Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し

2017年03月23日 00時00分34秒 | Weblog

[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg


[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220088.jpg)]


東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】竜一の愛した書斎】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html)。
毎日新聞の大漉実知朗記者の記事【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】(http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c)。

 《大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。…「砦に拠る」…「ルイズ」…「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》。
 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された》。

 洋子さんは《結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい》と。《従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さんのご自宅が、昨年末に、取り壊されていたとのこと…。《生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていた》ことから、取り壊しとなった。
 迂闊にも気付かなかった…。他に報じているところを探してみて、毎日新聞の記事を見つけました。
 でも、松下洋子さんや梶原得三郎さん、梶原和嘉子さんのご様子も知れて、良かった。《数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託》、さらに、一般公開もされるようです。
 和嘉子さんの歌<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中>。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html

【私説・論説室から】
竜一の愛した書斎
2017年3月22日

 大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。市道拡幅の対象になったためだった。地方に根差し、反公害・反原発運動などを通じて戦後日本の矛盾を見つめてきた作家の話をじかに聞きたいと、六十七歳で亡くなる前年の二〇〇三年、訪ねたあの家が今はない。

 築五十年は過ぎていたその家は、若き日に営んでいた豆腐店の面影を残していた。土間に板を張っただけの書斎。そこが一日の居場所だった。食べて、寝て、客を迎え、孫が走り回る。生活のすべてが詰まったこの簡素な部屋から松下さんの思索はつむがれていた

 国家事業のダム建設に抗(あらが)う男の物語「砦(とりで)に拠(よ)る」、大正の「アナキスト」大杉栄伊藤野枝遺児を描く「ルイズ」、甲山事件の冤罪(えんざい)を訴えた「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く今日にそのまま通じる主題である。全三十巻の「松下竜一 その仕事」(河出書房新社)、「未刊行著作集」(海鳥社)は今こそ読まれてほしい。

 家の解体を見守ったのは七〇年代に地元で起きた火力発電所建設反対闘争以来の盟友、梶原得三郎さん(79)と妻の和嘉子さん(79)。数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託を待つ。書斎が壊される時だけ雨が土砂降りになったという。和嘉子さんは万感の思いを歌に詠んだ。<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中> 

佐藤直子
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http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c

松下竜一さん
自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える
毎日新聞2017年3月13日 09時15分(最終更新 3月13日 09時31分)

     (自宅の書斎でくつろぐ在りし日の松下竜一さん
      =梶原得三郎さん提供)
     (市道拡幅のため取り壊された松下竜一さんの自宅
      =梶原得三郎さん提供)

 反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された。蔵書などは市立小幡記念図書館に寄託される予定で、同館が整理した後に一般公開する

 自宅は木造瓦ぶき2階建てで、かつては家業の豆腐屋を兼ねていた。松下さんは高校卒業後の1956年、貧困から大学進学を断念し、自宅で父親の豆腐作りを手伝いながら短歌を詠み新聞に投稿する生活を続けた。68年に短歌を軸に恋や青春の苦悩を描いたノンフィクション「豆腐屋の四季」を自費出版。後に講談社が単行本として出版するとベストセラーとなり、俳優の故緒形拳さん主演でテレビドラマにもなった。

 70年に豆腐店を廃業し、「無謀」との声もある中で33歳から文筆業に専念。豆腐作りの作業場を改築して書斎とし、下筌(しもうけ)ダムの建設反対闘争を主導した室原知幸さんを描いた「砦に拠(よ)る」(77年)や、アナキストの大杉栄の娘、伊藤ルイさんの半生をたどり講談社ノンフィクション賞を受けた「ルイズ-父に貰(もら)いし名は」(82年)など数々の硬派ノンフィクションを執筆した他、ミニコミ誌「草の根通信」を発行した。

 一方で「底ぬけビンボー暮らし」などユーモアあふれるエッセーも書き、老朽化した小さな自宅は読者にはおなじみだった。市民らから「せめて書斎は保存してほしい」などと惜しむ声もあったが、生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていたこともあって取り壊しを決めた。

 解体前には、「松下竜一の青春」などの著作がある福岡県築上町の元図書館司書、新木安利さん(67)が約4000点の蔵書と資料を引き取り、図書館へ寄託するための仕分け作業を進めている。解体した当日は雨が降り、松下さんの同志だった中津市の市民運動家、梶原得三郎さん(79)の妻和嘉子さん(79)が「竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中」と詠んで泣いたという。

 市内で長女と同居する松下さんの妻洋子さん(69)は「結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい」と話している。【大漉実知朗】
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●「トラウマ」で騙したイラク戦争の現実:ブッシュ氏はなぜ靴を投げつけられ、「犬」と蔑まされたのか?

2015年10月02日 00時00分24秒 | Weblog


東京新聞の社説【湾岸戦争のトラウマ 安保法案に通じるだまし】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015091202000135.html)。

 壊憲法・戦争法が成立する前の社説。
 《安保関連法案をめぐり、首相は「自衛隊がかつての湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ない」と断言する。「湾岸戦争のトラウマ」を利用し続けた政府の言葉を信用できるだろうか国民をだましているのではないか、との疑念は国会審議を通じて、高まりつつある》。

 イラク侵略戦争の「トラウマ」で騙くらかしておいた、その現実とは? ブッシュ氏はなぜ靴を投げつけられ「犬」と蔑まされたのか?、考えた方がいい。

   『●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(2/2)
    「最後は、梶原得三郎さんの「松下さん、あなたが記憶される
     限りまだ希望はある、と思いたい」。「属国と化したこの国の現状」。
     「・・・ブッシュ大統領めがけて、イラク人記者が
     靴を片方ずつ投げつけたのです。・・・「イラク人からのさよならの
     キスだ、犬め」、「これは夫を亡くした女性や孤児、殺された
     すべての人のためだ」といいながら投げた・・・一般に
     イスラム世界では「犬」と呼ぶのも靴を投げつけるのも
     「最大級の侮辱」だということです。/・・・訪問先の国で
     これほどの怒りを直接にぶつけられたことは長く記憶される
     べきだと思います。・・・イラクに攻め込んで十万人もの人々を
     殺したブッシュに対する抗議としては控えめに過ぎるといわねばなりません」」
   『●「欺瞞」による悲劇が続くイラク
   『●靴を投げられたブッシュ氏のいま
   『●「自己責任」バッシングと
     映画『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件・・・そして』

 「赤紙」を送りつけ、「人殺し」に戦場へ行かせるアベ様ら、靴を投げつけられ「犬」と蔑まされる日は近いかもしれない

   『●「「死にたくない」だけでは足りない、
     「人を殺したくない」という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」


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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015091202000135.html

【社説】
湾岸戦争のトラウマ 安保法案に通じるだまし
2015年9月12日

 自衛隊海外派遣の必要性を意味する「湾岸戦争のトラウマ(心的外傷)」。安全保障関連法案の制定を目指す安倍晋三首相も、これにとらわれている


◆感謝広告になかった日本

 トラウマの原点は一九九一年の湾岸戦争にある。イラクの侵攻から解放されたクウェートが米国の新聞に出した感謝の広告には三十の国名が並び、百三十億ドルの巨費を負担した「日本」の名前はなかった。日本政府の衝撃は大きかったが、間もなく政府は自衛隊海外派遣の必要性を訴えるキャッチフレーズとして使い始める

 米国が始めたイラク戦争に自衛隊を派遣するためのイラク復興支援特別措置法を審議した二〇〇三年六月の衆院特別委員会。当時の石破茂防衛庁長官は「湾岸戦争から学んだものは、やはり、お金だけでは責任を果たしたことにはならない」と述べ、“トラウマ効果”を利用した。

 湾岸戦争の後、衆院に初当選した安倍首相もこのトラウマを共有している。〇六年の著書「美しい国へ」では「このとき日本は、国際社会では人的貢献ぬきにしては、とても評価などされないのだ、という現実を思い知ったのである」と書いている。

 なぜ、意見広告に日本の名前がなかったのだろうか。政府はこれを調べることなく、人的貢献の必要性を言いはやし、翌九二年、自衛隊を海外へ派遣する国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させて陸上自衛隊をカンボジアに派遣した。

 派遣後の九三年四月になって、政府は追加分九十億ドル(当時のレートで一兆一千七百億円)の使途を公表した。配分先のトップは米国で一兆七百九十億円、次いで英国三百九十億円と続き、肝心のクウェートへは十二カ国中、下から二番目の六億三千万円しか渡されていない大半は戦費に回され本来の目的である戦後復興に使われなかったのである。


◆「逆手」にとった日本政府

 それだけでも感謝の広告に名前が出ない理由になり得るが、本紙の取材であらたな証言が飛び出した。湾岸戦争当時、東京駐在だったクウェート外交官で現在、政府外郭団体の代表は「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した」と明かし、米国防総省に求めた多国籍軍リストがそのまま広告になったという。多国籍軍に参加していない日本の名前がないのは当たり前だったことになる

 クウェート政府に問い合わせていれば、たちまち明らかになった話だろう。解明しようとせず、「湾岸戦争のトラウマ」を逆手にとって焼け太りを図る様は、まともな政府のやることではない

 このトラウマがイメージを先行させる手法だとすれば、安倍政権下で健在である。

 首相は憲法で禁じられた集団的自衛権の行使が例外的に許される「存立危機事態」の事例としてホルムズ海峡の機雷除去を挙げる。「わが国が武力行使を受けた場合と同様な深刻重大な被害が及ぶことが明らかな状況。石油が途絶え、ガスも途絶えてしまうと、厳寒の時期に生命自体が危うくなる」(七月三十日参院特別委)と「生命の危機」を強調した。

 野党から、主要六カ国と核開発問題で合意したイランが機雷封鎖する前提は非現実的と指摘されようとも、また中東の石油はパイプラインを通じて海峡を通過せずに輸入できるし、日本には二百日分を超える石油備蓄があると反論されても、どこ吹く風である。

 米軍の輸送艦に乗った日本人母子のポンチ絵を前に「まさに紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」(一四年五月十五日の記者会見)と熱弁を振るったものの、野党からこの話のどこが「存立危機」なのかと問われた中谷元・防衛相は「邦人が乗っているかは判断の要素の一つではあるが、絶対的なものではない」(八月二十六日参院特別委)と答え、首相のパフォーマンスは足元から揺らいだ。


◆採決急がず審議で正体を

 安保関連法案をめぐり、首相は「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ない」と断言する。

 「湾岸戦争のトラウマ」を利用し続けた政府の言葉を信用できるだろうか。国民をだましているのではないか、との疑念は国会審議を通じて、高まりつつある。政府は急ぎたいだろうが、参院では拙速な採決に走ってはならない。答弁を重ね、国民に法案の正体を説明する義務がある。
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●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

2014年06月09日 00時00分31秒 | Weblog


松下竜一さんの“最後”の「竜一忌」についての4つの記事。
asahi.comの記事【反骨の作家「竜一忌」終章 大分・中津で6月】(http://www.asahi.com/articles/ASG4X3TVPG4XTPJB003.html)、
読売新聞の記事【最後の「竜一忌」来月7日中津で】(http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/local/oita/20140521-OYS1T50022.html)、
佐賀新聞の記事【今年で最後の「竜一忌」に3百人】(http://www.saga-s.co.jp/news/national/10206/71925)、
西日本新聞の記事【「松下さんの思い継ぐ」 最後の「竜一忌」に300人 大分・中津】(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/93470)。

 一昨日、松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」が開催されたそうです。でも、「暗闇の思想」といった数々の松下竜一さんの思いは多くの「草の根」の「勁い」人々の胸に永遠に、だと思います。それを支えてこられた梶原得三郎さん・和嘉子さんをはじめ「草の根の会」の皆様に本当に敬意を表します。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん


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http://www.asahi.com/articles/ASG4X3TVPG4XTPJB003.html

反骨の作家「竜一忌」終章 大分・中津で6月
占部正彦
2014年5月7日19時54分

写真・図版
(↑すいません、勝手にコピペ: http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140507001215.html 松下竜一さん)

写真・図版
(↑すいません、勝手にコピペ:http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140507001217.html 最後の竜一忌の準備をする梶原得三郎さん=大分県中津市)

 反権力・反公害を貫いた作家、故・松下竜一さんをしのび、出身地の大分県中津市で開かれてきた「竜一忌」が、6月に予定している10回目で幕を閉じる。福島での原発事故後、改めてその生き方や発想に注目が集まっており、かつての市民運動の仲間や松下作品のファンには特別な集会になりそうだ。

 松下さんは、1937年生まれ。高校卒業後に家業の豆腐店を継ぎ、貧しい日々をつづってデビュー作となった「豆腐屋の四季」(69年)は、テレビドラマにもなった。甲山事件が題材の「記憶の闇」など社会派作品を中心に40冊以上の著作を残した。

 73年、「環境権」を掲げ、海の埋め立てを伴う九州電力豊前火力発電所(福岡県豊前市)の建設について、差し止め裁判を仲間と起こした。米国スリーマイル島原発事故の前年の78年には、反原発を表明。反核や反戦、人権などをテーマにした機関誌「草の根通信」を約30年間発行し続けた。
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http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/local/oita/20140521-OYS1T50022.html

最後の「竜一忌」来月7日中津で
2014年05月21日

   (最後の竜一忌の準備を進める梶原さん夫婦)

 中津市出身のノンフィクション作家、松下竜一さんをしのぶ「第10回竜一忌」が6月7日午後1時から、同市片端町の市立小幡記念図書館で開かれる。主催する「草の根の会」はメンバーの高齢化と10回目の節目になることを踏まえ、今回で最後の開催にする。

 松下さんは2004年に亡くなった。竜一忌は翌年から始まり、松下さんが進めた人間らしく暮らすため環境を守る活動や、著作で取り上げた課題をテーマにゆかりの人の講演や意見交換会を開いて交流を続けてきた。

 今回は「松下竜一の文学」がテーマ。松下さんと親交があり、戦時中、沖縄県で起きた集団自決などを書いたノンフィクション作家の下嶋哲朗さんが「松下センセとお豆腐」の演題で講演する。松下さんのデビュー作「豆腐屋の四季」に重ね、真っ白で四角い豆腐のような生き方だった故人をしのぶという。

 ドキュメンタリー監督の西山正啓さんが支援者らを撮影した映像の上映と、リレートークもある。

 草の根の会代表の梶原得三郎さん(76)は、1974年、福岡県豊前市での火力発電所計画に対し、「現在ある電力に見合う生活をすればよい」と、松下さんと一緒に問題提起をして以来、深い絆で結ばれてきた。

 竜一忌は、梶原さんと妻の和嘉子さん(76)が中心になって切り盛りしてきた。梶原さんは「松下さんの精神と、全国に広がったファンのつながりは消えないので、竜一忌が終わっても中津を訪れる人のお世話をしたい」と話している。

 参加費は資料代も含め2000円。問い合わせは梶原さん(・・・・・・)へ。

2014年05月21日
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http://www.saga-s.co.jp/news/national/10206/71925

今年で最後の「竜一忌」に3百人
出身地の大分・中津
2014年06月07日 19時40分

 エッセー「豆腐屋の四季」やミニコミ誌「草の根通信」で知られ、2004年に67歳で死去した作家、市民運動家の松下竜一さんを追悼する「竜一忌」が7日、出身地の大分県中津市で開かれた。ファンや支援者約300人が集った。05年から毎年開催されてきたが、10回目の今年で最後となる。

 支援者らでつくる「草の根の会」が主催した。代表の梶原得三郎さん(76)が「メンバーの高齢化でやめるが、多くの人に支えられた」とあいさつ。松下さんの長男健一さん(45)は「今、原発や憲法などいろいろな問題を抱える国を見て、父は何を思うだろうか」と問いかけた。

 35年来親交のあった作家下嶋哲朗さん(73)は講演で、環境権を掲げ、反原発を訴えた松下さんを「物事をしっかり判断し意見を持つ姿勢を貫いた人だ」と振り返った。

 冒頭では支援者がゆかりの歌を披露。松下さんの携わった運動を紹介する映像鑑賞や、参加者が思いを語るリレートークもあり、5時間以上にわたり故人をしのんだ。
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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/93470

松下さんの思い継ぐ」 最後の「竜一忌」に300人 大分・中津
2014年06月07日(最終更新 2014年06月07日 20時30分)

    (最後の竜一忌で、参加者たちが松下竜一さんへの思いを
     語ったリレートーク=7日夕、大分県中津市)

 反原発などの市民運動に取り組み、2004年に67歳で亡くなった大分県中津市のノンフィクション作家、故松下竜一さんをしのぶ年1回の集い「竜一忌」が7日、同市の小幡記念図書館で開かれた。主催者団体の高齢化により、10回目の今回で幕を閉じることになり、ファンら約300人は反骨を貫いた松下さんの生きざまに思いをはせた。

 あいさつに立った松下さんの長男健一さん(45)は原発再稼働をめぐる動きに触れ「父が生きていたら『まだ分からんのか。人の犠牲の上に成り立つ豊かさなんかいらん』と言うのが目に浮かぶ」としのんだ。

 ノンフィクション作家の下嶋哲朗さん(73)は講演で、松下さんが豆腐店を営んだことにちなみ、「社会を見るまなざしは豆腐のように鋭角だが、中身は非常に柔らかい。とことん優しい人だからこそ、社会に訴える力強い作品を書き尽くせた」と評した。

 参加者によるリレートークもあり、東京の会社員小島佑加莉さん(22)は「原発や憲法に関心を持たなければいけないのは私たちの世代常に弱者の視点に立ってきた思いを継ぎたい」と語った。

=2014/06/07 西日本新聞=
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●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!

2013年01月24日 00時00分26秒 | Weblog


松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本になるという記事(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/oita/news/20130115-OYT8T01487.htm)。

 うかつにも、見落としていた!!

   『●第八回竜一忌、涙が出ました: 松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

 以下に再掲。
 「是非、見てみてください。松下竜一さんを知る、その思想「暗闇の思想」を知るためにも。松下センセファンとして、本当に涙が出ました。短歌や緒形拳さんのこと、想聞のこと、松下竜一ファンであること、広河隆一さんのDAYS JAPANのこと、周防灘総合開発計画豊前火力 環境権裁判カン・キョウ・ケンのこと、伊藤ルイさんのこと、東アジア反日武装戦線〝狼〟と市民の敵というレッテルのこと、「底抜けビンボー暮らし」のこと、暗闇の思想を決意するということ、などなどを語る小出裕章さんの素晴らしさも、再認識させられました。百聞は一見に如かず、是非ご覧ください。」

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う

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http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/oita/news/20130115-OYT8T01487.htm

竜一忌の講演を本に 小出・京大助教 「今ある電力で生活を」信念忘れない

 中津市出身のノンフィクション作家松下竜一さん(2004年死去)をしのぶ昨年6月の「第8回竜一忌」で、京都大原子炉実験所の小出裕章助教が原子力発電所の問題などについて講演した内容が「今こそ〈暗闇の思想〉を」(一葉社)として出版された。小出さんによる松下さんへの思いも記されている。(柿本高志)

 竜一忌は、松下さんの活動を支えた人たちでつくる「草の根の会」(梶原得三郎代表)の主催で、毎年、中津市で開かれている。

 小出さんは、早くから松下さんのファン。1986年のチェルノブイリ原発事故後、松下さんに招かれ話をしたこともある。反原発の立場から多くの本を出版し、2011年3月の福島第一原発の事故後は全国各地で講演を続けている。

 昨年6月の竜一忌では約2時間講演。原発事故が日本に甚大な被害を与えたことや、既存の火力、水力発電所を活用すれば、原発に頼らなくてもいいことなどを、自らまとめたデータで説明している。

 未来の自然環境や生活環境を守ろうと、貧しさにめげず、信念を貫いた松下さんのことを忘れないで、自分なりに生きて行きたいという決意で締めくくっている。

 松下さんが約40年前「今ある電力で成り立つような文化生活を考えよう」と訴えた「暗闇の思想」について執筆した文章なども掲載されている。

 梶原代表は「小出さんが講演してくれて、松下さんも喜んでいるだろう。本になって素晴らしい講演だったことを改めて実感した」と話している。

 本は117ページ、1000円。問い合わせは一葉社(03・3949・3492)へ。

(2013年1月16日 読売新聞)
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●反原発派の声に耳をふさぎ、歴史から何も学ばない愚かさ

2012年07月18日 00時00分33秒 | Weblog


東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012071202000096.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012071202000095.html)。週末金曜日の首相官邸抗議行動についてのCMLの記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-July/018311.html)。

 王様の耳はロバの耳、あるいは、裸の王様状態。単なる音や「節電不安」という取り巻きの心地よい「声」しか耳には入らないようだ。いったい首相官邸を何人が、何重に取り巻けば、原発再稼働反対・廃炉の「民の真の声」は、(FUKUSIMAというこんな身近な)歴史から何も学ぼうとしないムダ首相の耳に届くのだろうか。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012071202000096.html

節電不安の声も聞こえる 首相、ブログで再稼働正当化
2012年7月12日 朝刊

 野田佳彦首相は十一日、公式ブログで、関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働に反対するため毎週金曜日の夜に官邸前で行われている抗議活動について「反原発を訴える多くの方の声も聞こえる。老人ホームのお年寄り、商店主の方々、中小企業で働く方々をはじめ、計画停電や厳しい節電への不安を強く感じる方々の声も聞こえる」と語った。

 再稼働を容認する声があることを説明することで、自らの判断の正当性をアピールしたものだ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012071202000095.html

【コラム】
筆洗
2012年7月12日

 借りてきた自転車で湖畔を駆けると、吹き抜けてゆく風が心地よい。初めて耳にする鳥のさえずりが、あちこちから耳に飛び込んでくる。ラムサール条約に登録された渡良瀬遊水地は「野鳥の楽園」だった▼四県の四市二町に接する三千三百ヘクタールは、山手線の内側のほぼ半分の面積。本州以南で最大の湿原を見渡すと、高い建物はほとんど視界に入らない▼貯水池(谷中湖)の北側に、村人が強制移住させられた旧谷中村の遺跡があった。共同墓地や神社、屋敷の跡…。洪水が肥沃(ひよく)な土壌を運び、肥料を必要としない豊かな土地は、渡良瀬川上流の足尾銅山の鉱毒によって「死の沼」になった▼明治政府は、衆院議員だった田中正造や村民が求めた銅山の操業停止を拒否。鉱毒の沈殿池がつくられることになった村は一九〇六年に廃村になり、村人はわずかな補償で追い出された▼議員を辞し、村に移り住んだ正造は、家屋が強制的に壊された後も村にとどまる。<赤貧の洗うが如(ごと)き心もて無一物こそ富というなれ>。鉱毒反対運動で資産を使い果たした正造を支えたのは旧村民たちだったという▼春の風物詩のヨシ焼きは遊水地の生態系の維持に欠かせないが、やはり国策だった原発の事故で二年続けて中止に。日本の公害の「原点」である旧谷中村の遺跡の前に立つと、歴史から学ばない愚かさを叱られている気持ちになる。
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http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-July/018311.html

[CML 018504] 警官が止めたところが抗議の場
T. kazu ・・・・・・
2012 7 12 () 06:38:52 JST



ni0615田島ですあした13日の抗議では、警官に足止め食らったところは、いたるところ「再稼動反対」の抗議の場、としましょう。迂回誘導地点でも、地下鉄構内でも。遠くにいかせられるくらいなら、そこを「再稼動反対」のばとしよう。警察とむだないさかいをしないように気をつけて。

<以下、たんぽぽ舎メールマガジンより>

┏┓
┗■2.警察は用意周到な規制をしてきた
 |  7/6官邸前抗議行動に参加して感じたこと
└──── 

 7月6日(金)の官邸前再稼働への抗議行動。先週の官邸前の車道を埋め尽くした解放区の実現に学び、警察は用意周到な規制をかけてきた。まず地下鉄の駅構内から、出口規制の一方通行のために警官を駅構内に多数配備。外に出ると、以前のような車道規制はしないでとにかく人の集まりを規制してきた。私は、デモの交通整理係りだったが、警察の言うなりに人の波を規制することに次第に怒りを感じてきた。

 首相官邸に向けた抗議行動なのに、官邸から遠く離れた、国会議事堂の反対側の歩道に押し込め、車道に一歩も出さないように細く長くあくまでも遠くに並ばせた。あの官邸前を埋め尽くした市民の連帯感を、どうやったら、味あわせないようにするかを徹底した。道路規制で官邸前に絶対近付けない。分断された市民は、早めに帰る人も出てきた。官邸前でどんな抗議が行われていたかは、帰宅後夜中に、ustreamの動画で見た。こんな規制のもと、警官と一緒になって交通整理するのはもう嫌だ!と、正直思った。
 これからも、来週の13日の金曜日、16日の10万人集会(50万人になるかも!!)と、警察側は、分断し小さく見せるために、血眼になって規制作戦をかけてくるだろう。
 誰かが民の心『民心』と言ったが、この『民心』を徹底して無視して、その逆の暴虐政治を行う野田政権は完全に狂っている
 基地を辺野古ではなく県外と言ってしまった鳩山や、浜岡原発を止めた菅元首相は、マスコミにたたかれてすぐに辞めさせられたこんなに国民に対して残酷な政治をする野田が、自分たちの利益を守るにために本当によくやってくれていると思っている政官財、原子力帝国、そしてその陰に隠れたアメリカの権力者達の強い意志を、私達が見極めていかなければ。
 デモ後の片付けをしている警察官が、「再稼働反対」と小さく言っているのを、聞いたという話がある。
 昨日のデモでもそういう雰囲気の場面はあった。警察官だって個人的には、野田内閣は嫌なのだと思う
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最後におまけ。本日のツイート。

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AS@ActSludge

梶原得三郎さん『さかなやの四季』(海鳥社)を購入。最近、ブログ(読学、)の名前倒れですが、時間を見つけて読書を楽しみ、何かを学び取りたいものです。本書の帯「どう生きるか、そのことを暮らしの中で考える。/35歳の時に松下竜一氏と出会い・・・」

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●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン

2012年06月29日 00時00分30秒 | Weblog


asahi.comの古い記事(http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709220078.html)。

 偶然、下記の記事を発見。しかも、筆者は伊藤千尋さん!! なぜ伊藤さんなのかは知りませんが、短い文章ながら松下センセ洋子さんの二人の姿が活写されています。何かすごくうれしくなりました。写真も引用しようかと思いましたけれど、原文を是非ご覧ください。

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http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709220078.html

豆腐屋の四季
松下竜一と洋子
2007年09月22日

 赤い夕日を吸い取るように、川面がオレンジ色に映える。シラサギが飛び、魚が跳ねる。

    (松下竜一さんと洋子さんが毎日足を運んだ川沿いの散歩道。
         市民の憩いの場として一年中にぎわう=大分県中津市で)

    (書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル)

    (中津城裏にある河川敷公園。歌碑を建てる計画がある
                         =いずれも大分県中津市で)

    (69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一、洋子夫妻
                                      =松下洋子さん提供)

 英彦山(ひこさん)から耶馬渓(やばけい)を経て周防(すおう)灘(なだ)に注ぐ山国(やまくに)川。大分県中津市の河口に延びる川べりを30年以上にわたって毎日散歩する夫婦が、町の風物詩となっていた。3年前に67歳で亡くなった作家松下竜一さんと妻洋子さん(59)だ。
 松下さんは冤罪事件をただしたノンフィクション記憶の闇』などを著すかたわら、火力発電所の建設に反対して環境権を主張する市民運動の先頭に立った。自ら「年収200万円の売れないビンボー作家」を名乗った。
 健康のためでなく妻と寄り添って歩くことのできる歓(よろこ)びをかみしめるために毎日3時間も散歩した。今、同じ道を歩くと、洋子さんはこの水門でカモメにパン切れをやった。あの橋の下に並んで座って2時間、何も言わず川を見ていたと懐かしく語る。
 ふたりが出会ったとき、松下さんは豆腐屋だった。生まれた直後の高熱で右目を失明し、母の急死で大学進学をあきらめ、家業の豆腐屋を継いだ。肺の難病で医者から絶対安静を命じられたが、毎朝午前2時に起き、日が暮れるまで、「言葉を持たぬ獣のように暗い眼(め)をして」働いた。
 25歳のとき短歌を詠み始めた。文法も知らぬまま油まみれの指を折って五七五……と数え、「胸中から噴き上げるもの」を書き付けた。初めての作品が「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」だ。孤独や恨み、怒りを歌にぶつけた。
 同じ年、豆腐を卸す食品店の娘に恋をした。まだ中学生だった洋子さんだ。高校生の時、洋子さんが学校から帰ると、机の上に短歌を書いた便箋(びんせん)が置いてあった。「我が愛を告げんには未(いま)だ稚(おさな)きか君は鈴鳴る小鋏(こばさみ)つかう」。内気な洋子さんの心がときめいた。
 歌の贈り物は1年以上続き、35首に及んだ。洋子さんが高校を卒業して半年後、結婚した。引き出物がこの35首を収めた歌集「相聞」だ。
 結婚後に松下さんが日々の生活を文と歌でつづった『豆腐屋の四季』は、連続テレビドラマにもなった。
 松下さん役の緒形拳さん(70)は69年、中津市を訪れて松下さんとともに豆腐の配達先を回った。そこで会った女性を見てハッとする。洋子さんの母三原ツル子さんだった。緒形さんは直感で「松下さんって、あのお母さんを好きですよね」と言った。松下さんはドキッとした表情を浮かべた。
 このツル子さんこそ絶望のふちにあった松下さんを救った人である。彼女と出会わなければ自殺していた、と松下さんは書いている。短歌を作ることも、洋子さんと結婚することも、松下さんに勧めたのは彼女だった。
 松下さんは生前、墓碑銘を刻むならこうしてくれ、と言い残した。洋子とその母を愛し、ここに眠る


いつも一緒にいるから

 すべてはこの夢想から始まったと松下竜一さんは書いている。
 絶望しかけた心に突然、希望がわいた。どうして、そんなことを夢想し始めたのだろう。なんにもいらない。私を愛してくれる人さえいれば。25歳の日記にそう記した。短歌を詠み始める半年前のことだ。
 苦しい時期が続いていた。極端に貧しく、上京した弟たちも仕事が見つからず仕送りを求めてきた。たった一人の親友は病死した。死のうと家出したが残した家族を思うと死ねなかった。
 豆腐を配達したさい、いつしか店先で三原ツル子さんと話し込むようになった。「変わり者」と疎まれた松下さんにとって、彼女はたった一人の理解者だった。そのツル子さんが、内気な娘の洋子さんの将来が心配だとこぼした。このとき松下さんは、洋子さんの成長を待って妻に迎えようと思った。
 同時に、ツル子さんに激しい慕情を抱いていることに初めて気づいた。洋子ちゃんを幸せにすることで、あなたへの愛も成就すると告げた。

          ♪  ♪  ♪

 母を慕い娘に恋する複雑な感情を、緒形拳さんは一目で見抜いた。ツル子さんに会ったとき「この店に配達に行くのが松下さんの生きがいなんだと思った」という。緒形さんと松下さんは生まれた年もつらい境遇での育ちも同じだ。顔も似ていて、緒形さんは「会った瞬間、兄弟かと思った。松下さんは私の仕事に共感し、彼の書くものは私にとってひとごとではなかった」と言う。似た者同士だからこそ、とっさに理解できたのかもしれない。
 母といえば、松下さんの優しさを育んだのは母の光枝さんだった。失明した右目のホシを「竜一ちゃんの心が優しいから空の星が流れてきたのだよ」と説明した。「星なんかいらない」と泣く松下少年に、母は「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃんの優しさも心から消えるのだよ」と語りかけたという。松下さんは、早世した母の面影をツル子さんに見たのかもしれない。

          ♪  ♪  ♪

 夢想から4年後に結婚した松下さんは、11歳年下の洋子さんを大切に守ろうとした。仲むつまじさは近所の評判で、毎日一緒に散歩し、誕生日にはお互いに花を贈り、毎年旧婚旅行に出かけた講演で旅に出ても3日ももたずに洋子さんのもとに帰りたがり、友人たちはひそかに洋子病と呼んだ
 松下さんと一緒に市民運動をしてきた梶原得三郎さん(69)は洋子さんは無欲で素直で、物書きの奥さんにぴったりだった。松下さんは洋子さんがそばにいてくれて安心していた。気持ちの上でずいぶん洋子さんに寄りかかっていたと振り返る。
 松下さんが45歳だった1982年、私は「草の根通信」10周年の取材で、松下さん宅を訪問した。その後も93年に訪れたが、当時の洋子さんは口数少なく目を伏せて、松下さんの陰に隠れていた。今回、14年ぶりに訪れると、洋子さんが明るく変わっていた。
 若き日のことを洋子さんは母は私に『この人なら絶対に幸せにしてくれるから』と結婚を勧めた。嫌だと言えば母が悲しむと思ったし、『ま、いっか』と思い、意見も言わないまま結婚したと笑いながら打ち明けた。
 松下さんが脳出血で倒れたのは4年前だ。1年後、昏睡(こんすい)状態となった耳元で洋子さんがいつも一緒にいるからとささやくと、うなずいた。心臓が止まったが、洋子さんががんばってと手を握ると、再び動き出した。30分後、ありがとうという洋子さんの声を聞いたあと永久に停止した。

           ♪  ♪  ♪

 緒形さんは松下さんを横顔が神々しかった孤高の闘士で、やるべきことをすべてやって燃え尽きた、いい生涯だった。僕の中で松下竜一はまざまざと生きていると語る。ダム建設反対闘争を描いた松下さんの作品砦に拠る(とりでによる)』の映画化を考えている。
 福岡県築上(ちくじょう)町で米軍基地反対運動をする渡辺ひろ子さん(59)は、今も松下さんの遺影を基地のフェンスにかけて座り込む。梶原さんと友人の新木(あらき)安利さん(58)は、散歩道の川辺に松下さんの歌碑を建てようと計画している。「瀬に降りん白鷺(しらさぎ)の群舞いており豆腐配りて帰る夜明けを」の歌だ。
 洋子さんは今、娘と3人の孫と暮らす。散歩はひとりで、1日か2日おきだ。夜、眠れないときは北九州市の柳井達生さん(52)が作詞作曲した追悼歌「しろつめ草をふまぬよう」を聴く。散歩のさい、草も踏みつぶさないよう気遣ったふたりを歌ったものだ。
 松下さんの墓は家から歩いて10分ほどの墓地にある。『豆腐屋の四季』の印税で建てたもので、「松下家の墓」とだけ彫られている。洋子さんと一緒にお参りし顔を上げたとたん、上空をシラサギが一羽、飛び去った。

文・伊藤千尋、写真・藤脇正真


〈ふたり〉
 松下竜一さんは中津市で7人きょうだいの長男として生まれた。高校の成績は1番だったが、吐血して1年休学し文学を読みあさった。浪人中に母光枝さんが豆腐作りの作業中に過労で倒れ死亡。父健吾さんを助けて19歳で豆腐屋として働く。『豆腐屋の四季』出版後に豆腐屋を廃業し、33歳で作家となった。73年から火力発電所建設への反対運動に取り組み、機関誌「草の根通信」を編集、発行した。『ルイズ―父に貰(もら)いし名は』で講談社ノンフィクション賞を受賞。晩年は『本日もビンボーなり』などエッセーに本領を発揮した。
 洋子さんは市内の食品店の長女。子どもの名を連ねるとカン・キョウ・ケン環境権)になる。
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●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ

2011年10月30日 00時00分06秒 | Weblog


ウェブ上にもアップされていないし、ネット上でも誰も文字起こししていないようなので、やってみます(いかん、いかん、仕事しなくちゃ)。朝日新聞さん、ごめんなさい。

 朝日新聞の社会面トップです。若き日の松下センセの写真付き。思わず、朝から「お~っ」という声が出てしまいました。地方版のみでしょうけれどもね。いまこそ、原発に依存する東京といった大都市や原発の地元、原発推進者こそが読むべき記事だと思うのですけれども。
 しつこいですが一昨日のブログでも取り上げていたので、妙な一致を奇妙に思いました。松下竜一さんはやはりすごい人物だなと再確認。いまこそ「暗闇の思想」を。39年前(!!)の論考だけれども、今こそ。

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【朝日新聞、14版、2011年10月29日、p.37】

暗闇の思想原発問う

 今ある電力で成り立つ文化生活を考えよう

     原発事故と節電要請を受け、電力とどう向き合うべきか。
    その手がかりを、約40年前に九州電力火力発電所(福岡県豊前市
    建設への反対運動から生まれた論文「暗闇の思想」に求め、
    読み直して再評価する動きが静かに広がっている。

 

 40年前の論文再評価

 「暗闇の思想」は反公害、反権力を貫いた大分県中津市の作家、松下竜一〈※〉=(1937~2004)が1972年12月16日の朝日新聞夕刊文化面(西部本社版)で発表した。

   --------------------------------------------------------------
     〈※〉松下竜一
        1937年、大分県中津市生まれ。高校卒業後、家業の豆腐屋を継ぎ、
       貧しい日々をつづった「豆腐屋の四季」で作家デビュー、
       テレビドラマにもなった。70年に豆腐屋をやめ、反公害、反原発の
       運動を始める。73年、「環境権」を掲げて豊前火力発電所
       (福岡県豊前市)の建設差し止めを求めて提訴。運動の機関紙
       「草の根通信」を発行し続け、40冊以上の著作を残した。
       2004年6月に病気で死去。
   --------------------------------------------------------------

 2100字余りの寄稿で、松下は「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さなければならぬ」とつづり、「いまある電力で成り立つような文化生活をこそ考えよう」と呼びかけた。豊前火発の建設に反対する中で、「反対するなら電気を使うな」という推進派の批判に向き合って生まれた。
 当時は「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博から2年あまり、田中角栄元首相が就任直前に「日本列島改造論」を出版して半年。光化学スモッグや四日市ぜんそくなど各地で大気汚染が深刻化していた。だが、豊前火発は建設された。

   ■   ■

 論文掲載からほぼ39年。今月10日、福岡市内の会議室で、松下の著作を読む勉強会が開かれ、大学生や教師ら約10人が集まった。
 「電気を一度なくしてみたら本当に必要なもの、大事なものが分かる」 「原発反対の原点は命が大事ということ」 「経済的な先進国からさらに一歩進んだ境地を目指すべきだ」 「原発推進派は金まみれ。きれいごとだけでは片付かない」
 企画した福岡県宗像市の大学院生上野崇之さん(30)は東日本大震災を機に「何かしたい」と動き、松下の著作と出会った。
 5月、脱原発を目指す市民らが座り込む「九電本店前ひろば」を訪ね、知り合った大学生らと節電の呼びかけを思い立つ。電力需要が減れば、原発の必要性も減る、と考えた。九電は夏場、最大15%の節電を求める方針だった。だが、街に出て節電を促すチラシを配ると、「ひろば」で「暗闇の思想の一読を薦められた
 松下は、生活や社会のあり方自体を問うていた。自分の考えが「より深いところから基礎付けられた」。一方で、思想が広く支持されなかったために現在の状況が生まれたのではないか。思想が生まれた背景やその後を知りたいと関心は深まっている。

   ■   ■

 松下と同年生まれで、ともに市民運動に取り組んだ大分県中津市の梶原得三郎さん(74)は、「若い人たちが彼に学ぼうとしてくれるのがうれしい」と話す。
 震災後、往時を知る人たちから「松下さんが生きていれば、今何を言っただろうか」と連絡が入り、毎年6月に開く竜一忌には今年も約150人が集い、反原発への思いを語り合った。
 梶原さんは「経済のために原発を動かせというのでは40年前と変わらない。原発を止め、今あるだけの電気でやっていける工夫に知恵を絞るべきだ」と話す。
 再読の動きは出版界にも広がる。「反原発の思想」を特集した雑誌「現代思想」10月号で2人の論者が「暗闇の思想」に言及。花乱社(福岡市中央区)が11月中旬をめどに「暗闇の思想」全文と松下の講演を収載した本を出版するほか、東京の出版社が松下の著書「暗闇の思想を」の復刻を目指している。 (古城博隆)

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 「暗闇の思想」抜粋

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 あえて大げさにいえば、〈暗闇の思想〉ということを、このごろ考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。
 きっかけは、電力である。原子力をも含めて発電所の公害は、今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。
 電力が絶対不足になるのだという。年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲(どんよく)な電力需要は必然不可欠であろう。
 しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効果の枠内で解消しがたい。そこで、電力会社と良識派を称する人々は、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で公害を免罪しようとする。国民全ての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理だ出てくる。
 本来ならこういわねばならぬのに ――― だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと
 じゃあチョンマゲ時代に帰れというのかと反論が出る。現代を生きる以上、私とて電力全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。
 まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ。一つは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。
 冗談でなくいいたいのだが、〈停電の日〉をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でも、テレビ離れした〈暗闇の思想に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟(しい)してみようではないか
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●節電要請で脅して原発再開へと誤誘導

2011年10月28日 00時00分12秒 | Weblog


asahi.comより(
http://www.asahi.com/business/update/1027/TKY201110270135.html)。

 またしても節電による脅し。それに悪乗りするマスコミもどうなのか。節電や無「計画停電」で脅して、どうしても原発を再開したいらしい。見え見えなニュースだ。
 「最大使用電力」というのがミソ。しかも、「見込み」なんてどうとでも出来るもんね。一冬ずっと続く訳でもなし。一体何日間、何時間不足するのか? そのために原発が必要なの? 被爆するよりも、周辺地域を汚染するよりも、世界を汚すよりも、原発を運転することの方が大事なのだろうか? 節電で十分にカバーできるし、だって、この夏だって何の問題もなかったじゃないか! 九州は原発の依存度が高いと言われているけれども、6基中5基が停止していても問題なかった訳。九州電力 川内原発地元・薩摩川内市内でのこの小出裕章さんの講演をぜひ見てください(http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/10/26/kawauti-oct22/)。原発なしでも、九州でも十分電力が足ります。いい加減に、目覚めるべきだ。悪夢を繰り返さないためにも。残り1基も12月に停止しても、原発事故を起こすよりも、きっと混乱は少ないはず。3.11以降なので「節電非協力[*1]松下竜一さん)とは言わないが、九電の脅しに負けてはいけない。

[*1]: 全体を読み直してみると、やはり鋭い指摘に富んでいる。火力発電阻止闘争の時代にこのような指摘をしているのだから、やはり松下センセはすごい!! あ~、松下さんが生きておられたら・・・。全体のリンクはココhttp://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%BE%BE%B2%BC%CE%B5%B0%EC%A1%A1%CC%A4%B4%A9%B9%D4%C3%F8%BA%EE%BD%B8%A3%B4%A1%BF%B4%C4%B6%AD%B8%A2%A4%CE%B2%E1%C4%F8に貼っておきますので、ぜひご覧ください ⇒ 梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程
 その末尾に、「「この海岸を護ったのは、あなた方の力ですよ。あなた方のことはいろいろ悪くいわれましたが、結局正しかったんですね」という過褒をいただいて、・・・周防灘開発が凍結・・・。・・・『暗闇の思想』は潜在的に普遍化していくのだと思う」」とあります。周防灘開発は〝止める〟ことが出来ました。原発問題はどうでしょう? 止める前に、3.11福島原発人災が起きてしまいました。第二、第三の原発人災が起きないようにするためにどのようにしたらよいでしょうか? こと原発問題に関しては、答えは一つしかないはずです。


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http://www.asahi.com/business/update/1027/TKY201110270135.html

201110271236
九州電力管内に5%節電要請へ 東北は見送り 野田政権

 野田政権はこの冬、九州電力管内の企業や家庭を対象に、最大使用電力で昨冬比5%程度の節電をするよう要請する方針を固めた。定期点検で停止中の原発の再稼働が見込めず、電力不足が避けられないため。関西電力管内でも10%以上の節電を要請する方向だ。

 政府は今回数値目標を設けるものの、達成を義務づけるわけではなく、あくまでも「お願い」にとどまる。節電を要請する期間は九電・関電とも12月19日からで、九電は午前8時から午後9時まで、関電は午前9時から午後9時まで。終了日は関電が来年3月23日で、九電は調整中。11月1日にも開く政府の「電力需給に関する検討会合」(座長・藤村修官房長官)と「エネルギー・環境会議」(議長・古川元久国家戦略相)の合同会議で決める。

 他の電力会社の管内については電力の需給に一定の余裕が見込まれることから、節電の数値目標は設けず、無理のない範囲で取り組むよう求める。東北電力管内は厳しい需給状況が見込まれるものの、東京電力や北海道電力からの融通で賄える見通しが立ちつつあり、数値目標は見送る。

 工場や企業などの大口利用者に電力使用を抑えるよう義務づける電力使用制限令はこの夏、東電と東北電管内で発動されたが、工場での生産などへの影響が大きいことから今回は見送り、自主的対応を求める。


 九電の原発は、ただひとつ運転中の玄海原発1号機(佐賀県玄海町)が12月に定期検査のために運転を停止する予定。これで管内の全6基が止まることになるが、「やらせ問題」などもあって再開のめどは立っていない。九電の供給計画では、来年1月の電力供給力は1353万キロワット。最大電力需要は1420万キロワットを見込み、計算上は4.7%不足する。

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●カマトト「九電原発再開賛成やらせメール事件」

2011年07月07日 00時00分01秒 | Weblog


asahi.comの記事(http://www.asahi.com/national/update/0706/SEB201107060033.html)から。

 何をいまさら、マスコミはカマトトぶるのか? 先の株主総会など、九電だけでなく、どこの電力会社も壮大なやらせ〟じゃないか!! なにも今年の電力会社の株主総会だけじゃ無く、これまでずっとそうだった。松下竜一さんや梶原得三郎さんらの闘いを思い出せばよい。

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http://www.asahi.com/national/update/0706/SEB201107060033.html

子会社社員に原発再開賛成メール促す 九電、番組向け
                                  2011762132

 玄海原子力発電所(佐賀県)の運転再開問題について、国が県民に説明する放送番組に、九州電力幹部が再開賛成の意見を電子メールで送るよう、自社や子会社の社員らに働きかけていたことが6日わかった。

 番組は定期検査で止まっている玄海2、3号機再開の是非を判断するために制作された。6日夜に記者会見した真部利応(まなべ・としお)社長は「国の説明の信頼を損なわせた。おわびしたい」と話し、再開は「夏までには難しくなった」と遅れることを認めた。

 九電によると、6月22日に本社の原発関連部署の課長級社員1人が会社名で、原発関連業務を担当する子会社4社の社員に運転再開の立場から意見を送るよう電子メールで指示した。4社の社員は計約2300人いるが、最終的に指示された人数はわからないという。

 ほかにも玄海原発や川内原発(鹿児島県)など九電の3事業所にも、同様のメールで意見送信を呼びかけていた。

 番組は6月26日、佐賀県内のケーブルテレビで放送され、インターネットで配信された。国の担当者が一般から選ばれた県民7人に対し原発の安全性などを説明した。
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●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(前半)

2011年01月10日 00時07分29秒 | Weblog

後半へのリンク

松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』、11月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年6月第1刷発行。

 扉の写真は、甲山事件裁判第一審完全無罪判決、日出生台ゲート前での米軍実弾砲撃訓練抗議など。

 「Ⅰ 反原発」、「Ⅱ 死刑と政治囚」、「Ⅲガサ入れ」、「Ⅳ 甲山事件」、「Ⅴ 日出生台」。
 解説は渡辺ひろ子さん、「一匹のアリとして」。
 新木安利さん、「勁草の人 『松下竜一未刊行著作集』編集後記」。全5巻に関する解説。

 少しくらい不便でも良いじゃない、原発なんて要らんよ。〈暗闇の思想〉(p.14、64、74、109)。「・・・電力が足りないのなら足りないで結構だ・・・。・・・それよりはきれいな自然環境の中に住みたいのだと全員が言いきるなら、・・・」(p.64)。非核平和館(p.74)。「〈暗闇の思想〉から十七年 脱原発―――原発社会の対極を考える」(p.107)。かつて、〈暗闇の思想〉を嘲笑した愚かな山本七平氏・・・、松下センセの「文章を読まずに一方的な解釈を下しているずさんさ・・・」(p.127)。
 四国電力による伊方原発(p.18、220)。「「辛酸入佳境(しんさんかきょうにいる)田中正造の言葉)」」(p.21)。センセ宅のガサ入れは、この原発反対運動支援に対する嫌がらせも含む。「・・・警察のやりかたはきたなすぎる。・・・くじけんでがんばれよ」/「・・・きたなすぎるという印象・・・」/「・・・やり方が露骨過ぎます」(p.219)など全国から激励が殺到。
 
中国電力の上関原発反対! 山口県上関町の祝島(p.146)。
 風船による死の灰実験! 鹿児島県川内原発(p.69、98)。「この風船が届くところには、確実に死の灰が届きます」(p.69)。風船は宮崎や熊本まで。「・・・原発反対者を一人一人生み出して行くのなら、・・・決して無意味ではないのだ。それこそが原発を撃つ風船爆弾ではないか。・・・。/・・・本来その苦悩は国民全部で担うべき苦悩のはずなのだ。/・・・原発現地の人々に押しつけて知らぬ顔をしているのだ・・・。まず彼らの苦悩を共有することからしか、本当の原発反対行動は始まらないだろう」(pp.70-71)。「実は核爆弾も原発も本質的には同じなんだということを、無残なまでに実証してしまったのがチェルノブイリ原発事故なのだ。核の平和利用などという幻想は一挙に吹き飛んでしまったと知らねばならない」(p.142)。
 大盛況の「非核平和館」(p.72)。当初、「非国民」(p.109、122)とまで呼ばれて、警察の嫌がらせとしてのガサ入れを受けるほどのセンセは、「・・・環境権裁判を戦う私は〝困った存在〟・・・。・・・〝過激派〟の烙印・・・。/・・・私が指摘していた通り、周防灘総合開発は中止となったし、強引に建設された火力発電所は早くも運転を中止するといった有様の中で、一貫して反開発の主張を曲げなかった私の頑固な姿勢が、ようやく評価されるに至った・・・。人々が高度経済成長の夢から醒めた・・・」(p.73)。 電力不足というペテンや恫喝と原発という壮大な無駄。「・・・もうこの発電所は操業を止めていた。・・・豊前火力は不要となったのだ。・・・。/・・・「・・・三十%以上が原子力にたよっています」という殺し文句は、豊前火力を見るだけでもペテンだとわかる。既存の火力や水力を動かさずに、原発を優先的に動かしているだけのことで、三十%という数字は作られた数字に過ぎないのだ。/・・・玄海原発一号機が・・・緊急停止したとき・・・九州電力は「既存の火力があるので大丈夫です」と表明している。/・・・。/つまり、信頼できない不安定な原発を動かしている以上は、いざというときにピンチヒッターとなる火力や水力は欠かせない予備軍という存在になる。これを逆にいえば、100万キロワットの原発を動かすには、予備軍として100万キロワット相当の火力や水力が確保されているということ・・・」(p.112)。原発が無いと明日にも電気が止まってしまうぞ、といわんばかりの「恫喝」(p.114)。
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●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)

2011年01月09日 00時05分31秒 | Weblog

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松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』、11月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年6月第1刷発行。

 『草の根通信』(p.78、159、223)。ガサ入れという警察の嫌がらせで購読者が減るどころか、ますます増加。警察は地団駄でしょうね。
 盟友得さん(p.82、148、219、297、310、324、373、387)。『明神の小さな海岸にて』、梶原和嘉子さんとの問答(p.297)。

 〝殺人〟は絶対に否定されなければならない・・・でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか、には耳を傾ける必要がある。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』。東アジア反日武装戦線〈狼〉の大道寺将司さん(p.159、163、183、186、194、199、209、218、221,226、233、242)。
 
オウム・麻原氏に関する森達也さんの『A3』でも感じたこと。「・・・拒絶反応だと断じざるを得ない。/・・・私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」(p.160)。
 
反日集会での一人の若者からの質問に対して松下センセは、「・・・つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」(p.162)。「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」(p.2101)。
 
司法や警視庁の横暴。荒井まり子さんと田中伸尚さん(p.198、247、249)。田中さんも同件でガサ入れ、しかも、ガサ国賠裁判一審判決で不当な敗訴(p.237)。ガサ入れの無茶苦茶な令状を発布した裁判官を訴えた国賠訴訟に、「国家権力を相手の国賠裁判では、民を全面的に勝たせるほどに気骨のある裁判官はこの国の司法界には存在しないのだろう」(p.232)。「今回の一連の令状を出し続けているのが東京簡裁で、司法段階でのチェック機能が全く放棄されているとしか思えない。・・・東京簡裁の自省を求め、これ以上の令状乱発を阻みたいがためなのだ。/・・・。/『草の根通信』を受け取り拒否してきた人が一人、・・・いるが、逆に新規購読申し込みは・・・九十人にも達している。凄いとしかいいようのない勢いである。警視庁さん、くやしいでしょうな」(pp.222-223)。「・・・八年余の歳月を強いられたわけで、それ自体理不尽である。・・・/・・・。/・・・被告に二名の裁判官を特定した・・・。そもそも家宅捜査の令状を発布するのは裁判官なのだ。警視庁からの・・・令状請求を、裁判官がその段階できちんとチェックしていれば、百数十人にも及ぶ捜査令状は乱発されていなかったはずなのだ。/しかし一審を通じて、東京地裁はついに、令状を乱発した二人の裁判官を法廷に呼ばなかった。・・・。/・・・。/ちなみに、勝訴した私は十万円を貰ったかというと、それは貰えない。・・・賠償金の何倍もの出費を強いられるわけで、まことに国家権力に刃向かう民草の立つ瀬はないのである」(pp.238-239)。大赤字の勝訴(p.240)。「簡易裁判の(家宅捜査)令状請求に対する却下率は0.0六五九%、地方裁判所でも0.二七%という。・・・つまり警察の請求した令状を却下する数は限りなくゼロに近い・・・(しかも、ガサ裁判では令状を出した裁判官の罪は一切問われることはないままに終わった)」(p.253)。
 
田中伸尚さんらの控訴審で福島瑞穂弁護士からの要請で松下センセが意見陳述(p.245)。「大逆事件」、「横浜事件」(p.251)。
 
『腹腹時計』(p.218、225)。
 
在りし日の『朝日ジャーナル』に載った記事、「出かけようとして踏み込まれる側の論理」(pp.224-228)。伊方原発での出力調整実験反対運動に対する〝運動つぶし〟、「東京簡裁は司法サイドのチェック機能を全く放棄してしまっているとしか思えない」。
 
大道寺あや子さん、浴田由紀子さん、重信房子さん(p.234)。

 
『豆腐屋の四季』と〈いのちき〉(p.165、368)。緒形拳さん(p.171)。

 
大分県臼杵市の風成(かざなし)の漁村のお母さんたちの大阪セメントに対するすさまじい闘いを描いた『風成の女たち』(p.176)。そこで指摘された松下センセ自身の足元の問題が周防灘総合開発計画。

 ガサ入れが結ぶ縁。日本赤軍コマンド泉水博さん(p.191、207、214、219、240、244)。『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』。
 『豆腐屋の四季』が取り持つ縁。鎌田俊彦さん(p.196)。

 完全無罪判決後も無謀な追及を続ける警察。記憶の闇、甲山事件と山田悦子さん(p.257)。伊藤ルイさん(p.265)。無謀な神戸地検(p.265)。浅野健一さん(p.266)。判決前に、冤罪被害者と確信しての『文藝』に一挙掲載された長編ノンフィクション『記憶の闇 ―――甲山事件[1974←1984]』(p.268)。

 
遺族には申しわけないが、暴走する検察審査会(p.270)。

 人殺しの練習(p.327)。日米合同軍事演習に凛と反対を唱える伊藤ルイさん(p.334、345)。
 井上澄夫さん(p.351)。
 下筌ダム反対闘争の鬼と化した室原知幸さんについての『砦に拠る』(p.365)。〝拠る(よる)〟とは、立て籠もること。
 アメリカ空軍の射撃場にされた「梅香里(メヒヤンリ)」(p.368)。
 福島菊次郎さん(p.378)。
 「・・・こうして通い続けることが私の答えなのだ・・・。/・・・風成の闘いの中で・・・。/・・・黙っているかぎりはその人は賛成にかぞえられているのだから、と」(p.383)。
 「・・・自衛隊が米軍とともに戦争をする軍隊へとさらに進むことを意味する。・・・「集団的自衛権」を否定した憲法に抵触するものであるとともに、そのようなかたちで自衛隊員らを、殺し殺される戦場に送り出すことを私たちは絶対に許すわけにはいかない」(p.396)。

 新木さんの解説から。「「疾風勁草」・・・。松下さんは激しい風の中でも、「強靭な意志」を峻立させて踏ん張った勁草であった。・・・負けても負けても闘い続ける草の根の一灯は、一隅を照らし、社会の木鐸となる。「斃(たお)れて止まざるは我道なり」と田中正造は言っている。・・・。/松下さんが増田宋太郎を描いた『疾風の人』は「疾風怒濤」という言葉からきていると思われるが、松下さんは「疾風勁草」の「勁草の人」である」(pp.422-423)。「・・・魯迅は「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となる」・・・。小田実さんは「環境」という言葉は、松下さんたちの努力・たたかいがあって社会に定着してきたのだと言っている」(pp.429-430)。

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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(1/8)

2010年01月31日 19時02分44秒 | Weblog

松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程』、1月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2008年6月刊。

 扉の写真は、豊前市明神海岸にて松下センセ。福岡地裁小倉支部にて七人のサムライ、そして、「アハハハ・・・・・負けた負けた

 Ⅰ章「タスケテクダサイ」、Ⅱ章「暗闇の思想を掲げて」、Ⅲ章「「アハハハ・・・・・・負けた、負けた」」、Ⅳ章「草の根通信は続く」。

 松下センセの目を見開かせた岡部保さん仁保事件(pp.5-16)。

 大分県臼杵風成裁判(p.31、40、50、101、117)。「〈父性の文明〉・・・。/それをやれるのは〈母性の文明〉しかあるまい。・・・/・・・公害企業の進出から守りぬいた中心は、風成という小漁村の母たちであった。・・・〈母性文明〉の価値観が、物質的豊かさよりも、貧しくても美しい環境を選択したのだ」(p.101)。

 「電気需要増加は必至ではないかという問いかけ・・・。・・・現在の電力に頼りきった文化生活そのものへの反省と価値転換であり、少数の被害者には目をつぶって成り立つ多数の幸福という暗黙裡の差別的発展への懐疑であり、さらに大きく根本的には、電力をとめどなく食いつぶしてやまぬ高度経済成長政策の拒否である」(p.107)。「・・・だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。/じゃあチョンマゲ時代に帰れというのか、と反論が出る。必ず出る短絡的反論である。・・・今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。・・・/・・・ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。/「一体、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、・・・開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。・・・/・・・都会思考のキャッチフレーズで喧伝されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、〈暗闇の思想があらねばなるまい」(pp.116-117)。内橋克人さんの〈浪費なき成長につながる〈暗闇の思想〉。
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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(2/8)

2010年01月31日 19時00分34秒 | Weblog

梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程

 下河辺淳氏とはそういう人だったのか、と納得(p.62、103、129)。

 巨大開発の夢のような話の裏。「なんのことはない。その新コンビナートがまた新しい公害を生む。その対策費をひねり出すためには第四コンビナートを造る。このとめどない悪増殖をどのように考えればいいのか。市民を待ち受けるのは地獄ではないのか」(p.90)。
 「そうなのだ。それでいいじゃないか。おれ貧乏なのかなあ、などと無理に悩む必要などありはしない。/〈ゆたかさ〉とは意識問題なのだ。・・・松林の海岸を持つし、遠浅の海では貝掘りも楽しめる。心身を破壊する公害とは無縁だ。―――これほどゆたかな生き方があろうか。/・・・演劇を見ることによる一時的感興と、中津市の子供たちが幼い頃からゆたかな自然の中で生育していくことのすばらしさを比較すれば、私はためらいもなく後者を選ぶ。/・・・都市化により喪われた自然が市民の心の生育に与える底深い破壊は、その何をもってしてもつぐないうるものではない」(pp.92-93)。
 内在的価値の萌芽。あのトンデモナイ冤罪事件で有名な志布志。「若者の流出に対する志布志の人たちの考えは面白い。若者が都会に働きに出て送金して来るのはやむをえないじゃないか。その若者たちが時折帰郷するときのために、あくまでも美しく静かな町を残しておくのだという」(p.94)。「「あなたの息子さんが疲れて帰郷して来るとき、せめて憩いを与えるような美しい故郷を守り通すのが、われわれの務めではないでしょうか」・・・今までの開発論議で常に欠落していたのは、自然愛好的心情論であった」(p.108)。「・・・漁業者が放棄したのは漁業権にすぎない。埋め立て海域で漁業を営む権利を放棄したに過ぎない。しかして、海は厳然として残るはずである。海そのものを売買する権利などは誰にもありえない。魚業権の放棄されたあとの海は、誰のものなのか。それは誰のものでもあるまいし、同時に誰もの共有物だろう。私企業が、漁業権を買い上げたからといって、それがあたかも海そのものまで買い上げたかの如く専横に海を埋め立てることが許されるとは呆れ果てるばかりである。」(p.184)。「漁業権さえ買い上げれば海を占有できるなどということが許され続けて来たこと自体、不思議なほどである。・・・今の社会機構が、「物の生産高計算」でしか評価基準を持たぬゆえ・・・。/海というものの評価の中で、実は生産高での計算はもっとも矮小な評価でしかなく、万人が来て海を楽しむ価値は、計算を超えて巨大なはず、その楽しみは万人がもつ権利であり、それこそが環境権なのである(私は安易に、海を楽しむ価値と書いてしまったが、それではまだ卑小ないいかただという気がする。海がそこに存在するその存在自体の価値というべきか)」(p.137)。

 埋め立て「協定調印の翌夜・・・一人のおじいさんが、さも納得いかぬげに質問に立った。「わしゃあ百姓をしちょるもんじゃが・・・・・・協定がもう結ばれたちゅうけんど、そらあおかしいなあ。わしんとこには、なんの相談もこんじゃったが・・・・・・」/・・・まさに自分は市民の一員なのだから。/首をかしげいうおじいさんの疑問に、私は胸が熱くなり「そうなんです。市民一人一人の声に耳を傾けてまわらない政治が間違っているのです」と答えた。・・・むしろ、おじいさんの発言を常識外れとして失笑した人々の、その〈ならされた常識〉にこそ、現今の民主主義の衰退があるのだ。/・・・その可否には、それこそ市民一人一人の意見を徴して回るのが当然である。今の行政機構の中でそれが不可能だとしても、そのような姿勢だけはもたねばならぬ。」(p.106)。「それこそが真の民主主義である」(p.141)。
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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(3/8)

2010年01月31日 18時58分15秒 | Weblog

梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程

 日本列島改造論に対する「素朴な問い」。「「一体、そげえ物を造っち、だれに売るんじゃろうか?」/宇井純氏は・・・「・・・外国に売りつける。ことにアジアに。・・・きらわれ者ですから、・・・武力による威嚇が必要になってきます。・・・国内に溢れる物をかかえこんで自爆してしまうしかありません。どちらをたどってもほろびます」/・・・地域エゴのはずの私たちの住民運度は、実は巨視的には救国の闘争だということになってくる。/そうなのだ。もう、もうけもほどほどにしましょうやと、昨年の年収五十四万円の貧乏作家はいいたいのだ。これで一家五人生きられたんだから」(p.111)。

 環境権とは? 「・・・あと残されたほとんど唯一の無傷な海岸線は、〈絶対自然〉として、すべての人為的な触手から、完全に凍結されるべきである。・・・/・・・なぜトキの絶滅を憂うるのか。その答えをあっけらかんとしたいいかたですれば、つまり後の世代に残してやりたい愛すべきもの〉であるということに単純化される。豊前海海岸も我々沿岸住民にとって、まさに後の世代に残してやりたい愛すべきもの〉なのである。/〈環境権〉というものは、かくの如く、後に来る者とのかかわりが密なのであり、もっといえば、のちに来る者たちの無言の権利をも含んだ主張であるはずであり、その重さは人類の歴史を曳いて、裁判官とてたじろぐほどのものであるはずなのだ。裁判官をも含めて、我々だけでこの豊前海海岸を処分するなら、のちに続く世代から我々は永久に〈愛すべきもの〉を奪い去ったのであり、彼らの環境権を抹殺したことになるのである」(p.136)。
 
『瓢鰻亭通信』の前田俊彦さんは、酒井伝六氏著『ピグミーの世界』から引用して、「・・・ピグミーにとっては一切が森の〈〉であるという発想・・・。まして人間は、何者といえども森の〈たることはできない」(p.143)。「この世の〈客〉たる謙虚さを忘れたわれわれは、あたかもの如く海を埋め大気を汚染し続けてきた。・・・/さればこそ、もう発展とか開発とかはいらない、せめてここらで踏みとどまって、もはやこれ以上〈預かりものである海を大地を大気を汚してはならぬという住民が各地にふえているのであり、その皆が〈環境権〉に切なる〈魔法の杖〉の夢を託すのである」(p.145)。
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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(4/8)

2010年01月31日 18時55分14秒 | Weblog

梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程

 心の中での葛藤。「執拗にこだわりたいのは闇なのだ。発電所建設反対運動を押し進める者の拠るところ、つづまりは〈暗闇への志向〉以外にあろうか。/・・・/もとよりわれら住民が撲(う)つのは公害であってみれば、公害の問題に需要などの入りこむ余地はないと、一言に峻拒する正論である。・・・/・・・やはりこの舌鋒の刺すきっ先は、みずからにかえってくる部分を含まぬとはいいきれぬ。/・・・/それにカッコよく応ずる論理はない。・・・/恥ずかしながら、ささやかな電力はほしいのであり、それをしも否定しさるのではなく、ただ貪欲に野放図にふくれあがり海岸線を喰いつぶしてやまぬ電力需要を懐疑し瞬絶し、われらの豊前平野と周防灘を守り抜かんとするのみである。いうまでもなく、われらの志向する暗闇も光ありての闇であり、ともに綯(な)い合わせてこそ、密度も放射も濃いのである。闇が闇であり続けてもならぬし、光が光のみであり続けてもならぬ。/筑豊の闇を棲み家とする作家上野英信氏の、既にして十年前の断片を引こうか―――。/
  
闇―――それはけっして空間ではない。・・・どこにも闇をたたえない近代式
  アパート
生活者たちの倦怠と無気力を思った。/・・・闇を持たない人間。
  それゆえに真の光を
もたない人間。かれらは生まれた国ももたず、生むべき国も
  もたぬ二重の国籍喪失者
として、人工光線のうすら明りの海をけだるく
  さ迷い歩くだけである。
闇ありて光は放射し、光ありて闇は密度を深化する。さればわれらの暗闇への志向とささやかなる電力要求と、なんの矛盾であろうか。われらは敢然と開き直って家庭用電力を要求し、しかして〈停電の日〉を要求することによって、これ以上のとめどない発電所建設を、もちろん高度経済成長そのものとともに、明快に否定しさるのである」(pp.150-155)。

 「「・・・多少の公害はあるじゃろう、しかし、なんちゅうてん電力は国にとって必要じゃもんな―――」と説くときの良識派市民の口ぶりたるや、まるで国政の一端をでもになうエライさん化したがごとく憂いに満ちているのである。おお、田舎のおっさんが、国の電力まで心配しているいじらしさ(待てよ、この表情は・・・ああ思いつく。ちょうど選挙のとき、おだてられて票集めの先兵となって駆けまわる田舎のおっさんが、さもいっぱし代議士某と結びついて政治の重要部分に関与しているごとく、興奮にのぼせあがって懸命なさまと、なんと酷似していることか)。/日頃、政治のセの字も触手できぬ背番号的市民われらであれば、かかるときこそテッテイテキに復讐の快を遂げればならぬのだ。「俺たちは電力を要求する。されど俺んちのそばにゃ発電所は真っぴらごめんだ。―――さあ、あとどうするかはお国の方で考えろちゃ。国っちゅうもんな、そんなこつ考えるためにあるんと違うんけ?」と開き直ってうそぶけばいいのである。それが現状況で、みずからの命と健康を守りわが里を守る住民側のしたたかな論理である。しかり、開き直ること以外に、虫ケラ住民われらに抵抗の論理があられようか。/・・・はっきりしていることは、民衆にとって電力危機即社会の破局ではないことだ。・・・/電力危機を恐れること民衆にあらずとすれば本当にそれを破局としてうろたえる者は、いま電力危機を煽りたてている電力会社であり財界であり政界以外の誰だというのだ」(pp.156-157)。
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