岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

小学校校門前の歩道を父母の車が占拠 / 岩木山パトロール隊が実施した『冬山訓練』に参加(5)

2009-03-05 05:57:32 | Weblog
 (今日の写真は、今朝写した「岩木山」である。何故、このような変哲もない写真にしたかというと、昨日の朝、NHKテレビが「朝方、弘前から見た岩木山」を全国向けに放映していたからである。
 この映像を見た津軽の人々は「おお、NHKテレビが全国向けに岩木山を紹介しているぞ。この姿を、この山容を全国の人が見ているのだ。それにしても、何という美しさではないか」と誇らしい気分になったであろう。私もその一人である。
 そこで、昨日は「NHKテレビで見た岩木山」だが、今朝は実際もう一度見ようと思い、これを写したのだ。
 人には好みがあって、「眺める岩木山」では、どの季節のものが一番いいかについては、それぞれ分かれるところだろうが、私は春の岩木山が一番「美しい」と思っている。
 春といっても一様ではない。私は山頂直下の「耳成岩」の一部や中央火口外輪の岩肌が春の日射しで、その白い衣を少しだけ黒に染めている頃の「岩木山」が一番好きだ。そうなる前の岩木山は、ただ単純に「純白」であり、人間の「好き嫌い」とか「いい悪い」という俗念的な評価を介入させる余地を与えてくれない。余りにも「神々しい」からである。
 昨日と今日の岩木山は、この人間的な「俗念的な評価の介入」を許してくれるものである。
 ただ、そのような「景観」の岩木山は、例年ならば4月の半ばから5月にかけてのことなのだが、今季は3月の上旬に、その姿を見せてくれたのだ。これは、明らかに異常である。決して「嬉しい」ことだけではない。放映したNHKテレビにも文句がある。せめて、「例年ならば、このような風姿の岩木山は4月に入らなければ見ることが出来ない」というアナウンスを一言入れて欲しかったということである。)

     ◇◇ 小学校の校門前の歩道を占拠している父母の車、車、車 ◇◇  

 妻に「お米を買ってきて」と言われて、空のリュックを背負って出かけた。「10kg」のお米一袋を買い、それを「リュックに容れて」いい天気だったので、そのまま10kmを歩くことにした。
 ある小学校の前にさしかかった時、私が歩いている右側の歩道を、ちょうど校門の前なのだが、数台の自動車がその歩道を横切るように駐車して塞いでいたのだ。
 校門の内側の校地内には数十台の自動車が駐車しており、そこから溢れた自動車が歩道を占拠しているというわけである。その中の数台は「歩道」からもはみ出して車道に、その後部を3分の2近く突き出しているものまであるのだ。
その小学校まで歩いていく途中も、そこからさらに歩いて行きながらも、私は児童たちの姿を見ていない。もしも、この小学校で何か行事があり、「休校」にしているのなら、その住宅地内で児童が遊ぶ姿を見ることが出来るはずだ。児童は校内にいる。「休校」ではない。恐らく、体育館かどこかで、「父母集会」でもやっているのだろう。
 私は残っている雪を踏み固めて校地に入り、車と車の隙間を縫うようにしてようやく「塞がれていた」その場所を通り抜けた。
 そして、先ず第一に下校時になっても、このまま「駐車が続いて」いたらどうなるかを考えた。腕時計を見たら14時10分である。低学年は間もなく下校時間だろう。
 自分たちの子供が絶対に通らなければいけない「校門」を「自分たちの自動車」で塞いでいる。これが「親」のすることかと思ったら、私は、「私の歩く道を一方的に塞がれた」ということへの「理不尽さ」よりも「親たちの身勝手さ」に憤りと「後生たちへの止めどもない空しい期待」で、心の中は真っ暗になってしまった。
 そして、また歩き始めて、校舎の角を曲がると、目の前には、幾分霞んではいるが、朝に見た岩木山が悠然と屹立していた。(明日に続く)

      ○○ 岩木山パトロール隊が実施した『冬山訓練』に参加(5)○○

(承前)
 移動した「ターミナル」の本棟とリフト棟に挟まれた場所は、見た目には「軟雪の吹き溜まり」であった。どこまでも、「雪の切り出し用」スコップで掘り進めるように見えた。
 雪洞造りに「与えられた時間」は1時間である。タイムテーブルにはそのように記されている。既に、20分近く無駄にしているが、今日は人数が多いので、何とかロスを取り戻せるような「気持ち」を、その「吹き溜まり」は持たせてくれた。
 最初の「一突き」は「スー」といくが、次の「一刺し」は「ガキッ」である。そこもまた、単なる「吹き溜まり」ではなく、氷化した積雪が新雪を被って「軟雪のような」装いを見せているだけだったのである。
 時間がないので、もう場所を選択することは出来ない。掘り進むことは難しいが、多くの人的な労力があることを頼りに「そこに雪洞を掘る」ことに決めた。
 だが、私はもう一カ所、つまり、三番目の候補地として「ターミナルの本棟」の北側雪壁を考えていた。
 事務局長のSさんが「ゾンデ棒」の実地訓練をやるといって迎えに来たので、「雪洞」造りを、ひとまず中止して、その場所に向かい、掘っておいた広めの横穴に入って仰臥した。
 周りの人に「ザック」と「ヘルメット」を取ってもらい、仰臥している私の傍に置く。上から盛んに「ゾンデ棒」が刺し込まれて、私の体やザック、ヘルメットに触れる。刺し込んでいる人たちが、その感触から「人体」であるか、そうでないかなどと判断するのだ。
 この「ゾンデ棒」訓練のための横穴が比較的、楽に掘れたのである。つまり、積雪層が「軟らかかった」のだ。この場所に続いている尾根までの雪壁が「ターミナル」周辺で唯一、「雪洞」が比較的、容易に造れるところであるかも知れない。だが、そこに移って新たに「雪洞」を造る時間はなかった。
 その後も、「氷化」した硬い雪層との戦いが続いた。Tさんを現場監督として、その指示に従い、多くのスノーモービル愛好者が労力を提供して、何とか人が2人入って、「一泊」出来る雪洞が完成した。
 私は、持参した「マット」を敷いて、その上に「羽毛製の寝袋」を広げた。また、ツエルトも持ってきていたのだが、それを使わずに、入り口には雪運び出し用に使った「ブルーシート」を提げて、仮に塞いだ。
 その後で、十数人の参加者に「入って」もらい、その「居住性」を実感して貰った。当日は晴れていたが、何せ、標高1250mという高さである。吹き過ぎる風は「冷たく」何もしないで、立っていると「寒い」のである。
 雪洞の居住性を確認した人たちは「異口同音」に「中はぬぐい」と言うのであった。
 以上が「懸念」がそのとおりになったという「失敗談」である。何事も「いくら慣れているといわれるベテラン」でも、「事前の調査」が必要であることを教えてくれた「失敗」であった。
 特に、今季のような「異常気象」と「異常な少雪」の場合は、昨年までの経験は全く当てにならないのである。(明日に続く)