ハローワークには最低月に(正しくは四週間)二回行って就職活動に意欲あるところを見せなければいけないので、今日、ノルマを果たしに行ってきました。
事前にインターネットで検索しましたが、例によって私が希望する職種では求人なし。
私が着いたときには二十四人が相談待ちという状況だったので、二時間は待たなければいけないと覚悟して、いったん外に出ました。
すぐ近くを流れる坂川では今日から明日にかけて松戸宿坂川献灯まつりが開かれていました。
献灯というからには、暗くなってからが本番です。仮設舞台では何かの演目のリハーサル中でした。
普段は参拝する人もあまり見かけない松戸神社ですが、今日に限って、数は少ないながらも参拝客が絶えませんでした。
松戸神社からほんの少し坂川沿いを下ったところにある松龍寺では献灯まつりに合わせて、松戸四万六千日の「とうもろこし市」が立っていました。
四万六千日といえば、なんといっても、かつて私が棲んでいた浅草・浅草寺のほおずき市が有名です。
ほおずきと同じように、とうもろこしも赤く(昔のとうもろこしは赤かったのだそうです)種が多いことから、子宝に恵まれるようにと願う風習ですが、いまの時代、子宝に恵まれることがよいのかどうか……。
松龍寺門前に並ぶ屋台です。
とうもろこし市と謳っているのに、焼き鳥屋ばかりが目立って、とうもろこしを売っていた屋台はこの一軒だけでした。
松龍寺境内。暗くなるとこの燭台に灯が入れられます。
昔々光源氏というグループがローラースケートで、こんなような照明の間を縫って、踊り、歌っていたのを思い出しました。
まだそぞろ歩く人はチラホラです。
土手の柵にも燭台がズラリ。
川べりにも燭台。
まだ明るいのに、早くも酔っ払いが出たのか、と思いきや、川を清掃している人でありました。
我がカメラで撮影可能かどうかは別として、本来なら燭台に灯が入る刻限まで待って撮影すべきだったのですが、今日は暗くなるまで待てない事情がありました。夕方、火災保険の契約で我が家を訪れる人があったのです。
ハローワークでは職業相談のついでに転居の届け出を済ませました。
そのときの雑談が弾んで、「北小金には本屋がない」という話をしたら、担当者が「どうせなら一駅先の南柏まで引っ越されればよかったですね」という。なんとなれば、南柏在住の人で、駅南口には結構大きな書店がある、ということでした。
暗くならないうちに帰らなければならないが、南柏まで書店を探索に行く程度の時間はありました。
南柏は北小金の隣、新松戸からは二駅と近いのに、書店があったとは知らなかったので、南柏で降りるのは初めてです。
献灯まつりの本番を見ずして行った甲斐はありました。北小金はもちろん新松戸にもないほどのスペースを持った書店がありました。
没後二十年を記念して、フランス装の新装版が刊行された「隆慶一郎全集」が揃っていて、第八巻を買うことができました。
この巻には昭和六十一年後半、「問題小説」という雑誌に連載された「風の呪殺陣」が収録されています。比叡山を焼き討ちした仏敵信長を呪い殺そうとする叡山の僧(厳密にいうと、人を殺そうと思った時点で僧としての資質を喪っているので、僧とはいえない)を描いた小説です。
信長の命令であったとはいえ、明智光秀公は叡山に実際に火をかけた張本人です。呪いをかけられ、亡者に怯える形で登場します。
南柏は大きな書店があるという以外にも、北小金より新松戸よりはるかに都会でした。百円ショップのダイソーが二店舗もある、というのも愉しい。
買い物はしなくても覗いてみるたびに、こんなものも百円でできるようになったのだ、と感心するものがふえて行くのを見つけるのは愉しいものです。
大阪王将もありました。私はここの餃子が大好きなのに、近場では本八幡の店しか知りませんでした。市川市民であったころはたまに味わうこともできましたが、松戸の住民となってからは行けなくなりました。
ただ今日は待ち人があったので、せっかく見つけたのに、味を愉しんでいる時間がありませんでした。
確かに南柏で降りたのは初めてでしたが、北口に廻り、魚一商店(黄色の看板)というこの店を見て、初めてきた駅ではないと気がつきました。
去年の十月、豊四季の諏訪神社という源義家公ゆかりの神社を訪ねたあと、前ヶ崎城址まで歩こうと思っていながら道に迷い、ヘトヘトになって辿り着いたのがこの駅だったのです。
実際は歩き疲れたのが原因でヘトヘトになったのではありませんでした。それから一か月後、私は胃潰瘍が原因の多量の出血をみて、入院を余儀なくされたのでした。