桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2021年五月の薬師詣で・つくば市(1)

2021年05月08日 22時50分10秒 | 薬師詣で

 今日八日の「天気予想」が十日間天気に示された先月二十八日。八日の「予想」は曇のち雨で、降水確率は70%でした。五月一日になると、天候は変わらず、降水確率は10%増えて80%に。しかし、翌二日には雨の「予想」が消えてしまって、降水確率も50%と急減。五日には晴のち曇で、降水確率は40%とさらに下がり、当日の実際の天気は晴のち曇。降水はゼロということになりました。
 天気予報など頭から信じておらず、あたりハズレはプロ野球の順位予想や競馬の勝ち馬予想と同程度なのだから、天気予報ではなく、「天気予想」と謳うべき、いわんや十日間天気をや、なのだといいながら、自分では予報の材料など持っていないのですから、毎月八日が近づくころは日々変わって行く「天気予想」を見て、一喜一憂しています。

 雛まつりの夜を最後にアルコールを絶って、今日八日は六十六日目になりました。永年の飲酒生活で溜まりに溜まったヘドロのようなものがほんの少しは抜け始めたのか、ひところはそろそろ薬師詣でで歩くことは不可能になるのではないかと思った体調、脚の具合がほんのちょっぴりですが、よくなったみたいです。
 今月はつくば市を歩きました。久しぶりに長距離を歩いたのにもかかわらず、バテることなく薬師詣でを終えることができました。



 つくば市へ少しの遠出をする前に地元の慶林寺にお賽銭をあげ、参拝して行きます。



 北小金~新松戸~南流山と一駅ずつ乗って、南流山からつくばエクスプレスに乗ります。



 土曜日だったからか、電車はほんの少し混んでいましたが、立つ客がいるほどの混み方ではありませんでした。



 南流山から区間快速で二十一分、みどりの駅で降りました。



 みどりの駅をあとにするとすぐ、こんな林の中を歩かされることになったので、先行きどうなることかと思いました。



 みどりの駅から十分。萱丸橋で西谷田川を渡ります。川はこの先、牛久沼に流入して、利根川に合流して行きます。



 葭原があって、ギョシギョシゲシゲシとうるさく囀るヨシキリの声。久しぶりに耳にしました。



 みどりの駅から歩くこと二十三分、道林寺仁王門前に着きました。
 今日の行程はずっと徒歩。最後の最後に、一時間に一便しかないバスに乗る予定だったので、乗り遅れては大変と事前にグーグルマップをベースにシミュレーションをしてありました。経路を間違えたりもしなかったので、みどりの駅-道林寺間二十三分という時間はシミュレーションどおり。



 浄土宗の寺院ですが、由来などのわかる史料がないため、いまのところは創建の年代などはわかりません。



 幼稚園が併設されていましたが、土曜だったからか、新型コロナ禍のせいか、日本の宝・子どもたちの姿は見られませんでした。



 次は明超寺。浄土真宗大谷派の寺院です。
 道林寺への参拝を終えて前の道に出ると、左手に大きな伽藍の背面が見えて、それが明超寺でした。シミュレーションでは所要二分でしたが、当然のことながら参道入口は背面が見えている伽藍の向こう側にあるので、実際の所要時間は四分。わずか二分の誤差ですが、先行きは怪しくなってきたか、と思わせました。

 

 明超寺参道入口の隣に五角堂がありました。この地域の名主であり、発明家であった飯塚伊賀七(1762年-1836年)が設計。一見四角に見えますが、中に入ると、正五角形をしていることがよくわかるそうです。
 伊賀七は人力飛行機や自動製粉・精米機、からくり人形など数多くの発明をして村人たちを驚かせました。当時は「からくり伊賀」「からくり伊賀七」と呼ばれ、最近では「つくばのダ・ヴィンチ」という呼び名も生まれているそうです。

 


 土曜日なので、もしかしたら開いているかも……と期待して行きましたが、残念ながら扉は閉ざされていました。その代わり、ここで五分ほどの見学時間が必要と想定していたところ、ほとんどゼロ分で終わってしまったので、シミュレーションとの誤差は解消して、わずかながらもお釣りができました。

 

 五角堂から五分で谷田部陣屋跡に着きました。いまは谷田部小学校です。中世には岡見氏の谷田部城があったところです。
 谷田部藩(一万六千石余)の藩祖は細川幽斎の次男・興元(1566年-1619年)で、元和五年(1619年)から明治までつづきました。小学校周辺に遺されている陣屋の遺構は御殿の玄関だけ。それも周辺を経巡って歩かないと見つけられない、というような記述に触れたので、シミュレーションのこともあり、今回の目的は城跡巡りではないということもあって先を急ぎ、この日の目的地・醫王寺薬師堂を目指します。

 


 いかにも陣屋があった町らしい名の搦手(からめて)橋で谷田川を渡ります。川は前に渡ってきた西谷田川と牛久沼で合流することになります。〈つづく〉


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