岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「岩木山の生き物・立体、総合的重層型シンポジウム」の報告(3)

2009-03-12 05:38:43 | Weblog
 (今日の写真はワシタカ目タカ科のハチクマと霊長目オナガザル科のニホンザルである。7日のシンポジウムで話題になった「生きもの」だ。
 ハチクマは中央アジアから東南アジアにかけて分布し、日本には夏鳥として渡って来る。5月から10月にかけて見られ,秋にはまた東南アジアに帰って行く。北海道、本州、四国、九州で見られ、丘陵地から山地にかけての森林で繁殖する。
 名前の由来は「ハチを食べるクマタカ(熊鷹)に似たタカ」を意味していることによる。ハチ類を主食とするが、昆虫やカエル、トカゲなども餌とする。
 ニホンザルは世界でもっとも北限に住むサルで日本列島の固有種である。数十頭の群をなして生活する昼行性で、夜間は安全な木の上で眠り、花芽や新芽、草、果物を食べる雑食性の哺乳類である。この写真は親子だろうか、兄弟だろうか。
グルーミング[grooming]をしているところだ。「グルーミング」は、哺乳類の場合は「毛づくろい」と訳され、鳥類の場合は「羽づくろい」と言われる。
 元来は手や口を使って、ゴミや寄生虫をとりのぞき、体を清潔にするための行動だ。しかし、仲間に対してグルーミングをするときには、大切なコミュニケーション行動になっている。多くの動物では、母子や群れ仲間のような特別な関係でしか行なわない。 )

◇◇「岩木山の生き物・立体、総合的重層型シンポジウム」の報告(3)◇◇

(承前)
 次に報告したのは県イヌワシ調査隊のリーダーで本会会員でもある飛鳥和弘氏である。演題は…◆岩木山の猛禽類◆であった。
 食物連鎖の頂点に位置するイヌワシやクマタカなどの生息地や営巣とその場所、子育てなどを説明しながら、彼らの餌であるウサギや蛇とその他の動物の関係・連鎖を説明した。小原先生の講演の中に「出てきたイタチ」などの肉食哺乳類は、これら猛禽類の餌とはなっていないとのことだった。主な餌は蛇だということだ。
 私は「ヘビ」の餌を考えた。彼らの餌は「ネズミ」や「カエル」であろう。もしも、「ヘビ」が餌として大量に捕食されたら、「ネズミやカエル」のこの生態系における役割はどうなるのだろう。「ネズミやカエル」がどんどん増えることになったら「生態系のバランス」が壊れてしまうのではないだろうか。
 最も興味の惹かれたものは「ハチの巣を襲うタカ(今日の写真)」である「ハチクマと蜂」の関係と、その「蜂たちと虫」の関係であった。
 「ハチクマ」について若干補足しよう。全長はオスで57cm、メスで61cmであり、体重はオスが510から800g、メスが625から1050gであるとされている。
 体色や斑紋の個体差は大きく、上面は暗褐色であるが、体下面と下雨覆の羽色は白色から黒褐色まで様々であるという。
 斑紋の出方も無斑から横、縦まで変異があり、オスには尾羽に太い2本の黒帯があり、メスには2~3本の細い黒帯があるそうだ。
 「ハチクマ」はカラスよりも一回り大きい。首が長いことや、翼の幅が広く体に比べて長いことなどから、他のタカ類と区別することが出来る。
 繁殖期に「ハチクマ」が襲うハチの巣は、ミツバチなどのハナバチの仲間ではなく、強力な毒針を持つ肉食性のスズメバチの仲間だ。樹上に巣を作るコガタスズメバチの巣も襲うが、特に「クロスズメバチ」という地中に巣を作る小型のスズメバチを襲う。先日、NHKハイビジョンで放映していたからご存じの方も多いだろう。
 「ハチクマ」は「クロスズメバチ」の巣を見つけると、長くて大きな足を使って地中にある巣を掘り起こし、中にいる幼虫やさなぎを食べたり、巣盤ごと持ち帰り、ひなに与えたりするのだ。
 巣を掘り出す時に、どうしてスズメバチに刺されないのかについては、「ふさふさした羽毛や硬い皮膚の所為」だとか「ハチを寄せつけないような独特の臭気を出す所為」などの説もあるが、よく分かっていない。
 「ハチクマ」が「クロスズメバチの巣」を襲う理由は、栄養価の高い「ハチの子(幼虫)」をひなに与えるためである。「ハチの子」を食べるひなは糞をする回数が少なくなり、成長もとても早くなるといわれている。親にしてみれば「糞」を巣外に運び出す手間と採餌と餌運びの軽減という一石二鳥の効果があるというものである。
 ハナバチ以外の「ハチ類」の餌は「昆虫」である。もしも、「ハチクマ」が大量に渡ってきて、大量に「クロスズメバチ」を捕食したら、その餌となる昆虫が大発生しないのだろうか。昆虫の中には、勝手な話しだが人にとっての「益虫」もいる。
 食物連鎖の「一つ」に変化があると「連鎖」は瓦解する。ハチクマたちはどのようにして「食物連鎖」を壊さないように工夫しているのか、そこを知りたいと思った。

 次の報告は、これまで「津軽半島」や「岩木山」で、「サルの生態とその動向」を調査・研究をしてきた元教員で本会会員でもある笹森耕二氏である。
 演題は…◆岩木山に分布を広げた猿◆であった。

 私が岩木山と関わりを持ち始めた今から40数年前には「岩木山」にはサルがいないといわれていたものだ。ところで、私が最初に岩木山でサルの群れに出会ったのは1986年である。
 その場所は、その後何回か目撃したブナの森の中でなく、環状道路沿いの田んぼであった。詳しく言うと、長平を過ぎてから、白沢に降りていく峠の手前である。
 その当時は、黒ん坊沼までは行くことが出来たが、まだ石倉・松代に分岐して抜ける車道がなかった。もちろん、この環状道路も、舗装部分は岳から弥生までぐらいで、残りの大半は未舗装の砂利道であった。自動車の通行も非常に少ないものだった。私は当時、「岩木山一週歩こう会」というものを主催し、毎年少なくとも1回は、この環状道路を踏破していた。
 アスファルト舗装の部分が次第に長くなっていった。いつの間にか、その「田んぼ」は重機で掘り返されて、その後畑地になり、現在は原野化している。そして、そこで「サル」たちと遭うことはなくなってしまった。
 それから「サル」の群れと遭うところは、この場所の上部にある「二子沼」に続くブナ林の中である。単独行動の「離れサル」に出会うことはこの「山域以外」でも度々あるが、群れと出会うことは「岩木山の北西域」以外ではまずないのである。
(明日に続く)