(今日の写真は雪を戴きながらも咲いているマルバマンサクである。薄くてしなびて、とても弱々しく見えるマンサクの花弁であるが、何と雪に負けることなく「毅然」として、己の花弁に雪を貼り付けさているではないか。
既に、このブログで紹介したが、私は1月4日に「弥生登山道」沿いでマルバマンサクの蕾に出会っていた。
そのことを講座で「福寿草黄金花ぐきほのぼのとふふごもる春にあひにけらしも(尾山篤二郎)」という福寿草を歌題にした短歌と併せて「ふふごもる」という表現が、小さなマンサクの蕾にぴったりだとして紹介した。
ところが、受講者のIさんが、このことから歌題表現を得て、次のような短歌を作って、メモ風に書いてきたのだ。そのメモの中には「題材を先生から盗みました。ありがとうございました」「松の間とはお正月の間という意味です」とあった。
「真白なる山にマンサクふふめりと松の間より雪に匂へり」
Iさんは「短歌」の講座も受講しているのだそうだ。その講座に花好きの人がいて、その人が『「岩木山の花をたずねて」という講座も受講したらいいよ。講師の三浦さんが書いた「岩木山・花の山旅」には、俳句や短歌が多く登場するので凄く勉強になる』と紹介されて、やって来たという人である。
Iさんが自分で作った短歌を私に見せるということは、私は短歌や俳句とはまったく縁のないずぶの素人なのだが、私に「評価と添削」を望んでいることだろう。
身の程知らずにも、私は次のように添削をした。主題や感性がすばらしいので、もっといい短歌にしたかったからだ。
「真白なる山にマンサクふふごめり松の内なり淡く匂へり」
先ず、音韻的に3句目、4句目、5句目の脚に「り」音を揃え「音律」を整えた。連用形でつなぐことで、動きを出して生き生きしていることの表現を強調した。
「松の内」として、お正月の寒い時季であることを明確にした。
「真白なる山」で「雪」の存在は確実なので「雪」を削除して「淡く」に換えた。さて、皆さんの評価はどうだろうか。
今日の写真のようなマンサクの花には、3月の下旬から4月の半ばにかけて出会うことが多い。)
…「木とは何ですか、草とは何ですか」に答える…(2)
(承前)
…草はどのような生活をしているのか…
草は体が小さく、寿命も木に比べて短い。種子が芽生え、成長し、花をつけ、種子を形成するのが植物の生活の一つのまとまりになる。
*一年草
一年以内にそれを終えて枯れるものを一年草という。
*二年草(越年草)
冬の前に芽生え、春に成長して秋までに結実すれば、二年にまたがるので二年草と言うこともあるが、実質的には一年草である。また、一年目に発芽し、二年目に葉を広げ、三年目に花を咲かせて枯れるものもある。
*一稔草
さらに極端なものでは、リュウゼツランのように数十年かけて成長し、花を咲かせると枯れるものがある。これらは一稔草ともいわれる。
*多年草
複数年にわたって生育し、何度も種子をつけるものを多年草という。冬に地上部が枯れるものを特に宿根草と言うこともある。
小さな木の枝のような姿の草もあるが、それとは異なった姿の植物も数多い。茎が地中や地表にあって短いものは、葉だけが地上に伸びる。このような、地面際から出る葉を根出葉(こんしゅつよう)という。
根出葉が地表に放射状に広がるものを、ロゼットとよぶ(例:タンポポ)。成長するに従って、根出葉を失うものもあり、その場合、根出葉と茎葉の形が違って、ずいぶん印象が変わるものがある。
地中に茎を発達させる草も多い。球根や地下茎などと呼ばれるが、様々な形のものがある。冬季に地上部がかれ、地下部のみが残るものは寒い地域に多い。
地表を這うものでは、茎の節から根を出し、次第に伸びてゆくと、古い茎から枯れて、次第に移動してゆく場合もある。
…植物は草へと進化している…
植物は光合成を行う。地上における光は太陽から来るので、光は常に上から来る。
したがって、背が高いものは背が低いものより絶対的に有利である。
にもかかわらず、草として生活する植物の種類は、樹木より多い。シダ植物には草であるものが多い。これは、幹の構造の発達が不十分であるのが大きな理由であろう。ちなみに化石のシダ類には樹木のような大型のものも多い。裸子植物はすべて木本である。
被子植物は木本と草本が入り交じるが、一般に、草本は木本から進化してきたと考えられる。単子葉植物はほとんどが草である。
草本は背が高くなれないが、その代わりに生活の融通が利くのが利点である。
植物体が小さい代わりに、生活時間が短く、一年草は一年以内に世代を終えることができる。それによって、攪乱を受け、開いた場があれば素早く侵入し、世代を繰り返す。
一般に、植物群落の遷移では、まず草がはえて、それから木が侵入して森林へ、という順番が見られる。したがって、断続的に攪乱が行われる条件下では、草本が長期にわたって優占する、つまり草原の状態が長く続く場合もある。
また、極端に乾燥が厳しく、雨の降る時期以外には生き延びるのが困難な場所でも、種子で休眠すればやり過ごせるし、条件の良い時期に一気に成長して種子をつけることができる。
樹木では、一年で種子を作るというのはまずない。乾燥や寒さが厳しく、森林が成立する限界以上の所では、草原が成立することが多い。大陸中央の乾燥地帯などでは、イネ科を中心とする草原が広がる。
また、大きな樹木の生長した森林では、樹木の下の空間を利用する。あるいは着生植物として樹上に進出する。
また、生殖においては株別れや匍匐枝などによって無性生殖を行うものが多い。横に広がって数を増やすものは、野外では小さなコロニーを形成するものが多い。
そのような場合、一つのコロニーは単一の種子に由来するクローンと見なすことが出来るのである。(この稿は今日で終わりとなる)
既に、このブログで紹介したが、私は1月4日に「弥生登山道」沿いでマルバマンサクの蕾に出会っていた。
そのことを講座で「福寿草黄金花ぐきほのぼのとふふごもる春にあひにけらしも(尾山篤二郎)」という福寿草を歌題にした短歌と併せて「ふふごもる」という表現が、小さなマンサクの蕾にぴったりだとして紹介した。
ところが、受講者のIさんが、このことから歌題表現を得て、次のような短歌を作って、メモ風に書いてきたのだ。そのメモの中には「題材を先生から盗みました。ありがとうございました」「松の間とはお正月の間という意味です」とあった。
「真白なる山にマンサクふふめりと松の間より雪に匂へり」
Iさんは「短歌」の講座も受講しているのだそうだ。その講座に花好きの人がいて、その人が『「岩木山の花をたずねて」という講座も受講したらいいよ。講師の三浦さんが書いた「岩木山・花の山旅」には、俳句や短歌が多く登場するので凄く勉強になる』と紹介されて、やって来たという人である。
Iさんが自分で作った短歌を私に見せるということは、私は短歌や俳句とはまったく縁のないずぶの素人なのだが、私に「評価と添削」を望んでいることだろう。
身の程知らずにも、私は次のように添削をした。主題や感性がすばらしいので、もっといい短歌にしたかったからだ。
「真白なる山にマンサクふふごめり松の内なり淡く匂へり」
先ず、音韻的に3句目、4句目、5句目の脚に「り」音を揃え「音律」を整えた。連用形でつなぐことで、動きを出して生き生きしていることの表現を強調した。
「松の内」として、お正月の寒い時季であることを明確にした。
「真白なる山」で「雪」の存在は確実なので「雪」を削除して「淡く」に換えた。さて、皆さんの評価はどうだろうか。
今日の写真のようなマンサクの花には、3月の下旬から4月の半ばにかけて出会うことが多い。)
…「木とは何ですか、草とは何ですか」に答える…(2)
(承前)
…草はどのような生活をしているのか…
草は体が小さく、寿命も木に比べて短い。種子が芽生え、成長し、花をつけ、種子を形成するのが植物の生活の一つのまとまりになる。
*一年草
一年以内にそれを終えて枯れるものを一年草という。
*二年草(越年草)
冬の前に芽生え、春に成長して秋までに結実すれば、二年にまたがるので二年草と言うこともあるが、実質的には一年草である。また、一年目に発芽し、二年目に葉を広げ、三年目に花を咲かせて枯れるものもある。
*一稔草
さらに極端なものでは、リュウゼツランのように数十年かけて成長し、花を咲かせると枯れるものがある。これらは一稔草ともいわれる。
*多年草
複数年にわたって生育し、何度も種子をつけるものを多年草という。冬に地上部が枯れるものを特に宿根草と言うこともある。
小さな木の枝のような姿の草もあるが、それとは異なった姿の植物も数多い。茎が地中や地表にあって短いものは、葉だけが地上に伸びる。このような、地面際から出る葉を根出葉(こんしゅつよう)という。
根出葉が地表に放射状に広がるものを、ロゼットとよぶ(例:タンポポ)。成長するに従って、根出葉を失うものもあり、その場合、根出葉と茎葉の形が違って、ずいぶん印象が変わるものがある。
地中に茎を発達させる草も多い。球根や地下茎などと呼ばれるが、様々な形のものがある。冬季に地上部がかれ、地下部のみが残るものは寒い地域に多い。
地表を這うものでは、茎の節から根を出し、次第に伸びてゆくと、古い茎から枯れて、次第に移動してゆく場合もある。
…植物は草へと進化している…
植物は光合成を行う。地上における光は太陽から来るので、光は常に上から来る。
したがって、背が高いものは背が低いものより絶対的に有利である。
にもかかわらず、草として生活する植物の種類は、樹木より多い。シダ植物には草であるものが多い。これは、幹の構造の発達が不十分であるのが大きな理由であろう。ちなみに化石のシダ類には樹木のような大型のものも多い。裸子植物はすべて木本である。
被子植物は木本と草本が入り交じるが、一般に、草本は木本から進化してきたと考えられる。単子葉植物はほとんどが草である。
草本は背が高くなれないが、その代わりに生活の融通が利くのが利点である。
植物体が小さい代わりに、生活時間が短く、一年草は一年以内に世代を終えることができる。それによって、攪乱を受け、開いた場があれば素早く侵入し、世代を繰り返す。
一般に、植物群落の遷移では、まず草がはえて、それから木が侵入して森林へ、という順番が見られる。したがって、断続的に攪乱が行われる条件下では、草本が長期にわたって優占する、つまり草原の状態が長く続く場合もある。
また、極端に乾燥が厳しく、雨の降る時期以外には生き延びるのが困難な場所でも、種子で休眠すればやり過ごせるし、条件の良い時期に一気に成長して種子をつけることができる。
樹木では、一年で種子を作るというのはまずない。乾燥や寒さが厳しく、森林が成立する限界以上の所では、草原が成立することが多い。大陸中央の乾燥地帯などでは、イネ科を中心とする草原が広がる。
また、大きな樹木の生長した森林では、樹木の下の空間を利用する。あるいは着生植物として樹上に進出する。
また、生殖においては株別れや匍匐枝などによって無性生殖を行うものが多い。横に広がって数を増やすものは、野外では小さなコロニーを形成するものが多い。
そのような場合、一つのコロニーは単一の種子に由来するクローンと見なすことが出来るのである。(この稿は今日で終わりとなる)