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●《「…後悔している」...爆弾やテロでは社会は変わらない。…若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい…》

2024年03月03日 00時00分08秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


(20240219[])
大谷昭宏さん《「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。…》。根岸恵子さん《出所した浴田由紀子さん…が裁判の最終陳述で語ったことは、心に沁みた。自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、平和的に仲間を増やすべきだったそうすれば社会は変わるだろうと。》
 日刊スポーツのコラム【大谷昭宏のフラッシュアップ/「桐島聡」最期に名乗り出た意味は…ラジオでじっくり語ってきた】(https://www.nikkansports.com/general/column/flashup/news/202402190000052.html)。《死の直前、捜査員に「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。そう捉えてもらえたら、彼が名乗り出た意味はあったのではないか。私は勝手にそう考えています。》

   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》
   『●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」を
     やらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある
   『●《浴田由紀子さん…自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、
      平和的に仲間を増やすべきだった。そうすれば社会は変わるだろう》
   『●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざ
     して拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》

 松下竜一さん《知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。
 もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。
 根岸恵子さん《“大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さん…「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれはもう誰も死なさない革命でもあるはずです」。未来は私たちの手に委ねられている》。

 〝殺人〟、人を殺めることは絶対に否定されなければならない…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある。
 『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』から、再々度、引用。
 「…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」。
 「…つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」。
 「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中のたちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」。

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https://www.nikkansports.com/general/column/flashup/news/202402120000102.html

コラム
大谷昭宏のフラッシュアップ
2024年2月12日8時0分
「桐島聡」とあの頃の日本 ラジオでじっくり語ってきた

大阪のABCラジオ、「おはようパーソナリティ小縣裕介です」から「あのころの事件を語れるのは、いまでは大谷さんくらい」と、なんだかよくわからない依頼をいただいてスタジオでじっくり語ってきた。

テーマは逃亡49年、死の直前に「桐島聡」と名乗り出た連続企業爆破重要指名手配犯。リスナーから事件について、さまざま疑問が寄せられていた。


-連続企業爆破犯は、なぜ学生運動と一線を画したのですか

1969年の東大安田講堂陥落を最後に大学を追われた学生は学外で連合赤軍を結成するなど武力闘争に走り、72年にはあさま山荘事件を起こします。一方で、群馬の山中で10人もの仲間をリンチして殺害したことも発覚。桐島容疑者らは理屈ばかりで頭でっかちな学生に見切りをつけるのです。


-そこでできたのが東アジア反日武装戦線だったのですね

戦後、みんなが貧しかった日本も、70年代の高度経済成長期に入ると貧富の差が激しくなります。加えて経済力をつけた日本は、中国、韓国などアジアの国々に進出します。これを彼らは戦前の日本帝国主義の再来と捉えたのです。


-そんな帝国主義と、学生以外のだれが闘うのですか

彼らはまさにその帝国主義によって踏みにじられている人、日雇い労働者、在日朝鮮人、アイヌ…そういう人こそ闘いの中核になるべきと考え、これを“窮民革命”と呼んだのです。


-厳しい生活を強いられている人に大企業相手の爆弾闘争をさせることが、どうしても結びつきませんが

そうでしょうね。70年代の日本を揺るがした事件、とても1回では語り尽くせません。ラジオの続きはまた来週。


◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。
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https://www.nikkansports.com/general/column/flashup/news/202402190000052.html

コラム
大谷昭宏のフラッシュアップ
2024年2月19日8時0分
「桐島聡」最期に名乗り出た意味は…ラジオでじっくり語ってきた

49年間逃亡の末、死の4日前、神奈川県で男が重要指名手配犯「桐島聡」と名乗り出た連続企業爆破事件。リスナーの疑問に答えながら話した大阪・ABCラジオの先週の続き。

東アジア反日武装戦線が学生運動を見限って、日雇い労働者や在日朝鮮人を中核に据えた“窮民革命”についてのリスナーの疑問。


-踏みにじられた窮民と財閥系企業の爆破がどうしても結びつかないのですが

その通り、実際結びつかなかったのです。やはり自分たちが見限った学生運動と同様、彼らも頭でっかちだったのです。明日のお米にも困っている人々に爆弾を作っている余裕なんかあるはずがないのです。結果、自分たちで手を下し、組織は壊滅してしまいました。


-爆弾テロで社会が変わるはずがないですよね

当然です。爆破で犠牲になったのは家族を大切に懸命に働く市民たちです。そんな人の命を奪っておいて共感を得られるはずがありません


-それにしても49年間、よくも逃げ続けましたね

彼らが教本にしていた「腹腹時計」には「単独で逃げ、深入りせずに人とつき合い、隣人には挨拶(あいさつ)を欠かさず」と書かれていて、その通り実行していました。


-最期に名乗り出た意味はあったのでしょうか

死の直前、捜査員に「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。そう捉えてもらえたら、彼が名乗り出た意味はあったのではないか。私は勝手にそう考えています。


◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。
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●琉球遺骨返還請求訴訟《沖縄アイデンティティーのよりどころである遺骨を本来あるべき場所に-という原告の訴えが…入り口論》で棄却

2022年05月09日 00時00分55秒 | Weblog

サケ漁をするアイヌ民族の畠山敏さん… (東京新聞2019年9月2日)↑】


(2022年04月25日[月])
沖縄タイムスの【社説[琉球人遺骨返還認めず]世界の潮流に逆行する】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/947367)。
琉球新報の【<社説>琉球遺骨返還訴訟棄却 京都大は誠実に対応せよ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1506159.html)。

 《昭和初期の1920~30年代に旧京都帝国大(現・京都大)の人類学者が今帰仁村の墓から持ち出した26体の遺骨の返還を、子孫に当たる沖縄県民らが求めていた訴訟で、京都地裁は原告に返還請求権はないとして、請求を棄却した。…沖縄アイデンティティーのよりどころである遺骨を本来あるべき場所に-という原告の訴えが、本質的な議論の前に、入り口論で退けられた形だ》。
 《昭和初期に今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓などから持ち出された遺骨を保管している京都大に、子孫に当たる住民らが遺骨返還を求めた訴訟で、京都地裁が原告の訴えを棄却した。判決は、植民地政策の下で住民の同意がないまま行われた遺骨収集の不当性に正面から向き合わず京都大による保有を正当化した。原告が控訴するのは当然である》。

   『●琉球遺骨返還請求訴訟《旧京都帝国大…の人類学者が今帰仁村の
     百按司墓から持ち出した遺骨を京大が占有》は違法…京都地裁が請求を棄却

 琉球遺骨返還請求訴訟、どうしてこういう判決になるのだろう? 京都地裁《増森珠美裁判長は「原告に返還請求権はない」と判示し、請求を棄却》(沖縄タイムス)。京大に配慮したのか?
 《明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族…琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、土地は軍用地となり今また辺野古を遺骨で埋められようとしている》…司法が、沖縄差別を助長していないか? そして、我国の最高学府、これでいいのか? その直系の研究室・学科の研究人は何も感じないのかね? 《学術的価値があっても、地域や関係者の同意なしに盗掘同然に入手したものの保有を正当化できるのだろうか》? 《大量の古人骨を「清野コレクション」などとして誇っている京都大は、学問の府として誠実に対応すべきだ》(← 以下の《奄美からも返還要求が出ている》も参照)。

   『●「国が象徴空間に集約することに我慢がならない。
           先祖の遺骨をコタンに返してほしい」
    「「研究目的」(!!)で勝手に盗掘して「大量の遺骨や副葬品が
     返還されないまま」に放置する大学人、そして、政府のいい加減な
     対応。一体どんな国やねん!! 当事者が「嫌だ」と言っているにも
     かかわらず、平気で「人権侵害」。「墓を暴いて先祖の遺骨を集めた
     学者たちの責任をあいまいにしたまま、国が象徴空間に集約することに
     我慢がならない先祖の遺骨をコタンに返してほしい」と云う叫びに
     どう応えるつもりか?」

   『●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざ
     して拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》

 根岸恵子氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕熱い時代を生きた若者の真の姿〜松下竜一狼煙を見よ』】(http://www.labornetjp.org/news/2021/hon204)によると、《オリンピックの口実のために、明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族は自らのアイデンティティを白老の象徴的空間に押し込められようとしている琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、土地は軍用地となり、今また辺野古を遺骨で埋められようとしている。アジアの自然を壊し、巨大なプランテーションを作り、人々は技能実習という奴隷労働をさせられている。難民という弱者に入管は人間扱いをせず、さらにひどい悪法を突き付けようとしている》。

   『●『ドキュメント 憲法を獲得する人々』読了(4/4)
    「【田中伸尚著、『ドキュメント 憲法を獲得する人々』】……
     その他、「「神主の娘」の意見陳述」の木村さん、
     「揺れる心で「アイヌ宣言」」の多原さん、
     「在日だけど、日本社会の一員だから」の徐さん、
     「沖縄に基地があるかぎり」の中村さん」

   『●「「希望はTPP。」なのか」
      『週刊金曜日』(2013年4月12日、939号)

    「平田剛士氏【アイヌ人骨〝発掘〟研究の実態は依然不明 
     北大のずさんな管理が発覚】……」

   『●「安倍首相の暴走と「妄想」」
      『週刊金曜日』(2014年2月7日号、978号)について

    「平田剛士氏【いまだ返還されず 全国12大学にアイヌ遺骨1636体!】、
     「遺骨を返還すれば大学自体も癒される。アイヌも力を得て、
     誇りを取り戻せるはず……より人間的な大学に変わるための
     チャンスととらえることもできる」」

 なお、琉球新報社説にある《奄美からも返還要求が出ている》件については、2018年11月17日の琉球新報の記事【遺骨保管箱のふたか 京大ごみ集積所でみつかる 「喜界村」などと記載】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-835590.html)によると、《人類学者が沖縄や鹿児島県の奄美地方から持ち出した遺骨が返還されていない問題で、京都大学で遺骨を保管していた箱の一部とみられる板が16日までに見つかった。板には「清野蒐集(しゅうしゅう)人骨」「大隅國(おおすみのくに)大島郡喜界村赤連ダンムチノ下」などと書かれており、4体分の標本番号が記されている。2014年11月に京都市の同大学のごみ集積所にあったのを学生が見つけ、現在は沖縄の「アイヌ民族と連帯するウルマの会」が保管している。[奄美地方から持ち出された遺骨を保管していた箱の一部とみられる板(ピリカ全国実・関西提供)] 京都大学はこれまで、奄美から収集された遺骨を保管しているかどうか明らかにしていない。京都帝国大学(現在の京都大)教授だった人類学者の清野謙次氏(1885~1955年)や門下生が、奄美を含む各地から収集した遺骨を京都大に寄贈したことが文献などで確認されている。板に記されている標本番号は1123号から1126号の4体分。「大隅國」は奄美群島と現在の鹿児島県東部。「ダンムチノ下」は喜界島の風葬地帯とみられる。奄美地方の研究者らが3月、遺骨返還を求める要望書を政府や京都大学に送ったが回答はない。「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」の大津幸夫代表は「ごみ箱に捨てるなど、人権じゅうりんも甚だしい中にあったはずの遺骨はどうなったのか京都大はきちんと回答してもらいたい」と話した。同会は京都大に抗議文を送る。琉球新報は京都大学にこれらの遺骨を保管しているか質問したが、16日午後5時までに回答はない》。
 京大は、証拠隠滅しようとしたのではないのか?

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/947367

社説[琉球人遺骨返還認めず]世界の潮流に逆行する
2022年4月23日 07:40

 昭和初期の1920~30年代に旧京都帝国大(現・京都大)の人類学者が今帰仁村の墓から持ち出した26体の遺骨の返還を、子孫に当たる沖縄県民らが求めていた訴訟で、京都地裁は原告に返還請求権はないとして、請求を棄却した。

 墓は琉球王国の第一尚氏の一族らをまつる「百按司墓」。原告は礼拝や祭祀(さいし)の対象である遺骨が本来あるべき場所になく、返還が拒否されている状態は民族的、宗教的な自己決定権を侵害するものだと訴えていた。

 沖縄アイデンティティーのよりどころである遺骨を本来あるべき場所に-という原告の訴えが、本質的な議論の前に、入り口論で退けられた形だ

 判決は、原告の一部を第一尚氏の子孫と認めたが、子孫は多数存在し、原告らが墓を訪れ参拝しているからといって、「祖先の祭祀を主宰すべき者に当たるとは認められない」とした。

 「沖縄地方における伝統的な葬送文化などに鑑みれば、祖先の遺骨を安心して祀(まつ)りたいという心情には汲むべきものがある」と理解を示した。一方で「遺骨は信仰の対象であると同時に、学術資料的、文化的価値を有するとして、京大側が遺骨を保管することを認めた

 結果的に住民の尊厳や文化的アイデンティティーが脇へ追いやられ、研究が優先された形になっていないか。

 大きな疑問が残った。

■    ■

 原告団長で、先住民族の権利回復運動などを研究する松島泰勝龍谷大教授は判決を「研究者が持ち出した遺骨は返還するという世界の潮流逆らう」と批判した。

 2007年に採択された国連の先住民族の権利に関する宣言第12条には「遺骨返還の権利を有する」と明記されている。

 先住民や旧植民地から持ち出した遺骨を返す動きは世界的な潮流である

 オーストラリアでは1600体を超える先住民の遺骨が海外諸国から返還された。

 日本国内でも、アイヌ民族の遺骨を持ち帰り、人類学や医学の研究を行った北海道大学が、訴訟和解を経て、現地のアイヌ民族団体に返還している。

 日本人類学会は、アイヌ研究について、盗掘や遺族など直接の関係者の同意を得ずに収集された資料は研究対象とするべきでないとの指針案を作っている。

■    ■

 かつて欧米諸国や日本は、植民地から多くの文化財や遺骨などを持ち帰った。いまその行為を問い直し、遺骨や文化財の返還を求める運動が世界的な広がりを見せている

 判決は、遺骨の処遇について関係機関を交えて返還の是非などを協議し、「解決への環境整備を図るべきだ」と付言した。

 百按司墓から遺骨が持ち出されてからおよそ100年が経過するが、どのような研究成果があったのか、京都大は十分明らかにしていない

 京大は、「遺骨を本来あるべき場所に」という訴えに耳を傾け、返還に向けての話を始めるべきだ
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1506159.html

<社説>琉球遺骨返還訴訟棄却 京都大は誠実に対応せよ
2022年4月23日 05:00

 昭和初期に今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓などから持ち出された遺骨を保管している京都大に、子孫に当たる住民らが遺骨返還を求めた訴訟で、京都地裁が原告の訴えを棄却した。判決は、植民地政策の下で住民の同意がないまま行われた遺骨収集の不当性に正面から向き合わず京都大による保有を正当化した。原告が控訴するのは当然である。

 原告らが民法上の祭祀(さいし)継承者に当たるかどうかについて判決は「墓を参拝しているからといって、『祖先の祭祀を主宰すべき者』に当たるとは認められない」「他の多数の子孫と同じ立場」として、遺骨返還請求権はないとした。

 長年にわたって多くの遺骨が置かれてきた風葬墓であるため、個々の遺骨と原告を結びつけることは困難だ。原告が求めたのは親族関係の確認ではなく、地域や親族で参拝してきた墓で先祖の遺骨を祀(まつ)りたいという権利である。

 京都大は、収集から保管に至る経緯や保管状況を十分に説明せず、不誠実な対応に終始してきた。訴訟でも裁判長からの和解提案を一蹴するなど、一切歩み寄りを見せなかった。その結果、争点は民法上の請求権の有無に矮小化(わいしょうか)されてしまった。

 同大の遺骨保有についても判決は、「学術資料的・文化財的価値」のある遺骨の散逸や劣化を防ぐという、同大が主張した目的を「不当とはいえない」とした。学術的価値があっても、地域や関係者の同意なしに盗掘同然に入手したものの保有を正当化できるのだろうか。学術研究に供するのなら、改めて子孫ら関係者に理解を求め、同意を得るべきだろう。

 今回の訴訟で原告は、国際法を踏まえて先住民族・琉球人としての返還請求権を主張したが認められなかった。しかし判決では「原告らが琉球民族として祖先の遺骨を百按司墓に安置して祀りたいという心情には汲(く)むべきものがある」と述べた上で、「原告と被告のみで解決できる問題ではない」として「解決に向けた環境整備が図られるべきである」と関係機関などによる協議を促した。

 アイヌ民族の遺骨返還訴訟では、北海道大などとの間で和解が成立し、遺骨はアイヌ民族の受け皿団体(地域)に返還された。「先住民族の権利に関する国連宣言」に基づく返還請求権が認められているからだ。これを受け日本人類学会などは、倫理指針案でアイヌ民族の権利を尊重することを掲げている。

 奄美からも返還要求が出ている。民法の枠に収まらない独自の祭祀文化を持つ沖縄・奄美は、アイヌ民族の取り組みが参考になるだろう。

 今後、遺骨収集の経緯や保管状態を明らかにさせ、返還や保管方法を幅広く協議していく場を作る必要がある。大量の古人骨を「清野コレクション」などとして誇っている京都大は、学問の府として誠実に対応すべきだ
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●琉球遺骨返還請求訴訟《旧京都帝国大…の人類学者が今帰仁村の百按司墓から持ち出した遺骨を京大が占有》は違法…京都地裁が請求を棄却

2022年05月04日 00時00分58秒 | Weblog

サケ漁をするアイヌ民族の畠山敏さん… (東京新聞2019年9月2日)↑】


(2022年04月24日[日])
沖縄タイムスの記事【琉球人遺骨 返還認めず 京都地裁「原告に請求権なし」 解決へ環境整備を促す】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/946823)。
琉球新報の記事【沖縄の遺骨返還請求退ける 京都地裁 昭和初期に京大研究者が持ち出し】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1505452.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel)。

 《昭和初期に旧京都帝国大(現・京都大)の人類学者が今帰仁村の百按司墓(むむじゃなばか)から持ち出した遺骨を京大が占有しているのは違法として、第一尚氏の子孫らが返還と損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、京都地裁であった。増森珠美裁判長は「原告に返還請求権はない」と判示し、請求を棄却》。
 《昭和初期に今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓などから持ち出された遺骨を保管している京都大学に、松島泰勝龍谷大学教授らが遺骨の返還などを求めた琉球遺骨返還請求訴訟の判決が21日、京都地裁(増森珠美裁判長)であり、原告の訴えを退ける判決が言い渡された》。

   『●【<金口木舌>二風谷判決と沖縄】:
      「わが国の統治が及ぶ前から北海道に住み…先住民族に該当する」
    《▼判決の根拠の一つに、民族的マイノリティーの権利保護を定めた
     国際自由権規約27条があった。政府が2008年にアイヌ民族を
     先住民族と認める前の画期的な判断だ。判例は4日に京都地裁に
     提起された琉球遺骨返還請求訴訟でも訴状に引用された
     ▼旧帝国大学の人類学者が持ち去った遺骨を取り戻す運動もアイヌ民族
     が先行し、一部で返還を勝ち取っている。近代以降の同化政策など、
     アイヌと沖縄に共通する点は多い
     ▼しかし政府は沖縄の人々の権利保護を求めた国連自由権規約委員会
     勧告を無視している。米軍基地問題を含め、政府は沖縄に対する政策を
     見直す時期に来ている。》

 我国の最高学府、これでいいのか? その直系の研究室・学科の研究人は何も感じないのかね?

   『●「国が象徴空間に集約することに我慢がならない。
           先祖の遺骨をコタンに返してほしい」
    「「研究目的」(!!)で勝手に盗掘して「大量の遺骨や副葬品が
     返還されないまま」に放置する大学人、そして、政府のいい加減な
     対応。一体どんな国やねん!! 当事者が「嫌だ」と言っているにも
     かかわらず、平気で「人権侵害」。「墓を暴いて先祖の遺骨を集めた
     学者たちの責任をあいまいにしたまま、国が象徴空間に集約することに
     我慢がならない先祖の遺骨をコタンに返してほしい」と云う叫びに
     どう応えるつもりか?」

   『●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざ
     して拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》

 根岸恵子氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕熱い時代を生きた若者の真の姿〜松下竜一狼煙を見よ』】(http://www.labornetjp.org/news/2021/hon204)によると、《オリンピックの口実のために、明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族は自らのアイデンティティを白老の象徴的空間に押し込められようとしている琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、土地は軍用地となり、今また辺野古を遺骨で埋められようとしている。アジアの自然を壊し、巨大なプランテーションを作り、人々は技能実習という奴隷労働をさせられている。難民という弱者に入管は人間扱いをせず、さらにひどい悪法を突き付けようとしている》。

   『●『ドキュメント 憲法を獲得する人々』読了(4/4)
    「【田中伸尚著、『ドキュメント 憲法を獲得する人々』】……
     その他、「「神主の娘」の意見陳述」の木村さん、
     「揺れる心で「アイヌ宣言」」の多原さん、
     「在日だけど、日本社会の一員だから」の徐さん、
     「沖縄に基地があるかぎり」の中村さん」

   『●「「希望はTPP。」なのか」
      『週刊金曜日』(2013年4月12日、939号)

    「平田剛士氏【アイヌ人骨〝発掘〟研究の実態は依然不明 
     北大のずさんな管理が発覚】……」

   『●「安倍首相の暴走と「妄想」」
      『週刊金曜日』(2014年2月7日号、978号)について

    「平田剛士氏【いまだ返還されず 全国12大学にアイヌ遺骨1636体!】、
     「遺骨を返還すれば大学自体も癒される。アイヌも力を得て、
     誇りを取り戻せるはず……より人間的な大学に変わるための
     チャンスととらえることもできる」」

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/946823

琉球人遺骨 返還認めず 京都地裁「原告に請求権なし」 解決へ環境整備を促す
2022年4月22日 05:00

 昭和初期に旧京都帝国大(現・京都大)の人類学者が今帰仁村の百按司墓(むむじゃなばか)から持ち出した遺骨を京大が占有しているのは違法として、第一尚氏の子孫らが返還と損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、京都地裁であった。増森珠美裁判長は「原告に返還請求権はない」と判示し、請求を棄却

……。
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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1505452.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel

沖縄の遺骨返還請求退ける 京都地裁 昭和初期に京大研究者が持ち出し
2022年4月21日 14:49
遺骨返還訴訟 京都地裁

     (判決を前に裁判所に入る原告団、弁護団ら=21日、
      京都地裁前)

 昭和初期に今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓などから持ち出された遺骨を保管している京都大学に、松島泰勝龍谷大学教授らが遺骨の返還などを求めた琉球遺骨返還請求訴訟の判決が21日、京都地裁(増森珠美裁判長)であり、原告の訴えを退ける判決が言い渡された。

 原告側は人類学者らが1930年前後に遺骨を持ち出した際に「墓の関係者から同意や承諾など一切受けていない」として、京都大には遺骨を保管する権限がないと主張。民法や憲法、国際人権法を根拠に遺骨を返還するよう求めていた。原告は松島氏のほか、第一尚氏の子孫ら。

 京都大学側は原告の主張に対し「(遺骨返還の)請求権を基礎付けるものではない」として、訴えを棄却するよう求めていた。

【関連記事】
『琉球人遺骨は訴える 京大よ、還せ』 ともに生きる世界への希望
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●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》

2021年06月03日 00時00分04秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]



(20210529[])
根岸恵子氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕熱い時代を生きた若者の真の姿〜松下竜一狼煙を見よ』】(http://www.labornetjp.org/news/2021/hon204)。

 《映画『狼をさがして』を観た。3月に封切られた韓国の映画監督キム・ミレのドキュメンタリーで、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」の思想的背景と事件後の関係者を追いかけた。人生のほとんどを安穏とした平和の中にいたと思い込んでいた私は、子供のころに見た新聞一面の写真を思い出した。爆破で飛散したガラスのなかに人が倒れていた。阿鼻叫喚の情景に恐怖は感じなかった。なぜなら、あさま山荘や「よど号」事件、爆破事件などが日常茶飯事の時代だったから。そう日本は熱かったのだ。映画の出演者も観客も、多くは寄せ場や野宿者運動、反核や戦後補償運動で見かける知己ばかりだった。熱い時代を生きた先輩たちの闘いは続いているのだろうか。その闘いは枝を広げるようにその根っこに「東アジア反日武装戦線」があるのだろうか。まるで懐かしいものを探すように「狼をさがして」やってきた人たちだった。(根岸恵子)》

   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》
   『●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」を
     やらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある
   『●《浴田由紀子さん…自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、
      平和的に仲間を増やすべきだった。そうすれば社会は変わるだろう》

 《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。映画『狼をさがして』について、松下竜一さんの『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』があまり話題に上らないのが不思議。
 もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。
 《“大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さん…「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」。未来は私たちの手に委ねられている》。


 佐高信さん《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。…近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」
   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

 松下竜一さん《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。当時の朝日歌壇のある選者に関連して、松下竜一さんは《私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ》《ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある》と。
 その「豆腐屋の四季」の舞台は、いま、…。



   『●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…
            松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し
    「東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】
     竜一の愛した書斎】…。毎日新聞の大漉実知朗記者の記事
     【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】」

 『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』(全4巻)が、2005年10月に、リブリオ出版より。大活字版。講談社文庫版、河出全集版につづく3種目。



   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(1/2)
   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(2/2)

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http://www.labornetjp.org/news/2021/hon204

〔週刊 本の発見〕『狼煙を見よ』(松下竜一)

週刊 本の発見 毎木曜掲載・第204回(2021/5/13)
熱い時代を生きた若者の真の姿
狼煙を見よ』(松下竜一、河出書房新書)評者:根岸恵子

 映画『狼をさがして』を観た。3月に封切られた韓国の映画監督キム・ミレのドキュメンタリーで、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」の思想的背景と事件後の関係者を追いかけた。人生のほとんどを安穏とした平和の中にいたと思い込んでいた私は、子供のころに見た新聞一面の写真を思い出した。爆破で飛散したガラスのなかに人が倒れていた。阿鼻叫喚の情景に恐怖は感じなかった。なぜなら、あさま山荘や「よど号」事件、爆破事件などが日常茶飯事の時代だったから。そう日本は熱かったのだ。

 映画の出演者も観客も、多くは寄せ場や野宿者運動、反核や戦後補償運動で見かける知己ばかりだった。熱い時代を生きた先輩たちの闘いは続いているのだろうか。その闘いは枝を広げるようにその根っこに「東アジア反日武装戦線」があるのだろうか。まるで懐かしいものを探すように「狼をさがして」やってきた人たちだった。

 私は「東アジア武装戦線」については彼らのようによくは知らない。映画を観てから、松下竜一が書いたこの『狼煙を見よ』を読んでみようと思った。そして暴力を肯定できない時代に生きるものとして、「なぜ爆弾なのか」という疑問の答えを知りたいと思った。

 大道寺将司ら「東アジア反日武装戦線」は地下出版した『腹腹時計』の中で「われわれは、新旧帝国主義者=植民地主義者、帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義、植民地主義企業への攻撃、財産の没収などを主要な任務とした“狼”である」と宣言し、戦前戦後と日本帝国主義に収奪されるアジア諸国、主権や文化を奪われ皇民として天皇崇拝を強要されてきた先住民族のアイヌと琉球、植民地支配下にあった朝鮮半島、台湾への日本人の責任を「日本帝国主義者」の子孫として真摯に向き合うべきだと問うている。

 “狼“とは「東アジア反日武装戦線」の中の一つのグループである。グループは他に “大地の牙”、“さそり”があり、それらは独立して行動していた。互いに干渉しない、リーダーのいない運動は、いまでも序列を重んじる日本の社会運動の中にあって、斬新なことであったのではないか。この事件を知るにつけ、「東アジア反日武装戦線」にかかわった者たちの凶悪な”爆弾魔“というイメージは、実直で生真面目で正義漢のある若者の姿に見えてくる。しかし、今を生きる私の目からは、やはり視野の狭い身勝手な若者の姿はぬぐいようがない

 著者松下竜一は、なぜ「東アジア反日武装戦線」を書こうと思ったのか。本書の中にはそのくだりが詳述されているが、将司との繰り返されるやり取りの中で、次第に彼らに惹かれていく。

     (写真下=松下竜一)

 「安全な日本にいて『ベトナム反戦』を1000回叫んでも何の力にはならない。現実にベトナムの米軍を助ける働きをしている国内企業に爆弾を仕掛けることこそが真の連帯だという考えを、私は否定できないのです」
 「なんとしても、多くの人達に彼等のことを知ってもらいたい。爆弾魔というキャンペーンでぬりこめられ、獄の向こうに隔離されてしまった彼らの『真の姿』を知らしめたい」

 これは松下が、彼の機関誌を休刊したいという友人宛ての私信の中で述べたものだが、この文章を本書に入れた理由こそが、彼がこの本を書く動機の一つであったに違いないだろう。

     (写真左=松下竜一)

 『狼煙を見よ』の初出は1986年の「文藝」冬号であった。それから30年、この本は改めて出版された。歴史の真価は時間によってしか推し量ることができないのであれば、キム・ミレや松下竜一の心眼は、マスコミによって歪められた「東アジア反日武装戦線」を生きた若者の価値観と真の姿を再評価させるだけの意味を持つのだろう。

 さて、あの時と何が変わったのだろうか

 オリンピックの口実のために、明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族は自らのアイデンティティを白老の象徴的空間に押し込められようとしている琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、土地は軍用地となり、今また辺野古を遺骨で埋められようとしている。アジアの自然を壊し、巨大なプランテーションを作り、人々は技能実習という奴隷労働をさせられている難民という弱者に入管は人間扱いをせず、さらにひどい悪法を突き付けようとしている

 

 インドネシアの女性はユニクロで働き、一方的に首を切られた。ミンダナオのバナナ農家は住友フルーツと不平等契約を結ばされ農薬被害と貧困に喘いでいる。日本のODAによる開発で家や土地、仕事を奪われそうになったモザンビークの人たち。ミャンマーの軍事政権に金を出す日本企業。挙げればきりがない。きりがない。ひどいことばかりだ

 アジアとアフリカの人々の血と涙で肥え太った日本企業、私たちはその恩恵を受けてはいないだろうか

 「多くの者は、不正に気付いても気付かぬふりをして、何もことを起こそうとせぬものです。東アジア反日武装戦線の彼らはいわば「時代の背負う苦しみ」を一身に引き受けて事を起こしたのであり、それゆえに多数の命を死傷せしめるというとりかえしのつかぬ間違いを起こしてしまったということです。その間違いだけを責め立てて何もしないわれわれが彼らを指弾することができるでしょうか極悪人として絶縁できるでしょうか。私にはできません。私は彼らの苦しみに触れ続けたいと思うのです」

 “大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さんが、2002年の裁判で被告人として読み上げた最終意見陳述を、キム監督は映画の最後に取り上げている。

 「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」。

 未来は私たちの手に委ねられている
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●《浴田由紀子さん…自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、平和的に仲間を増やすべきだった。そうすれば社会は変わるだろう》

2021年04月18日 00時00分33秒 | Weblog

[※ ↑ 映画『狼をさがして (【映画『狼をさがして』公式WP】、http://eaajaf.com/)]


(2021年04月06日[火])
根岸恵子氏による、レイバーネットの記事【自らの国の奢った姿がみえてくる〜ドキュメンタリー映画『狼をさがして』】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0403eiga)。

 《『狼をさがして』を観た。この映画は70年代中頃、「連続企業爆破事件」を引き起こした 「東アジア反日武装戦線」の首謀者とそれを取り巻く人々を捉えたドキュメンタリー映画 である。監督のキム・ミレは、「土方(ノガタ)」(2005)や「外泊」(2009)といった韓国の 労働者の現状を描いたことで有名だ。韓国人の監督が日本の「東アジア反日武装戦線」に 関心を持ったのは、どうしてだろうか。キム監督が「東アジア反日武装戦線」を知ったのは、釜ヶ崎の野宿者からだった。野宿者の多くは戦後の高度成長期に日雇い労働者として搾取され、オイルショック以降の景気後退で社会的棄民となった。彼女はその事実から、日本国内で差別される人々に関心を持ち、強制労働で命を奪われた朝鮮人徴用工の虐殺現場を訪ね、そこがかつてアイヌ人々の土地であったことを知った。日本の植民地主義はアジアの人々や被差別者、貧困者を踏みつけて成り立っていることを、キム監督は問題意識として持ち続けた。(根岸恵子)》。

   『●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」を
     やらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある

 《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある。
 引用させていただいた記事のこの部分が印象に。《浴田由紀子さん…が裁判の最終陳述で語ったことは、心に沁みた。自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、平和的に仲間を増やすべきだったそうすれば社会は変わるだろうと。》

 《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。松下竜一さん、本当にすごい人だ。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』を、是非、読んでみてほしい。もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。

   『●『佐高信の新・筆頭両断』読了(2/2)
   『●『死刑弁護人 ~生きるという権利~』読了(4/4)
   『●『創 (12月号)』読了 (2/2)
   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(4/9)
   『●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(2/2)
   『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(2/2)
   『●『冤罪File(2009年12月号)』読了(1/2)
   『●『日本の公安警察』読了(2/2)
   『●『東京番外地』読了
   『●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)
   『●死刑囚・大道寺将司さんのこと
   『●「O・ストーン&P・カズニック 戦争と歴史を語る」
             『週刊金曜日』(9月6日、958号)
   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

 〝殺人〟、人を殺めることは絶対に否定されなければならない…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある。

 『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』から、再々度、引用。
 「…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」。
 「…つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」。
 「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」。

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http://www.labornetjp.org/news/2021/0403eiga

自らの国の奢った姿がみえてくる/ドキュメンタリー映画『狼をさがして』

自らの国の奢った姿がみえてくる〜ドキュメンタリー映画『狼をさがして』
根岸恵子

 『狼をさがして』を観た。この映画は70年代中頃、「連続企業爆破事件」を引き起こした 「東アジア反日武装戦線」の首謀者とそれを取り巻く人々を捉えたドキュメンタリー映画である。監督のキム・ミレは、『土方(ノガタ)』(2005)や『外泊』(2009)といった韓国の労働者の現状を描いたことで有名だ。韓国人の監督が日本の「東アジア反日武装戦線」に関心を持ったのは、どうしてだろうか。

 キム監督が「東アジア反日武装戦線」を知ったのは、釜ヶ崎の野宿者からだった。野宿者の多くは戦後の高度成長期に日雇い労働者として搾取され、オイルショック以降の景気後退で社会的棄民となった。彼女はその事実から、日本国内で差別される人々に関心を持ち、強制労働で命を奪われた朝鮮人徴用工の虐殺現場を訪ね、そこがかつてアイヌの人々の土地であったことを知った。日本の植民地主義はアジアの人々や被差別者、貧困者を踏みつけて成り立っていることを、キム監督は問題意識として持ち続けた。そして金儲けのために人々や他国を蔑ろにし、搾取の元凶である企業に対し爆破事件起こした「東アジア反日武装戦線」に焦点を当て、関係者へのインタビューを行ったのである。

 そこから見えてくるのは、関わった人たちの健全さだ。服役した支援者のある家族は、事件後、娘を通して多くの本当の友人を得たと語っていた。亡くなった父親の遺影には「秩父事件」の碑がある。また出所した浴田由紀子さん(写真右)が裁判の最終陳述で語ったことは、心に沁みた。自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、平和的に仲間を増やすべきだったそうすれば社会は変わるだろうと

 この映画を観て思ったことはいろいろあるが、多くの日本人は自らの国の奢った姿を知らないのではないかということだ。だからこそ日本人には観てほしい映画である。


・上映館 http://www.imageforum.co.jp/theatre/

・また、新宿のIRA (Irregular Rhythm Asylum) では11日まで「東アジア反日武装戦線関連資料展」をやっています。http://ira.tokyo/


Last modified on 2021-04-04 20:37:16
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●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある

2021年04月02日 00時00分29秒 | Weblog

[※ ↑ 映画『狼をさがして』 (【映画『狼をさがして』公式WP】、http://eaajaf.com/)]


(2021年03月28日[日])
『映画ログプラス』の記事【映画『狼をさがして』】(https://tokushu.eiga-log.com/movie/67016.html)。
太田昌国氏による、webronzaの記事【「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち 韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか/太田昌国】(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2021032200001.html)。

 《東アジア反日武装戦線を追ったドキュメンタリー 1974年、日本を揺るがした20代の若者たち 映画『狼をさがして』》《連続企業爆破事件から45年――。なぜ彼らはテロを越したのか? …高度経済成長の只中、日本に影を落とす帝国主義の闇。彼らが抗していたものとは何だったのか? 彼らの言う「反日」とは? 未解決の戦後史がそこに立ち現れる》。
 《韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督の2020年の作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」…を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である》。


 【映画『狼をさがして』公式WP】(http://eaajaf.com/):
  《東アジア反日武装戦線――狼、大地の牙、さそり
      1974年、日本を揺るがした20代の若者たち》
  《連続企業爆破事件から45年――
      なぜ彼らはテロを起こしたのか?》


https://youtu.be/ASFN16iphcc


 予告編の中の一節:

-------------------------------
彼らは何を求めたのか。そして何を間違えたのか。
時代は終わっていない。そこにかつて統治された国からの視点が重なる。
事件から半世紀が過ぎかけているからこそ、
僕たちは解釈の多様さを取り戻さなくてはならない。
                     森達也 (映画監督・作家)
-------------------------------


 《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。松下竜一さん、本当にすごい人だ。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』を、是非、読んでみてほしい。もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。

   『●『佐高信の新・筆頭両断』読了(2/2)
   『●『死刑弁護人 ~生きるという権利~』読了(4/4)
   『●『創 (12月号)』読了 (2/2)
   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(4/9)
   『●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(2/2)
   『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(2/2)
   『●『冤罪File(2009年12月号)』読了(1/2)
   『●『日本の公安警察』読了(2/2)
   『●『東京番外地』読了
   『●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)
   『●死刑囚・大道寺将司さんのこと
   『●「O・ストーン&P・カズニック 戦争と歴史を語る」
             『週刊金曜日』(9月6日、958号)
   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

 〝殺人〟、人を殺めることは絶対に否定されなければならない…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある。

 『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』から、再度、引用。
 「…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」。
 「…つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」。
 「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」。

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https://tokushu.eiga-log.com/movie/67016.html

映画ログプラス
映画の魅力、再発見。


映画『狼をさがして』
2021/3/24

――――――――――――――――――――――――――――
  東アジア反日武装戦線を追ったドキュメンタリー
   1974年、日本を揺るがした20代の若者たち
        映画『狼をさがして』
――――――――――――――――――――――――――――

本作は昨年韓国で上映され、韓国映画評論家協会の独立映画支援賞や釜山映画評論家協会の審査委員特別賞を受賞するなど、韓国国内で高く評価された作品。

連続企業爆破事件から45年――。なぜ彼らはテロを越したのか?

2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督が、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメントを撮り始めた。出所したメンバーやその家族、彼らの支援者の証言を追うなかで、彼らの思想の根源が紐解かれていく。高度経済成長の只中、日本に影を落とす帝国主義の闇。彼らが抗していたものとは何だったのか? 彼らの言う「反日」とは? 未解決の戦後史がそこに立ち現れる。


あらすじ・ストーリー

1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した。8名の死者と約380名の負傷者が出たこの事件は日本社会を震撼させた。事件から1ヶ月後、犯人から声明文が出される。「東アジア反日武装戦線“狼”」と名乗るその組織は、この爆破を「日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である」と宣言。その後、別働隊「大地の牙」と「さそり」が現れ、翌年5月までの間に旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的とした“連続企業爆破事件”が続いた。

1975年5月19日、世間を騒がせた“東アジア反日武装戦線”一斉逮捕のニュースが大々的に報じられた。人々を何よりも驚かせたのは、彼らの素顔が、会社員としてごく普通に市民生活を送る20代半ばの若者たちだったという事実であった。凄惨な爆破事件ばかりが人々の記憶に残る一方で、実際に彼らが何を考え、何を変えようとしたのかは知られていない。


公式HP
eaajaf.com / Twitter


キャスト
太田昌国
大道寺ちはる
池田浩士
荒井まり子
荒井智子
浴田由紀子
内田雅敏
宇賀神寿一
友野重雄
実方藤男
中野英幸
藤田卓也
平野良子ほか


映画『狼をさがして』作品情報
監督・プロデューサー:キム・ミレ
企画:藤井たけし、キム・ミレ
撮影:パク・ホンヨル
編集:イ・ウンス
音楽:パク・ヒョンユ
配給・宣伝:太秦
2020年/DCP/モノクロ・カラー/74分/韓国
©Gaam Pictures


2021年3月27日(金)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

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https://webronza.asahi.com/culture/articles/2021032200001.html

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち
韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか
太田昌国
 評論家・編集者
2021年03月26日
キム・ミレ|東アジア反日武装戦線|狼をさがして

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督の2020年の作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である。


■歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

(三菱重工本社ビル前で、散乱した窓ガラスを踏みしめて負傷者を搬送する東京消防庁の消防職員と救急隊員。この爆発で同社の社員や通行人ら8人が死亡、380人が重軽傷を負った=1974年8月30日、東京都千代田区丸の内)

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争で日本帝国が敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争の責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去を清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前は絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前・戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本を象徴する言葉は、長いこと、「平和と民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇の戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年→1945年)アジア太平洋地域で戦争を続けた近代日本の実像を覆い隠し、この戦争の全体像を、最後のわずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島・長崎の「悲劇」を前面に押し出し、米軍占領下の沖縄は辺境ゆえに無視して、日本全体があたかも戦争の「被害国」であるかのようにふるまった「反戦・平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった

 1960年の安保闘争の時にも、1965年の日韓条約反対闘争の時にも、戦前の日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在を分析する言動はほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会は総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会・思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長の過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長の最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。


(拡大映画『狼をさがして』は3月27日から全国で順次公開予定 ©Gaam Pictures)


 時代はあたかも米国のベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島に輸送される米軍物資の調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジアの民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人や先住民族(インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配が人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本の近代史と現在が孕む問題群に、「民族・植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。


■「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計』から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係な一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーションで流れる。

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのものの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。


(太田さんが登場する映画『狼をさがして』の一場面 ©Gaam Pictures)



■過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊の大道寺将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係も自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶と悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えのなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画を制作したのは、韓国の映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画を制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議=編『支援連ニュース』420号、2021年3月6日)。社会的正義のために、加害国=日本に搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日」メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品の制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場用パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本の自分たちが戦後の「平和と民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本の植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現と言論の自由を獲得した韓国の新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画が日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本も韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援連ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。


■脈打つフェミニズムの視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性の存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たちの闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。


(映画『狼をさがして』 ©Gaam Pictures)


 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あんな事件を引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつうの青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑囚である義兄とは、媚びへつらいのない、上下の関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督も女性だ。弱い立場にある労働者の現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規の女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこの作品に脈打っていたフェミニズムの視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。


(キム・ミレ監督 ©Gaam Pictures)
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●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

2019年10月13日 00時00分44秒 | Weblog


レイバーネットの【太田昌国のコラム : 千葉県の被災と、千葉産ユリを詠う一死刑囚の句】(http://www.labornetjp.org/news/2019/1010ota)。

 《1974~75年に、いわゆる連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線“狼”のメンバーで、それゆえ確定死刑囚であった大道寺将司君…は、去る2017年5月24日、多発性骨髄腫のため東京拘置所で亡くなった。享年68。…私が利用していた購買店では、注文を受けてから業者に手配する。お店で現物を見ることはできない。聞くと、千葉から来る花という。だから、千葉県の花農家のユリが全滅したと聞く私の思いは、二重に哀しいのだ。俳人・大道寺君がユリを詠んだ句を句集『棺一基』(太田出版、2012年)…》。

 大道寺将司さんが亡くなっていたこと、初めて知った…。迂闊にも、2年以上も前にお亡くなりになっていた。

   『●『佐高信の新・筆頭両断』読了(2/2)
   『●『死刑弁護人 ~生きるという権利~』読了(4/4)
   『●『創 (12月号)』読了 (2/2)
   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(4/9)
   『●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(2/2)
   『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(2/2)
   『●『冤罪File(2009年12月号)』読了(1/2)
   『●『日本の公安警察』読了(2/2)
   『●『東京番外地』読了
   『●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)
   『●死刑囚・大道寺将司さんのこと
   『●「O・ストーン&P・カズニック 戦争と歴史を語る」
             『週刊金曜日』(9月6日、958号)

 〝殺人〟は絶対に否定されなければならない…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか、には耳を傾ける必要がある。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』。

 『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』から、再度、引用。
 「…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」(p.160)。
 「…つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」(p.162)。
 「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」

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http://www.labornetjp.org/news/2019/1010ota

太田昌国のコラム : 千葉県の被災と、千葉産ユリを詠う一死刑囚の句

●第36回 2019年10月10日(毎月10日)
千葉県の被災と、千葉産ユリを詠う一死刑囚の句

 ここ数年か、天気予報のあり方が変わった。暴風雨がもたらす可能性のある被害をかなり大仰な表現で言う。でもこれは、台風の進路が変わったり急速に衰えたりして、被害が少なかった時に事後的に思う感想でしかないのだろう。事実、9月の台風15号接近を伝える予報の中には、「今までに経験したことのない暴風雨」という表現をまともに受け止めなければ、と思わせる切迫感があった。そして、その通りになった、伊豆諸島と千葉県と横浜市の一部では

 政府の初期対応の「欠如」は、この危機感を持たなかったがゆえだろう。首相や官房長官が、いかに弁解に努めようとも、当時の「首相動静」や対応の仕方(=組閣強行)を見れば、一目瞭然なのだ。とんでもなく無責任な内閣の隠しようもない姿が

 こんな連中が、もう7年間も私たちの社会を支配していることに気づく機会にしたいものだ。遅きに過ぎるとはいえ。

 10月9日付け東京新聞(写真)の一面に、鋸南町の花農家が受けた台風被害についての記事が載っていた。今回の台風での、千葉県全県でのビニールハウスの被害総額は200億円ということだが、この記事で取材された農家でも、ハウス10棟が倒壊し、出荷まじかだったユリ5万株がなぎ倒され、茎が折れたという。ユリで得られるはずだった1000万円の収入が絶たれたうえに、仕入れ済みの球根代などで1000万円の負債が残ったというから、気の毒この上ない。胸が塞がるようなニュースだが、「ユリ」と聞いて、私にはもうひとつの思いも生まれる。

 1974~75年に、いわゆる連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線“狼”のメンバーで、それゆえ確定死刑囚であった大道寺将司君(写真)は、去る2017年5月24日、多発性骨髄腫のため東京拘置所で亡くなった。享年68。私は「救援」の立場から、最低月1回の面会を続けていた。面会にも文通にも差し入れにもさまざまな制限があるのだが、花の差し入れも例外ではない。タンポポやオオイヌノフグリ、つゆ草のような、野で摘んだ可憐な花を差し入れることはできない。拘置所の中と外にある特定の購買店で売っているものでないと、許可されないのだ。いくつかの花の差し入れを試みてのち、彼はいつもユリを指定するようになった。ほかの花に比べて長持ちすること、開花した花の強烈な匂いに惹かれたのだろう。無色・無臭の場に幽閉されたひとの気持ちとして、それはそうだろう。

 私が利用していた購買店では、注文を受けてから業者に手配する。お店で現物を見ることはできない。聞くと、千葉から来る花という。だから、千葉県の花農家のユリが全滅したと聞く私の思いは、二重に哀しいのだ。俳人・大道寺君がユリを詠んだ句を句集『棺一基』(太田出版、2012年)から拾ってみる。

  鈍色(にぶいろ)の空傾きて百合開く
  ゆくりかに開きそめたる鹿子百合
  百合の香や記憶の襞のそそめけり
  百合の香やかはたれ星の消えしより  *かはたれ星=明けの明星
  手も触れで崩れ落つるや闌(た)けし百合

 百合が花開くこと、強烈な香りを放つこと――をいかに楽しみにしていたかがうかがわれる。だから、盛りを過ぎた花が、手も触れていないのに落花するのが口惜しいのだ。

 大道寺君が好んだユリを栽培していた千葉の花農家の、今回の苦境を知ったら、彼はどんな句を詠んだろう。「3・11」のあとで、彼はこんな句をつくった。

  数知らぬ人呑み込みし春の海
  流されてまた流さるる彼岸かな
  風評といふ差別負ふ胡瓜食ふ
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コメント (5)
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●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し

2017年03月23日 00時00分34秒 | Weblog

[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg


[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220088.jpg)]


東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】竜一の愛した書斎】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html)。
毎日新聞の大漉実知朗記者の記事【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】(http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c)。

 《大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。…「砦に拠る」…「ルイズ」…「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》。
 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された》。

 洋子さんは《結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい》と。《従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さんのご自宅が、昨年末に、取り壊されていたとのこと…。《生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていた》ことから、取り壊しとなった。
 迂闊にも気付かなかった…。他に報じているところを探してみて、毎日新聞の記事を見つけました。
 でも、松下洋子さんや梶原得三郎さん、梶原和嘉子さんのご様子も知れて、良かった。《数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託》、さらに、一般公開もされるようです。
 和嘉子さんの歌<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中>。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html

【私説・論説室から】
竜一の愛した書斎
2017年3月22日

 大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。市道拡幅の対象になったためだった。地方に根差し、反公害・反原発運動などを通じて戦後日本の矛盾を見つめてきた作家の話をじかに聞きたいと、六十七歳で亡くなる前年の二〇〇三年、訪ねたあの家が今はない。

 築五十年は過ぎていたその家は、若き日に営んでいた豆腐店の面影を残していた。土間に板を張っただけの書斎。そこが一日の居場所だった。食べて、寝て、客を迎え、孫が走り回る。生活のすべてが詰まったこの簡素な部屋から松下さんの思索はつむがれていた

 国家事業のダム建設に抗(あらが)う男の物語「砦(とりで)に拠(よ)る」、大正の「アナキスト」大杉栄伊藤野枝遺児を描く「ルイズ」、甲山事件の冤罪(えんざい)を訴えた「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く今日にそのまま通じる主題である。全三十巻の「松下竜一 その仕事」(河出書房新社)、「未刊行著作集」(海鳥社)は今こそ読まれてほしい。

 家の解体を見守ったのは七〇年代に地元で起きた火力発電所建設反対闘争以来の盟友、梶原得三郎さん(79)と妻の和嘉子さん(79)。数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託を待つ。書斎が壊される時だけ雨が土砂降りになったという。和嘉子さんは万感の思いを歌に詠んだ。<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中> 

佐藤直子
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http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c

松下竜一さん
自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える
毎日新聞2017年3月13日 09時15分(最終更新 3月13日 09時31分)

     (自宅の書斎でくつろぐ在りし日の松下竜一さん
      =梶原得三郎さん提供)
     (市道拡幅のため取り壊された松下竜一さんの自宅
      =梶原得三郎さん提供)

 反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された。蔵書などは市立小幡記念図書館に寄託される予定で、同館が整理した後に一般公開する

 自宅は木造瓦ぶき2階建てで、かつては家業の豆腐屋を兼ねていた。松下さんは高校卒業後の1956年、貧困から大学進学を断念し、自宅で父親の豆腐作りを手伝いながら短歌を詠み新聞に投稿する生活を続けた。68年に短歌を軸に恋や青春の苦悩を描いたノンフィクション「豆腐屋の四季」を自費出版。後に講談社が単行本として出版するとベストセラーとなり、俳優の故緒形拳さん主演でテレビドラマにもなった。

 70年に豆腐店を廃業し、「無謀」との声もある中で33歳から文筆業に専念。豆腐作りの作業場を改築して書斎とし、下筌(しもうけ)ダムの建設反対闘争を主導した室原知幸さんを描いた「砦に拠(よ)る」(77年)や、アナキストの大杉栄の娘、伊藤ルイさんの半生をたどり講談社ノンフィクション賞を受けた「ルイズ-父に貰(もら)いし名は」(82年)など数々の硬派ノンフィクションを執筆した他、ミニコミ誌「草の根通信」を発行した。

 一方で「底ぬけビンボー暮らし」などユーモアあふれるエッセーも書き、老朽化した小さな自宅は読者にはおなじみだった。市民らから「せめて書斎は保存してほしい」などと惜しむ声もあったが、生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていたこともあって取り壊しを決めた。

 解体前には、「松下竜一の青春」などの著作がある福岡県築上町の元図書館司書、新木安利さん(67)が約4000点の蔵書と資料を引き取り、図書館へ寄託するための仕分け作業を進めている。解体した当日は雨が降り、松下さんの同志だった中津市の市民運動家、梶原得三郎さん(79)の妻和嘉子さん(79)が「竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中」と詠んで泣いたという。

 市内で長女と同居する松下さんの妻洋子さん(69)は「結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい」と話している。【大漉実知朗】
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●アベ様ら辺野古破壊者=バチアタリどもの「忌み禁じられた行い」

2015年02月22日 00時00分58秒 | Weblog


東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015022002000171.html)。

 「一年ぶりに訪れた沖縄。辺野古の海は、そののんびりした表情を変えていた・・・・・・そういう穏やかな眺めが、急変しつつある・・重さが最大四十五トンもあるコンクリートのブロックが次々沈められ、サンゴ礁を傷つけている・・・・・・海を暮らしの場とする人々には忌み禁じられた行いがあったという」。
 アベ様ら辺野古破壊者が「忌み禁じられた行い」を強行。アベ様やその「イヌ」たちも、神をも恐れぬバチアタリである。

   ●辺野古「この風景は戦争」:
       誇り高き「海猿」の実像は番犬様の飼い主「アベ様のイヌ」

   『●沖縄県民の民意は明白: 辺野古破壊者、沖縄で4度目の完敗
   『●沖縄県民の民意にお構いなし、
        辺野古破壊者は沖縄で4度目の完敗だというのに

   『●辺野古、自虐な気持ちにさせてはいけない:
       「海のイヌ」と「陸のイヌ」=「アベ様のイヌ」の犯罪再び


 松下竜一さんらの提起した「海は誰のものか?」「環境権」(※「環境権」は、アベ様らの壊憲に悪用されようとしている)。「海」はアベ様のイヌたちのものか?、番犬様・米軍のものなのなのか?

   ●海は誰のもの? ~繰り返される過ち~
   『●「玄海原発は日本一危険な原子炉」という説:
          安易な責任発言が「性(サガ)」を刺激する

   『●上関町長選での非常に残念な結果
   『●「「アイドル」を守れ!」
        『週刊金曜日』(2014年6月6日、994号)についてのつぶやき

     「取材班【漁業補償に5年間で約36億円か 政府、「辺野古」移設
      強行へ】、「民意を無視する新基地建設の強硬は、新たな
      「島ぐるみ闘争」への始まりになる」。松下竜一さんは
      「海は誰のものか?」を問うた。そして、今、沖縄と各地の原発問題で」

   ●アベ様の政権の「暴走」許す、批判精神無き、「牙」無きメディア
     「安倍首相の悲願は「憲法9条の改定」だとしても、9条の改定については
      どの世論調査でも反対意見のほうが多いため、そう簡単にはいかない。
      そこで政府・与党では国民の間に反対意見の少ない「環境権」の
      導入などから提起して、地ならしをしてから9条の改定にかかろうと
      計画しているようだが、果たしてどうなるか」

   ●改憲などしている場合か? ~壊憲派に勝たせてはならない~
     「何度も書いてきたが、東京電力原発人災の何ものも解決していない今、
      なぜ壊憲なのか理解に苦しむ。ドサクサ紛れに、火事場泥棒
      「菅氏は「憲法ができた当時はなかった環境権などを盛り込むのは
      自然だ」と、公明党が主張する環境権やプライバシー権などの
      加憲への配慮」という甘い汁を垂れ流している。騙されてはいけない

   『●騙されること・騙されたフリの責任: 何度でも騙される
     「公明党は、環境権や地方自治の拡充で新たな理念を加える「加憲」の
      立場だ。政党によって、また議員個人の信条によって、憲法への
      考え方は多様である」

   ●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(1/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(2/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(3/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(4/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(5/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(6/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(7/8)
   『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(8/8)
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
         松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●「草の根」に思いは永遠に:
        松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

     「73年、「環境権」を掲げ、海の埋め立てを伴う九州電力
      豊前火力発電所(福岡県豊前市)の建設について、差し止め裁判を
      仲間と起こした。米国スリーマイル島原発事故の前年の78年には、
      反原発を表明。反核や反戦、人権などをテーマにした機関誌
      「草の根通信」を約30年間発行し続けた」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015022002000171.html

【コラム】
筆洗
2015年2月20日

 一年ぶりに訪れた沖縄。辺野古の海は、そののんびりした表情を変えていた。漁港を囲む堤防を歩けば、先には小さな岩礁があり、そこに竜宮神をまつるささやかな社(やしろ)がある▼海底には竜宮があって、そこで海の神が大洋を司(つかさど)っている。航海の無事と豊漁を祈る祠(ほこら)は、豊かなサンゴ礁の海と人々の営みの結び目のようでもある▼そういう穏やかな眺めが、急変しつつある。海上保安庁の巡視艇が数隻並び、警備の小舟が行き交い、掘削調査のための大型の台船がどっかと座っている。海面からの高さ十メートル、長さ一・八キロという辺野古の海を一変させる滑走路の建設工事が進み始めたのだ▼海底では、さらに大きな変化が起きている。重さが最大四十五トンもあるコンクリートのブロックが次々沈められ、サンゴ礁を傷つけているという。業を煮やした沖縄県知事は政府に、工事を一時的にやめるよう求めた▼沖縄のみならず、この国には海の神への篤(あつ)い信仰があり、海を暮らしの場とする人々には忌み禁じられた行いがあったという。その一つが金属の物を海に落とすこと。ある地方では誤って包丁などを落とした時「許してつかわされ竜ごん様」とわびつつ、神酒を海に注いだそうだ▼竜宮の海に、包丁どころか巨大なブロックを落とし続ければ、辺野古の海と人との結び目は、結び直すことができぬほどに断ち切られるのだろう。
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●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

2014年06月09日 00時00分31秒 | Weblog


松下竜一さんの“最後”の「竜一忌」についての4つの記事。
asahi.comの記事【反骨の作家「竜一忌」終章 大分・中津で6月】(http://www.asahi.com/articles/ASG4X3TVPG4XTPJB003.html)、
読売新聞の記事【最後の「竜一忌」来月7日中津で】(http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/local/oita/20140521-OYS1T50022.html)、
佐賀新聞の記事【今年で最後の「竜一忌」に3百人】(http://www.saga-s.co.jp/news/national/10206/71925)、
西日本新聞の記事【「松下さんの思い継ぐ」 最後の「竜一忌」に300人 大分・中津】(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/93470)。

 一昨日、松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」が開催されたそうです。でも、「暗闇の思想」といった数々の松下竜一さんの思いは多くの「草の根」の「勁い」人々の胸に永遠に、だと思います。それを支えてこられた梶原得三郎さん・和嘉子さんをはじめ「草の根の会」の皆様に本当に敬意を表します。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん


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http://www.asahi.com/articles/ASG4X3TVPG4XTPJB003.html

反骨の作家「竜一忌」終章 大分・中津で6月
占部正彦
2014年5月7日19時54分

写真・図版
(↑すいません、勝手にコピペ: http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140507001215.html 松下竜一さん)

写真・図版
(↑すいません、勝手にコピペ:http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140507001217.html 最後の竜一忌の準備をする梶原得三郎さん=大分県中津市)

 反権力・反公害を貫いた作家、故・松下竜一さんをしのび、出身地の大分県中津市で開かれてきた「竜一忌」が、6月に予定している10回目で幕を閉じる。福島での原発事故後、改めてその生き方や発想に注目が集まっており、かつての市民運動の仲間や松下作品のファンには特別な集会になりそうだ。

 松下さんは、1937年生まれ。高校卒業後に家業の豆腐店を継ぎ、貧しい日々をつづってデビュー作となった「豆腐屋の四季」(69年)は、テレビドラマにもなった。甲山事件が題材の「記憶の闇」など社会派作品を中心に40冊以上の著作を残した。

 73年、「環境権」を掲げ、海の埋め立てを伴う九州電力豊前火力発電所(福岡県豊前市)の建設について、差し止め裁判を仲間と起こした。米国スリーマイル島原発事故の前年の78年には、反原発を表明。反核や反戦、人権などをテーマにした機関誌「草の根通信」を約30年間発行し続けた。
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http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/local/oita/20140521-OYS1T50022.html

最後の「竜一忌」来月7日中津で
2014年05月21日

   (最後の竜一忌の準備を進める梶原さん夫婦)

 中津市出身のノンフィクション作家、松下竜一さんをしのぶ「第10回竜一忌」が6月7日午後1時から、同市片端町の市立小幡記念図書館で開かれる。主催する「草の根の会」はメンバーの高齢化と10回目の節目になることを踏まえ、今回で最後の開催にする。

 松下さんは2004年に亡くなった。竜一忌は翌年から始まり、松下さんが進めた人間らしく暮らすため環境を守る活動や、著作で取り上げた課題をテーマにゆかりの人の講演や意見交換会を開いて交流を続けてきた。

 今回は「松下竜一の文学」がテーマ。松下さんと親交があり、戦時中、沖縄県で起きた集団自決などを書いたノンフィクション作家の下嶋哲朗さんが「松下センセとお豆腐」の演題で講演する。松下さんのデビュー作「豆腐屋の四季」に重ね、真っ白で四角い豆腐のような生き方だった故人をしのぶという。

 ドキュメンタリー監督の西山正啓さんが支援者らを撮影した映像の上映と、リレートークもある。

 草の根の会代表の梶原得三郎さん(76)は、1974年、福岡県豊前市での火力発電所計画に対し、「現在ある電力に見合う生活をすればよい」と、松下さんと一緒に問題提起をして以来、深い絆で結ばれてきた。

 竜一忌は、梶原さんと妻の和嘉子さん(76)が中心になって切り盛りしてきた。梶原さんは「松下さんの精神と、全国に広がったファンのつながりは消えないので、竜一忌が終わっても中津を訪れる人のお世話をしたい」と話している。

 参加費は資料代も含め2000円。問い合わせは梶原さん(・・・・・・)へ。

2014年05月21日
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http://www.saga-s.co.jp/news/national/10206/71925

今年で最後の「竜一忌」に3百人
出身地の大分・中津
2014年06月07日 19時40分

 エッセー「豆腐屋の四季」やミニコミ誌「草の根通信」で知られ、2004年に67歳で死去した作家、市民運動家の松下竜一さんを追悼する「竜一忌」が7日、出身地の大分県中津市で開かれた。ファンや支援者約300人が集った。05年から毎年開催されてきたが、10回目の今年で最後となる。

 支援者らでつくる「草の根の会」が主催した。代表の梶原得三郎さん(76)が「メンバーの高齢化でやめるが、多くの人に支えられた」とあいさつ。松下さんの長男健一さん(45)は「今、原発や憲法などいろいろな問題を抱える国を見て、父は何を思うだろうか」と問いかけた。

 35年来親交のあった作家下嶋哲朗さん(73)は講演で、環境権を掲げ、反原発を訴えた松下さんを「物事をしっかり判断し意見を持つ姿勢を貫いた人だ」と振り返った。

 冒頭では支援者がゆかりの歌を披露。松下さんの携わった運動を紹介する映像鑑賞や、参加者が思いを語るリレートークもあり、5時間以上にわたり故人をしのんだ。
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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/93470

松下さんの思い継ぐ」 最後の「竜一忌」に300人 大分・中津
2014年06月07日(最終更新 2014年06月07日 20時30分)

    (最後の竜一忌で、参加者たちが松下竜一さんへの思いを
     語ったリレートーク=7日夕、大分県中津市)

 反原発などの市民運動に取り組み、2004年に67歳で亡くなった大分県中津市のノンフィクション作家、故松下竜一さんをしのぶ年1回の集い「竜一忌」が7日、同市の小幡記念図書館で開かれた。主催者団体の高齢化により、10回目の今回で幕を閉じることになり、ファンら約300人は反骨を貫いた松下さんの生きざまに思いをはせた。

 あいさつに立った松下さんの長男健一さん(45)は原発再稼働をめぐる動きに触れ「父が生きていたら『まだ分からんのか。人の犠牲の上に成り立つ豊かさなんかいらん』と言うのが目に浮かぶ」としのんだ。

 ノンフィクション作家の下嶋哲朗さん(73)は講演で、松下さんが豆腐店を営んだことにちなみ、「社会を見るまなざしは豆腐のように鋭角だが、中身は非常に柔らかい。とことん優しい人だからこそ、社会に訴える力強い作品を書き尽くせた」と評した。

 参加者によるリレートークもあり、東京の会社員小島佑加莉さん(22)は「原発や憲法に関心を持たなければいけないのは私たちの世代常に弱者の視点に立ってきた思いを継ぎたい」と語った。

=2014/06/07 西日本新聞=
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●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン

2012年06月29日 00時00分30秒 | Weblog


asahi.comの古い記事(http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709220078.html)。

 偶然、下記の記事を発見。しかも、筆者は伊藤千尋さん!! なぜ伊藤さんなのかは知りませんが、短い文章ながら松下センセ洋子さんの二人の姿が活写されています。何かすごくうれしくなりました。写真も引用しようかと思いましたけれど、原文を是非ご覧ください。

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http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709220078.html

豆腐屋の四季
松下竜一と洋子
2007年09月22日

 赤い夕日を吸い取るように、川面がオレンジ色に映える。シラサギが飛び、魚が跳ねる。

    (松下竜一さんと洋子さんが毎日足を運んだ川沿いの散歩道。
         市民の憩いの場として一年中にぎわう=大分県中津市で)

    (書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル)

    (中津城裏にある河川敷公園。歌碑を建てる計画がある
                         =いずれも大分県中津市で)

    (69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一、洋子夫妻
                                      =松下洋子さん提供)

 英彦山(ひこさん)から耶馬渓(やばけい)を経て周防(すおう)灘(なだ)に注ぐ山国(やまくに)川。大分県中津市の河口に延びる川べりを30年以上にわたって毎日散歩する夫婦が、町の風物詩となっていた。3年前に67歳で亡くなった作家松下竜一さんと妻洋子さん(59)だ。
 松下さんは冤罪事件をただしたノンフィクション記憶の闇』などを著すかたわら、火力発電所の建設に反対して環境権を主張する市民運動の先頭に立った。自ら「年収200万円の売れないビンボー作家」を名乗った。
 健康のためでなく妻と寄り添って歩くことのできる歓(よろこ)びをかみしめるために毎日3時間も散歩した。今、同じ道を歩くと、洋子さんはこの水門でカモメにパン切れをやった。あの橋の下に並んで座って2時間、何も言わず川を見ていたと懐かしく語る。
 ふたりが出会ったとき、松下さんは豆腐屋だった。生まれた直後の高熱で右目を失明し、母の急死で大学進学をあきらめ、家業の豆腐屋を継いだ。肺の難病で医者から絶対安静を命じられたが、毎朝午前2時に起き、日が暮れるまで、「言葉を持たぬ獣のように暗い眼(め)をして」働いた。
 25歳のとき短歌を詠み始めた。文法も知らぬまま油まみれの指を折って五七五……と数え、「胸中から噴き上げるもの」を書き付けた。初めての作品が「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」だ。孤独や恨み、怒りを歌にぶつけた。
 同じ年、豆腐を卸す食品店の娘に恋をした。まだ中学生だった洋子さんだ。高校生の時、洋子さんが学校から帰ると、机の上に短歌を書いた便箋(びんせん)が置いてあった。「我が愛を告げんには未(いま)だ稚(おさな)きか君は鈴鳴る小鋏(こばさみ)つかう」。内気な洋子さんの心がときめいた。
 歌の贈り物は1年以上続き、35首に及んだ。洋子さんが高校を卒業して半年後、結婚した。引き出物がこの35首を収めた歌集「相聞」だ。
 結婚後に松下さんが日々の生活を文と歌でつづった『豆腐屋の四季』は、連続テレビドラマにもなった。
 松下さん役の緒形拳さん(70)は69年、中津市を訪れて松下さんとともに豆腐の配達先を回った。そこで会った女性を見てハッとする。洋子さんの母三原ツル子さんだった。緒形さんは直感で「松下さんって、あのお母さんを好きですよね」と言った。松下さんはドキッとした表情を浮かべた。
 このツル子さんこそ絶望のふちにあった松下さんを救った人である。彼女と出会わなければ自殺していた、と松下さんは書いている。短歌を作ることも、洋子さんと結婚することも、松下さんに勧めたのは彼女だった。
 松下さんは生前、墓碑銘を刻むならこうしてくれ、と言い残した。洋子とその母を愛し、ここに眠る


いつも一緒にいるから

 すべてはこの夢想から始まったと松下竜一さんは書いている。
 絶望しかけた心に突然、希望がわいた。どうして、そんなことを夢想し始めたのだろう。なんにもいらない。私を愛してくれる人さえいれば。25歳の日記にそう記した。短歌を詠み始める半年前のことだ。
 苦しい時期が続いていた。極端に貧しく、上京した弟たちも仕事が見つからず仕送りを求めてきた。たった一人の親友は病死した。死のうと家出したが残した家族を思うと死ねなかった。
 豆腐を配達したさい、いつしか店先で三原ツル子さんと話し込むようになった。「変わり者」と疎まれた松下さんにとって、彼女はたった一人の理解者だった。そのツル子さんが、内気な娘の洋子さんの将来が心配だとこぼした。このとき松下さんは、洋子さんの成長を待って妻に迎えようと思った。
 同時に、ツル子さんに激しい慕情を抱いていることに初めて気づいた。洋子ちゃんを幸せにすることで、あなたへの愛も成就すると告げた。

          ♪  ♪  ♪

 母を慕い娘に恋する複雑な感情を、緒形拳さんは一目で見抜いた。ツル子さんに会ったとき「この店に配達に行くのが松下さんの生きがいなんだと思った」という。緒形さんと松下さんは生まれた年もつらい境遇での育ちも同じだ。顔も似ていて、緒形さんは「会った瞬間、兄弟かと思った。松下さんは私の仕事に共感し、彼の書くものは私にとってひとごとではなかった」と言う。似た者同士だからこそ、とっさに理解できたのかもしれない。
 母といえば、松下さんの優しさを育んだのは母の光枝さんだった。失明した右目のホシを「竜一ちゃんの心が優しいから空の星が流れてきたのだよ」と説明した。「星なんかいらない」と泣く松下少年に、母は「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃんの優しさも心から消えるのだよ」と語りかけたという。松下さんは、早世した母の面影をツル子さんに見たのかもしれない。

          ♪  ♪  ♪

 夢想から4年後に結婚した松下さんは、11歳年下の洋子さんを大切に守ろうとした。仲むつまじさは近所の評判で、毎日一緒に散歩し、誕生日にはお互いに花を贈り、毎年旧婚旅行に出かけた講演で旅に出ても3日ももたずに洋子さんのもとに帰りたがり、友人たちはひそかに洋子病と呼んだ
 松下さんと一緒に市民運動をしてきた梶原得三郎さん(69)は洋子さんは無欲で素直で、物書きの奥さんにぴったりだった。松下さんは洋子さんがそばにいてくれて安心していた。気持ちの上でずいぶん洋子さんに寄りかかっていたと振り返る。
 松下さんが45歳だった1982年、私は「草の根通信」10周年の取材で、松下さん宅を訪問した。その後も93年に訪れたが、当時の洋子さんは口数少なく目を伏せて、松下さんの陰に隠れていた。今回、14年ぶりに訪れると、洋子さんが明るく変わっていた。
 若き日のことを洋子さんは母は私に『この人なら絶対に幸せにしてくれるから』と結婚を勧めた。嫌だと言えば母が悲しむと思ったし、『ま、いっか』と思い、意見も言わないまま結婚したと笑いながら打ち明けた。
 松下さんが脳出血で倒れたのは4年前だ。1年後、昏睡(こんすい)状態となった耳元で洋子さんがいつも一緒にいるからとささやくと、うなずいた。心臓が止まったが、洋子さんががんばってと手を握ると、再び動き出した。30分後、ありがとうという洋子さんの声を聞いたあと永久に停止した。

           ♪  ♪  ♪

 緒形さんは松下さんを横顔が神々しかった孤高の闘士で、やるべきことをすべてやって燃え尽きた、いい生涯だった。僕の中で松下竜一はまざまざと生きていると語る。ダム建設反対闘争を描いた松下さんの作品砦に拠る(とりでによる)』の映画化を考えている。
 福岡県築上(ちくじょう)町で米軍基地反対運動をする渡辺ひろ子さん(59)は、今も松下さんの遺影を基地のフェンスにかけて座り込む。梶原さんと友人の新木(あらき)安利さん(58)は、散歩道の川辺に松下さんの歌碑を建てようと計画している。「瀬に降りん白鷺(しらさぎ)の群舞いており豆腐配りて帰る夜明けを」の歌だ。
 洋子さんは今、娘と3人の孫と暮らす。散歩はひとりで、1日か2日おきだ。夜、眠れないときは北九州市の柳井達生さん(52)が作詞作曲した追悼歌「しろつめ草をふまぬよう」を聴く。散歩のさい、草も踏みつぶさないよう気遣ったふたりを歌ったものだ。
 松下さんの墓は家から歩いて10分ほどの墓地にある。『豆腐屋の四季』の印税で建てたもので、「松下家の墓」とだけ彫られている。洋子さんと一緒にお参りし顔を上げたとたん、上空をシラサギが一羽、飛び去った。

文・伊藤千尋、写真・藤脇正真


〈ふたり〉
 松下竜一さんは中津市で7人きょうだいの長男として生まれた。高校の成績は1番だったが、吐血して1年休学し文学を読みあさった。浪人中に母光枝さんが豆腐作りの作業中に過労で倒れ死亡。父健吾さんを助けて19歳で豆腐屋として働く。『豆腐屋の四季』出版後に豆腐屋を廃業し、33歳で作家となった。73年から火力発電所建設への反対運動に取り組み、機関誌「草の根通信」を編集、発行した。『ルイズ―父に貰(もら)いし名は』で講談社ノンフィクション賞を受賞。晩年は『本日もビンボーなり』などエッセーに本領を発揮した。
 洋子さんは市内の食品店の長女。子どもの名を連ねるとカン・キョウ・ケン環境権)になる。
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●松下竜一さんに関する私設図書館「松明楼」会館

2012年04月18日 00時00分56秒 | Weblog


朝日新聞の記事(2012年4月15日、日曜日、14版、38頁)。

    『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
    『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ

 松下竜一さんに関する私設図書館「松明楼」が開館したそうです。決して大々的ではないですし、全国的に松下さんの名を知っている人も多くはないでしょう。生前も、特に豆腐屋を廃業し執筆活動に専念した当時、中津の地元でさへも好意的には思われていなかったでしょう。でも、松下さんの思想は、細々かもしれないけれども、しっかりと草の根を下し、脈々と受け継がれているし、今後も続いていくと信じる。

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【朝日新聞、2012年4月15日、日曜日、14版、38頁】

松下竜一さん著書など一堂に
 大分に私設図書館

 脱原発など環境運動に取り組んだ作家の故・松下竜一さんの著書などを集めた私設図書館「松明楼(たいまつろう)」が14日、大分市にできた。今も松下さんを名誉顧問とするNPO法人「九州・自然エネルギー推進ネットワーク」の小坂正則代表が、自宅を改装した。
 松下さんは「今あるだけをみんなで分かち合えばいい」「停電の日があってもいい」と主張する論文「暗闇の思想」を72年に発表。73年から2004年に亡くなるまで、ミニコミ誌「草の根通信」を発行した。
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●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ

2011年10月30日 00時00分06秒 | Weblog


ウェブ上にもアップされていないし、ネット上でも誰も文字起こししていないようなので、やってみます(いかん、いかん、仕事しなくちゃ)。朝日新聞さん、ごめんなさい。

 朝日新聞の社会面トップです。若き日の松下センセの写真付き。思わず、朝から「お~っ」という声が出てしまいました。地方版のみでしょうけれどもね。いまこそ、原発に依存する東京といった大都市や原発の地元、原発推進者こそが読むべき記事だと思うのですけれども。
 しつこいですが一昨日のブログでも取り上げていたので、妙な一致を奇妙に思いました。松下竜一さんはやはりすごい人物だなと再確認。いまこそ「暗闇の思想」を。39年前(!!)の論考だけれども、今こそ。

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【朝日新聞、14版、2011年10月29日、p.37】

暗闇の思想原発問う

 今ある電力で成り立つ文化生活を考えよう

     原発事故と節電要請を受け、電力とどう向き合うべきか。
    その手がかりを、約40年前に九州電力火力発電所(福岡県豊前市
    建設への反対運動から生まれた論文「暗闇の思想」に求め、
    読み直して再評価する動きが静かに広がっている。

 

 40年前の論文再評価

 「暗闇の思想」は反公害、反権力を貫いた大分県中津市の作家、松下竜一〈※〉=(1937~2004)が1972年12月16日の朝日新聞夕刊文化面(西部本社版)で発表した。

   --------------------------------------------------------------
     〈※〉松下竜一
        1937年、大分県中津市生まれ。高校卒業後、家業の豆腐屋を継ぎ、
       貧しい日々をつづった「豆腐屋の四季」で作家デビュー、
       テレビドラマにもなった。70年に豆腐屋をやめ、反公害、反原発の
       運動を始める。73年、「環境権」を掲げて豊前火力発電所
       (福岡県豊前市)の建設差し止めを求めて提訴。運動の機関紙
       「草の根通信」を発行し続け、40冊以上の著作を残した。
       2004年6月に病気で死去。
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 2100字余りの寄稿で、松下は「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さなければならぬ」とつづり、「いまある電力で成り立つような文化生活をこそ考えよう」と呼びかけた。豊前火発の建設に反対する中で、「反対するなら電気を使うな」という推進派の批判に向き合って生まれた。
 当時は「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博から2年あまり、田中角栄元首相が就任直前に「日本列島改造論」を出版して半年。光化学スモッグや四日市ぜんそくなど各地で大気汚染が深刻化していた。だが、豊前火発は建設された。

   ■   ■

 論文掲載からほぼ39年。今月10日、福岡市内の会議室で、松下の著作を読む勉強会が開かれ、大学生や教師ら約10人が集まった。
 「電気を一度なくしてみたら本当に必要なもの、大事なものが分かる」 「原発反対の原点は命が大事ということ」 「経済的な先進国からさらに一歩進んだ境地を目指すべきだ」 「原発推進派は金まみれ。きれいごとだけでは片付かない」
 企画した福岡県宗像市の大学院生上野崇之さん(30)は東日本大震災を機に「何かしたい」と動き、松下の著作と出会った。
 5月、脱原発を目指す市民らが座り込む「九電本店前ひろば」を訪ね、知り合った大学生らと節電の呼びかけを思い立つ。電力需要が減れば、原発の必要性も減る、と考えた。九電は夏場、最大15%の節電を求める方針だった。だが、街に出て節電を促すチラシを配ると、「ひろば」で「暗闇の思想の一読を薦められた
 松下は、生活や社会のあり方自体を問うていた。自分の考えが「より深いところから基礎付けられた」。一方で、思想が広く支持されなかったために現在の状況が生まれたのではないか。思想が生まれた背景やその後を知りたいと関心は深まっている。

   ■   ■

 松下と同年生まれで、ともに市民運動に取り組んだ大分県中津市の梶原得三郎さん(74)は、「若い人たちが彼に学ぼうとしてくれるのがうれしい」と話す。
 震災後、往時を知る人たちから「松下さんが生きていれば、今何を言っただろうか」と連絡が入り、毎年6月に開く竜一忌には今年も約150人が集い、反原発への思いを語り合った。
 梶原さんは「経済のために原発を動かせというのでは40年前と変わらない。原発を止め、今あるだけの電気でやっていける工夫に知恵を絞るべきだ」と話す。
 再読の動きは出版界にも広がる。「反原発の思想」を特集した雑誌「現代思想」10月号で2人の論者が「暗闇の思想」に言及。花乱社(福岡市中央区)が11月中旬をめどに「暗闇の思想」全文と松下の講演を収載した本を出版するほか、東京の出版社が松下の著書「暗闇の思想を」の復刻を目指している。 (古城博隆)

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 「暗闇の思想」抜粋

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 あえて大げさにいえば、〈暗闇の思想〉ということを、このごろ考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。
 きっかけは、電力である。原子力をも含めて発電所の公害は、今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。
 電力が絶対不足になるのだという。年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲(どんよく)な電力需要は必然不可欠であろう。
 しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効果の枠内で解消しがたい。そこで、電力会社と良識派を称する人々は、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で公害を免罪しようとする。国民全ての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理だ出てくる。
 本来ならこういわねばならぬのに ――― だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと
 じゃあチョンマゲ時代に帰れというのかと反論が出る。現代を生きる以上、私とて電力全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。
 まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ。一つは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。
 冗談でなくいいたいのだが、〈停電の日〉をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でも、テレビ離れした〈暗闇の思想に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟(しい)してみようではないか
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●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)

2011年01月09日 00時05分31秒 | Weblog

前半へのリンク


松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』、11月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年6月第1刷発行。

 『草の根通信』(p.78、159、223)。ガサ入れという警察の嫌がらせで購読者が減るどころか、ますます増加。警察は地団駄でしょうね。
 盟友得さん(p.82、148、219、297、310、324、373、387)。『明神の小さな海岸にて』、梶原和嘉子さんとの問答(p.297)。

 〝殺人〟は絶対に否定されなければならない・・・でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか、には耳を傾ける必要がある。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』。東アジア反日武装戦線〈狼〉の大道寺将司さん(p.159、163、183、186、194、199、209、218、221,226、233、242)。
 
オウム・麻原氏に関する森達也さんの『A3』でも感じたこと。「・・・拒絶反応だと断じざるを得ない。/・・・私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」(p.160)。
 
反日集会での一人の若者からの質問に対して松下センセは、「・・・つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」(p.162)。「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」(p.2101)。
 
司法や警視庁の横暴。荒井まり子さんと田中伸尚さん(p.198、247、249)。田中さんも同件でガサ入れ、しかも、ガサ国賠裁判一審判決で不当な敗訴(p.237)。ガサ入れの無茶苦茶な令状を発布した裁判官を訴えた国賠訴訟に、「国家権力を相手の国賠裁判では、民を全面的に勝たせるほどに気骨のある裁判官はこの国の司法界には存在しないのだろう」(p.232)。「今回の一連の令状を出し続けているのが東京簡裁で、司法段階でのチェック機能が全く放棄されているとしか思えない。・・・東京簡裁の自省を求め、これ以上の令状乱発を阻みたいがためなのだ。/・・・。/『草の根通信』を受け取り拒否してきた人が一人、・・・いるが、逆に新規購読申し込みは・・・九十人にも達している。凄いとしかいいようのない勢いである。警視庁さん、くやしいでしょうな」(pp.222-223)。「・・・八年余の歳月を強いられたわけで、それ自体理不尽である。・・・/・・・。/・・・被告に二名の裁判官を特定した・・・。そもそも家宅捜査の令状を発布するのは裁判官なのだ。警視庁からの・・・令状請求を、裁判官がその段階できちんとチェックしていれば、百数十人にも及ぶ捜査令状は乱発されていなかったはずなのだ。/しかし一審を通じて、東京地裁はついに、令状を乱発した二人の裁判官を法廷に呼ばなかった。・・・。/・・・。/ちなみに、勝訴した私は十万円を貰ったかというと、それは貰えない。・・・賠償金の何倍もの出費を強いられるわけで、まことに国家権力に刃向かう民草の立つ瀬はないのである」(pp.238-239)。大赤字の勝訴(p.240)。「簡易裁判の(家宅捜査)令状請求に対する却下率は0.0六五九%、地方裁判所でも0.二七%という。・・・つまり警察の請求した令状を却下する数は限りなくゼロに近い・・・(しかも、ガサ裁判では令状を出した裁判官の罪は一切問われることはないままに終わった)」(p.253)。
 
田中伸尚さんらの控訴審で福島瑞穂弁護士からの要請で松下センセが意見陳述(p.245)。「大逆事件」、「横浜事件」(p.251)。
 
『腹腹時計』(p.218、225)。
 
在りし日の『朝日ジャーナル』に載った記事、「出かけようとして踏み込まれる側の論理」(pp.224-228)。伊方原発での出力調整実験反対運動に対する〝運動つぶし〟、「東京簡裁は司法サイドのチェック機能を全く放棄してしまっているとしか思えない」。
 
大道寺あや子さん、浴田由紀子さん、重信房子さん(p.234)。

 
『豆腐屋の四季』と〈いのちき〉(p.165、368)。緒形拳さん(p.171)。

 
大分県臼杵市の風成(かざなし)の漁村のお母さんたちの大阪セメントに対するすさまじい闘いを描いた『風成の女たち』(p.176)。そこで指摘された松下センセ自身の足元の問題が周防灘総合開発計画。

 ガサ入れが結ぶ縁。日本赤軍コマンド泉水博さん(p.191、207、214、219、240、244)。『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』。
 『豆腐屋の四季』が取り持つ縁。鎌田俊彦さん(p.196)。

 完全無罪判決後も無謀な追及を続ける警察。記憶の闇、甲山事件と山田悦子さん(p.257)。伊藤ルイさん(p.265)。無謀な神戸地検(p.265)。浅野健一さん(p.266)。判決前に、冤罪被害者と確信しての『文藝』に一挙掲載された長編ノンフィクション『記憶の闇 ―――甲山事件[1974←1984]』(p.268)。

 
遺族には申しわけないが、暴走する検察審査会(p.270)。

 人殺しの練習(p.327)。日米合同軍事演習に凛と反対を唱える伊藤ルイさん(p.334、345)。
 井上澄夫さん(p.351)。
 下筌ダム反対闘争の鬼と化した室原知幸さんについての『砦に拠る』(p.365)。〝拠る(よる)〟とは、立て籠もること。
 アメリカ空軍の射撃場にされた「梅香里(メヒヤンリ)」(p.368)。
 福島菊次郎さん(p.378)。
 「・・・こうして通い続けることが私の答えなのだ・・・。/・・・風成の闘いの中で・・・。/・・・黙っているかぎりはその人は賛成にかぞえられているのだから、と」(p.383)。
 「・・・自衛隊が米軍とともに戦争をする軍隊へとさらに進むことを意味する。・・・「集団的自衛権」を否定した憲法に抵触するものであるとともに、そのようなかたちで自衛隊員らを、殺し殺される戦場に送り出すことを私たちは絶対に許すわけにはいかない」(p.396)。

 新木さんの解説から。「「疾風勁草」・・・。松下さんは激しい風の中でも、「強靭な意志」を峻立させて踏ん張った勁草であった。・・・負けても負けても闘い続ける草の根の一灯は、一隅を照らし、社会の木鐸となる。「斃(たお)れて止まざるは我道なり」と田中正造は言っている。・・・。/松下さんが増田宋太郎を描いた『疾風の人』は「疾風怒濤」という言葉からきていると思われるが、松下さんは「疾風勁草」の「勁草の人」である」(pp.422-423)。「・・・魯迅は「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となる」・・・。小田実さんは「環境」という言葉は、松下さんたちの努力・たたかいがあって社会に定着してきたのだと言っている」(pp.429-430)。

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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(1/8)

2010年01月31日 19時02分44秒 | Weblog

松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程』、1月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2008年6月刊。

 扉の写真は、豊前市明神海岸にて松下センセ。福岡地裁小倉支部にて七人のサムライ、そして、「アハハハ・・・・・負けた負けた

 Ⅰ章「タスケテクダサイ」、Ⅱ章「暗闇の思想を掲げて」、Ⅲ章「「アハハハ・・・・・・負けた、負けた」」、Ⅳ章「草の根通信は続く」。

 松下センセの目を見開かせた岡部保さん仁保事件(pp.5-16)。

 大分県臼杵風成裁判(p.31、40、50、101、117)。「〈父性の文明〉・・・。/それをやれるのは〈母性の文明〉しかあるまい。・・・/・・・公害企業の進出から守りぬいた中心は、風成という小漁村の母たちであった。・・・〈母性文明〉の価値観が、物質的豊かさよりも、貧しくても美しい環境を選択したのだ」(p.101)。

 「電気需要増加は必至ではないかという問いかけ・・・。・・・現在の電力に頼りきった文化生活そのものへの反省と価値転換であり、少数の被害者には目をつぶって成り立つ多数の幸福という暗黙裡の差別的発展への懐疑であり、さらに大きく根本的には、電力をとめどなく食いつぶしてやまぬ高度経済成長政策の拒否である」(p.107)。「・・・だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。/じゃあチョンマゲ時代に帰れというのか、と反論が出る。必ず出る短絡的反論である。・・・今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。・・・/・・・ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。/「一体、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、・・・開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。・・・/・・・都会思考のキャッチフレーズで喧伝されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、〈暗闇の思想があらねばなるまい」(pp.116-117)。内橋克人さんの〈浪費なき成長につながる〈暗闇の思想〉。
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