(今日の写真は2月28日、日が落ちてから間もなくの「月」と「金星」である。先ず、お詫びをしよう。申し訳ないが、手ぶれを起こしてしまい月も星もその光が「光跡」となっている。私の「デジカメ」には「手ぶれ防止機能」が組み込まれているのだが「暗い」のでレンズの開放時間が長く、手持ちで撮るとこのように「光跡」を残してしまうのだ。それでも、私は「三脚」を使いカメラを「固定」して写すことはしたくない。)
28日は正午以降ずっと快晴だった。その晴天は「宵」になっても続いていた。
連れ合いが「2階の窓から三日月と宵の明星が上下に並んで見えている。窓枠が額縁みたいで月と星だけを切り取って、その額縁の中に入れているみたいだ」と少し興奮気味に話してくれた。私は「一幅の絵」を思い描いて、カメラを抱えて外に出た。
2月28日は旧暦(太陰暦)だと、2月4日である。月齢は3.1だ。これだとまさに「三日月」である。
「三日月」は日没、この日は17時27分であるが、その後の20時58分に、光っている側を右下にして沈んだ。また、この日の日の出は6時13分であったが、「三日月の出」は日の出のすぐ後の7時16分であったため「太陽の光り」に遮られて、なかなか見えないのである。
「三日月」より早い2日の月はほとんど見ることが出来ない。「三日月」は最初に見える月だから、「新月(しんげつ)、初月(はつづき、しょげつ)」などと呼ばれている。「三日月」は厳密には「月齢」が2.6くらいを言うらしいから、今日の写真の「三日月」は少し「年をとった三日月」とでも言えようか。
上弦の月だ。月の形を「弓」になぞらえて「弦」が上にあたる頃の月をこう呼ぶ。これは日を重ねてどんどんと大きくなり「弦の部分」が丸みを持っていく。あと10日もすると望月となるのだ。
三日月が弧を描いて、その細い部分が輝いている。そのために、人々は古来から「眉月(まゆづき)、蛾眉(がび)」などと呼び習わしてきたのだ。
最近、夕暮れ時の西の空に、圧倒的な輝きを放っている星があることに気づいていた人は結構いるだろう。何と、2月28日には、「三日月」と、その光りを放つ「金星」が西の空で接近し、上下に並んだのである。
「三日月」の斜め下で輝いているのが、「宵の明星(よいのみょうじょう)」と呼ばれる「金星」である。
公転軌道が地球より内側にある水星と金星は、地球より太陽の近くを回っている。この2つの惑星は地球から見ると、太陽から大きく離れない為、日の出前や日の入り後のみ観測することが出来るのだ。それが、「宵の明星、明けの明星と呼ばれる理由」である。
普通は太陽の強い光に紛れて金星を、肉眼で確認することは簡単ではないが、夜明けや夕暮れ時など、太陽が地平線の下に隠れて空が暗くなっている間に、金星が地平線上に現れていることがある。
その最大光度は「1等星の約170倍」にもなるのだそうだ。明るい訳である。だからこそ、まだ明るさの残る空にあっても、ひときわ明るく輝いて見えるのである。
同じ「金星」なのだが、その夕方の西天に見えるものを「宵の明星」、明け方の東天に見えるものを「明けの明星」という。
金星は、日の入り30分後頃、3月上旬には西の方角に、今日の写真のような明るさで見えている。これからは、次第に高度が低くなっていくのだ。だが、5月2日辺りに、再び最大光度となるそうだ。
金星の神秘的な明るい輝きは、古代より人々の心に強い印象を残していたようで、ヨーロッパでは、「ヴィーナス」が明けの明星、すなわち「金星」をさす名となった。
アジアでは、「釈迦」は「明けの明星」が輝くのを見て真理を見つけたというし、弘法大師も「明けの明星」が口中に飛び込み悟りを開いたとされている。
○○ 岩木山パトロール隊が実施した『冬山訓練』に参加(3)○○
(承前)
今日は失敗談を披露しよう。私には、岩木山パトロール隊事務局長のSさんから、今回の「冬山訓練」で「雪洞作成」という話しがあった時から、一つの「懸念」があった。
その「懸念」を取り除くために2月9日の山行にも、その要素を取り入れたのである。ただし、9日から27日までの間に、この「スカイラインターミナル」付近まで登ってきて、東向きで、高さが3m程度の安定した雪庇であり、その底部がなだらかで、雪庇の雪質が氷化していないという「ビバークプラッツ」として「最適な場所」を事前調査していなかったのだ。
この「懸念」は、私に、講話の中で「雪洞」を造る場所の設定について『人工的な建物があるところでは、「雪洞のための自然が造った最適な場所はないかも知れない」と断らせた。そして、この「懸念」は、そのとおりになったのである。
スカイラインターミナルの周囲には西から東に張り出して出来る雪庇が殆どない。例年であれば全くないわけではないが、極端に少雪の今季はないのである。
敢えて、安定した雪庇を求めると、スカイラインターミナルから200mほど下降した「鍋沢」の下部にはあるのだ。だが、参加者の「足回り」をみると、その場所までの下降とそこからの登高に耐えるようなものではない。「ワカン」を装着しているのは私とTさんだけなのだ。
もっと近くにも、「雪庇」はあるが、それは「鍋沢」上部の西面である。だが、この「雪庇」はしばしば崩落し、雪崩を発生させる。そのような場所は使えない。
この「鍋沢」で、2002年1月19日に、パトロール隊員Kさんが「雪崩」に遭って亡くなった。私たちは「訓練」に先だって「Kさんの霊を慰める」ために、その崩落の危険のある「雪庇」のかなり西側に立ち並んで、鍋沢に「花束」を投げ込んで、黙祷をしたのである。
容易に「スコップ」を使い、短時間で「完成」出来る「雪洞設営」場所は言ってみれば、この危険な「鍋沢」の縁にしか、今季は探しようがなかったのである。(明日に続く)
28日は正午以降ずっと快晴だった。その晴天は「宵」になっても続いていた。
連れ合いが「2階の窓から三日月と宵の明星が上下に並んで見えている。窓枠が額縁みたいで月と星だけを切り取って、その額縁の中に入れているみたいだ」と少し興奮気味に話してくれた。私は「一幅の絵」を思い描いて、カメラを抱えて外に出た。
2月28日は旧暦(太陰暦)だと、2月4日である。月齢は3.1だ。これだとまさに「三日月」である。
「三日月」は日没、この日は17時27分であるが、その後の20時58分に、光っている側を右下にして沈んだ。また、この日の日の出は6時13分であったが、「三日月の出」は日の出のすぐ後の7時16分であったため「太陽の光り」に遮られて、なかなか見えないのである。
「三日月」より早い2日の月はほとんど見ることが出来ない。「三日月」は最初に見える月だから、「新月(しんげつ)、初月(はつづき、しょげつ)」などと呼ばれている。「三日月」は厳密には「月齢」が2.6くらいを言うらしいから、今日の写真の「三日月」は少し「年をとった三日月」とでも言えようか。
上弦の月だ。月の形を「弓」になぞらえて「弦」が上にあたる頃の月をこう呼ぶ。これは日を重ねてどんどんと大きくなり「弦の部分」が丸みを持っていく。あと10日もすると望月となるのだ。
三日月が弧を描いて、その細い部分が輝いている。そのために、人々は古来から「眉月(まゆづき)、蛾眉(がび)」などと呼び習わしてきたのだ。
最近、夕暮れ時の西の空に、圧倒的な輝きを放っている星があることに気づいていた人は結構いるだろう。何と、2月28日には、「三日月」と、その光りを放つ「金星」が西の空で接近し、上下に並んだのである。
「三日月」の斜め下で輝いているのが、「宵の明星(よいのみょうじょう)」と呼ばれる「金星」である。
公転軌道が地球より内側にある水星と金星は、地球より太陽の近くを回っている。この2つの惑星は地球から見ると、太陽から大きく離れない為、日の出前や日の入り後のみ観測することが出来るのだ。それが、「宵の明星、明けの明星と呼ばれる理由」である。
普通は太陽の強い光に紛れて金星を、肉眼で確認することは簡単ではないが、夜明けや夕暮れ時など、太陽が地平線の下に隠れて空が暗くなっている間に、金星が地平線上に現れていることがある。
その最大光度は「1等星の約170倍」にもなるのだそうだ。明るい訳である。だからこそ、まだ明るさの残る空にあっても、ひときわ明るく輝いて見えるのである。
同じ「金星」なのだが、その夕方の西天に見えるものを「宵の明星」、明け方の東天に見えるものを「明けの明星」という。
金星は、日の入り30分後頃、3月上旬には西の方角に、今日の写真のような明るさで見えている。これからは、次第に高度が低くなっていくのだ。だが、5月2日辺りに、再び最大光度となるそうだ。
金星の神秘的な明るい輝きは、古代より人々の心に強い印象を残していたようで、ヨーロッパでは、「ヴィーナス」が明けの明星、すなわち「金星」をさす名となった。
アジアでは、「釈迦」は「明けの明星」が輝くのを見て真理を見つけたというし、弘法大師も「明けの明星」が口中に飛び込み悟りを開いたとされている。
○○ 岩木山パトロール隊が実施した『冬山訓練』に参加(3)○○
(承前)
今日は失敗談を披露しよう。私には、岩木山パトロール隊事務局長のSさんから、今回の「冬山訓練」で「雪洞作成」という話しがあった時から、一つの「懸念」があった。
その「懸念」を取り除くために2月9日の山行にも、その要素を取り入れたのである。ただし、9日から27日までの間に、この「スカイラインターミナル」付近まで登ってきて、東向きで、高さが3m程度の安定した雪庇であり、その底部がなだらかで、雪庇の雪質が氷化していないという「ビバークプラッツ」として「最適な場所」を事前調査していなかったのだ。
この「懸念」は、私に、講話の中で「雪洞」を造る場所の設定について『人工的な建物があるところでは、「雪洞のための自然が造った最適な場所はないかも知れない」と断らせた。そして、この「懸念」は、そのとおりになったのである。
スカイラインターミナルの周囲には西から東に張り出して出来る雪庇が殆どない。例年であれば全くないわけではないが、極端に少雪の今季はないのである。
敢えて、安定した雪庇を求めると、スカイラインターミナルから200mほど下降した「鍋沢」の下部にはあるのだ。だが、参加者の「足回り」をみると、その場所までの下降とそこからの登高に耐えるようなものではない。「ワカン」を装着しているのは私とTさんだけなのだ。
もっと近くにも、「雪庇」はあるが、それは「鍋沢」上部の西面である。だが、この「雪庇」はしばしば崩落し、雪崩を発生させる。そのような場所は使えない。
この「鍋沢」で、2002年1月19日に、パトロール隊員Kさんが「雪崩」に遭って亡くなった。私たちは「訓練」に先だって「Kさんの霊を慰める」ために、その崩落の危険のある「雪庇」のかなり西側に立ち並んで、鍋沢に「花束」を投げ込んで、黙祷をしたのである。
容易に「スコップ」を使い、短時間で「完成」出来る「雪洞設営」場所は言ってみれば、この危険な「鍋沢」の縁にしか、今季は探しようがなかったのである。(明日に続く)