Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し

2017年03月23日 00時00分34秒 | Weblog

[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg


[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220088.jpg)]


東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】竜一の愛した書斎】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html)。
毎日新聞の大漉実知朗記者の記事【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】(http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c)。

 《大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。…「砦に拠る」…「ルイズ」…「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》。
 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された》。

 洋子さんは《結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい》と。《従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さんのご自宅が、昨年末に、取り壊されていたとのこと…。《生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていた》ことから、取り壊しとなった。
 迂闊にも気付かなかった…。他に報じているところを探してみて、毎日新聞の記事を見つけました。
 でも、松下洋子さんや梶原得三郎さん、梶原和嘉子さんのご様子も知れて、良かった。《数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託》、さらに、一般公開もされるようです。
 和嘉子さんの歌<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中>。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html

【私説・論説室から】
竜一の愛した書斎
2017年3月22日

 大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。市道拡幅の対象になったためだった。地方に根差し、反公害・反原発運動などを通じて戦後日本の矛盾を見つめてきた作家の話をじかに聞きたいと、六十七歳で亡くなる前年の二〇〇三年、訪ねたあの家が今はない。

 築五十年は過ぎていたその家は、若き日に営んでいた豆腐店の面影を残していた。土間に板を張っただけの書斎。そこが一日の居場所だった。食べて、寝て、客を迎え、孫が走り回る。生活のすべてが詰まったこの簡素な部屋から松下さんの思索はつむがれていた

 国家事業のダム建設に抗(あらが)う男の物語「砦(とりで)に拠(よ)る」、大正の「アナキスト」大杉栄伊藤野枝遺児を描く「ルイズ」、甲山事件の冤罪(えんざい)を訴えた「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く今日にそのまま通じる主題である。全三十巻の「松下竜一 その仕事」(河出書房新社)、「未刊行著作集」(海鳥社)は今こそ読まれてほしい。

 家の解体を見守ったのは七〇年代に地元で起きた火力発電所建設反対闘争以来の盟友、梶原得三郎さん(79)と妻の和嘉子さん(79)。数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託を待つ。書斎が壊される時だけ雨が土砂降りになったという。和嘉子さんは万感の思いを歌に詠んだ。<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中> 

佐藤直子
==================================================================================

==================================================================================
http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c

松下竜一さん
自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える
毎日新聞2017年3月13日 09時15分(最終更新 3月13日 09時31分)

     (自宅の書斎でくつろぐ在りし日の松下竜一さん
      =梶原得三郎さん提供)
     (市道拡幅のため取り壊された松下竜一さんの自宅
      =梶原得三郎さん提供)

 反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された。蔵書などは市立小幡記念図書館に寄託される予定で、同館が整理した後に一般公開する

 自宅は木造瓦ぶき2階建てで、かつては家業の豆腐屋を兼ねていた。松下さんは高校卒業後の1956年、貧困から大学進学を断念し、自宅で父親の豆腐作りを手伝いながら短歌を詠み新聞に投稿する生活を続けた。68年に短歌を軸に恋や青春の苦悩を描いたノンフィクション「豆腐屋の四季」を自費出版。後に講談社が単行本として出版するとベストセラーとなり、俳優の故緒形拳さん主演でテレビドラマにもなった。

 70年に豆腐店を廃業し、「無謀」との声もある中で33歳から文筆業に専念。豆腐作りの作業場を改築して書斎とし、下筌(しもうけ)ダムの建設反対闘争を主導した室原知幸さんを描いた「砦に拠(よ)る」(77年)や、アナキストの大杉栄の娘、伊藤ルイさんの半生をたどり講談社ノンフィクション賞を受けた「ルイズ-父に貰(もら)いし名は」(82年)など数々の硬派ノンフィクションを執筆した他、ミニコミ誌「草の根通信」を発行した。

 一方で「底ぬけビンボー暮らし」などユーモアあふれるエッセーも書き、老朽化した小さな自宅は読者にはおなじみだった。市民らから「せめて書斎は保存してほしい」などと惜しむ声もあったが、生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていたこともあって取り壊しを決めた。

 解体前には、「松下竜一の青春」などの著作がある福岡県築上町の元図書館司書、新木安利さん(67)が約4000点の蔵書と資料を引き取り、図書館へ寄託するための仕分け作業を進めている。解体した当日は雨が降り、松下さんの同志だった中津市の市民運動家、梶原得三郎さん(79)の妻和嘉子さん(79)が「竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中」と詠んで泣いたという。

 市内で長女と同居する松下さんの妻洋子さん(69)は「結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい」と話している。【大漉実知朗】
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!

2013年01月24日 00時00分26秒 | Weblog


松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本になるという記事(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/oita/news/20130115-OYT8T01487.htm)。

 うかつにも、見落としていた!!

   『●第八回竜一忌、涙が出ました: 松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

 以下に再掲。
 「是非、見てみてください。松下竜一さんを知る、その思想「暗闇の思想」を知るためにも。松下センセファンとして、本当に涙が出ました。短歌や緒形拳さんのこと、想聞のこと、松下竜一ファンであること、広河隆一さんのDAYS JAPANのこと、周防灘総合開発計画豊前火力 環境権裁判カン・キョウ・ケンのこと、伊藤ルイさんのこと、東アジア反日武装戦線〝狼〟と市民の敵というレッテルのこと、「底抜けビンボー暮らし」のこと、暗闇の思想を決意するということ、などなどを語る小出裕章さんの素晴らしさも、再認識させられました。百聞は一見に如かず、是非ご覧ください。」

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う

================================================================================
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/oita/news/20130115-OYT8T01487.htm

竜一忌の講演を本に 小出・京大助教 「今ある電力で生活を」信念忘れない

 中津市出身のノンフィクション作家松下竜一さん(2004年死去)をしのぶ昨年6月の「第8回竜一忌」で、京都大原子炉実験所の小出裕章助教が原子力発電所の問題などについて講演した内容が「今こそ〈暗闇の思想〉を」(一葉社)として出版された。小出さんによる松下さんへの思いも記されている。(柿本高志)

 竜一忌は、松下さんの活動を支えた人たちでつくる「草の根の会」(梶原得三郎代表)の主催で、毎年、中津市で開かれている。

 小出さんは、早くから松下さんのファン。1986年のチェルノブイリ原発事故後、松下さんに招かれ話をしたこともある。反原発の立場から多くの本を出版し、2011年3月の福島第一原発の事故後は全国各地で講演を続けている。

 昨年6月の竜一忌では約2時間講演。原発事故が日本に甚大な被害を与えたことや、既存の火力、水力発電所を活用すれば、原発に頼らなくてもいいことなどを、自らまとめたデータで説明している。

 未来の自然環境や生活環境を守ろうと、貧しさにめげず、信念を貫いた松下さんのことを忘れないで、自分なりに生きて行きたいという決意で締めくくっている。

 松下さんが約40年前「今ある電力で成り立つような文化生活を考えよう」と訴えた「暗闇の思想」について執筆した文章なども掲載されている。

 梶原代表は「小出さんが講演してくれて、松下さんも喜んでいるだろう。本になって素晴らしい講演だったことを改めて実感した」と話している。

 本は117ページ、1000円。問い合わせは一葉社(03・3949・3492)へ。

(2013年1月16日 読売新聞)
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第八回竜一忌、涙が出ました: 松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

2012年06月25日 00時00分51秒 | Weblog


大分合同新聞の記事(http://www.oita-press.co.jp/localNews/2012_133989873653.html)。以前『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う』に書いていた小出裕章さんの講演についての映像(http://www.youtube.com/watch?v=PtHciAmQSAc)。すいません、勝手に貼らせてもらいましたNPO法人 九州・自然エネルギー推進ネットワーク様の記事(http://nonukes.exblog.jp/16073022/)と、「フェアトレード 大地」様の記事(http://ameblo.jp/fairtrade-daichi/entry-11280663069.html)。

 「姫野洋三さんの歌」(http://www.youtube.com/watch?v=lYAX_bZZugw&feature=relmfu)、「第8回竜一忌『暗闇の思想』から学ぶ」(http://www.youtube.com/watch?v=PtHciAmQSAc)、「リレートーク」(http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Ngt3sRkJls4#t=220s)などがYouTubeにアップされている。

 是非、見てみてください。松下竜一さんを知る、その思想「暗闇の思想」を知るためにも。松下センセファンとして、本当に涙が出ました。短歌や緒形拳さんのこと、想聞のこと、松下竜一ファンであること、広河隆一さんのDAYS JAPANのこと、周防灘総合開発計画豊前火力 環境権裁判カン・キョウ・ケンのこと、伊藤ルイさんのこと、東アジア反日武装戦線〝狼〟と市民の敵というレッテルのこと、「底抜けビンボー暮らし」のこと、「暗闇の思想」を決意するということ、などなどを語る小出裕章さんの素晴らしさも、再認識させられました。百聞は一見に如かず、是非ご覧ください。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う

================================================================================
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2012_133989873653.html

「原子力廃絶できる」京大の小出助教が講演
[2012年06月17日 11:03]

                        「電力不足は全くのうそ」と訴える小出裕章さん=16日

 反原発運動に深く関わった中津市の作家、故松下竜一さんをしのぶ「第8回竜一忌」が16日、中津市内で開かれた。松下さんと交流のあった京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが、福島第1原発事故の深刻な被害状況を説明し「原子力は廃絶できると強く訴えた
 テーマは「反原発」。小出さんは原発事故がまだ収束していないことや東日本の広い地域が放射線管理区域にしなければならないほど汚染されている現状を指摘。大飯原発(福井県)の再稼働について、「政府は電力が足りないと国民を脅しているが、全くのうそ。国が発表するデータからも電力は足りていることが分かる」と述べ、太陽光など再生可能エネルギーへの移行を求めた。
 松下さんは「電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ」などとした「暗闇の思想」を掲げた。小出さんは「電気が足りる、足りないとの議論とは無関係に『原子力は使ってはいけないという決意をしなければならない。時間をかけて人々の意識を変え、社会構造を変えていく必要がある」とした。
 リレートークでは、全国から集まった松下さんの知人やファンが、各地での反原発運動の状況、松下さんへの思いなどを語った。
================================================================================

================================================================================
http://www.youtube.com/watch?v=PtHciAmQSAc
         ・・・・・・ブログ主: すいません勝手に動画を貼らせていもらいました

第八回竜一忌 『暗闇の思想』から学ぶ 小出裕章さん講演

 
nekonotegumiさんが 2012/06/17 に公開

2012年6月16日に大分・中津市で8回目の「竜一忌」がおこなわれました。
2004年6月に67歳で亡くなった作家、「松下竜一さん」を偲ぶもの。
今年のテーマは「反原発」
そして今年の講演は京都大原子炉実験所助教、「小出裕章さん」でした。
小出さんの演題は「暗闇の思想から学ぶもの」
松下竜一の著作「暗闇の思想」からです。

カテゴリ:
 科学と技術

タグ:

 第八回竜一忌
 第8回竜一忌
 第8回竜一忌
 「反原発」2012.6.16
 「反原発」2012.6.16
 竜一忌
 小出裕章
 暗闇の思想
================================================================================

================================================================================
http://nonukes.exblog.jp/16073022/

NPO法人 九州・自然エネルギー推進ネットワーク 
nonukes.exblog.jp

第8回竜一忌に参加しました


松下竜一氏を偲んで280名が中津に集まりました
 「松下竜一の思想は生き続ける

松下センセが亡くなって8年になります。今年の竜一忌の統一テーマは「反原発」です。そして、松下竜一氏の唱えた「暗闇の思想」が今ほど問われていることはないと参加者のみんなが思っているからです。そして、何と松下竜一氏の書いた「暗闇の思想を」が復刻します。それも「明神の小さな浜にて」という 暗闇の思想を の次に出版された、たたかいの続編を報告した本の合本が出るのです。何ということでしょう。松下センセが亡くなっても、松下氏の「思想」は現代に生き続け、人々を引きつけ続けることができるのです
今回の竜一忌は昨年にも増してスバラシ集いでした。「私たち自身の生き方が問われている」ということがひしひしと私の胸に伝わってきました。ちょうど大飯原発再稼働を野田首相が表明したそのときに、280人の心の中で「どう生きるか、どう生きればいいのか」を語り合ったのです。
小出裕章さんの講演とその後のリレートークで、一人一人のお話の中に、それぞれの人々に生き方の決意を聞きました。ある新聞記者の「自分がどの位置に立って記事を書けばいいのか苦悩の連続だ」という言葉と、弱い側に寄り添って書き続けた松下さんのように生きようとすると語る記者の言葉などに、私はまだ新聞記者やマスコミの中に良心が残っているという気持ちになりました。

松下竜一の 暗闇の思想を 明神の小さな海岸にて が出版されます

影書房から7月中旬には松下竜一の「暗闇の思想を 明神の小さな海岸にて」が出版される予定です。解説は鎌田慧さんです。この本は松下竜一の思想の神髄を書いた本です。当方でも取り扱います。ぜひ読んでください。私の本もついでに読んでもらえればうれしいです。
================================================================================

================================================================================
http://ameblo.jp/fairtrade-daichi/entry-11280663069.html

2012-06-18 14:10:56
第8回 竜一忌

第8回 竜一忌の1部のオープニングにはメンバーによる生演奏と唄

姫野洋三さんの「若狭の海
原発のうたは良かったです。

   「夜をあんなにあかるくしといて
    夏をあんなにさむくしといて
    まだまだ 足りないなんて~♪」

さてさて、京都大学 原子炉実験所 小出 裕章氏の講演会です。

ここで、紹介があった

   「松下竜一とその仕事展で緒方拳さんが松下さんに講演を頼まれ
    返信のはがきに一言書かれた
    「快諾の言葉どおり私も喜んで講演を引き受けました

(ブログ主: 映像はこちらhttp://ameblo.jp/fairtrade-daichi/image-11280663069-12034450848.html))

と松下竜一ファンの小出さんのお話は凄く勉強になりました。

レイモンド・チャンドラーの遺作「プレイバック」の言葉も引用されていました。

    If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
    If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

    強くなければ、生きられない。
    優しくなれないなら、生きる価値がない。(小出さん訳)

そして、改めて福島原発事故後の今の日本の現状が本当に危険な国になっていることも思い知らされました。

国という大きな組織で原発に関しては嘘を言っているように感じました。
そして、生き方についておそわったように思えました。

地球=命が根付けた稀有の星
衛星から見た夜の国々の中に日本がひときわ不夜城のように輝いている現在。

夜をあんなにあかるくしといて~♪姫野さんの歌詞のようでした。

小出先生もクーラーなし生活、電気をできるだけ使わない生活をずっとしているという
誰かのようだ、そうそう大地の代表だ

決して電気は足りないことはないことを実感し、そして原子力なくても大丈夫な日本にしないとと思いました。
放射能とは共存できないのだから。

最後に松下さんのことをこういわれていました。

   「どこまでも優しく生きる
    それこそが本当の強さ

小出さんの話を聞き、また松下竜一さんの凄さも感じ。

そして、「どこまでも優しく生きる それこそが本当の強さ」という言葉を聞き草の根の会の人たちの主なメンバーの顔が浮かびました。

一人一人本当に優しい。
嘘がない人たち。

その中にいると偽物がすぐにわかってしまうほど
本物の人たち

もうおじいさんおばあさんになったけれど
今の薄っぺらい世の中で本物の人たちに少しでも寄り添わせていただけてありがたく感じております。

松下竜一さんがあまりに偉大だったお陰で松下ファンという事で自分の本を売り込んだ詩出版したりする人が多くいる中、先日梶原さんの本を宮村さんが是非出版したいと自主的に費用をだし編集をしてだした「さかなやの四季」の帯に書いていた、本物という言葉

草の根の梶原さんや荒木さんや恒遠さんや浦畑さんやうちの母もそうみんな本物にどこまでも優しく生きている人たちだなと最後の言葉に涙がポロリとしました。

凄く良い勉強になりました。
ありがとうございました。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)

2011年01月09日 00時05分31秒 | Weblog

前半へのリンク


松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』、11月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年6月第1刷発行。

 『草の根通信』(p.78、159、223)。ガサ入れという警察の嫌がらせで購読者が減るどころか、ますます増加。警察は地団駄でしょうね。
 盟友得さん(p.82、148、219、297、310、324、373、387)。『明神の小さな海岸にて』、梶原和嘉子さんとの問答(p.297)。

 〝殺人〟は絶対に否定されなければならない・・・でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか、には耳を傾ける必要がある。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』。東アジア反日武装戦線〈狼〉の大道寺将司さん(p.159、163、183、186、194、199、209、218、221,226、233、242)。
 
オウム・麻原氏に関する森達也さんの『A3』でも感じたこと。「・・・拒絶反応だと断じざるを得ない。/・・・私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」(p.160)。
 
反日集会での一人の若者からの質問に対して松下センセは、「・・・つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」(p.162)。「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」(p.2101)。
 
司法や警視庁の横暴。荒井まり子さんと田中伸尚さん(p.198、247、249)。田中さんも同件でガサ入れ、しかも、ガサ国賠裁判一審判決で不当な敗訴(p.237)。ガサ入れの無茶苦茶な令状を発布した裁判官を訴えた国賠訴訟に、「国家権力を相手の国賠裁判では、民を全面的に勝たせるほどに気骨のある裁判官はこの国の司法界には存在しないのだろう」(p.232)。「今回の一連の令状を出し続けているのが東京簡裁で、司法段階でのチェック機能が全く放棄されているとしか思えない。・・・東京簡裁の自省を求め、これ以上の令状乱発を阻みたいがためなのだ。/・・・。/『草の根通信』を受け取り拒否してきた人が一人、・・・いるが、逆に新規購読申し込みは・・・九十人にも達している。凄いとしかいいようのない勢いである。警視庁さん、くやしいでしょうな」(pp.222-223)。「・・・八年余の歳月を強いられたわけで、それ自体理不尽である。・・・/・・・。/・・・被告に二名の裁判官を特定した・・・。そもそも家宅捜査の令状を発布するのは裁判官なのだ。警視庁からの・・・令状請求を、裁判官がその段階できちんとチェックしていれば、百数十人にも及ぶ捜査令状は乱発されていなかったはずなのだ。/しかし一審を通じて、東京地裁はついに、令状を乱発した二人の裁判官を法廷に呼ばなかった。・・・。/・・・。/ちなみに、勝訴した私は十万円を貰ったかというと、それは貰えない。・・・賠償金の何倍もの出費を強いられるわけで、まことに国家権力に刃向かう民草の立つ瀬はないのである」(pp.238-239)。大赤字の勝訴(p.240)。「簡易裁判の(家宅捜査)令状請求に対する却下率は0.0六五九%、地方裁判所でも0.二七%という。・・・つまり警察の請求した令状を却下する数は限りなくゼロに近い・・・(しかも、ガサ裁判では令状を出した裁判官の罪は一切問われることはないままに終わった)」(p.253)。
 
田中伸尚さんらの控訴審で福島瑞穂弁護士からの要請で松下センセが意見陳述(p.245)。「大逆事件」、「横浜事件」(p.251)。
 
『腹腹時計』(p.218、225)。
 
在りし日の『朝日ジャーナル』に載った記事、「出かけようとして踏み込まれる側の論理」(pp.224-228)。伊方原発での出力調整実験反対運動に対する〝運動つぶし〟、「東京簡裁は司法サイドのチェック機能を全く放棄してしまっているとしか思えない」。
 
大道寺あや子さん、浴田由紀子さん、重信房子さん(p.234)。

 
『豆腐屋の四季』と〈いのちき〉(p.165、368)。緒形拳さん(p.171)。

 
大分県臼杵市の風成(かざなし)の漁村のお母さんたちの大阪セメントに対するすさまじい闘いを描いた『風成の女たち』(p.176)。そこで指摘された松下センセ自身の足元の問題が周防灘総合開発計画。

 ガサ入れが結ぶ縁。日本赤軍コマンド泉水博さん(p.191、207、214、219、240、244)。『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』。
 『豆腐屋の四季』が取り持つ縁。鎌田俊彦さん(p.196)。

 完全無罪判決後も無謀な追及を続ける警察。記憶の闇、甲山事件と山田悦子さん(p.257)。伊藤ルイさん(p.265)。無謀な神戸地検(p.265)。浅野健一さん(p.266)。判決前に、冤罪被害者と確信しての『文藝』に一挙掲載された長編ノンフィクション『記憶の闇 ―――甲山事件[1974←1984]』(p.268)。

 
遺族には申しわけないが、暴走する検察審査会(p.270)。

 人殺しの練習(p.327)。日米合同軍事演習に凛と反対を唱える伊藤ルイさん(p.334、345)。
 井上澄夫さん(p.351)。
 下筌ダム反対闘争の鬼と化した室原知幸さんについての『砦に拠る』(p.365)。〝拠る(よる)〟とは、立て籠もること。
 アメリカ空軍の射撃場にされた「梅香里(メヒヤンリ)」(p.368)。
 福島菊次郎さん(p.378)。
 「・・・こうして通い続けることが私の答えなのだ・・・。/・・・風成の闘いの中で・・・。/・・・黙っているかぎりはその人は賛成にかぞえられているのだから、と」(p.383)。
 「・・・自衛隊が米軍とともに戦争をする軍隊へとさらに進むことを意味する。・・・「集団的自衛権」を否定した憲法に抵触するものであるとともに、そのようなかたちで自衛隊員らを、殺し殺される戦場に送り出すことを私たちは絶対に許すわけにはいかない」(p.396)。

 新木さんの解説から。「「疾風勁草」・・・。松下さんは激しい風の中でも、「強靭な意志」を峻立させて踏ん張った勁草であった。・・・負けても負けても闘い続ける草の根の一灯は、一隅を照らし、社会の木鐸となる。「斃(たお)れて止まざるは我道なり」と田中正造は言っている。・・・。/松下さんが増田宋太郎を描いた『疾風の人』は「疾風怒濤」という言葉からきていると思われるが、松下さんは「疾風勁草」の「勁草の人」である」(pp.422-423)。「・・・魯迅は「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となる」・・・。小田実さんは「環境」という言葉は、松下さんたちの努力・たたかいがあって社会に定着してきたのだと言っている」(pp.429-430)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(2/2)

2009年07月28日 07時50分42秒 | Weblog

【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一 未刊行著作集3/草の根のあかり』
 「松下センセの『怒りていう、逃亡には非ず』に、マドンナという名で登場する人」(p.299)。
 「死刑囚の息子とひんぱんに面会するために、北海道の故郷を捨てて一人で東京郊外に移り住んでいるのだ」(pp.334-335、412)。「不自由な足で杖をついて久々に息子の面会に訪れた母を、拘置所は規則によって拒んだのだ」。
 「一歩も引かずに国家(建設省)とわたりあった人物」蜂ノ巣城主の室原知幸さん、その夫人ヨシさん(p.320)。
 広川隆一さん(p.361)。
 小田実さんと、瓢鰻亭の主の前田俊彦翁(p。363)。

 仁保事件(p.33)。

 「いのちき」(p.53、73、195、294、406)。「・・・三十余年をペン一本でいのちきできたのですから、よほどの好運に恵まれたのだと考えるしかありません。いい編集者とやさしい読者に恵まれて・・・・・・」(p.195)。
 「クーラーのない松下センセの家は、風通しも悪くて夏は蒸し風呂の有様なのだ。「暗闇の思想」の教祖としてはクーラーなどつけるわけにはいかない」(p.162)。

 「「読書絵日記」・・・「本との〝出会い〟は楽しい」、「背表紙が光る」とあって、棚の一カ所がキラッと光っている。・・・/「この本ともそーやって出会った」という説明の第二コマで、文庫本の棚から引き抜かれる本が松下センセの『潮風の町』なのだ。・・・/もっと嬉しくなるのは、本を買った男が書店を出てくるシーンである。彼の頬は紅潮し、ドキドキと胸の鼓動が昂まっているのが分かる。これから分け入ろうとする作品世界への期待をあらわにして、真の読書家はこのように一人ひそかにときめくものなのだ」(pp.55-56)。
 
「なにしろ、本の洪水である。そんな中から、読者はどうして私の本と最初の出会いをするのだろう。目立つほどに並んでいるわけではないし、公告されている本でもないのだから、不思議な気がする」(p.338)。

 「ジンジャーによせて(1988.9)」(pp.68-83、111)。〈表現〉に目覚めた梶原和嘉子さんとの深い〝師弟愛〟。

 「もう一人の例外的な存在が得さんで、勤勉なくせにもうけることを知らぬこの男もまた、恒常的な貧しさにその生き方を規定されているところが、傍で見ていてあわれというしかない。/松下センセと得さんがなぜかくも厚い友情で結ばれているかの秘密は、この共通項にある。・・・傷をなめ合うような共感が二人の間をつなぎとめているのだ。・・・こういう不安の共有こそが友情をつちかっていくのである」(p.110)。「ふっと思ったことだが、六十歳を過ぎて連れ立って万華鏡を買いにいそいそと行く友を持つことは、たぶんとてもしあわせなことではないだろうか。・・・/だがつまりは、このコンビが続いてきているのは、表層に現れているさまざまな相違点はともあれ、一番奥にひそむロマンティシズムがそっくり同じであるからに違いない。万華鏡を連れ立って買いに行く二人だもの」(pp.208-209)。
 「「小さなさかな屋」は梶原鮮魚店の物語であり、・・・小心なる和嘉子さんにいたっては、なんとなくおびえる気配でもあった。/「こんな不器用で損な生き方をしてはいけませんよという、反面教師やないかしら・・・・・・」」(p.168)。

 「洋子病」という奇病(p.127)。

 「文部省公認作家?(1989.5)」(pp.129-143)。無実の罪でガサイレを受けた作家の作品が娘の教科書に載るなんてとんでもない、というクレーマーとセンセの電話での問答。「・・・その著作権の及ばないのが教科書・・・教科書に限っては勝手に載せても構わないことになっているのである。「教科書に載せてやるんだ、ありがたく思え」という国定教科書時代のおカミ意識の名残なのだろう」。「なんと、小説の章で松下センセは志賀直哉と並んでいるではないか。・・・/少年の日に仰ぎ見た〈小説の神様〉と並んで自作が掲載されているのを見たときの、松下センセの胸の高鳴りは察していただけようではないか」。

 「編集者の命名センスに脱帽したのは、『五分の虫、一寸の魂』のとき。・・・/・・・という書名を示されたとき、私はアッと思った。・・・/なにしろ五分の虫、一寸の魂なのだから、容(うつわ)である身体よりも魂の方が倍も大きいときている。/電力という国の基幹政策に環境権の旗を掲げて挑んだ七原告は、法律知識もなければ裁判体験もないのに弁護士もつけずに無謀な裁判に邁進したのだった。ただただ環境権確立の心意気だけに燃え、身のほど知らずに魂が舞い上がっていたというしかない。〈七人の侍〉だとうそぶいていた」(p.378)。センセの著作から九年後の出版で、チョモランマ登山隊長であり、初代の南極越冬隊長でもあった西堀栄三郎さんにも同名の書があったとは!

 最後は、梶原得三郎さんの「松下さん、あなたが記憶される限りまだ希望はある、と思いたい」(pp.405-413)。「属国と化したこの国の現状」。「・・・ブッシュ大統領めがけて、イラク人記者が靴を片方ずつ投げつけたのです。・・・「イラク人からのさよならのキスだ、犬め」、「これは夫を亡くした女性や孤児、殺されたすべての人のためだ」といいながら投げた・・・一般にイスラム世界では「犬」と呼ぶのも靴を投げつけるのも「最大級の侮辱」だということです。/・・・訪問先の国でこれほどの怒りを直接にぶつけられたことは長く記憶されるべきだと思います。・・・イラクに攻め込んで十万人もの人々を殺したブッシュに対する抗議としては控えめに過ぎるといわねばなりません」。山田泉さんの死。大道寺将司・益永利明さんのTシャツ裁判の一部勝訴。伊藤ルイさんは「一国の人権レベルは獄中処遇にあらわれる」と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(1/9)

2009年04月07日 07時59分04秒 | Weblog

松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』、1月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。200811月刊。

 このシリーズ、大変な労作だと思う。センセのファンの目になかなか触れることのない作品に陽の目をあて、ブログ主のコピペ作業も熱く。既購入ながらまだ未読の第四集「環境権の過程」を○○図書館にも推薦。室原 (知幸) の「蜂ノ巣城」下筌ダム闘争など、□□の皆さんにも広く知ってほしいので。

 扉の写真は、上野英信さん、伊藤ルイさん、「吉四六芝居の浪人」姿のセンセ、『松下竜一 その仕事展』で緒形拳さんと。

 三つの章から。「Ⅰ 諭吉の里から」、「Ⅱ 送る言葉」、そしてなんといっても「Ⅲ 少しビンボーになって競争社会から降りようよ」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(4/9)

2009年04月07日 07時57分21秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 「ツワブキの庭 筑豊の記録者上野英信氏逝きて五年」(pp.196-198)。晴子さんの優しさ。「あるとき、筑豊文庫を辞去する暗い前庭で、晴子夫人がそっと私の手中に一万円札を一枚押し付けたことがある。今も忘れていはいない」。また、英信さんの五年目の命日の数日前、「この日、いとま乞いする私とに、晴子夫人は「おじいちゃんに何か使って」と言って、私の老父にことよせて見舞金を下さるのだ」。「上野晴子さんをしのんで」(pp.208-211) では、「私は晴子夫人に、かなりひいきにしてもらっていたように思いこんでいる。私が筑豊文庫の門をくぐり始めたのは英信氏の方から声を掛けられてのことで、そのことが不思議だったが、よく考えてみると晴子夫人のさしがねだったのではあるまいか。・・・『豆腐屋の四季』を読んで、英信さんに話したと考えると納得がいくようだ」。前節同様、「・・・私と妻にことのほか思いやりを示して下さった。・・・そっと一万円札を握らせて呉れたことがある。火の車の台所を預かる人からの恩情を忘れられるものではない」。センセの晴子さんへの最後の手紙に対して、朱さんからの返事。最後の入院前、センセの夢を見たそう。「・・・お金が全然なかったからなぜか竜一さんのところへ二十五円ほど借りに行ったのよ。そしたら洋子さんがどうぞいくらでもって言って抽出しを開けてくださって、見たら五円玉や十円玉がたくさん入ってて、あたしはとっても嬉しかった。――という夢だったそうです」。センセの本追悼文での最後の結び、「――晴子さん。短編のネタにはしませんでしたが、追悼文で披露してしまいました。ああ、やっぱりひいきしてくれてたんだと、とてもうれしかったんですもの」。
 「伊藤ルイさんを悼む」(pp.222-224)、 「生きる勇気を伝えた晩年 伊藤ルイさんを悼む」(pp.225-226)、「〈力〉に抗して、真剣に生きて 追悼・伊藤ルイさん」(pp.227-231)大道寺将司益永利明さんに関連するTシャツ訴訟の原告団長がルイさん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(8/9)

2009年04月07日 07時53分49秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
つづき。「「この人と出会ったばかりに、私の人生は狂ってしまいました」/小さなつどいでの自己紹介で、彼がそういって爆笑を誘ったことがある。この人というとき」に「私と出会った人」こと梶原得三郎さんの手はセンセを指していた。「・・・逮捕され起訴される。その獄中で職も喪ったのだから、私との出会いでまさに人生を狂わされたことになる。/大損をしたのは彼であり、一方私はこの弾圧をテーマにして『明神の小さな海岸にて』というドキュメントを発表しているのだから、彼を踏み台にしたという辛辣な見方をされてもしかたないのだが、二人の間にいささかのひびも入らずにきているのは、ひとえに彼の希有な人格によっているのだろう」。今宿在住の、野枝の母 (つまり祖母) ウメに育てられた「大きな瞳を輝かせた人」伊藤ルイさん。被告席の本人の「胸に刻み込む〝友情の言葉〟として語」らせ「私に証言させた人」鎌田俊彦さん、そして「あの証言の日の私の友情は、今も変わらないことを」。最後に、講演依頼に「はがきいっぱいに豪快な筆致で「快諾」とあった。千言にもまさるこの簡潔豪毅な返事に」センセを唸らせた「私を演じた人」緒形拳さん。「緒形拳さんから突然電話をもらった・・・。/「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、興奮してしまって一睡もできなかったよ」という。/・・・泉水博の、数奇な運命をたどったノンフィクションである。「これを映画にできたら」という熱い思いを、拳さんは電話で伝えた。/「君はいい仕事をしているねえ」といわれて、・・・拳さんがこうして遠くから見ていてくれたことを知って嬉しさもこみあげていた」。室原翁の役とともに、実現してほしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『口きかん ~わが心の菊池寛~』読了(2/4)

2009年01月05日 08時00分56秒 | Weblog
【矢崎泰久著、『口きかん わが心の菊池寛~
「言論および思想の弾圧に直結するという理由で「治安維持法」は帝国議会で反対され続けてきた。それを、加藤高明内閣が「普通選挙法」と抱き合わせることによって、強引に成立させたのである。このことは恐ろしい時代の幕開けを実は意味していた」(p.98)。「・・・気鋭作家の自殺・・・本人さえ定かではないのだろうが、芥川の「ぼんやりした不安」が、その社会情勢と共鳴していた・・・。大杉栄 [伊藤ルイ] らを惨殺した甘粕事件に顕著な社会運動への弾圧があり、そうした弾圧を合法化するための治安維持法成立があった。・・・芥川は、いち早くそれを察知、・・・彼のやり方で拒否したのかも知れない」(p.111)

「・・・佐藤碧や梶山季之は川端の新聞小説を二人でほとんど執筆している。・・・『東京の人』は駆け落ちしている伯母の家に身を寄せていた矢崎泰久夫妻がモデル・・・。誰もが代作を認めていたのである」(p.136)

菊池による「芥川賞・直木賞」の創設の経緯 (p.168)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一 その仕事20 記憶の闇』読了(3/4)

2008年03月18日 07時58分04秒 | Weblog
松下竜一著、『松下竜一 その仕事20 記憶の闇』
家庭訪問の際に、話に涙を流して聴き入ってくれた、子供の小学校の担任の言葉、「人間が道理、真実を見つめる目を失ったら終わり(p.258)信じることだけが目的になってはいけないし、教育者や科学者が二セ科学疑似科学を信奉して、教育してはお終い。

「人の「記憶」について考え込まざるをえない。・・・一人一人の記憶が食い違い・・・食い違い・・・錯綜し・・・人の「記憶」の曖昧さ不確かさに嘆息させられる。・・・「分かりません」「忘れました」「そうかも知れません」といった言葉の向こうに拡がる記憶の闇の不気味さに圧倒される」(p.239)

「清水一行の推理小説『捜査一課長』」問題・・・ (p.180325)
一方、今宿在住だった伊藤ルイさんが松下センセをこの事件に結びつけたよう (p.243255)。裁判の判決に、松下センセはこのルポを出版し、無罪を主張。「どのような判決になろうと、私は彼女の側に立つ(p.261) と言い切る。ノンフィクション作家の生命を賭して。ここで、このルポは閉じられている・・・。

そして、「十三年後の「あとがき」」(p.264)・・・、さらに、1999年にようやくの決着 (p.333)、事件発生から実に25年。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『ドキュメント 憲法を獲得する人々』読了(1/4)

2008年03月17日 08時08分30秒 | Weblog

田中伸尚著、『ドキュメント 憲法を獲得する人々』読了。岩波書店、
20024月刊。「勁い
(1) (2) (p.54199231) 人々を追い続ける著者が著した憲法を軸にした人物ドキュメント。松下竜一さん (p.921) や伊藤ルイさん (p.11165)、神坂哲さん (p.25)、加納実紀代さん (p.80) 、高木仁三郎さん (p.216) などの名も脇役として登場する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『ドキュメント 憲法を獲得する人々』読了(3/4)

2008年03月17日 08時03分26秒 | Weblog
田中伸尚著、『ドキュメント 憲法を獲得する人々』
「死刑囚養母の不安と勇気」の益永さん。「憲法が禁じている「残虐な刑罰」を、大量に執行してきたのは異形 (いぎょう) である」この国。死刑制度を未だに多くの人々は支持・・・。”狼”のメンバー大道寺さんとともに、「息子」の益永さんは死刑が確定している。「悪いことをしたから、殺してしまえというのでは、問題の解決の道は断ち切られてしまいます」(p.164)。「あの子らは私らの世代の罪を背負って、あんな大きな事件を起こして・・・。私らの責任(p.169)、「死の商人といわれ、兵器産業・・・、戦争中も財閥として侵略戦争を担ってきた・・・。侵略戦争を担った自身の世代の責任(p.172)。また、選挙で落選し、「選挙で約束したことは落選しても「公約」で、八三票への責任がある」(p.179) という。今の政治家の方々の公約の中身の何と軽いことか。伊藤ルイさんらのTシャツ訴訟にも関連し、長い長い訴えで漸く東京拘置所で外部交通権が許可された。「息子」から、14年ぶりの手紙が届いたと云う。

「朝鮮人被爆者の遺骨にきく」の岡さん。「持てば使いたくなる。武器というものは守るためだということはありえない」(p.184)。「韓国の被爆二世の形成と日本の被爆二世のでき方とはぜんぜん違う」(p.190)、「親は強制連行のような形で連れて行かれ、過酷な労働をさせられて、その挙句の果てに被爆してひどい目に遭った」(p.190) それを厳しく指摘する岡さんに浴びせられた言葉は、「売国奴」や「非国民」だったと云う。中谷さん高遠さん (の家族) らにこの種の罵声を浴びせる人々について、どちらが一体「売国奴」や「非国民」なのですか? 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(1/4)

2008年03月10日 18時36分50秒 | Weblog

田中伸尚著、『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了。一葉社、19967月刊。連載時にも読み、単行本化された時にも読んだので、今回で3回目。田中伸尚さんの代表作だと思う。

神坂哲さんは、最高裁に判事任官を拒否されていた直樹さんのお父さん。3度にわたり、大阪地裁裁判長古崎(こざき)慶長さんの見事な全面勝訴判決を、弁護士無しで勝ち取っている。神坂さん自身は敗訴を経験することなく・・・、生命を削って、72万字を訴訟に係わる書面に刻み込んだ。十年間、「書いて、書いて、書き続けて逝った」(p.452)。伊藤ルイさんは述べている、「形としての「ひと」は滅びるけれども、命を惜しまず守られたその人の思想と行動は絶ゆることなく後世に受け継がれていく」(p.457)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする