残暑お見舞い申し上げます。
処暑が過ぎたとはいえ、『暑さ・寒さも彼岸迄』の通り、まだまだ日中暑い日が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか?一転夜には、こおろぎや鈴虫らの鳴き声が聞こえ、秋の気配が感じられるこの頃。
明かりを落として、静かに、彼らが奏でる調べに眼を閉じてしばらく耳を傾けるのも、秋の夜長の楽しみの一つ。私はこういう時間がとても好きです。
さて、風をよみましょう。
といっても、住まいの中を流れる風や換気についてですが。
『はじめに設備ありき』とする住まいと、そうではないものとでは空間そのものが全く異なります。
電気・ガス炊飯器、換気扇、扇風機、エアコン、空気清浄機、等々、今ではどこの家庭でもある電化製品(設備)のなかった時代、住まいは人間の知恵によって形作られていました。
画像は別冊太陽・日本のこころ113号・『京の町家に暮らす』から。
”うなぎの寝床”といわれる間口と奥行きの比が極端に異なる京町家には、”通り庭(とおりにわ)”とよばれるユーティリティ空間があります。
当時は”かまど”でご飯を炊いたりと、マキや木炭を室内で燃やす必要があったので、その為のサービス動線、排煙や換気を建築のアプローチから設計しなければいけませんでした。
画像でも、通り庭上部は吹き抜けになっていて、分かりにくいけれど、採光の為よりもむしろ排煙の為の窓がを屋根にあけられています。『煙出し窓(けむだしまど)』といいます。
当時は通風・換気の良い間取りや立体構成でなければ、大変住みにくい住宅だったと言える訳です。
さて、今の住まいは…というと、大変便利な電化製品・設備のあるおかげで、がらりと質が変わりました。
暖房や冷房の効いた空気を部屋の外へ出さないように密閉化して、住居内を外環境と遮断する造りが一般化しました。
そして設備運転の高効率化を、やはり電化設備の無かった当時と同様、建築のアプローチから設計して高気密・高断熱住宅を生みだしました。(注:高断熱・高気密ではない)また、設備に頼りきることで、設計者が知恵を出さなくなったようです。
Q =α・A√2g⊿p/γ Q:換気量 α:流量係数 A:開口部面積 g:重力加速度 γ:空気の比重量 ⊿p:圧力差
Qw=α・A√Cf-Cb・V V:風速 Cf、Cb:風上・風下の風圧係数
Qg=α・A√2gh{(ti-to)/273+ti} h:給気口と排気口との高さの差 ti:室温 to:外気温
これらは換気量の基本理論式ですが、専門家や環境との共生を考えている一部の方を除き、一級建築士を名乗っている人でも普段の住宅設計ではほとんど意識していないのではないでしょうか。意識しているのは、建築基準法で必要とされる換気扇の種類、設置箇所および数と、意匠のみのようです。
何回か前に記事を書きましたが、建築基準法とは最低基準です。有資格者といえどもお寒い限りといわざるを得ませんね。機械や設備に頼りようが無かった昔の人達、特に設計・施工を統括した棟梁をはじめ、知恵を出し合った職人さんにもっと学ばなければいけません。
というわけで、現在は自然通風・自然換気の良い間取りや立体構成では、逆に、住みにくい住宅という人が増えているようです。
ですが、私は思います。『住まいにとって、風通しの良さはとっても重要』だと。
最初の画像、見た目にも涼を感じませんか?
かすかな風、人がすぅーっと通っただけでなびく薄い生地ののれんは、簡易パーティションの機能も兼ねた涼をとる装置でもある訳です。涼を感じるものとしては、風鈴と同じですね。設備に頼りきった『はじめに設備ありき』の住まいでは、暮らしの中で忘れ去ってしまう大切なものも小さくはないのではないでしょうか。
かすかな風になびくのれんや涼しげな風鈴の音色を五感で感じながら育つ子供と、エアコンが効いて快適ではあるでしょうが外環境に対して閉じられた部屋で育つ子供とでは、やはり違ったこころを持って大人になるのではないか。
子供だけではなく、大人にとっても、職場ならいざ知らず、くつろぐ場所である自宅で住まいを閉じたものにしない方が良いと私は考えます。風通しの良い、秋の夜長にはその時でなければ体験出来ない自然と触れ合えるような住まいの方が、癒されるでしょう。
桂離宮・古書院の月見台ではないですが、中秋の名月を自宅で愛でることが出来るようなふところの深い数寄なものへの遊び心を住まいに取り入れておいて、損することなど何もないばかりか、豊かさを実感出来るはずです。
微妙なニュアンスを込めたピアニッシモを聴き分けることが出来るような豊かな感性は、こうしてかすかな風を眼にすることでも培われるのでしょうし、何より、美しいと感じるこころのゆとりや豊かさが、住まいによってもたらされるって、とても素敵なことではありませんか!
風をよみませんか。