時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

夢を持って生きていますか?

2006年11月27日 | その他
おもしろい調査結果に目が止まった。
アクサ生命(本社・パリ)が世界15ヵ国を対象に退職後の生活について行った意識調査結果が報道されていた。その内容は大変興味深い。
リタイアについて「自分の時間が持てる」「人生を楽しめる」など肯定的な答えは、日本人は半数以下で、15ヵ国中14位。逆に「孤独」や「貧困」など否定的な答えが高く3位だったそうだ。
「何歳でリタイアしたいですか」との質問に、日本人は就労者が61歳、退職者が65歳と答え、15ヵ国中で日本人だけが60歳を超えた。対照的に、他の14ヵ国ではいずれも50歳代での早期退職を希望していたそうだ。
欧米では働いて老後の蓄えができたら早めに退職し、その後は自分の好きな趣味やボランティア活動をして過ごすのが理想だという。「ハッピーリタイア」と呼ぶ。
一概には言えないが、欧米では仕事は賃金を得るため、家族を養うための「苦役」と考える人が多いという。しかし日本人は違う。仕事は生きがいであり、自己実現の場と考えられてきた。リタイアについての調査結果に大きな差が出る理由だろう。
お国柄であり、一概にどちらがいいとは言えないが、誰もがいずれリタイアの時期を迎える。調査では、リタイア後の人生について、欧米では30代から準備を始めるのに対して、日本人は定年が間近に迫った50代からだった。これでは、リタイア後の人生について、いい夢はなかなか描きにくいのではなかろうか。
編集長も、家族にも、誰にも話していない夢を持って毎日を生きている。その夢を実現するためには、それなりの資金計画も必要なため、もうしばらくは会社勤めという「苦役」を果たさなければならないが、できれば50代の半ばでリタイアし、残る人生を楽しむとともに、少しでも人のために役立つ人生を送りたいと思っている。
私が尊敬する人物の一人である伊能忠敬は50歳で息子に家督を譲り、江戸に出て本格的に天文や測量の勉強を始め、55歳から全国を測量して、日本地図を完成させた。編集長もそういう人生に憧れ、準備を進めている一人である。
読者諸兄はどのような夢や人生を描いているのだろう。
もし読者諸兄の毎日が「生きていくだけで精一杯」というのが現実だとしたら、これほど不幸なことはない。世界第2位の経済大国に住む国民が、単なる働き蜂、会社人間で人生を終えるのではなく、リタイア後の夢を実現できる社会であってほしいと思っている。

釈然としない夕張市の財政再建案

2006年11月27日 | 国家破綻
ちょっと古い話題になるが、財政破綻した夕張市がまとめた財政再建計画案が明らかになった。360億円を約20年で返済するという。
職員数は270名から半減する予定で、職員の月給は平均3割削減され、ボーナスも半分になる。退職時期が遅くなるほど退職金額が減っていく逆スライド案も導入された。
病院の行き帰りのバスは70歳以上の高齢者では一律片道200円で乗れるが、補助の廃止で最高4倍以上に跳ね上がる。市民税、固定資産税、軽自動車税も軒並み増税。入湯税150円が新設され、ごみも有料化、保育料も上がる。歳入を増やすために市の施設使用料を50%アップし、ゴミ収集も有料化する。さらに7つある小学校と4つある中学校を、10年3月までに各1校ずつにし、市民税や下水道使用料も引き上げるという。
地区ごとに開かれている住民説明会では、「住民追い出し計画だ」「この通りにやったら私たちは死んでしまう」という怒号や悲鳴が渦巻いたという。
この財政再建計画案について、夕張市を指導する立場の総務省は、「もっと削れるところがあるだろう」と「全国最低水準」を求め、なおも住民サービスの切り捨てを要求する構えだという。
財政破綻したからといって、住民にその負担を押し付けるというのなら、(失礼な言葉だが)「バカ」にでもできることではなかろうか。少なくとも行政音痴の編集長にも簡単にできることである。
夕張に思い入れもなく、財政的に余裕のある家庭は、夕張を捨てて、近隣の市町村に引っ越せばこの悲惨なサービス切捨てから逃れることができる。
結局、財政破綻のツケは最終的には、力のない住民に回ってくる。
映画祭復活を手がかりに、再生を目指す動きもあるというが、なぜもっと早くアイデアを出して来なかったのだろうか。
財政破綻の原因として、テーマパークの建設など、いわゆる箱物に近い施設をいくつも建設したり、放漫財政を長年にわたって放置してきた責任は一体誰にあるのだろうか?
こういう土建行政からの提案を鵜呑みにして、議会で黙って賛成してきた議員は、いまどうしているのだろうか?
この責任を明らかにしてこそ、夕張市の財政再建が実現できるのではなかろうか。現在のままでは、もし財政再建に成功したとしても、将来また同じように放漫財政を繰り返すのではないだろうか。
さらに、いま、夕張市に偉そうな「指導」をしている国の財政も、万年赤字体質から脱却できずにいるわけであるが、この財政赤字の責任についても、できる限り早くその責任を明らかにし、財政のあり方、使い方についての確固たる方向を打ち出さない限り、国中が夕張市と同じ轍を踏むことになる。そのことを危惧するのは編集長だけではあるまい。