよ。(ただし工作が超難しくなるけど)

がんばってね!(^-^)v


盂蘭盆会の送り火

2005年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

私は今年のお盆もお墓参りが出来ませんでした。
子供がもう少し大きくならないと、家族揃っての混雑期の長距離移動は難しいです。

都市部よりも地方の方が、暮らしの歳時記は豊かですね。
時間の流れ方が根本的に異なっていて、好き・好きではないで言うと、私は地方の方が好きだなぁ。

私の母の郷里は奈良の田舎の農家なのですが、迎え盆の風習が残っています。盆提灯を持ってお墓に行き、そこで明かりを灯して精霊を自宅にお迎えします。水田や畑に囲まれた、お墓のあるお寺までの道をみんなで歩いて行って帰ってくるのです。お寺のまわりには出店があって、子供の私にとってはお祭りみたいな楽しい時間でした。私のお盆のひとつの情景です。

また、もうひとつのお盆の情景

 

京都の五山の送り火(Google画像検索から
いわゆる大文字の送り火です。(京都ガイドブックhttp://kyoto.nan.co.jpによる解説はこちら

 

この大文字の送り火、京都だけではないのですね。

高知県中村市 (Google画像検索から

静岡県三島市 (Google画像検索から

奈良県奈良市 (Google画像検索から

神奈川県箱根町 (Google画像検索から

秋田県大館市 (Google画像検索から

福岡県大野城市 (Google画像検索から

栃木県佐野市 (Google画像検索から

青森県青森市 (Google画像検索から

伊豆・熱川・海上大文字 (Google画像検索から

山梨県笛吹市 (Google画像検索から

京都府福知山市 (Google画像検索から

大阪府池田市 (Google画像検索から

広島県広島市 (Google画像検索から

北海道名寄市の ”文字” (Google画像検索から

阿蘇の ”大文字” (Google画像検索から

というものがありました。
まだまだ全国であるのでしょうねぇ。

5年前だったかなぁ、妻と一緒に丸太町橋そばの鴨川の川原で見ました。
その後、男の子が授かった際、命名にこの『大』の字をどうしても使いたかったのですが、
大よりもさらに大きい『太』(大大の意味)の字を一字つけて命名しました。
子供が大きくなったら、両親がどう考えて命名したかを、8月16日、妻と見た同じ場所に息子と行って話してあげたいと思っています。

精霊が彼岸へと帰っていくと、時間の流れがまた加速するのですよねぇ。
『夏休みああ夏休み夏休み』

8月15日、終戦の日。
平和への祈りを込めて。


この様な建物もあります

2005年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム


前回の川床と納涼床に続いて、建物探訪へ。

画像は岡山・後楽園にある流店(りゅうてん)という建築。
1691年(元禄4年)江戸時代中期建立とのこと。1945年の岡山大空襲でも戦災を免れたそうです。

日本三名園で有名な後楽園は、備前岡山藩二代目藩主 池田綱政が1686年(貞亨3年)津田永忠に命じて、14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に一応の完成をみたそうです。

かつては【御楽園】と呼ばれていたそうですが、1871年(明治4年)に【後楽園】と改めたそうです。由来は「先憂後楽(人より先に憂え、人より後に楽しむ)」の『後楽』だそうな。宋の范文正の『岳陽楼の記』の「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」からとか。

日本を代表する林泉回遊式庭園のひとつですね。

現在でもここからは岡山城以外は見えないように配慮されているらしく、園側の計画だけでなく、都市計画でも周辺ビルの高さが低く抑えられていたりするそうです。

岡山の人たちも環境や景観を大切にしながら、まちづくりをしてきたのですね。後楽園公式HPガイドマップから。

さて、流店ですが、とてもユニークで面白い建築だと思いませんか?
ここでの主役は、岡山市内を流れる旭川から引き込まれた、小川です。

建物下の水路には京都・加茂川(鴨川の上流。高野川と加茂川が合流して鴨川になる)から取り寄せたらしい赤・青・紫といった奇石6個が配されています。ここはかつては藩主が曲水の宴を催し、現在は来訪者がちゃぷちゃぷ水遊びをしている、300年続く憩いの場所。

建築そのものは画像の通り、1階に固定した間仕切り壁はなく、おそらく二階にもないのではないでしょうか。また、屋根は杮葺き(こけらぶき:主にさわらの木の薄板による板屋根。留付けは竹釘)。軽快で、粋な建築を目指したのでしょう。重量を軽くして耐震性を向上させるのと、建築を軽やかにするための意匠をバランス良く計画しているのだと思います。

ステレオタイプの発想や思考によって考えないようにすれば、そして、多角的重層的に人間の知恵を積み上げることが出来れば、建築はこれほど自由に愉しく出来るものです。もちろん、十人十色の建築主にとって、『良い・悪い』のことではありません。

住宅は住むための機械Le Corbusier(ル・コルビュジェ)でいいのですが、日本には数寄屋を創り出してきた精神風土があるではありませんか。

私はこの数寄屋の発想が、環境と共生していくための建築のあり方のひとつの大きいヒントを与えてくれていると思っています。

そして、そこにある”遊び心”が現代人にこそ必要な気がしています。生活にゆとりや安らぎを与えてくれる、豊かな住まいをつくる基底として。

数寄屋とは『好きやねん』なのです(^_^)。計画して、実際に形になっていくことがこんなに愉しい建築って、そうあるものではないでしょう。

この流店、構造的には主屋に細い角柱10本程度、庇に細い丸柱10本程度だけで筋違い(すじかい)が無いので、伝統構法をご存知ない木造技術者にとっては、何故300年も建っているのか(震度5弱程度の地震は過去100年間で数回あったようです)不思議みたいですね。真顔で質問されたことがありました。しかも『すじかい』を『筋交い』と思われているし…

2000年だったかな?、建築基準法の性能規定化により、この流店のような筋違いや構造用合板による耐力壁が無い建築も構造計算で安全性が証明出来れば、木造で建てることが出来るようになりました。これからの大工は、腕と経験とカンと構造計算が出来なければ棟梁になれない時代に入ったということのようです。

八月七日・立秋