ウェブ上にもアップされていないし、ネット上でも誰も文字起こししていないようなので、やってみます(いかん、いかん、仕事しなくちゃ)。朝日新聞さん、ごめんなさい。
朝日新聞の社会面トップです。若き日の松下センセの写真付き。思わず、朝から「お~っ」という声が出てしまいました。地方版のみでしょうけれどもね。いまこそ、原発に依存する東京といった大都市や原発の地元、原発推進者こそが読むべき記事だと思うのですけれども。
しつこいですが一昨日のブログでも取り上げていたので、妙な一致を奇妙に思いました。松下竜一さんはやはりすごい人物だなと再確認。いまこそ「暗闇の思想」を。39年前(!!)の論考だけれども、今こそ。
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【朝日新聞、14版、2011年10月29日、p.37】
「暗闇の思想」原発問う
今ある電力で成り立つ文化生活を考えよう
原発事故と節電要請を受け、電力とどう向き合うべきか。
その手がかりを、約40年前に九州電力火力発電所(福岡県豊前市)
建設への反対運動から生まれた論文「暗闇の思想」に求め、
読み直して再評価する動きが静かに広がっている。
40年前の論文再評価
「暗闇の思想」は反公害、反権力を貫いた大分県中津市の作家、松下竜一=〈※〉=(1937~2004)が1972年12月16日の朝日新聞夕刊文化面(西部本社版)で発表した。
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〈※〉松下竜一
1937年、大分県中津市生まれ。高校卒業後、家業の豆腐屋を継ぎ、
貧しい日々をつづった「豆腐屋の四季」で作家デビュー、
テレビドラマにもなった。70年に豆腐屋をやめ、反公害、反原発の
運動を始める。73年、「環境権」を掲げて豊前火力発電所
(福岡県豊前市)の建設差し止めを求めて提訴。運動の機関紙
「草の根通信」を発行し続け、40冊以上の著作を残した。
2004年6月に病気で死去。
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2100字余りの寄稿で、松下は「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さなければならぬ」とつづり、「いまある電力で成り立つような文化生活をこそ考えよう」と呼びかけた。豊前火発の建設に反対する中で、「反対するなら電気を使うな」という推進派の批判に向き合って生まれた。
当時は「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博から2年あまり、田中角栄元首相が就任直前に「日本列島改造論」を出版して半年。光化学スモッグや四日市ぜんそくなど各地で大気汚染が深刻化していた。だが、豊前火発は建設された。
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論文掲載からほぼ39年。今月10日、福岡市内の会議室で、松下の著作を読む勉強会が開かれ、大学生や教師ら約10人が集まった。
「電気を一度なくしてみたら本当に必要なもの、大事なものが分かる」 「原発反対の原点は命が大事ということ」 「経済的な先進国からさらに一歩進んだ境地を目指すべきだ」 「原発推進派は金まみれ。きれいごとだけでは片付かない」
企画した福岡県宗像市の大学院生上野崇之さん(30)は東日本大震災を機に「何かしたい」と動き、松下の著作と出会った。
5月、脱原発を目指す市民らが座り込む「九電本店前ひろば」を訪ね、知り合った大学生らと節電の呼びかけを思い立つ。電力需要が減れば、原発の必要性も減る、と考えた。九電は夏場、最大15%の節電を求める方針だった。だが、街に出て節電を促すチラシを配ると、「ひろば」で「暗闇の思想」の一読を薦められた。
松下は、生活や社会のあり方自体を問うていた。自分の考えが「より深いところから基礎付けられた」。一方で、思想が広く支持されなかったために現在の状況が生まれたのではないか。思想が生まれた背景やその後を知りたいと関心は深まっている。
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松下と同年生まれで、ともに市民運動に取り組んだ大分県中津市の梶原得三郎さん(74)は、「若い人たちが彼に学ぼうとしてくれるのがうれしい」と話す。
震災後、往時を知る人たちから「松下さんが生きていれば、今何を言っただろうか」と連絡が入り、毎年6月に開く竜一忌には今年も約150人が集い、反原発への思いを語り合った。
梶原さんは「経済のために原発を動かせというのでは40年前と変わらない。原発を止め、今あるだけの電気でやっていける工夫に知恵を絞るべきだ」と話す。
再読の動きは出版界にも広がる。「反原発の思想」を特集した雑誌「現代思想」10月号で2人の論者が「暗闇の思想」に言及。花乱社(福岡市中央区)が11月中旬をめどに「暗闇の思想」全文と松下の講演を収載した本を出版するほか、東京の出版社が松下の著書「暗闇の思想を」の復刻を目指している。 (古城博隆)
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「暗闇の思想」抜粋
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あえて大げさにいえば、〈暗闇の思想〉ということを、このごろ考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。
きっかけは、電力である。原子力をも含めて発電所の公害は、今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。
電力が絶対不足になるのだという。年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲(どんよく)な電力需要は必然不可欠であろう。
しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効果の枠内で解消しがたい。そこで、電力会社と良識派を称する人々は、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で公害を免罪しようとする。国民全ての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理だ出てくる。
本来ならこういわねばならぬのに ――― だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。
じゃあチョンマゲ時代に帰れというのかと反論が出る。現代を生きる以上、私とて電力全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。
まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ。一つは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。
冗談でなくいいたいのだが、〈停電の日〉をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でも、テレビ離れした〈暗闇の思想〉に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟(しい)してみようではないか。
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ひろば・「楽しい節電ライフ」というのを今年の5月、友人たちと始めました。ご紹介いただいている記事にある勉強会を主催した、‘若者’の一人です。
(今日の九電本店前ひろばのメールを読んで来ました。)
九電本店前ひろばで、70年代、80年代から反原発運動に取り組まれている方々と出会い、松下竜一さんの著書、「暗闇の思想を」のことを教えられました。
たくさんの原発が建設されていた70年代に、松下さんたちは豊前火力発電所の建設に反対しておられた。また、火発建設だけでなく、それが一部を成す周防灘開発が地元の自然を破壊してしまうことに危機感を燃やし、阻止しようと奔走された。
純粋に松下さんの思想を知りたいという気持ちもありましたが、それだけでなく、今高まりを見せている「脱原発」運動を見つめ直す手段として、また、今の世代間の断絶した関係を修復する手がかりを得る意味でも、今回の勉強会が役に立ちはしないだろうかとの考えがありました。
「電気は足りてるから原発いらない」。確かにそうだけど、それだけは語れない大事なことがありはしないか??
それを作家としての言葉で語ってくれたのが、松下さんなのだと思います。
私たちのブログもありますので、
(http://hirobasetsuden.blog.fc2.com/)
記事はたくさんはありませんが、お時間あるときにのぞいてみてくださいませ。