時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

江戸時代へのタイムスリップ

2009年11月05日 | その他
「JIN-仁」というテレビドラマが放映されている。
原作はコミックだそうだが、なかなか面白い。
江戸時代へのタイムスリップという手法は、使い古された手法であり、下手をすると、著作権侵害で訴えられても文句が言えないような、ありふれた設定であるが、物語の展開は軽妙である。
しかし、現代人がもし江戸時代に迷い込んだら、果たして普通に生きていけるだろうか?
さまざまな科学技術や社会思想の知識を有していても、当時の技術水準の下では、ほとんど役立つものはないだろう。そもそも、理論はわかっていても、実際に、何一つ製造することはできないだろう。現代社会では、それほど社会的な分業が進んでいる。
石川英輔氏の小説に、江戸時代に「転時」するという一連の作品があるが、医薬品一つ作ろうと思っても、ほとんど不可能に近い。氏の小説では、脚気の治療のために、米ぬかからビタミンB1(含有液)を抽出するが、なるほどこの程度のことしかできないのではなかろうか。
「JIN」では、時代設定が幕末であるため、点滴に用いるゴム管なども手に入るようだが、テレビにあったような伸縮に優れた白いゴム管は、当時は手に入らなかったのではなかろうか。衛生的に見ても、ゴム管を点滴に使うと、雑菌を血管内に送り込むような代物だったのではなかろうか。
いずれにせよ、現代の我々が江戸時代に迷い込んでも、ほとんど役に立たないし、生きてゆくことさえ、できないと思われる。
自然科学の知識は役立てられないかもしれないが、社会科学の知識なら大丈夫と思うかもしれないが、これもまったくダメであろう。
社会思想的に見れば、封建の江戸時代とは異なり、現代人はかなり先進的で、民主的な考えを持っているかもしれないが、江戸時代では、「異端視」されるだけであろう。
そもそも、人間の平等などを訴えて、誰が理解してくれるだろう?江戸には将軍様がおり、各地方には領主様がおり、士農工商の身分制度があることが常識の社会だったから、そこで平等を主張しても、変人扱いされ、危険思想の持ち主として、牢屋に送りこまれるのがオチである。
しかし、そのように考えてくると、歴史における人間の認識というのは、なかなか面白い。
現代では当たり前になっている民主主義や平等などの考えは、江戸時代では到底受け入れられないだろう。一部の人間を除けば、ほとんどの人間は理解できないに違いない。
このことは、何を意味するだろうか?
現代に生きる我々は、今の資本主義社会こそ、歴史上でもっともすばらしく、未来永劫に続く社会体制(正確には、経済体制であるが)であると思って生きており、資本家が富の多くを抱え込み、格差があるのも当然であり、努力が足りないから貧乏でもしかたがないなどという考えが当たり前に受け入れられている。このような体制をおかしいと感じ、その社会の変革をめざす人間は、現代ではまだ少数派である。
「JIN」を通じて、そんなことを考えてみた。

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