心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

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彼方からの響き

2005年09月26日 | 音楽

秋の訪れ。

夏の終りと共に澄んだ空気がもたらしてくれる美しい音の響きは、人生を豊かにしてくれます。
私は、虫の音に包まれるように聴くクラシック音楽がとても好きです。
今回はそれにまつわるお話。

時は1992年3月12日 木曜日 19時、場所は東京都渋谷区のNHKホール。

『その音を聴いたこと、それは私の人生のかけがえのない宝物』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音、その音楽。
それは地球上でかけがえの無い、無形の世界遺産。間違いなく!

当初、”あの”カルロス・クライバーが指揮する予定だったものの、予定通り!?キャンセルになり、
イタリア人指揮者のジュゼッペ・シノーポリに変更されて行われたV.P.O.創立150周年の記念演奏会で私は”戻れなくなって”しまいました(^_^;



プログラムは、クライバーが指揮する予定だったシューベルト交響曲第8番ロ短調D.759『未完成』と、ニューイヤーコンサートで有名なヨハン、ヨゼフ・シュトラウスの作品だったものが、シノーポリ指揮ではシューベルト交響曲第8番ロ短調D.759『未完成』とブルックナー交響曲第7番に変更になり、クライバーは聴きたかったけれど、ブルックナーは私の大好きな作曲家の一人でしかも後期・7番はたいへん美しい曲なので、悲しいやら嬉しいやら…悲喜こもごも。



   





【 水も緩みやわらかい風が流れるようになってきましたが、いかがお過ごしですか?時折、沈丁花の甘い香りが漂ってきて、日々一刻と春の到来を感じさせてくれるのは嬉しい限りです。でも僕は春といっても晩春の方が断然好きで、これは山好き・自然好きとも関係があるかも知れませんが、5月のメリハリのある、しかもとてもやわらかい陽光と新緑の中にいると、本当にそれだけで心がウキウキしてきます。でも、桜の時期は街中のような所でしか実感を感じとれないでいるので、僕にとっての春は少々遅れてやってくるようです。

 ちなみに春、僕の好きな桜の咲いている場所は、阪急神戸線の沿線です。上野や千鳥ヶ淵、京都の円山公園や平安神宮、大阪の大阪城公園や造幣局中州よりも、夙川・香露園・芦屋川の辺りの閑静とした住宅脇に何気なく咲いている桜を、これまた何気なくポカポカとしたうららかな陽気の中散歩しながら観るのがとても好きです。『細雪』の影響かな?そしてその散歩の時期によく阪急電車に理由もなく乗って、先頭車両からこの辺りの”桜のトンネル”を楽しみます。本当に桜のトンネルになるのですよ!そして街を散歩してから芦屋川を海まで歩いたりして、のんびりするんです。これは春の幸福の一コマですね。ひょっとすると、『錦繍』に出てくるモーツァルトのカフェや、『細雪』の幸子の家があったりして?と思うと、とても楽しい散策ですね。

 さて、3月12日にNHKホールでウィーン・フィルの演奏に触れてきました。それまで僕はコンサートホールで海外のオーケストラを聴いたことがなく、在京のオケしか体験していませんでしたから、初の本場、それも世界中の人々の心を捉えて離さないという、誰もが認める世界最高峰ともいわれる音色が一体どんなものであるのかということが、とても興味あるところでした。CDや雑誌では皆『ウィーン・フィルであればこそ…』だとか『ウィーン・フィルの音色は…』といった絶賛ばかりなので、正直言って僕は少し反発していたのです。

 在京オケだってホルンやトランペットといった金管楽器はちょっと辟易してしまうところもたまにあるけれど、弦は大したものだと思っています。ある指揮者が『オケの上手・下手は無い。あるのは上手い指揮者と下手な指揮者だけだ』と言っているのを本で読んだことがあるのですが、僕もそれに同感でした。だからS席29,000円は少し勇気がいったことも事実で、実際クライバーがキャンセルした時に”それまでのチケットは自動的に無効”ということになっていれば素直な感情としてラッキーとさえ思っていたくらいでした。

 それでも、僕はかなり胸ときめかせながらNHKホールのS席に深く腰をかけました。コンサートマスターのゲアハルト・ヘッツェルが舞台に登場すると場内は拍手で埋まり、僕はただならぬ聴衆の期待を感じました。オケへの満場の拍手が鳴り止んで一瞬の静けさの後、指揮者のシノーポリの登場と共に再び場内は騒然とした拍手で埋まりました。そして指揮者が指揮台に立ち、オケへ目配せをすると同時に一斉に拍手は鳴り止み、場内の全ての人間がシノーポリの指揮棒に全神経を集中させました。それは僕自身そうでしたが、自分自身の呼吸や脈拍、果ては心臓の鼓動の音さえも意志の力で消すような、そんな集中の仕方でした。その時、NHKホールに音というものは存在していませんでした。怖くなるような静寂でした。そんな中、『未完成交響曲』の最初の音が響き出したのです。

 最初の音から時間にして15~20秒位でしょうか、冒頭のチェロが低く、魂の奥底から響いてくるような深い音を聴かせてくれた直後の第一ヴァイオリンの音色!・響き!! その音を3秒聴いただけで僕は全身に鳥肌が立ちました。何て表現したらいいのだろう! ウィーン・フィルの弦を『とろけるような…』と表現する批評家はずいぶんいますが、それって本当です!! 脳内麻薬が分泌されるというか、もうとにかく全身うっとりした状態になるんです。ものすごくまるくてやわらかい音で、遠藤周作さんじゃないけれど、”母の子宮の中にいるような”とでもいうか、”羊水の中を浮遊しているような”とでもいうか、とても信じられないような音色・響きで聴き手をふわっとやわらかく包んでくれるんです。

 僕が何を言っているのか、分からないでしょう?これって、実際に、本気になったウィーン・フィルを生演奏で聴いた者にしか分からないことなのでしょうね。ものすごく、だから、残念です。たった一人で、人生にそうあるものではないだろう極上の感動を体験してしまったということが。

 シューベルトの『未完成』は正に”ウィーンの音楽”ですから、ウィーン・フィルにしてみれば母国語を話すようなもので、得意中の得意なのでしょうね。”ウィーン奏法”とよばれる音符の角を丸くすり潰す音作りや、アクセントやアタックを極力排した伝統的な『未完成』は、実演のウィーン・フィルで聴くと、本当に身も心も溶けてしまいそうです。クライバーからシノーポリに指揮者が変更になったのも大きな違いだったようです。なぜなら、シノーポリはウィーン・フィルの自主性を尊重したように思えるからです。

 僕は『未完成』のCDはクライバー/ウィーン・フィル、ワルター/ニューヨーク・フィルの2枚しか持っていませんが、この2枚、前者は”原典版”で後者は”旧版”による演奏なのだそうです。同じ曲でも表現は全く異なり、原典版は後の”9番・グレート”につながっていく指示が多く、まるでベートーヴェンを聴いているような感じです。実際シューベルトはベートーヴェンを尊敬した人ですから、そのような表現は妥当かもしれませんが、やっぱり、『未完成』はワルターのようなウィーンの伝統的なスタイルでこそ良い音楽になるような気がします。シノーポリはワルターの表現と似ているように思いました。鋭い角が無く、クレッシェンド、ディミヌエンドをやわらかく使い、アクセントを抑え、反復記号はしっかり反復しましたから(偉い!少しでも多くウィーン・フィルサウンドを聴衆に届けたいという思いが伝わってくるようです)。もし、クライバーだったなら、原典版を使ったでしょうから、それはそれで天才指揮者クライバーの”入魂”の演奏と出会えたわけですが、『未完成』では僕はワルターの表現の方が好きですから、シノーポリ&ウィーン・フィルに感謝しています。

 ところで、ウィーン・フィルサウンドは弦だけでなく、木管・金管楽器も在京オケとは全く次元の違う音でした。僕はホルンについて、弦と共にたいへん興味を持っていました。ウィーン・フィルはかたくなに伝統を守り、大切にする楽団ですが、同じウィーンでもウィーン交響楽団ではもう使われない楽器、例えばウインナ・ホルン、ウインナ・クラリネット・ウインナ・オーボエ等でもある気概をもって使っているようです。それは音色に現代楽器ではなし得ない特色があるからで、CDで聴いても音の違い、それはニュアンスというものではないもっとはっきりと理解できるのです。実際にこれは本当に聴いてみたかった。そして、実際に聴いてみて、ウインナ・ホルンはやはり相当に難しいようで、時々おや!?と思えるところもありましたが、(といっても、僕の耳がおかしかったのかも知れないけど…)音色はやはり素晴らしく、本当に悠久の彼方から響き渡ってくるような深みのある音で、それは全く”ホルンの音”のしないことにびっくりしました。

 この音ですが、彼らは”音”ではなくて、”音楽”を全ての楽器に聴かせてくれます。例えばブルックナーですが、何でヴァイオリンでオルガンの音が出せるのか、僕は不思議でなりませんでした。それに、音楽のいざないは、未完成ではウィーンに、ブルックナーではアルプスに連れていって貰っていたかのようで、驚きでした。両曲共僕はカラヤンのように瞳を閉じて演奏に接していたのですが、幽体離脱!?とでもいうのか、心というか、魂というか、遠い彼方へ僕は連れ去られていたようでした。僕は北海道やケラマでまだ聴いたことがなかったウィーン・フィルの音色を大地の歌として聴いた気がしましたが、コンサートホールで実際に聴いたその音楽は、或る意味で同じでした。自然とは大したものですが、人間の文化も本当に大したものだと思います。

 さて、未完成の次のプログラムのブルックナー交響曲第7番です。これまた、ヴァイオリンのトレモロがピアニッシモで開始される”ブルックナー開始”から、その音・響きは素晴らしく、音楽に硬さが全くないことに、あっという間に別世界に連れ去られてしまいました。この曲は未完成の旧版と同じように、痛烈なアクセントやアタックが無いので、とてもおだやかでなだらかな曲想はオルガン的な響きと相まって、ややもするとバッハ的な退屈で冗長としたものになりがちなんですけど、そこは指揮者もウィーン・フィルも知り尽くしたもので、うっかりすると聴き逃してしまうようなニュアンスを音楽に色付けして、つまりアゴーギクやデュナーミクを通してブルックナーの言いたかったであろうことを音楽的造形としても崩れないようにしていたように思います。こういうことは例えばピアニッシモなんかでよく崩れてしまって、そのあまりの無神経さに耳を塞ぎたくなってしまうことが時々あるのですが、”ウィーン・フィルって本当に人間の集団?”と思ってしまう程、そのニュアンスから表現方法、そして”超”が付くアンサンブル能力等が合わさって、凄い!のひとこと。

 こういうことの凄さは例えば指揮者である岩城宏之さんが『フィルハーモニーの風景』というエッセイで書かれているのですが、実際にウィーン・フィルを指揮してみて、『もはやウィーン・フィル恐るべし』なのだそうです。それは、カラヤンの棒を無視してオケだけで演奏してしまうとか、晩年のヨボヨボのカール・ベームが”本当のカール・ベーム”であるのは、ベルリン・フィルかウィーン・フィルを振っている時だけ(何故なら他のオケはヨボヨボのベームの心の中の本当の意図を読み取って音楽に盛り込み充実させることが出来ないからだ)と主張するのも、実演に接すると納得ですね。つまり彼らには”楽器”という観念がないのではないでしょうか。

 さてさてブルックナー・7番ですが、僕が今まで旅してきた様々な所や思い出が聴いているにつれ湧き起こってきて、改めて音楽の持つ神秘さを実感しないではいられない演奏でした。僕はブルックナーのシンフォニーは8番・9番が大好きで、宝物を扱うように聴き入りますが、7番はイマイチで、あまりピンとくるものがありませんでした。だけど、ウィーン・フィルの実演を耳にして、考えが変わりました。実際にブルックナーの心の故郷である聖フローリアン教会(そして確か、彼はここに永眠していると思ったんですけど…)やあざやかに咲き誇る高山植物の草原に深く横になって遠くにアルプスを仰ぎ見るようで、テレポーテーションじゃないけれど、気持ちだけは行ってしまえるって、素晴らしいですよね。

 まぁ、とにかく至福の2時間でした。アンコールもウィーン・フィルはヤル気だったのですが、シノーポリが疲れ切ってぐったりしていたようでしたから行われませんでした。せっかくコンサートマスターのヘッツェルが『聴衆の皆さんはアンコールを期待していますョ』というような合図をシノーポリにしたんですけどね。

 ということで、聴く前と聴いた後とではやはり想像していた以上のギャップが出ることとなりました。またひとつ恋をしました。ウィーン・フィルに。あんなにあたたかくて、やわらかくて、心をうっとりさせてくれて。29000円でこれほど素晴らしい体験をさせてくれるのだから、安いものです。僕にはウィーンという街と文化が何となく身近に感じられるようになりました。どことなく京都の感性と似ているような気がします。伝統を大切にするけれど、新しいものにもチャレンジして、何となく日本人の心の故郷っぽいものと共通するところがあるような。そして今はもう死語となりつつある美しい京ことばを話す、たおやかな京おんなのような。ウィーン・フィルの音色はその京おんなの話し言葉そのままです。きついところが少しもなく、やわらかくはんなりとしていて、うっとりさせてくれて。今風のスマートで洗練された理知的なものから彼らはひょっとすると距離を置きたがっているのではないのだろうか?カラヤンの目指したそういう音作りをしてきたベルリン・フィルと対極にあるようなウィーン・フィル、つまりウィーンの文化は、絶対に京都の伝統文化に似ていると思います。音楽って、言葉ですよね。文字と音符が異なるだけです。もっとも僕はまだベルリン・フィルの音を実演で聴いていないので、想像ですけど。

 本当に1992年3月12日は至福の日であり、素晴らしい出会いの日でした。ジュゼッペ・シノーポリとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に『ありがとう』と言いたいです。
  さて長くなりましたが、ちっともこの感動を伝えることが出来なくて自分の力不足を感じています。それにしても、ウィーンの人は幸せですねぇ、あんなに素晴らしい音楽を日常聴いて暮らせるのですから…                   

92年3月15日                                                 】



スクラップブックを見ていたら、或る人に出した手紙の下書きがチラシの裏から出てきました。
今から13年前の自分が書いた文章です。『あー、こんなことを書いていたのだなぁ…』と懐かしくなりました。

今年もウィーン・フィルはムーティ指揮で、10月に来日して公演する予定です。
いつか、家族にも聴かせてあげたいなぁ。


曲がった梁③

2005年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

前々回、前回の続き。
今回は曲がった梁の端部、接合部について。

 

 


この、曲がった梁を凸、架けられる梁を凹として接合させる技法で、『兜蟻:かぶとあり』といいます。
そして、上部凹型になっている部位、屋根を形作る骨組みの『垂木:たるき』という部材が入るのですが、この技法を『輪薙込み:わなぎこみ』といいます。

いずれも今まで説明してきた一連の曲がり材の扱い方同様、全自動プレカット工作機械ではなく、大工の手仕事によるものです。

材に黒い直線が出てますでしょ。これが前回記事の、水平と垂直の墨。
墨付けについて言えば、これを出してしまえば、ここから先はそう難しいことはありません。

ただし、接合部の種類や特性、自分材は当然として、相手材との関連でしてはいけないこと等を知っていれば、の話ですけれども。(それを知ることが実はたいへん難しいのでありますが… σ(^_^;)? )

材の関係で、接合形状の応用を強いられることもしょっちゅうなのですよ。生物材料である木を無垢材で使う場合、杓子定規で出来ないことだらけ、といっても過言ではありません。また、職人の良心として、少しでも構造安全性を高めるための施策を講じても、建築主には理解して貰えないもどかしさがあり、コストパフォーマンスのバランス感覚が難しいですね。

でも、使い捨てではなく、世代を超えて愛着のもてる”いいもの”をつくるためには、やらなければいけないんです。そして、その仕事を残さなければならないのです。私を育ててくれたもののためにも。

私は私の一部である原風景を育ててくれたものをとても愛おしく思っていますし、かけがえのない愛着があります。もし仮に、私が育った京都や奈良の住宅と町並みが、東京をはじめとする現在の日本のどこにでもみられる住宅地と同じようなデザインと造りだったとしたら…と想像するだけでぞぉーっとしてしまうのです。

さて、曲がった梁は誰の目にも分かりますが、それを構成するディテールや技術、特に接合技術は組んでしまえば大工本人しか分からないのだから、全部金物で接合させたって良いのですけれど…。

でも、やはり木造の基本はしっかり木と木を組むことにある訳で、それをしてから金物で補強することが絶対に大切です。画像では輪薙込みの凹部と蟻の凸部に隠し金物を使用して、見え掛かりには金物を出さない配慮をしています。実はこの金物を出さない配慮、何も見栄えだけではなく、耐久性・防火性・避難安全性にもかなり高く寄与しているのですよ (-. -")凸

私はリフォーム仕事で、構造ボルトである羽子板ボルトが結露で錆びてボロボロになっているのを何回か目にしていまして、私のHPでの釘同様、金物だけに頼るのは好ましくないとの持論があります。

現在の住宅の壁には断熱材が施工されるようにはなりましたが、室内と室外を貫通する羽子板ボルトは熱の出入りがおびただしいのです。専門的には『熱橋:ねっきょう』というのですが、金属は熱伝導率が極めて良く、この部位には羽子板ボルト用の穴を梁にも空けなければならないことと合わせて、現在の或る程度気密化した住宅では、金物そのものが結露を呼び込んでいるのです。

つまり、熱橋になってしまう以上、可能な限り室内と室外を連続させないに越したことはない訳です。

画像では凹部に垂木が入るということで、垂木で熱橋に蓋をすることになります。突き出ているボルトは外壁と連続してしまうけれど、室内側では木で蓋をして穴を塞いでいるのだから、この部位での結露発生は一般住宅で通常用いられる露出羽子板ボルトに比べて格段に抑えられることになります。

また、金属は万が一の火災時に火の熱を呼び込む訳で、木だけの部位と比べて金属廻りがすぐに焼け落ちるらしく、特に接合部で金属を多用していることは、防火性・避難安全性を構造安全性とは逆に作用しているとの指摘があります。建築士なら誰でも知っていることですが、鉄骨構造では防火被服を行うのです。梁を現しで見せる木造の構造金物の防火被服はないがしろにされているのが現実のようです。

そんなこんなことで、もうひと昔前の統計になってしまいますが、平成8年版建設白書で日本の住宅の平均寿命が25年だというのを知り、使い勝手の事情等ミスマッチによる建て替えも相当数あるとはいえ、妙にこの数字に納得しました。

私のブログ『柱の立て方』でも触れましたが、コンクリート布基礎+土台+大壁構造という造りが床下や壁内の高多湿化をもたらし、結果として物理的な耐久性を極端に短くしたことは否めない事実です。都市部の防火を最優先課題として、特に木造の防火構造に取り組んできた代償として、耐久性をここまで短くしてしまったようです。


ちなみに、私はこの工作をだいたい30分以内で行います。p(^_^)q

曲がった梁、終わり。


曲がった梁②

2005年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

前回の続き。



曲がった梁ですが、画像を見て貰うと、完全丸太ではなく、側面が平面になっていますでしょ。このような梁を『太鼓梁:たいこばり』といいます。ちなみに製材されて正四角形になった材を『平角:ひらがく』といいます。(正四角形のうち正方形は『正角:しょうかく』といいます)

強度は木のクセとの関連もあり一概には語れませんが、完全丸太>太鼓>平角の順にあります。

さて、この曲がった梁の寸法の出し方と加工ですが、大工自らがするしかありません。一見難解なようですが、墨付けはXとYの2次元なので、さしがねを使って『勾殳玄』(こう・こ・げん)を駆使しなくても出来ます。

大工にとってこのような曲線や曲面のある部材の寸法出し、いわゆる墨付けは、『自然界から、幾何学の法則を探し出す』作業です。『規矩の極意は水平と垂直にある』といわれているのですが、難解な規矩はさておき、材から水平と垂直を探し出す作業なわけです。

この時、私が一番注意していることは、デザイン上実際に架構した場合を想像して美しい曲線が空間に描かれているかどうか、それと大工技術上長さの寸法値を間違わないようにすることですね。

前者は十人十色なのであくまで私のセンスなのですが、後者は時々、設計図面の構造グリッドに微妙なイレギュラーがあるのですよ。ですから何度も何度も図面をよく見て寸法を確認して、出来れば自分以外の人に寸法チェックをしてもらってから、加工に入るように心掛けています。

 

 

前々回、『風をよむ』の記事中、京町家の画像で、曲がった梁の上に曲がった梁が架かり、そして柱が立っていますでしょ。専門用語でこの柱のことを『束:つか』といいます。

今回の画像でも同様にこの束があります。この梁は空間の中で現しとして見せる(それを専門用語で『化粧:けしょう』という)部材でしたので、全体の曲線の上げ下げやバランス配分からはじまって、ディテールもていねいに収めることに努めました。

京町家と見比べてみて下さい。梁と束の接合面が京町家の方では梁そのものを局所的に全て水平に削り取っているのに対し、今回画像では束が立つ部分のみ穴を掘って束底部と梁上部の接合線が隠れるように、すっぽり束が穴に入るようにしています(そしてその下に長方形の束のほぞ穴があいています)。

この技法を『大入れ:おおいれ』といいますが、仕事としては今回画像の方が上級です。加工の難易度も高いですし、時間も掛かります。それは、虹梁として美しく虹が架かったようにこの梁を見せるには、束との取り合いで梁の連続する曲線を途切れさせてはいけないと私が判断したからです。化粧梁として、良い意味でやわらかくなだらかに曲がった松だったのです。活かさないと!

こうしたオンリーワン部材では、設計者の意図を汲み取って意匠に反映させる、職人の感性が大きな要素として働きます。

逆に言えば、たいへん多くの設計者は実際に形にする生産技術・技能を持っていないわけだから、職人としても物理的な構造センスだけではなく、デザインセンスも磨かなければいけません。

数寄屋大工の修行には当然ですが、茶道・華道も含まれるわけです。ほんものを自らが体験してこそセンスは磨かれていくのだから、一夜漬けで雑誌から引用して似たようなデザインをするようなことをしていてはいけませんよ!

次回に続く

 


曲がった梁①

2005年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

前回記事で紹介した画像をご覧になってみて下さい。
京町家の通り庭上部に、曲がった梁が架け渡されているのがありますね。
今回はその梁についてのお話。

この、曲がった梁を使うのは伝統大工の技術の一つで、適材適所を目にすることが出来ます。
木は生物として、置かれた自然環境に適応しながら生育しています。それは人間と同様で、一本一本が異なる個性を持っています。

適材適所とは、いうなれば配置の妙。人間にも向き・不向きがあるように、木にも向き・不向きがあります。しかも一本の木の根元・中間・先端部分とでは全く性状が異なっていたりして、木材となった後もその性状は残るのです。『トラは死んで皮を残す』といいますが、『木は伐採されてもクセは残る』というわけです。

適材適所とはこの木のクセを生かす技術といえるのです。

伝統大工はそれを知っています。知っているからこそ、千年の生命の木造建築を可能にすることが出来たのだし、百年を優に超す民家(京町家も蛤御門の変(1864)、鳥羽伏見の戦(1868)以降のものが大多数らしいものの、おおむね百年以上の生命)を建築することが出来るのです。

現在の木造住宅の多くでは、木材を一本一本異なる個性を持つ生物材料として扱っていたのでは大量生産、品質管理、コストダウンが出来ないという生産論理で、画像のような曲線のある木材を使いません。全て製材されて正四角形になった木材を使用します。

それは『全自動構造材プレカット』と呼ばれる生産供給方式を採用しているからなのですが、曲線のある梁はともかくとして、角柱にしても、自然の木、いわゆる無垢材ではなく、『エンジニアリングウッド』と呼ばれる人工的に生産された木でなければ扱いたくない事情があるようです。まぁ、経営判断なわけですけど。

下の画像は一見ヒノキ無節の柱に見えますが、主に北欧のホワイトウッドという木を5層接着剤で集成材として、その表面にヒノキ1.2ミリ程度の薄い板(というには余りにも薄い)を接着剤で貼った『エンジニアリングウッド』です。


本物そっくりにフェイク品を作るのは日本人の得意技の一つですが、現在の多くの木造住宅の、これが現実です。

ただし、構造性能では無垢材に比べて数値にばらつきが無いということや、供給量が安定している、つまり価格が比較的安定しているというメリットがあります。しかしホワイトウッドはシロアリには滅法弱いので、耐久性では何回か前のブログで書いた大壁構造同様、私はお勧めしません。

何より物理的なことよりも、私はこのフェイク木を、本物の木、法隆寺と同じヒノキだと思って育つ子供がかわいそうだと思っています。

ホワイトウッドにしても木としての生命があり、決してヒノキと樹種の優劣を言っているのではないのですが、暮らしの基本である『衣食住』の”住”で、こんなことをしていて本当にまともな情操教育って出来るのだろうか?♪柱の傷はおととしの♪と、傷を付けたら表面の薄い板が剥がれたなんて、こころに傷がつくのではないだろうか?信じることより疑うことを覚えるのではないのだろうか?と疑問を持っています。

現に、少し前に確かドイツで製品化されたエンジニアリングウッドの接着が大量に剥がれて、しかもJAS(日本農林規格)適合シールが貼ってあったものの実は捏造だったことが判明して、業界では大問題になったことがありました。

かつてのように、棟梁が棟札(むなふだ)を残して建築の品質を競っていた頃の良き伝統を復権したいものです。

さて、自然木の曲がった梁ですが、いくら何でも山から30メートルもある木を丸ごと搬出するのは大変なので、現地で『玉切り:たまぎり』といって、ある規格長さで全長を分割してから搬出するのが一般的です。その時、最も曲がりのある根元の玉、それは最もクセのある部分なわけですが、そのクセを利用する形で材木として使ったのが、自然木のままの曲がった梁なのです。

この木、製材してまっすぐにしても、経年変化でまた曲がるんですよ。それを知らないで床梁に逆さに使うと、後で床が垂れてきます。これは構造計算では出てこない計算なんですね。机上の理論をいくら積み上げても片手落ちで、賢い知恵がないと木造は上手くいきません。

京町家の通り庭上部の曲がった梁、美しいでしょう。この町家を建築した大工棟梁がデザインしたのだと思います。ちなみに社寺建築では『虹梁:こうりょう』といいます。

虹梁といえばここ、法隆寺西院伽藍・回廊でしょう。修学旅行で多くの生徒が見ているはず…なんだけど。

今から約1350年前、飛鳥時代のデザインです。
虹が架かったようなやわらかな曲線美がありますよね。
時代が下るにつれ、虹梁も直線的になっていくのですが、やはり虹梁というからにはこうあってほしいなぁ。

ちなみに現在建っている江戸・元禄時代の再々建・東大寺大仏殿には『大虹梁:だいこうりょう』とよばれる長さ24メートル、最も小さい部分の直径が1メートルもの松の長大材が使用されたようですが、いったいどんな梁なのか、実際に見てみたいものです。(ただし、構造的には明治大修理で使用された鉄骨トラスによって架構されて、現在に至っています。)

構造計算の無かった当時、棟梁は度胸の塊だったのでしょうね。すごいですね。

次回につづく