桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

綾瀬を歩く

2011年08月30日 22時00分17秒 | 寺社散策

 足立区の綾瀬というところに所用ができたので出向き、終わって帰るまでのひととき、例によってお寺を巡って歩きました。


 所用があったのは綾瀬駅からバスで三つ目の五反野小学校というところでした。
 そのバスの行く先は西新井駅だったので、所用を済ませたあとは、名前だけは知っているが、まだ行ったことのない西新井大師へ……とも考えたのですが、夏バテを起こしているのかどうか、このところちょっとした用事でも、それを済ませると、それだけで一日が終わったような気になってしまって、「ヨッシャ!」という気力が湧きません。
 それでも、折角近くまできていたのですから、どうしようかと迷いながらバス通りに出たら、綾瀬駅に戻るバスがきたので、西新井へ行こうかと考えていたことはどこかにすっ飛んで、とっさに乗ってしまいました。

 とはいえ、無目的に戻ったわけではありません。
 場所は綾瀬駅を挟んで南と北と分かれていますが、南には薬師寺といって、その名のとおり薬師如来を祀る寺があり、北には龍慶寺といって、いまはどうなっているのかわかりませんが、昔は日限(ひぎり)薬師如来を祀っていたという寺があるです。
 そこで、西新井大師に行くのは日を改めることにして、綾瀬のお寺巡りをすることにしました。




 綾瀬駅から歩くこと十分少々で薬師寺に着きました。
 寛永九年(1632年)の創建。常陸国根本村の佐右衛門という人が先祖伝来の不動明王を背負い、諸国遍歴の途次、この地に不動院という寺を開いたのが始まり、と伝えられています。
 のち、当地にあった薬師如来を安置する仏堂を付属堂とし、近隣に同じ不動院という寺院があったので、薬師寺と改称した、とあります。

 


 薬師寺本堂(画像上)と薬師堂(下)です。
 薬師堂の薬師如来は眼疾に効験があり、水戸光圀が江戸参府の折、ここに参詣して眼の痛みを治したと伝えられています。



 薬師寺参拝を終えて、龍慶寺に向かいます。ずっと首都高速三郷線を見上げながら歩きます。

 左手には綾瀬川が流れていますが、道路より水面のほうが高いので、堤防に上らないと川を見ることはできません。



 五兵衛橋が架かるところで堤防に上ってみました。



 常磐線のガードをくぐって龍慶寺に着きましたが、生憎本堂は修復工事中でした。
 創建は正保三年(1646年)。開山は春日部市小渕にある浄春院第七世だった天室秀梵、開基は牛込五郎兵衛という人。本堂内には、本尊の釈迦三尊坐像をはじめ、薬師如来・閻魔王・不動明王・誕生仏などが安置されています。
 昔四月八日を縁日として栄えた日限薬師如来の碑があるとのことでしたが、どこにあるのか見つけられませんでした。

 綾瀬駅北側には「U」の字を伏せたような形に拡がる東綾瀬公園があります。
 点在する広場が綾瀬駅から遊歩道がつないでいます。かつては水田だったそうです。区画整理事業から生み出された土地が公園に姿を変えました。
 公園の全長は約2キロもあり、園内には、サクラ、ラクウショウ、モミジバフウ、ツツジなど季節感を味わえる樹々が植えられています。



 北口から入りました。

 水車があり、水も流れていましたが、水車は回っていませんでした。



 公園西側の散歩道沿いには、花畑川を水源とするかつての農業用水を生かしたせせらぎが流れ、健康遊具や多目的広場などが設置されています。また、公園北側周辺には緑に囲まれた各種の運動施設があります。現在、三世代スポーツ公園として野球場、テニスコート、武道館、温水プールなどを備えており、年齢を問わず楽しめる公園としても脚光を浴びているということです。
 
 

 東京武道館を右手に見ながら綾瀬駅へ戻ります。東京武道館は1988年三月着工、89年落成。


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