時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

便利すぎる暮らし

2009年02月09日 | 社会問題
読者の皆さんの中で、40歳以上の方たちなら、若い時と比べて生活がずいぶん変わったと感じていることだろう。
蛇口をひねれば、お湯がふんだんに使えるし、昔のように暑さや寒さなどもそれほど苦に感じることもない。年中、快適な暮らしが約束されている。
自動車やクーラーは当たり前だし、コンビニに行けば、たいていの物が売っていて、キャッシュコーナーで現金の出し入れから振り込みまでできる。自宅のパソコンからでも、商品を購入し、自宅で受け取れるようになった。銀行への振込みまで可能である。映画やスポーツのチケットの予約も簡単である。携帯電話からも、同様のことができるようになっている。
テレビのチャンネルも多くなって、どこかでお気に入りの番組をやっている。
しかし、こういう便利な社会で暮らしていて、何もそこまでする必要はないのではないか、と感じることが多くなった。
別になくても困らないがあれば使う、あるので一応使っているような物が多い。
また、便利だということは分かっているが、そんな物まで必要ないと思って、見向きもしない物も多い。
編集長は、実は携帯電話を持っていない。家族はみんな持っているが、娘以外はほとんど使っていないようだ。
また、BS放送などの衛星放送にも何の興味もなく、家族も別に見たいと言わないので、契約もしていない。マンションのベランダのそこかしこに、受信用アンテナが取り付けられていて、見苦しいと感じることはあっても、うらやましいと思ったことは一度もない。
パソコンも、インターネットができて、メールの送受信ができればそれで十分ではなかろうか。別に、持ち運びをしてまで、電車の中や出張先などでパソコンをいじりたいとは思わない。新しいもの、便利なものに次々と手を出しても、結局は収拾がつかなくなり、自分が本当にやりたいことができなくなるだけではなかろうか?
極端に言えば、ゴミが増えるだけである。
生産性が飛躍的に高まったにもかかわらず、多くの国民は、相変わらず時間に追われて暮らしており、一見して生活は便利になり、豊かになったが、自分の夢や目標に向かって努力をしたり、趣味を楽しんだりするゆとりはそれ程には増えていない。
幸か不幸か、今は100年に1度と言われるような不況の只中にあるわけだが、せっかくの機会だから、自らの夢や目標をもう一度確認して、生活や生き方の全般を見直し、不必要なものを切り捨ててゆくことが重要ではなかろうか。
同時に、この不況下で、かつては高価で手が届かなかったものにも手が届くようになっている。多くの国民が消費を控えている時ではあるが、夢の実現のためには、思い切って消費する(投資する)ことも必要だろう。
便利すぎる暮らしを見直す最大の好機ではなかろうか。