桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2011年九月の薬師詣で・江戸川区(1)

2011年09月08日 22時32分51秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣では江戸川区一之江にある真言宗豊山派の妙音寺へ行ってきました。
 最寄り駅は都営地下鉄の一之江です。我が庵からだと「ひ」の字を上から押し潰したようなルートを辿って行くしかなく、さほど遠くもないのに、新松戸、西船橋、本八幡と三度も乗り換えをしなければなりません。



 乗り換えの煩雑さを嫌ったわけではありませんが、私が降り立ったのは東京メトロの浦安駅でした。
 浦安から一之江はかなり離れていますが、江戸川を渡って東京都に入ると、なぜか数多くのお寺があり、その中に他生の縁ができた梵音寺という曹洞宗のお寺が含まれているので、やや長い距離を歩くことになりますが、今回の予定に組み入れることにしたのです。

 浦安橋で旧江戸川を渡ります。橋上から上流方向を望みました。



 浦安橋を渡り終えると東京都です。私にとっては懐かしい東京都の紋章(亀の子マーク)。

 最初に行き当たった寺は日蓮宗善徳寺。
 寛永十七年(1640年)に没した日延という人が開山となった、と知れるだけで、創建の年はわかりません。

 善徳寺から徒歩六分。真言宗豊山派自性院。
 ここも文亀元年(1501年)に亡くなった良範という僧侶を開山とする、と知れるだけで、創建された年の不明なことは前に同じ。

 自性院から徒歩わずか三分。曹洞宗梵音寺。
 創建は承和十四年(847年)で、慈覚大師・円仁が建立したと伝えられる古刹です。
 縁起によると、慈覚大師が唐から帰朝の際、大時化(おおしけ)に遭って、船が難破しそうになったのですが、観音菩薩の光明が輝いて風は止み、無事この地に上陸することができたのだといいます。
 そこで、観音の尊像を刻み、堂宇を建てて祀ったのがこのお寺の始まりといわれています。

 慈覚大師が創建 ― ということは、天台宗であるはずなのに、現在は曹洞宗、ということは、途中で何かの事情があり、宗派替えが行なわれているからです。
 その事情が何かはいまのところはわかりませんが、江戸時代の初めごろ、榮室壽盛という曹洞宗の大和尚が改めて開山となって、寺を中興したのです。
 榮室壽盛大和尚は廣徳寺の第八世で、寛永三年(1626年)入寂、と廣徳寺の歴住碑に刻まれています。

 廣徳寺というお寺は、我ながら何を思ったものか、私が作務(落ち葉の掃除)を始めたお寺です。
 ところが、始めてすぐ体調を崩して休み、体調が元に戻ってきたと思ったら、今度はしゃがんだり立ち上がったりするのに難渋する膝の故障が出て、再開すること能わずというていたらくですが、作務など始めようと志したお寺は全国に八万か寺あるといわれる寺院の中で、この廣徳寺だけなのです。
 そこの第八世住持がこの梵音寺の開山で、いま、私がそのお寺にきている、というのは他生の縁以上に深い縁なのではないか、と思ってしまいました。

 さらに、さらに……。
 今年の一月八日から始めた毎月八日の薬師詣で……。
 参詣しようと決めたのはいいけれども、第一回はどこにしたらいいのかと迷った挙げ句、時間も遅くなってしまったので、歩いて行ける(結構遠いのだけれど)柏市酒井根の薬師堂にしたのでした。

 この薬師堂は梵音寺の中興より遙かに古く、正長元年(1428年)に建立されているのですが、長らく荒れ果てていたようです。安政二年(1855年)になって、河瀬鳳瑞という人が堂守になり、この人によって境内の整備が進められて、四国八十八か所を模した石像が建立されました。実際に八十八か所を巡ってそれぞれの土を集めて帰り、石像の下に埋めたと伝えられています。この河瀬鳳瑞がいたのが梵音寺という次第です。



 歴住の墓所に参拝します。

 梵音寺から二分で真言宗豊山派東善寺。
 仁平二年(1152年)の創建。本尊は薬師如来で、別名・長島薬師と呼ばれています。
 妙音寺の薬師如来を訪ねて歩いてきた私ですが、ここにも薬師如来がおわすとは知りませんでした。はからずも一日で二体の薬師如来にお参りできることになりました。

 長島というのは昔の地名です。いまは東葛西という町名になって、消滅してしまいましたが、昔々は長島といい、城(といっても、多分館だったのでしょう)があったという言い伝えが残されています。

 本尊の木造薬師如来坐像は、眼病に御利益のある「薬師様」として有名なのだそうです。この薬師如来坐像は仏師春日が養老三年(719年)、河内国(大阪)春日野で制作したもので、寺が開かれたときに安置されたと伝えられています。

 香取神社。
 東善寺を出ると、すぐ先の角を曲がるだけなので、所要時間はわずか一分。

 旧名茂呂神社といい、旧長島村の鎮守でした。別当の自性院が文久年間(1861年-64年)に火災に遭い、古記録を消失したので詳細は不明ですが、四百年以前の古社といわれています。祭神は経津主命で下総の香取神宮から分神されたものです。

 香取神社境内の「乾海苔創業記念碑」。大正元年の建立。

 東善寺と香取神社の間にあった海苔店。すでに営業していないようです。



 浄土宗清光寺。香取神社から三分。

 文亀二年(1502年)の創建。



 新義真言宗正圓寺。
 清光寺の門前からすでに見えていたので、ものの一分とかかりませんでした。

 文明年間(1469年-86年)以前の草創と伝えられる古刹です。この日二番目に訪れた自性院を建立した良範法印が中興し、当寺第一世となっています。本尊は延命地蔵菩薩です。

 


 正圓寺の百日紅(サルスベリ)。
 すでに花は散ってしまっていましたが、ほんの数輪だけ白い花が残っていました。この樹は平成五年に檀家から寄贈されたとあるだけで、樹齢はわかりませんが、幹周りは悠に2メートルはあります。



 浄土宗智光院。正圓寺から二分。天正元年(1573年)、見譽光雲によって建立された浄土宗の古刹です。本尊の阿弥陀如来像は行基の作と伝えられています。



 下今井香取神社。
智光院から二分。創建年代は不詳。旧長島村と旧桑川村との村境に位置していることから、境の宮とも称されるそうです。



 浄土宗称専寺。下今井香取神社から一分。

 永禄五年(1562年)の創建。旧桑川村の古刹で、開山は誠蓮社法誉上人清教大和尚(元亀三年寂)です。本尊は阿弥陀三尊像。

 新川を渡る新川口橋からの眺め。称専寺から八分。
 新川は中川と旧江戸川を結ぶ人工河川です。主に行徳の塩を江戸に運ぶために開削されました。川は橋の下で暗渠になっています。黄色い船宿の看板が立っているのではっきりしませんが、その向こうに見えるのは新川東水門です。
 このあと、環七通りを目指して新川に沿ってに歩きます。〈つづく〉

浦安駅から新川までの行程です。


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