岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

小学校校門前の歩道を父母の車が占拠(2) / 岩木山パトロール隊が実施した『冬山訓練』に参加(6)

2009-03-06 05:40:37 | Weblog
 (今日の写真は昨日の「夕暮れ時」の岩木山だ。私の部屋には南側に大きな窓がある。これは「採光」と「暖気を呼び込む」ためのものである。道路を挟んだ向かいには建物があって、この窓から「遠方」を眺望することは出来ない。
 ただ救われるのは、その窓からは「熊野神社」境内の林が見えることである。毎日、この境内林の「緑」にずいぶんと癒されている思いがしている。最近は「アカゲラ」のドラミングがよく聞こえる。
 今季はこの暖かさなので、間もなく「ウグイス」のさえずりも聞かれるだろう。
 私の部屋にはもう一つ、窓がある。これは西側にあり、非常に小さい。明らかに「採光」を目的としたものではない。西側に「」用の窓を付けると「西日」が大変なのだ。真夏の西日は「簾(すだれ)」を提げて遮蔽しようが、何をしようが、その暑さを防ぐ手立てはほぼ無い。
 07年の4月まで住んでいた家の私の部屋は西側に大きな窓があった。そのために、表に出なくても、真っ正面に岩木山を眺めることが出来た。これは「私の部屋」を増築した時に「岩木山を眺める」ために、そのようにしてもらったものだった。「部屋にいながら、岩木山を眺める」ことが出来るという、まるで「天国にいるような至福」を手に入れたのだ。
 しかし、その至福は夏の西日によって「釜茹で」のような炎熱地獄に変わるのであった。もとより、「冷房装置」はつけない。夏の暑さに耐えることで、冬の寒さにも耐えるのだという、変な信念があったので、クーラーなどを設置しないし、そのために電気を消費することもないと考えていた。
 そして、毎夏、この西日の灼熱地獄に苛まれながら数十年を過ごした。07年に、「住宅全体」が「老朽化」したということで「新築」することになった。真っ先に「自分の部屋」には西向きの窓を付けないと思った。
 …だが、毎朝、自分の部屋から「岩木山」を眺めることが出来ないことも、これは精神的な「無限地獄」だった。これには耐えられない。そこで、部屋の北端に110cmに40cmの窓を付けた。
 これは「岩木山の覗き窓」である。毎日、毎朝ここから私は岩木山と対峙している。夏場の西日にはブラインドを降ろして対処していて、今のところ不都合はない。今日の写真は、この覗き窓から撮ったものだ。)

 ◇◇ 小学校の校門前の歩道を占拠している父母の車、車、車(2) ◇◇

(承前)
 小学校という時、その学区は市街地にあっては狭いものだ。通学する者が児童であり、その「足」で通うことが出来る範囲に「小学校」がある。つまり、よほどの山間地や市街地から離れた岬や半島という地理的な要因が無い限り、長くても、30分以内で到達する距離内に「学校」は建っている。
 その「小学校」は田んぼを潰して出来た新興住宅街を含んでいるが、旧来の小学校に比べても、子供たちの通学距離は短い方である。
 「父母集会」か何が開催されていたかは知らないが、「子供たち」が歩いて来ることが出来る「距離」を父母が「自動車」で来ることはないではないか。「子供に歩かせて、親は自動車で」であれば、これは教育的にもおかしいことだろう。
 自分の子供たちが、毎日、どこをどのようにして歩いて行くのかを把握することも、子供を理解するためには必要だ。「子供や児童」は自分なりの「自分道」を持っているものだ。現在、小学校に通う児童を持つ親で、自分の子供の「自分道」を知っているものは殆どいないだろう。
 このような日にこそ「歩いて」子供道を辿るべきであり、そのための絶好のチャンスなのでもある。(明日に続く)

 ○○ 岩木山パトロール隊が実施した『冬山訓練』に参加(6)○○

(承前)
 さて、もう一つの「失敗談」は昨日の「写真」、つまり、スキーに関係のあることである。
 若い頃、「ワカン」ラッセル行動でパーティを組んだことがあった。この場合、「ルート」を造りながら登高を続ける「トップ」の負担を軽くして、しかもその負担を均等に分け合うために「トップ」をメンバーが交替しながら進む。メンバーの中の女性が「疲れて動けない」というので「トップ」の交替員から外れた。私はその処置に反対だったがチーフリーダーがそういうのだからそれに従った。
 下山の途中でその女性メンバーは「ワカン」が無いというのだ。見たら確かに右足に「ワカン」が着いていない。「ワカンが外れたことに気づかず、落としながら片ちんばで下降してきた」のである。「あほ」かと思った。
 最後尾を歩くと「ワカン」の必要はない。しっかりと固まり、細いけれども、極端な喩え方をすれば、それは「アスファルト舗道」に近い。
 もしも、一度でもいいからトップでラッセルしていると「ワカン」が無いことに気づいたであろう。「ワカンの着いていない足」が極端に沈むから、直ぐにその異常に気づくはずなのだ。
 …ところがである。私自身が「あほ」かと言ったと同じようなこと、つまり、それに似たようなことをしてしまったのだ。
 次の話しは恥ずかしいことである。出来れば他人には知らせたくないと思うことであろう。だが、意を決して書くことにする。

 28日当日、現地での訓練を終えてから私とTさんは「岳登山道尾根」を滑走して、その日の最終ミーテングが行われる「岩木山トレールセンター(さんぽ館)」に向かっていた。
 結論から書こう。それは、滑走中に「スキーシール」が剥がれたことに気がつかないで、そのまま「滑り続けて」いたということである。
 この世の中、何が起きるか分からないし、何でも起きてしまうのである。翌日、私は「相棒」Tさんに次のような内容のメールを送った。
 『 昨日はご迷惑をかけました。また、大変恥ずかしいことである「シール紛失」という失態をお見せして申し訳なく思っています。意気消沈の極みです。
 加えて、「なくした」シールは不本意ながら「なかなか腐食しないゴミ」として岩木山に「不法投棄」することになりました。
 今日は天気がよかったので、「探しに行こう」とも思ったのですが、全身が痛くて、疲れもまだありましたので、出来ませんでした。
 昨晩から今日にかけて降雪があり、「探すことは完全に不可能」な状態になってしまいましたので、「不法投棄者」の汚名を濯ぐ機会はなくなりました。残念です。』
 何故、シールが外れたのか、その理由は分かっている。それは「シールの留め金」構造が「カービングスキー」のトップ形状に合致しないからである。「留め金」の形状は先端の細く尖ったスキー用のものだったのである。
 ご存じのように「カービングスキー」の先端は丸みを帯びて楕円形、しかも、幅が広い。取り付けた時から、これは「滑走中」に外れることもあるという認識は持っていたのである。
 つまり、「外れることを懸念」していながら、これまた「懸念どおり」の失敗をしてしまったのである。
 しかも外れただけでなく、それを「落として」しまい、「岩木山山中」に、私が常々批判をしている「不法投棄」してしまうという不名誉で、破廉恥な結果を生んでしまったのだ。悲しくも、申し訳ない失敗談ではある。ああ、恥ずかしい。(この稿はこれで終わりとなる)