(今日の写真は蝦夷立壺菫「エゾノタチツボスミレ」だ。花名の由来は北海道や本州中部以北に多く自生するツボスミレということによる。
私はこれに、「中央火口丘外輪岩稜に根付く頑健な命」というキャプションを付けた。
その日に山頂から百沢に下山するつもりで「一の御坂」に入っていた。ヒュッテ近くになると、足場になる岩は摩耗してつるつるしているものもある。
その岩を避けて別の岩に靴をかけようとした時に「白い燦めき」が瞬時踊った。登山道の足場になっている岩の下端でひっそりと白色を散らして咲いているものに出会ったのだ。「エゾノタチツボスミレ」だった。
側弁の基部に毛のあることが特徴である。低いところのものはもう少し背丈があるのだが、ここでは「敷地」が狭く、「土地」が痩せていて、伸びようがないのかも知れない。
だが、私たちが見過ごしてしまいそうな場所に咲いて、踏みつけられないので、生き延びているのだろう。何とまあ、頑迷な花であろうか。スミレは「色々と繁殖戦略」を持っていて、簡単には「死なない」植物である。特に、高山帯に生息するものは「踏みつけられて根」だけになっても、大雨で根を張る土が流されてしまっても、根の先端部分が「何かに」掴まるようにして生き延びるのである。
すべて頑迷さを持っている植物なのだが、この種類はそれが一番かも知れない。
花の色は淡紫色から白色まであるそうだが、岩木山ではまだ「白色」のものに出会ってはいない。)
… 「ハシバミが本当にすくなくなった。何故だろう」(1)…
受講者の中に、私と同年代の男性がいる。少年時代にしたことに共通項が多い。自然と接した多くのことを共有出来ている。
「樹下に積雪を置きながら花を咲かせるハシバミの花」の話しをした時に、その男性が表記のような質問を、「残念」そうに口にした。今日はこの「ハシバミ」について書こうと思う。
…ハシバミへの思い(八甲田山にて)
莢はまだ緑で細かい針毛が立っている。強く握ると痛いほどだ。莢を割って実を取りだし、歯でかりっと囓ると殻が二つに割れて円錐形をした実が飛び出す。まだちょっと熟してはいなかったが真っ白な実は十分に味わえた。
懐かしい味だった。針毛のついた莢ごと三個のツノハシバミを採って帰ってきた。そのうちの一個には三つの実が入っていたので七つの実を手に入れたことになった。私の気持ちは懐かしさに高ぶった。
小学生のころまでは市街地の外れは里山であった。秋は山の実たちも収穫の季節であった。
物のない時代は食べ物のない時代でもある。普通の家庭や貧しい家庭の子供たちにとって「おやつ」など考えられない時代でもあった。子供たちにとって「里山」は遊び場であると同時に「おやつ」の供給源でもあったのだ。
アケビ、ヤマブドウ、サルナシ、ズミ、イチイなどの漿果、クリ、クルミ、ハシバミなどの堅果を遊びながら食べたものだ。
その頃食べたハシバミは、正真正銘のハシバミであってツノハシバミではなかった。しかし、味はどちらも香ばしくおいしさは大差はなかった。
高校生の頃、食べた「アーモンドキャラメル」。そのアーモンド味が「ハシバミ」の味に結びついたことに私は驚いた。
アーモンドとは日本のハシバミではないのか。何も外国産だといって恐れるに足らない、とその時思った。実際はヘーゼルナッツであったが。
…ハシバミへの思い(岩木山にて)
山岳部員と一緒に姥石を出て間もなく、足許にハシバミの莢と殻を見つけたが、私は頭上を確認しなかった。だが、部員の中には頭上を見てなっている実は何だろうと考えていた者もいたのである。
下山の時、全員でツノハシバミ採りに熱中した。そして、全員その場で莢を破り、殻を歯で囓り割って食べた。ある者は残ったのを家に持ち帰った。
ちょうど、食べ頃で三メートルほどの木全体を揺するとバラバラと落ちた。私は意地汚くも、懐かしい味の誘惑に負けて、三十莢ほどを拾い、ポケットに入れた。
食べた全員に「何かの味に似ていないか。」訊いた。ところが、六人中一人がクルミと答えただけで、残りは何も答えてくれない。「おいしいかい。」との問には全員が無言である。食べ物が豊富な時代に生きる者とそうでない者の違いかと考えたら、寂しくなった。
次いで、「なんだ飽食時代、何でも有り余っての食べ放題だ。ひとつひとつの食材の味が解らない。質素な食事には淡泊な味がつきものだ。それでこそ味覚の違いが解ろうというものだ。」と腹立たしくさえなった。
しかし、これは食べ物のない時代を過ごした者のひがみであるに違いないと思ったら、大人げのない貧しい者よという自分への怒りが、腹の底からこみ上げてきた。
…ハシバミへの思い(少年の頃)
さて、少年の頃、食べた記憶にはもう一種の「ハシバミ」がある。これはカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「榛」である。 残念ながら「岩木山」ではまだ出会っていない。決して「自生」していないわけではないのだ。ただ単純に「出会う」機会がないだけだろう。
私は小学校の高学年や中学生の頃に、よく「野遊び」に出かけたものだ。
その行き先は久渡寺山の北東麓や旧陸軍が使用していた「水源地」周辺のヤブ山だった。そこには、高さが2~3mほどで、ほぼ円形で先端が急にとがって、紫色の斑(ふ)が入った葉をつけた雌雄同株の「ハシバミ」が沢山自生していたのである。
春になると小花が穂状につき、雄花は黄褐色、雌花は紅色だった。ツノハシバミの花に似ている。(明日に続く)
私はこれに、「中央火口丘外輪岩稜に根付く頑健な命」というキャプションを付けた。
その日に山頂から百沢に下山するつもりで「一の御坂」に入っていた。ヒュッテ近くになると、足場になる岩は摩耗してつるつるしているものもある。
その岩を避けて別の岩に靴をかけようとした時に「白い燦めき」が瞬時踊った。登山道の足場になっている岩の下端でひっそりと白色を散らして咲いているものに出会ったのだ。「エゾノタチツボスミレ」だった。
側弁の基部に毛のあることが特徴である。低いところのものはもう少し背丈があるのだが、ここでは「敷地」が狭く、「土地」が痩せていて、伸びようがないのかも知れない。
だが、私たちが見過ごしてしまいそうな場所に咲いて、踏みつけられないので、生き延びているのだろう。何とまあ、頑迷な花であろうか。スミレは「色々と繁殖戦略」を持っていて、簡単には「死なない」植物である。特に、高山帯に生息するものは「踏みつけられて根」だけになっても、大雨で根を張る土が流されてしまっても、根の先端部分が「何かに」掴まるようにして生き延びるのである。
すべて頑迷さを持っている植物なのだが、この種類はそれが一番かも知れない。
花の色は淡紫色から白色まであるそうだが、岩木山ではまだ「白色」のものに出会ってはいない。)
… 「ハシバミが本当にすくなくなった。何故だろう」(1)…
受講者の中に、私と同年代の男性がいる。少年時代にしたことに共通項が多い。自然と接した多くのことを共有出来ている。
「樹下に積雪を置きながら花を咲かせるハシバミの花」の話しをした時に、その男性が表記のような質問を、「残念」そうに口にした。今日はこの「ハシバミ」について書こうと思う。
…ハシバミへの思い(八甲田山にて)
莢はまだ緑で細かい針毛が立っている。強く握ると痛いほどだ。莢を割って実を取りだし、歯でかりっと囓ると殻が二つに割れて円錐形をした実が飛び出す。まだちょっと熟してはいなかったが真っ白な実は十分に味わえた。
懐かしい味だった。針毛のついた莢ごと三個のツノハシバミを採って帰ってきた。そのうちの一個には三つの実が入っていたので七つの実を手に入れたことになった。私の気持ちは懐かしさに高ぶった。
小学生のころまでは市街地の外れは里山であった。秋は山の実たちも収穫の季節であった。
物のない時代は食べ物のない時代でもある。普通の家庭や貧しい家庭の子供たちにとって「おやつ」など考えられない時代でもあった。子供たちにとって「里山」は遊び場であると同時に「おやつ」の供給源でもあったのだ。
アケビ、ヤマブドウ、サルナシ、ズミ、イチイなどの漿果、クリ、クルミ、ハシバミなどの堅果を遊びながら食べたものだ。
その頃食べたハシバミは、正真正銘のハシバミであってツノハシバミではなかった。しかし、味はどちらも香ばしくおいしさは大差はなかった。
高校生の頃、食べた「アーモンドキャラメル」。そのアーモンド味が「ハシバミ」の味に結びついたことに私は驚いた。
アーモンドとは日本のハシバミではないのか。何も外国産だといって恐れるに足らない、とその時思った。実際はヘーゼルナッツであったが。
…ハシバミへの思い(岩木山にて)
山岳部員と一緒に姥石を出て間もなく、足許にハシバミの莢と殻を見つけたが、私は頭上を確認しなかった。だが、部員の中には頭上を見てなっている実は何だろうと考えていた者もいたのである。
下山の時、全員でツノハシバミ採りに熱中した。そして、全員その場で莢を破り、殻を歯で囓り割って食べた。ある者は残ったのを家に持ち帰った。
ちょうど、食べ頃で三メートルほどの木全体を揺するとバラバラと落ちた。私は意地汚くも、懐かしい味の誘惑に負けて、三十莢ほどを拾い、ポケットに入れた。
食べた全員に「何かの味に似ていないか。」訊いた。ところが、六人中一人がクルミと答えただけで、残りは何も答えてくれない。「おいしいかい。」との問には全員が無言である。食べ物が豊富な時代に生きる者とそうでない者の違いかと考えたら、寂しくなった。
次いで、「なんだ飽食時代、何でも有り余っての食べ放題だ。ひとつひとつの食材の味が解らない。質素な食事には淡泊な味がつきものだ。それでこそ味覚の違いが解ろうというものだ。」と腹立たしくさえなった。
しかし、これは食べ物のない時代を過ごした者のひがみであるに違いないと思ったら、大人げのない貧しい者よという自分への怒りが、腹の底からこみ上げてきた。
…ハシバミへの思い(少年の頃)
さて、少年の頃、食べた記憶にはもう一種の「ハシバミ」がある。これはカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「榛」である。 残念ながら「岩木山」ではまだ出会っていない。決して「自生」していないわけではないのだ。ただ単純に「出会う」機会がないだけだろう。
私は小学校の高学年や中学生の頃に、よく「野遊び」に出かけたものだ。
その行き先は久渡寺山の北東麓や旧陸軍が使用していた「水源地」周辺のヤブ山だった。そこには、高さが2~3mほどで、ほぼ円形で先端が急にとがって、紫色の斑(ふ)が入った葉をつけた雌雄同株の「ハシバミ」が沢山自生していたのである。
春になると小花が穂状につき、雄花は黄褐色、雌花は紅色だった。ツノハシバミの花に似ている。(明日に続く)