桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2014年十月の薬師詣で・さいたま市見沼区

2014年10月08日 23時01分52秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣ではさいたま市を歩きます。



 今回の目的地は、歩いて行くと、ちょいと骨のある距離なので、バスを利用しなければなりません。

 大宮駅の東口に出たら、乗るのは何番乗り場、下車するのはどこ……と、事前に調べてきていたのですが、絵に描いた餅でした。

 実際に駅に降りてコンコースを抜けると、右に降りる階段を選ぶか、左か……という選択を間違えただけで、地面に降り立つところはまったく違ってしまう……ということになります。
 田舎の駅ならいざ知らず、大宮といえば名にし負う大ターミナル駅の一つ。ウロチョロしているうちに、どこ行きのバスに乗ればよかったのか、スポッリと頭から抜けてしまいました。大宮駅東口には国際興業バス、東武バス、西武バスが乗り入れていて、乗り場の数も十一か所。一つ一つ見て廻ったからといって思い出す確証はないので、廻る気にはなりません。

 東口から延びる道をまっすぐ……ということだけはわかっていたので、ええ~ィままよォ、と歩くことにしました。



 ひたすら歩くこと二十五分。芝川を渡ります。



 芝川からさらに十一分。ようやく最初の目的地・正法院に着きました。真言宗智山派の寺院。創建年代は不明。本尊は阿弥陀如来です。



 円空作の薬師如来と十二神将が祀られていることを示す説明板。



 何か記されているのですが、風雪に晒されてまったく読めません。

 とりあえずカメラに収めておいて、帰ってから画像処理を施し、超々拡大してみれば……読めるかもしれぬと思ってカメラに収めたのですが、結局読めません。

 
次なる目的地・常泉寺へは、最寄りの南中野という停留所から染谷新道までバスに乗ることにしました。乗車時間はおよそ十分。歩いていたら、四十分近くかかったでしょう。バス通りに出たら、運良くバスがやってきました。



 染谷新道バス停から四分で常泉寺に着きました。開山は雪菴壽欽大和尚(大永三年:1523年示寂)。




 我が宗派のお寺にて、歴住の墓所に恒例の焼香と参拝。



 次の光徳寺へは見沼田圃を抜けて行きます。



 体験水田の子どもたちがつくったのであろうと思われる案山子(かかし)。




 山下橋で加田屋川を渡ります。川の名はこのあたり一帯を開発した江戸の町人・加田屋助右ェ門に因んでつけられました。かつては鰻の棲む清流だったそうですが、いまでは排水路と化しています。



 冬枯れで何もありませんが、桜並木です。



 彼岸花。花期は終わっています。



 季節外れの一輪が咲き残っていました。



 見沼代用水東縁を渡ります。渡り終えると、すぐ日光御成道です。



 光徳寺は曹洞宗の寺院です。本堂には薬師如来が安置されています。
寺の開創は文禄四年(1595年)。
 日光御成道は徳川将軍が日光東照宮参拝のときの専用道として使われた街道で、この光徳寺はその休憩所の一つでした。休憩時に使われた将軍愛用の品があったそうですが、残念ながら失われ、いまでは見ることができません。



 ここでも歴住の墓所に参拝します。



 膝子橋で再度見沼代用水東縁を渡ります。画像左が日光御成道。

 


 大谷(おおや)ホタルの里。もう少し早い時期(六月)であれば、ゲンジボタルが見られ、七月ならヘイケボタルが見られたようです。



 光徳寺から十八分歩いて、西福寺に着きました。



 西福寺も曹洞宗の寺院です。開山は先に参拝してきた常泉寺の四世・禅怒宗明大和尚で、開創年代は不明ですが、開山大和尚の没年が天文十二年(1543年)であることから、六百年近い歴史を誇っていることがわかります。
 ここも本尊は薬師如来。



 歴代住持の墓所に参拝。

 帰りはくるときに下車した染谷新道バス停から。西福寺からは徒歩で二十数分を要しました。

 地元に戻ってきて慶林寺に参拝。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする