日付が変わってしまったので、一昨日になりましたが、日曜日、旧日光街道千住宿を訪ねました。
最初に訪ねたのは新義真言宗長円寺です。
寛永四年(1627年)、湯殿山の雲海という行者がこの地に庵を結んだのが初めと伝えられています。
長円寺から徒歩五分。旧日光街道から少し外れた場所にある新義真言宗長福寺安養院。
建長年間(1250年ごろ)に北条時頼が創建したと伝えられていますが、「足立風土記」によると、創立は応永二年(1395年)。
安養院の阿弥陀堂。
まだ新しいようですが、阿弥陀堂はどんなお寺のものでも美しい。ちなみに阿弥陀如来は我が干支(亥)の守り本尊です。
旧日光街道に戻ると、江戸時代からつづく絵馬屋・吉田屋があります。
神社では何気なく見過ごしている絵馬。お守り、破魔矢、おみくじ……商売繁盛を願ったりするものなのに、その流通経路は考えない、というか考えてはいけないのかと思ったり、寺社を介さず買ってもよいものかと思ったり……。
横山家住宅。
千住宿の伝馬屋敷。住宅はいまも現役です。
旧日光街道の町並み。いまは宿場町通りと名を変えて、北千住のメインストリートになっています。
松戸宿と同じように、往時の面影を偲ばせるものはほとんど遺されていません。遺されているのは本陣跡、高札場跡、一里塚跡などと記念碑ばかりです。
浄土宗勝専寺(通称赤門寺)山門と千住宿に時を報せた鐘楼。
千住という地名の興りは、この寺に安置されている千手観音であるとか。
日光街道が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川秀忠、家光、家綱の利用があったそうです。また日光門主らが江戸~日光往復のときには、本陣として使われたようです。
勝専寺閻魔堂。
一月と七月の十五、十六日には山門前に露店も出る閻魔詣でで賑わいます。鎮座するのは寛政元年(1789年)につくられた木像の閻魔大王坐像。
格子の間からカメラのレンズを突っ込むと、モニタには閻魔様が写るのですが、シャッターを押すとハレーションが起きて、何も写っていない。三度試みましたが、駄目でした。目に見えぬバリアが張られているようです。
やっちゃ場跡。
昔の海産物問屋、青物問屋などの名称の看板が現在の店舗や住宅にかけられています。
国道4号線と旧日光街道の分岐点に建つ松尾芭蕉奥の細道旅立ちの記念碑。
国道4号線を渡り、千住大橋のたもと近くにある橋戸稲荷神社を訪ねました。
本殿は土蔵造りで、前扉右に漆喰彫刻の男狐、左に母子狐があって、これは母子狐。鏝絵で名高い伊豆長八の作品ですが、レプリカです。
長八の生まれ故郷である伊豆松崎へは何度も避暑に行って、長八美術館も見ましたが、なにゆえ鏝を使わなければならなかったのか、と疑念が湧いて、ゆっくりと鑑賞することはありませんでした。
ややオーバーにいうと、竹馬を操りながら書や絵を描くようなもので、竹馬の上から描いたにしては上手い、というようなことが価値のあるものかどうか。正直なところ感心しない。
こんなところにリーガルの本社がありました。
私は若いころからリーガルファンで、二十年以上も昔、本場で買ったモカシンは何度も中敷きと革底を張り替えてもらって、いまでも履けます。
ただ歳をとって、足の皮が固くなったせいか、リーガルの靴を履くのは苦痛になりました。いまはアシックス製のラバーソール専門です。
国道4号線に戻って、最後にカンパネルラ書店という古書店を訪ねました。
七~八年前、浅草に住んでいたころ、どこかからの帰りに乗った都バスの車窓からこの書店を見かけて、いつか覗いてみたいと思っていた店です。しかし、私はやがて千葉県民となってしまったので、訪問する機会を失していたのです。
今回の千住探訪では真っ先に、とも思いましたが、やはり大トリは最後がふさわしいと思って取って置き、満を持して訪ねました。
ところが、予想した場所に古書店はありませんでした。都バスから眺めたとき、角から何軒目とキッチリ憶えていたわけではありませんが、跡らしいところに、まだ新しそうなマンションが建っていました。
帰庵後、古書店検索エンジンで調べると、西新井に「カンパネラ」という名の書店がありました。私が見に行かないうちに移転したのだと思います。
そうか。「カンパネルラ」ではなく「カンパネラ」であったのか。
どうでもいいようなものですが、「ル」があるかないか。そんなに単純な問題ではありません。
私は勝手に「カンパネルラ」だと思い込み、「銀河鉄道の夜」でザネリを救おうとして死んでしまったカンパネルラから名前をつけたと想像していたのですが、「カンパネラ」となると、宮沢賢治とは関係がないということになる。
古書店は入ってみないことにはどんな本を揃えているのかわかりませんが、店名に惹かれて入ってみたいと思ったのは、たぶんこの店だけです。
移転したらしいと知る前、カンパネルラ書店について話したことのある知人に、かくかくしかじかで、ついに店主のおじさんには会えなかったというと、知人のほうでは、店主はおばさんだったかもしれないという解釈。
ふむ。確かに古書店主=おじさん、というのは誰でも陥りやすい先入観念です。
古書=宮沢賢治、と思ってしまったのも私の先入観念で、おじさんかおばさんは無類のピアノ好き、それも少々つむじが曲がっているので、ショパンなんかよりリストを好み、「ラ・カンパネッラ」から店名を拝借したのかもしれません。
リストの題名はcampanellaというイタリア語表記ですから、「ネッラ」でも「ネラ」でも「ネルラ」でも、どれでもよろしい。しかし、宮沢賢治だけは「ネルラ」でなければならないのは当然です。
私のカンパネルラ書店は、風の又三郎とともに、遙か銀河の彼方に去ってしまった、ということにしておきます。
詳しくありがたいです。