桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2022年五月の阿弥陀如来縁日

2022年05月15日 22時51分12秒 | 寺社散策

 今日十五日は阿弥陀如来の縁日です。阿弥陀様は私の干支の守り本尊なので、毎月十五日は阿弥陀様を本尊としてお祀りしている東漸寺参拝を欠かさずつづけてきました。しかし、去年十一月十五日を最後に東漸寺参拝は中断せざるを得なくなっていました。
 十一月十五日というのは、私が火事のもらい火に遭った三日後です。火事で追い出され、新居を定めるまで、仮の宿としていた旅館がたまたま東漸寺の近くだったので、これから決めようという新居の場所によっては再びお参りすることがあるかどうかわからない状態だったわけですが、そのようなことは考えもせず、ただただ無心の状態-いまになって思うと、無心だったのではなく、空疎な心で出かけました。
 その後、新松戸に移ることになったので、東漸寺は歩いて行けるところではなくなってしまいました。近くには阿弥陀様をお祀りしているお寺がありません。

 昨日のことです。明日は十五日か、とふと思い、阿弥陀様の縁日かと思い、そういえば何か月もご無沙汰したままだなと思いました。
 火事から半年が経ち、新しく居を定めてからも半年近くが経とうとしています。身の周りも落ち著いてきたので、そろそろ阿弥陀様参りを再開しなければならないと思いました。されど、東漸寺は遠い。そして改めて考えるまでもなく、近くには阿弥陀様をお祀りしているお寺がない。

 何か閃くものがあったわけではありませんが、グーグルマップを視たり、寺院関係のWebページを視たりしていました。
 馬橋にある萬満寺は新しい我が庵から一番近いお寺の一つです。臨済宗大徳寺派のお寺で、中風除け不動や仁王の股くぐりなどで有名です。私も一年最後の終い不動の日に参拝に行ったことがあります。そして何メートルも離れたところからだったので、しっかり見たとは言い切れませんが、不動明王を見る機会に恵まれました。本尊は不動明王なのであろうと思い込んでいました。ところが、阿弥陀様だったのです。

 今日十五日 ― 。
 阿弥陀様にお参りしようと腰を上げましたが、冬が舞い戻ってきたか、と感じるような寒さでした。
 直前に暑い日がやってきて、あわてて購入した半袖ポロシャツの上に、多少の雨なら雨具代わりになるウインドブレーカー兼パーカを着ました。この服装では肌寒いかなと思いましたが、歩き出せばちょうどよくなるだろうと思いました。暑い日がやってきていたので、火事のあと、すべて新調した冬服は箪笥に眠らせてしまったところでした。火事に遭う前なら、こういう気候に合うような、なにがしかの服はあったのですが……。
 スマートフォンを取り出して、温度計を開いてみると、17・6度でした。17度台ってこんなに寒かったっけ? と思うような肌寒さの中を歩き始めました。



 近くの公園ではユリノキの花がほころび始めていましたが、例年であれば、とっくに花開いている時期です。毎年毎年思うことなのかもしれませんが、今年の春はとりわけ天候不順。

 新坂川沿いに出て、桜通りを歩いて行きます。とうに桜も終わってしまったいまはハルジオンとかヒメジョオンという野の花しかありません。



 この日行き合った流鉄の電車は下りの流星号。



 そういえばそろそろアジサイ(紫陽花)の季節です。

 

 出発して二十分、三村跨線人道橋で常磐線を越えて行きます。階段は幅が3メートルほどもあるので、高所恐怖症持ちの私でも、上っても大丈夫かな、という気にさせ、実際に上ることができます。



 しかし、こんな眺めを見てみようとするのは禁物。スーッと薄荷を口に含んだときのような感覚が襲ってきて、下に吸い込まれそうになります。
 この画像の奥が柏方面。橋の真ん中で、大体このへんだろうというあたりにカメラを構え、柵まで何歩ぐらい歩くかを頭に入れてから、目を閉じたまま歩いて、シャッターを切ったものです。結果、変なアングルで写ってしまったら、使わなければいいのだから、と思いながら……。



 三十二分かけて萬満寺に着きました。
 事前にグーグルマップで確認したときは所要二十五分でした。
 途中で何度か立ち止まって写真を撮ったりしていますが、それぞれほんの数十秒ずつ。毎月の薬師詣でのときは事前にグーグルマップで所要時間をシミュレーションをしておくのが常ですが、年々歳々シミュレーションと実際との時間差が開くようになってきています。

 

 中門に当たる仁王門です。曇り空で暗く、ガラスに境内の景色が反射するばかりで、仁王様が見えません。



 提げられた大提灯には確かに阿彌陀佛と書かれています。



 お賽銭をあげたてあと、本堂前から眺め下ろした境内。

 萬満寺の本尊が阿弥陀如来だったと知ったのは、私にとっては瓢箪から駒のようなことでしたが、もう一つ同じようなことがありました。萬満寺が建立される前、この地には大日寺という別のお寺があったそうなのです。
 その大日寺はいまでは千葉市に移転していますが、薬師如来を祀る寺院なので、来月の薬師詣でで訪ねようと考えていたところでした。訪ねようと思ったときはいささかなりとも萬満寺と縁のある寺だとは知らなかったのです。



 今日は薬師如来の縁日ではありませんが、お薬師さんを祀る中根寺が近いので、お参りして帰ろうと思います。
 萬満寺前を走るのは旧水戸街道です。奥に見えるのが萬満寺の楼門。



 萬満寺前から二分、馬橋駅からだと三分ちょっとのところ。細い路地に入ります。突き当りに御堂の屋根が見えています。



 中根寺参拝は今日が三度目に過ぎないので、入口にこんな石柱があったのに初めて気づきました。
 右の石柱に刻まれているのは「新四國五十六番 豫州泰山寺模」。「新四國」とは、流山にある東福寺を第一番とする新四国相馬霊場のことです。
 左の石柱は上部が折れてしまっていますが、かつてそれが折れたまま転がっている画像を見たことがあります。そこには「南無阿彌」と彫ってありました。いまも残っている下半分には「陀佛」の二文字。
 いまの中根寺は無住で、薬師堂があるだけですが、かつては阿弥陀様をお祀りしていたのでしょう。



 鉄扉が閉ざされていました。納められている薬師如来像は弘法大師が一本の木から三体の像を彫ったものの一つとされています。



 帰りは馬橋駅からひと駅だけ電車に乗ります。

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