桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

蓬、芽を出す

2018年08月06日 23時12分37秒 | つぶやき

 一昨日の四日未明、目覚めたとき、持病を発症していました。
 未明に目を覚まし、小用に立つことはときどきあります。寝ぼけているのと齢を重ねて足腰が頼りなくなっているのとで、立ち上がった刹那は歩くのが千鳥足のようになるのは珍しくありませんが、この日は布団から立ち上がったとき、いつもに較べると、足腰がとりわけ頼りなく感じられました。

 用を足して布団に戻ったのは、新聞配達のバイクの音を聞いた直後だったので、四時前だったと思います。前夜はそれほど早い時間に眠ったわけではなく、起きてしまうのには早過ぎる時間です。
 目覚めたのがもっと早い時間であったのなら、もう一眠りするために、アルコールを入れるところですが、四時という時間に呑んでしまっては、朝起きたあと、宿酔に苦しむのは必定です。
 すぐ眠ることができればいいのですが、こういう半端な時間に目覚めるときというのは、なかなか眠れません。かといって、起きてしまえば睡眠不足で一日を棒に振ることになります。
 で、思案のしどころ。
 とりあえず、枕許に置いてあるノートPCを開いて、メールのチェックでも……と、腹這いになって眼鏡をかけたところ……。グルグルと眩暈がやってきました。
 何度か経験済みなので ― といっても、直近の発症は十か月以上も前、去年の九月二十四日だったのですが ― すぐコリャーいかん、とわかります。少し離れたところに置いてあった薬を捜し当てて服み、ゴロンと横になりましたが、間に合わなかったようです。七時過ぎにまた目を覚まし、恐る恐る頭を挙げてみると、まだグワングワンと目が廻っていました。その目眩も仰向けに横になったときだけは治まるのです。

 日中に発症しかかることもあります。
 大体のところ、最初に感じるのは後頭部に重い鉛の塊を埋め込まれたような頭痛です。頭痛、と表現するほど強い痛みではありませんが、ドーンと居坐るような重苦しさです。連れて、軽い眩暈がきたりします。
 起きているときなら、「お、きなすった」とばかり、処方されている薬を服みます。すると、長くても三十分ぐらいで、なんでもないような状態に戻ります。
 しかし、眠っているときの発症は、多分眠っていたから気がつかなかっただけで、何時間か前に発症しているのです。したがって、気がついたときに薬を服用しても遅いので、症状が長引くのではないか、と思われます。

 発症するとは知らぬ前日の三日。六月十二日に播いたヨモギ(蓬)が芽を出したので、ブログを更新しようと思って、カメラに収めていました。ヨモギ(蓬)の種を播く



 実際に芽を出したのはもっと早く、六月の終わりから七月初めにかけてだったのですが、最初に顔を覗かせた双葉だけでは、待ちわびていた蓬なのか、私にとってはありがたくない、ヤブカラシ(藪枯らし)か、カタバミ(酢漿草)なのかがわかりません。それに、芽を出したあとは双葉のままで、なかなか大きくならなかったのです。

 ここにきて、素人目にもやっとヨモギに間違いないと判断できるようになりました。
 六十粒の種を播きましたが、いまのところ四茎(右のプランターに、縦に大中小と並んだ芽のうち、一番下はまだなんの芽かわかりません)も芽吹いたのですから、十五分の一という非常に高い確率です。

 我が庭は、とりわけカタバミには天国らしいようで、用意したプランターには、庭の土はまったく使わず、園芸店で買ってきた培養土や腐葉土だけを使っているのに、いつの間に種が飛来するのか、播いたはずの種子とは様子の異なる芽が出て、なんであろうか、正体を見極めてやろうと待つうち、ひと回り大きくなってみると、クローバーもどきの葉が現われて、憎っくきカタバミであった、ということが再三再四あるのです。

 ですから、今度も庭の土はいっさい使っていないのですが、ヨモギの種しか播いていないのだから、出た芽はヨモギである、とは言い切れないのです。

 持病発症三日目の今日六日。
 昼を過ぎるころになって、起き上がって坐っていても、眩暈がなくなり、頭の中に居坐っているような鉛も軽くなったみたいだったので、毎日の参拝を欠かさぬ、と決意していながら行けなかった慶林寺参拝に恐る恐る出かけてみることにしました。
 夏になると、いつも冷凍庫に用意しておく保冷剤を二つ手ぬぐいでくるみ、500ミリのペットボトルに八割ほど満たして凍らせておいたスポーツドリンクをハンドタオルでくるみました。
 身体がフラフラするようだったら、すぐに引き返そうと考えていましたが、ほとんど安定していました。二日半寝たきりで過ごしたからか、坐骨神経痛も出ませんでした。



 ただ、歩き始めた途端、坐骨神経痛に見舞われるのではないか、とおっかなびっくり歩いたので、いつもに較べると、ほんの少し時間がかかったかもしれませんが、大禍なく慶林寺に到着。慶林寺はいつもと変わらず門は閉ざされていました。



 持病が発症する前日、いつものように慶林寺にお参りに行っています。
 観音像前の白いハス(蓮)の花は、律儀にも四日目で花期を終え、代わってピンクの花が咲いていました。
 茎の下部には「天驕(八重)」という札がかけられていました。
 庵に帰ったあと、園芸図鑑を紐解いてみると、載ってはいましたが、花の色の種類、として載っているだけで、何ゆえにこのような名がつけられたのか、そもそも「天驕」とはどういう意味なのかは載っていませんでした。
「驕」とは、おごり高ぶるという意味ですから、あまりいい意味とは思えません。



 今日はその花も散っていました。



 代わりに同じような色合いのスイレン(睡蓮)が……。

 持病が発症してからは、トイレと水分補給に起き上がる以外は終日布団に横たわって過ごし、昨日も午後四時過ぎまで横になっていました。
 一時間眠っては目を覚まし、また一時間眠っては目を覚ますという、ウトウトの繰り返しですが、二日間で三十時間は眠っただろうと思います。
 ずっと横になっていたので、十日ほど前から出るようになった坐骨神経痛 ― たまたまこの日は出ませんでしたが ― に加えて、腰痛も出るようになってしまいましたが、持病が治まってくれたので、なんとか元どおりの生活が戻ってきました。

 日参を欠かすことがなかった慶林寺には去年九月二十四日以来、二日間のご無沙汰をしてしまいました。
 去年九月二十四日はやはり持病が発症して外出できなかったのですが、このときは一日のご無沙汰で済んでいます。前回は身体が水すら受けつけず、飲むと即座に戻したほどですが、今回は症状がわずかに軽かった代わり、苦しむ時間が長かったようです。

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