一昨日の夕方、買い物に出ようとしたら、我が庵を出てすぐのところで、小学校四、五年生と思われる男の子が自転車を止めて何かに見入っていました。
何を見ているのかと思って立ち止まったら、車の下に野良の猫殿の一家がいたのです。
早速ミオを取り出しました。成猫用なので、仔猫に食べられるかどうか疑問でしたが、鞄から取り出すと、三毛の一匹がトコトコと出てきて、食べてくれました。
生まれて数か月だと思われます。自動車の下、真ん中にいるのが母猫(多分)、右に二匹仔猫がいます。実際は雌雄の別などわかりませんが、勝手に三姉妹とすることにして、食べている仔猫は江(ごう)と呼ぶことにしました。
織田信長の妹・市にちなんでオイチ一家と呼ぶことに決め、その娘たち・初、茶々、江のうち、一番小さそうだったので、江にしたのです。
何日か前、母にはぐれたのか、か細い声で鳴いていた仔猫を近くで見かけていましたが、毛色から想像するに、この仔猫ではなかったのかと思います。
ミオは残り少なくなっていたので、昨朝はタッパウェア二つにキャッティをたっぷりと詰めて散策に出ましたが、オイチたちはいませんでした。
遠回りして富士川を目指しました。こんな石段の径がありました。
昨朝の空です。
このときは台風が日本海にあるとは知りませんでした。ようやく、ようやく雨になりそうだと思って歩いているうちに、ポツリポツリときました。
いつも通る羽中橋を渡り、廣壽寺か寶蔵院か、あるいはまたもう一度無患子(ムクロジ)の樹を見に行こうかと思っていましたが、雨はポツポツときたかと思うと熄み、熄んだかと思うとポツポツときて、そのポツポツが次第に大粒になるようだったので、一つ下流に架かる葉の木橋を渡って引き返すことにしました。
通りがかりの幸田(こうで)第3公園で見つけた中芝遺跡の標柱。古墳時代前期(約1600年前)の集落跡。二軒の住居跡が見つかっているそうです。
本土寺の裏手をグルッと迂回して。
我が庵から七~八分ぐらいのところにある三叉路。右側の青面金剛の石柱には、少し風化していますが、「東小金道」という字が彫ってあるのが読めました。右側面には「北野田道」、左側面には「西流山道」と彫られています。
庵に戻った直後から地面を打つ音が聞こえるほどの雨になりました。
草を刈り取ったあと、暇をみては小石を取り除き、凸凹をならそうと土をひっかいています。やっと雨……と思ったら、台風の接近で、鉢から植え替えた桔梗殿、山椒、シークヮーサー、櫨(ハゼ)の葉は泥はねを被って大変なことになりました。
夕方、雨が小熄みになった隙を突いて北小金駅方面へ買い物に出ました。
強い雨が降ったあとなので、本土寺参道の紫陽花(アジサイ)もようやく一息つけただろうと思ったのですが、あまりにも雨が降らなかったためか、熱射病にやられたみたいに黒ずんで、恢復不可能かと思わせる葉もあります。
台風の過ぎ去った今朝は肌寒く感じるような陽気です。これから東京・湯島まで通院です。
きれいな写真を撮る方ですね。
きっと高級なカメラをお持ちだろうと思ったのに、コンパクトデジカメだと知って驚きました。