岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

…合目と呼ぶためには、それなりの意味を持たせなければいけない(その2)

2009-03-25 05:23:03 | Weblog
(今日の写真は弥生登山道に設置されている5合目標識である。これは登山道入り口1合目標識から、登るに従い順次、9合目まで設置されている。当然10合目はない。山頂が10合目だからだ。
 定かではないが、弥生登山道を開鑿した人々は「合目」が持っている意味をしっかり理解した上で、妥当性のあるそれぞれの場所に、「建てた」のである。
 私が岩木山と関わりを持ち始めた頃の、この登山道の標識にも「合目」の表示がしっかりとあった。40数年前のことである。
 材質は厚板で、形状は長方六角形。表示用のペイントは白という極めてシンプルなものであった。材質がよく、かなり肉厚な板(ヒバ材)であった。しかし、形状が「横長」なので積雪に圧されて、折れたり落下したりするものが多かった。それに、標示板を支える柱が少し、細くてそれが折れたりして、標識そのものが「紛失状態」になっていた。
 旧岩木町は、そこに新しい「標識」を設置したのである。今日の写真が、その標識である。弘前市と合併する直前のことであった。
 あの時に、この「標識」設置と登山道の整備をしていなければ、恐らく出来なかったであろう。つまり、現在の弘前市では出来なかったであろうということだ。
 現在の弘前市には、「岩木町」が岩木山に対して抱いていた思いの欠片もない。
 観光という視点で論ずることは余り好きではないが、「弘前公園」と「岩木山」は弘前の観光にとっては双璧であろう。だが、観光行政は「弘前公園」に偏重している。市はまだ岩木山をよそ者扱いにしてはいないか。「おらほの山」としての愛着ある姿勢で接しているか。
 3月議会で話題になった岩木山山麓にある高照神社の「宝物殿」等の修復に関しても、消極的である。高照神社は吉川神道の流れをくむ由緒ある神社だ。
 オオヤマザクラの並木植樹にも弘前市は関わってきた。その関わったところの、手入れなしの無責任な放置状態にも、消極的で無責任な姿勢が見える。
 現実をしっかり見てくれ。岩木山は行政的に弘前市と鰺ヶ沢町の山であり、その3分の2以上を弘前市が占めているのだということを…。)

◇◇…「何合目」という呼び方は?…合目と呼ぶためには、それなりの意味を持たせなければいけない(その2)◇◇
(承前)
「…合目」の意味について

「合目」の意味
 富士山では「…合目」の表示がはっきりしている。現在の「五合目」は昔(大宮口登山道)の三合五勺のあった辺りだと言われている。このように「…合目」という表示は、登山道の変遷や交通手段の発達によって位置が変わってきている。
 では、どのようにして「…合目」を決めたのだろうか。それは、一般的には傾斜やかかる時間を加味して「登山の難易度」により、頂上までを「十」に分けて「登山の目安」にしたものだと言われている。 だが、「昔の登山」は、現在のように「楽しむことを優先させる」ものではなく、「修験道」に根ざした「修行」であった。
 だから、「…合目」という呼び方は、単に「目安」と言うだけではなく、「安置された石仏を拝んだ」り、神が住む言われる「頂上を拝んだり」する場所としての意味もあったのではないかと考えられている。
 「十合目」は頂上であるが、「十合目」という言い方はしない。「合」を十に分けて、「勺(しゃく)」で合の途中を表した。
 「…合目」という言葉の起源には諸説があり、断定出来るほどのことは分からないが、次のような「説」があるとされている。

(1)白米や穀物を盛った形が山に似ているので、白米や穀物の量目・升目である「合」を用いた。
(2)梵語で、きわめて長い時間の単位や多く宇宙の生滅などについていう「劫」が「合」に変化した。つまり、山中に多くの仏像を祀った仏教の山である場合は、山に登る苦難を人間の生死転変に例えて、仏教の単位「劫」をあてたのである。
(3)山の祭神「コノハナサクヤヒメ」が女神であることから生命誕生の胎生10ヶ月を10合に分けた。
(4)山頂のことを御鉢といい、仏寺の供米を御鉢料と言うところから米に例えて、米の量目「合」を用いた。
(5)洪水の出水時水量を「九合五勺」の出水と言うように、古くから物事を十に分けて「合勺」で量目を計るのに準じた。
(6)登山の時に灯火に用いた油が1合なくなったところを「1合目」とした。
(7)道標(みちしるべ)として、米を落としながら登り、1合なくなったところを「1合目」とした。

 さて、岩木山のスカイラインターミナルに表示されている「8合目」、リフト終点の「9合目」は、以上のどの「…合目」由来に該当するのだろうか。当てはまるものは何一つもない。スカイラインターミナルは「スカイラインターミナル」でいいのだし、「リフト終点」も「リフト終点」と呼称すればいいだけである。
 「1合目」から「7合目」という「目安的な場所」を持たずに「8と9合目」だけが存在する登山道というものは、どう考えてもおかしいことだろう。県外からやって来る登山客の多くは首を傾げているのではないだろうか。
特に、「9合目リフト終点」はその標高からも「9合目」とは呼べない位置にあるだろう。(この稿は今日で終わりとなる)

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