桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2023年九月の薬師詣で(2)・さいたま市西区~桜区

2023年09月12日 21時22分53秒 | 薬師詣で

 今月八日、薬師如来の縁日は台風13号襲来で終日雨。出かけるのは今日十二日の縁日に日延べ。
 今月と来月の薬師詣では二回に分けて、さいたま市の西区から桜区を歩きます。

 


 京浜東北線を大宮で下車。西口から西武バスに乗ります。



 乗車二十四分。加茂川団地入口というバス停で降りて、歩くこと十三分。今日最初の目的地・東光院に着きました。



 山門を入った左手には、祠内に永禄十三年(1570年)の銘を刻んだ二基の五輪塔がありました。



 東光院本堂。「新編武蔵風土記稿」には「本尊は薬師恵心の作といふ」と記されています。



 我が曹洞宗の寺院なので、本堂に参拝したあとは歴住の墓所に焼香、参拝。



 傍らにあった歴代和尚供養碑を見ると、第一世は室町時代の僧・月江正文大和尚(?-1462年)と彫られています。埼玉県越生にある静穏寺の二世で、十一年前七月の薬師詣での折に参拝した普門院の開山でもあります。
 創建年代等は不詳とされているこの東光院ですが、開山が月江正文大和尚ということであれば、創建は十五世紀なかごろということになります。
 大和尚の人となりなど何も知りませんが、懐かしい人に出会ったような気持ちになりました。

 参道に掲げられた説明板には、「山門前から荒川まで続く風に波打つ緑一面の水田が見渡せます」と記されています。現在はさすがにそんなことはありませんが、それでも広い田んぼが広がっていました。
 この日の天候は晴れたり曇ったり。日陰がないので、太陽が出ると、暑い! 暑い!



 事前のシミュレーションでは二十二分のはずでしたが、東光院から三十分以上歩いて東福寺に着きました。
 なぜ時間がオーバーしたかというと、スマートフォンのグーグルマップでは真ん前に着いているはずなのに、寺院らしき伽藍が見当たらない。アテもなくグルグル彷徨った挙げ句、交番が見えたので訊ねることに。
 寺とはいっても、いまでは付近の自治会館の敷地に御堂がポツンとあるだけ。しかも入口は別の方角。交番からは二、三分という距離なのに、ここに寺があるとは警察官も地図を見るまで知らなかったようです。



 真言宗智山派の寺院。「新編武蔵風土記稿」には「瑠璃山と號す、新義眞言宗、植田谷本村林光寺末、本尊薬師を安ず」と記されているだけで、創建年代等は不詳です。



 東福寺があったのはこの自治会館の傍らでした。

 東福寺参拝を終え、最後に目指
したのは「薬師堂のマキ」として、薬師堂ではなく樹木の「槇(マキ)」のほうが有名な塚本薬師堂です。
 この日のさいたま市の最高気温は33・4度。ひところの猛暑のときに比べれば、暑さは穏やかになっているのかもしれませんが、雲が切れると、強い陽射しが照りつけます。一度涼しい気候を経験してしまっているので、身体のほうは暑さにはからきし弱くなっています。
 荒川の土手に上がれば多少は涼しいかと思いましたが、無風状態でした。ちょうど一年前、脊柱菅狭窄症を発症したあと、腰痛に見舞われるようになっていたので、それまでなんとか歩いてきたものの、腰の具合は最悪に近い状態になってきました。
 そして……。堤防を上り下りした挙げ句、ここでもグーグルマップでは薬師堂の真横近くにきているはずなのに、入って行けそうな径がない! 一刹那でも腰を下ろして休まなければ、とても歩くことはできない、という状態まで追い込まれていたので、農業用のポンプ小屋らしき建物の陰で休憩。ゼエゼエと息をつきながら、今日の日はここで諦めることにしました。



 堤防を下り切ったところ、行くときには気づかなかった、こんな標識があるのに気づきました。



 帰りは浦和北高校バス停に出て、国際興業バスに乗ります。車内の空調の涼しさに、まさに生き返ったような心地を味わいました。



 バスは浦和駅西口行。京浜東北線に乗って帰途に就きました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2023年九月の薬師詣で(1) | トップ | 2023年十月の薬師詣で・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

薬師詣で」カテゴリの最新記事