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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(4/8)

2010年01月31日 18時55分14秒 | Weblog

梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程

 心の中での葛藤。「執拗にこだわりたいのは闇なのだ。発電所建設反対運動を押し進める者の拠るところ、つづまりは〈暗闇への志向〉以外にあろうか。/・・・/もとよりわれら住民が撲(う)つのは公害であってみれば、公害の問題に需要などの入りこむ余地はないと、一言に峻拒する正論である。・・・/・・・やはりこの舌鋒の刺すきっ先は、みずからにかえってくる部分を含まぬとはいいきれぬ。/・・・/それにカッコよく応ずる論理はない。・・・/恥ずかしながら、ささやかな電力はほしいのであり、それをしも否定しさるのではなく、ただ貪欲に野放図にふくれあがり海岸線を喰いつぶしてやまぬ電力需要を懐疑し瞬絶し、われらの豊前平野と周防灘を守り抜かんとするのみである。いうまでもなく、われらの志向する暗闇も光ありての闇であり、ともに綯(な)い合わせてこそ、密度も放射も濃いのである。闇が闇であり続けてもならぬし、光が光のみであり続けてもならぬ。/筑豊の闇を棲み家とする作家上野英信氏の、既にして十年前の断片を引こうか―――。/
  
闇―――それはけっして空間ではない。・・・どこにも闇をたたえない近代式
  アパート
生活者たちの倦怠と無気力を思った。/・・・闇を持たない人間。
  それゆえに真の光を
もたない人間。かれらは生まれた国ももたず、生むべき国も
  もたぬ二重の国籍喪失者
として、人工光線のうすら明りの海をけだるく
  さ迷い歩くだけである。
闇ありて光は放射し、光ありて闇は密度を深化する。さればわれらの暗闇への志向とささやかなる電力要求と、なんの矛盾であろうか。われらは敢然と開き直って家庭用電力を要求し、しかして〈停電の日〉を要求することによって、これ以上のとめどない発電所建設を、もちろん高度経済成長そのものとともに、明快に否定しさるのである」(pp.150-155)。

 「「・・・多少の公害はあるじゃろう、しかし、なんちゅうてん電力は国にとって必要じゃもんな―――」と説くときの良識派市民の口ぶりたるや、まるで国政の一端をでもになうエライさん化したがごとく憂いに満ちているのである。おお、田舎のおっさんが、国の電力まで心配しているいじらしさ(待てよ、この表情は・・・ああ思いつく。ちょうど選挙のとき、おだてられて票集めの先兵となって駆けまわる田舎のおっさんが、さもいっぱし代議士某と結びついて政治の重要部分に関与しているごとく、興奮にのぼせあがって懸命なさまと、なんと酷似していることか)。/日頃、政治のセの字も触手できぬ背番号的市民われらであれば、かかるときこそテッテイテキに復讐の快を遂げればならぬのだ。「俺たちは電力を要求する。されど俺んちのそばにゃ発電所は真っぴらごめんだ。―――さあ、あとどうするかはお国の方で考えろちゃ。国っちゅうもんな、そんなこつ考えるためにあるんと違うんけ?」と開き直ってうそぶけばいいのである。それが現状況で、みずからの命と健康を守りわが里を守る住民側のしたたかな論理である。しかり、開き直ること以外に、虫ケラ住民われらに抵抗の論理があられようか。/・・・はっきりしていることは、民衆にとって電力危機即社会の破局ではないことだ。・・・/電力危機を恐れること民衆にあらずとすれば本当にそれを破局としてうろたえる者は、いま電力危機を煽りたてている電力会社であり財界であり政界以外の誰だというのだ」(pp.156-157)。
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