岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「岩木山の生き物・立体、総合的重層型シンポジウム」の報告(1) / 雨天の自然観察会(3)

2009-03-10 05:41:46 | Weblog
(今日の写真は3月7日に開かれた「岩木山の生き物・重層型シンポジウム」の一コマである。オーバーヘッドプロジェクターを使っているので会場内の前の方が暗い。その所為で、講演している小原良孝先生の姿がはっきりと見えないのが残念である。
 この会場、弘前文化センター中会議室は定員が100名である。ほぼ、定員に達した来場者がいたものと思う。
 何故なのだろう。マスコミの取材が全くなかった。この「シンポジウム」の「開催」を知らせる案内や記事は各新聞社も積極的にしてくれたのに、その内容と「結果」を伝えることをしないのは矛盾することではないのだろうか。)

       ◇◇「岩木山の生き物・重層型シンポジウム」の報告(1) ◇◇ 

  このシンポジウムの狙いは「岩木山の生き物」が「生態系上」どのようなつながりの中で、総合的に関連した存在なのかを、重層的かつ多面的にとらえようとしたことである。
 つまり、登山道を歩いていても、お目にかかれないトガリネズミやモグラなど小さな動物たちの生態から、山麓からブナ林内を移動するサルたち、また、上空を飛翔しながら餌を探すイヌワシやクマタカなど、そして、岩木山の伏流水や湧水に生息する魚類や甲殻類など…が生きる世界を「鳥瞰・立体」的に理解してもらうことが目的だったのだ。

   
 基調講演は弘前大学農学生命科学部教授の小原良孝さんの「岩木山に棲む小哺乳類モグラ・イタチの仲間」であった。
 染色体から、岩木山に棲んでいる「モグラ・イタチの仲間」の特性を調べ、その変異を探ることが講演内容であった。
 特に、その中で「岩木山に棲むイタチ類5種(オコジョ・イイズナ・イタチ・テン・アナグマ)」については興味深かった。
 先生は弘前大学に赴任して間もなく「岩木山でオコジョを捕獲し」、そのきれいな染色体標本が出来たことが、「野生哺乳類」の染色体研究にのめり込んだ切っ掛けになったという。
 それだけに、「イイズナ」と「オコジョ」については詳しく説明してくれた。
「イイズナ」は北方経由で日本にやって来た動物で「日本固有の種へと分化」したもであるそうだし、「オコジョ」は「染色体から見たイタチ科食肉類の系統進化」の上ではイタチ類の祖先型であるという。そのオコジョが岩木山の山頂付近にだけ、現在も生息しているのである。これは凄いことである。
 そして、この「オコジョ」の生命を「餌」となり、支えているのが「ネズミ」類なのである。
 生物進化の道筋は染色体に反映されているという。そして、最後に「木原均」氏の言葉「地球の歴史は地層に、生物の歴史は染色体に刻まれている」を挙げて講演を終わった。(明日に続く)

           ◇◇ 雨天の自然観察会(3)◇◇

(承前)
 しかも、足許には白花のキクザキイチリンソウの群落があった。参加者全員でキクザキイチリンソウを一輪ずつ採取し「花びら(本当は萼片)の数」を数えたのである。9~13枚であった。それを受けて「花びらの数は受け継ぐ遺伝子(染色体)によって決定される。これは何枚でもいいという遺伝子なのである。」と説明する。
 全員、満足感と得意げな面持ちを見せていたのである。「よかった。」と心ひそかに思った。
 キクザキイチリンソウはキンポウゲ科イチリンソウ属の多年草で日本の特産種だ。学名に「ニコエンシス」という名を持つ。日光で初めて採取された日本の特産種という意味だ。
 山地や林内に生える多年草だ。花茎は高さ10~20cmで、上部に三枚の苞葉が輪生し、三出複葉である。
 雪解けにその苞葉の間から花柄を伸ばして、白や淡紫色の花(2.5~4cm)を付ける。
 日が当たると開いて、夜や雨の時は閉じている。多雪地の山地には普通に見られるが、関東では少ないそうだ。
 これはアネモネの仲間のイチリンソウであり、花が菊に似ており、1茎に1花なのでこの名がついている。アネモネ属には、オキナグサ・ニリンソウ・テッセン・ハクサンイチゲ・イチリンソウ・アズマイチゲ・ミヤマハンショウヅル・ミヤマカラマツなどがある。
 属名のAnemone(アネモーネ)はギリシャ語のanemos (風)からきているといわれ、名のとおり、風のよくあたるところを好む。秋に咲くシュウメイギクもキンポウゲ科アネモネ属で、別名「キブネギク」と呼ばれる。

  帰路には遠目ながら「堰堤」も観察した。この沢の堰堤は、土石流をくい止めるということよりも農業用潅漑用水を保持するためという面が濃厚である。
 広い川原に出る少し前に、杉の植林地がある。まったく手入れのされていない「放置林」である。間伐がまったくされていないので薄暗く、樹下には杉の葉が敷き詰められ、堆積しているだけである。緑なす草本の影はない。
 昭和40年代から、林野庁は山の雑多な樹木を伐採して、そこに「杉」を植えてきたし、林にもミズナラなどを伐って杉を植えるように指導してきた。
 樹木の寿命は人間よりも何倍も長い。ブナなどは400年から500年の寿命であると言われている。だから、林野行政は時間的に長いスパン、つまり数百年を見越した思想がその基本になければならい。
 しかし、日本政府や林野庁は「目先の価値」を行政の基幹にすえて突っ走ってきた。それが日本の天然林をことごとく消滅させることになったのである。「放置された杉植林地」は、それを証明する現実的な証拠の一つでもある。
 「放置されたままの杉林」、小学生の頃、「学校林」に杉を植えた。目の前に広がる放置林のようになっているのかと思うと、心が痛む。そして、国や自治体、民間で推し進めてきた事業の無策ぶりに寂しさと憤りを感じた。
 杉の植林地を抜けたら、そこは明るく、ヤチハンノキなどが茂り、樹下には緑が一面に繁茂していた。地獄の出口を抜けて天国の門から広場に出たような気分になった。参加者は一様に、杉林と雑木林の「林床と林相」の違いを十分に学んだのである。