Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(6/8)

2010年01月31日 18時48分16秒 | Weblog


梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程

 弁護士無しでの本人訴訟である豊前環境権裁判の第一準備書面での心情的発言。「・・・私たちを救済する法律は当然存在するはずだと信じる。そしてそれは、私たちが主張せずとも、裁判所が判断して適用してくれるものだと私たちは信じる。裁判とは、そういうものであろうと、私たちは理解して来た」(p.199)。裁判員制度などといったことの前に考えるべきことがあるのでは。

 居直り再び。「そこでわれらはニヤリと笑って、良識派に問い返すのである。「ここまで認めているからといって、なぜこれ以上をも認めねばならぬのか」と。一体なぜ、そのような論理の清潔さを通さねばならぬのかと。即ち、われらの〈居直り〉である。/・・・一度認めた以上、どこまでも認めるという論理の一貫性に立てば、かくてとめどなくなる。〈毒食わば皿まで〉という至言のままである。犯され続けた果ての破滅が見えぬか。/そうなりたくないために、われらは居直る。敢然と居直る。成程われらは電力なしでは生活できぬという事実は認めよう。しかし、だからとどこまでも容認するとはいわず、ほどほどにとどめようというのである。このほどほどにという言い方は、およそ思想の美学には合わぬらしく、イデオロギーの範疇では軽蔑される用語であろう。だからこそ、電力の必要性を認めた以上はどこまでも許し続けるという義理固い良識がはびこるそれにくみせぬなら暗闇にひそめと石を投げられる」(pp.208-209)。その後の石油危機時の政財界による省エネ宣言に対して、松下センセの機関紙『草の根通信は敢然と「節電協力宣言」! 「それは〈節電の正体を見抜けば、分かってくる。/・・・/これほど節電を呼びかけつつ、他方ではいま、九州になだれこんでくる新企業を野放しに受け入れているという矛盾を凝視するだけで、〈節電〉キャンペーンのインチキぶりは丸見えのはずなのだ。・・・九社長イコール九州・山口経済連合会会長であり、・・・新聞放談においても、「電力は豊富です」と企業向けPRは忘れなかった。それは向こうを意識しての談話であり、ささやかな家庭消費者であるこちらに向かっては、電力危機を説き節電を強要するのである。その分厚い二枚舌を思い浮かべるだけでヘドが出そうになる」(pp.211-212)。
 
「ほどほどに」! すばらしい。まさに、「浪費なき成長につながる発想。内橋さん曰く、「自給自足圏の中でも安定した経済成長は可能かとの問いに、「ほどほどの成長は可能です。それを実践しているモデルは世界にたくさんあります。『浪費なき成長』です」(p.221)。いわゆるFEC」(【内橋克人著、『不安社会を生きる】)。

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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(7/8)

2010年01月31日 18時43分25秒 | Weblog


梶原得三郎編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程
 都知事
等のニセ右翼の対極に居るはずの、真の右翼とは? 鈴木邦男さん以外にも居る。「その人宇治田一也氏は、ハンストを始めるにあたって、決意を短く告げている。/・・・/氏は・・・埋め立てに抗議して三十三日間にわたる長期ハンストを敢行しているが・・・。それほどの公害に苦しんでいる人々にとって、革新知事すらが、更に第二火力の増設を認めたことは、救いのないことであった。・・・/宇治田氏は・・・、右翼とされる。各地の公害問題地で、加害企業のガードマンとして登場する右翼をしか見ていない我々に、一見、氏の行為は奇異であるが、右翼思想の純粋な系譜は、当然なまでに〈国のまほら〉を守らんとする心なのであり、氏の行為こそ優れて右翼の真髄だと分かる」(p.220)。

 環境保全とは
? 「・・・されば、〈環境保全〉とは、このような〈環境〉そのもののそっくりな保全でなければならず・・・。/・・・/県知事にとっての〈環境保全〉とは、埋め立てによって周辺水域に及ぼす影響―――すなわち、水質汚濁防止法にかかわるところの水質基準値に汚濁がおさまるかどうかということだけなのである。背後地住民にとっての〈環境〉がそっくり喪われることなど、問題外なのだ。なぜなら、海水浴も、潮干狩りも、釣も眺望も、実定法に於ける〈権利〉として定着していないのだから、顧慮する必要はないということであろう」(p.225)。今から30年以上前にこのような論説を唱える松下センセの視点に感心する。

 センセ曰く「気恥ずかしき機関紙草の根通信
」。「・・・六〇年安保闘争の絶頂・・・。/同じ頃、九州の山奥、阿蘇山系の北麗の渓谷で国家権力に抗する壮大な戦いが展開されていたことを、人は記憶にとどめているであろうか。蜂の巣城闘争という。文字通り、急峻な山崖に無数の砦を築き、ダム反対の叛乱農民がこもったのである。城主・室原知幸は山林地主としての巨富をこの闘争にそそぎこんだ。六〇年安保闘争の終熄ののちも、この山峡の闘いは執拗に持続され、一九七〇年の室原氏の死まで国家をてこずらせた。/公共性をふりかざしての国家権力私権を拮抗させた、この壮絶な十三年間の闘いを記録すべく、今私は遅々たる取材を重ねているが、ほとほと弱るのが、この果敢な〝抵抗者〟達が長い闘争の期間を通じて、ほとんど〈文字〉の記録を遺してくれていないことである。/今やすべての住民運動につきものの、機関誌はおろかビラの一枚すら出されなかったのである。・・・/・・・当初マスコミをさえ砦の中に立ち入らせなかった。城主との会見を目指して東京から乗り込んできた安倍公房があっけなく拒否に遭い、・・・。/・・・機関誌も一枚のビラも残さなかった彼等のいさぎよさの前に、・・・号を重ねる機関誌『草の根通信』を持つおのれらの豊前火力反対闘争の、それこそが脆弱さの証明とみえて、ひそかに気恥ずかしくてならぬのである。まして、『草の根通信』は今や全国的に好評なのである」(p.248)。『草の根通信』は松下センセの死まで続き、室原翁の闘争は、風成の女たちと同じくブログ主の最も好きな松下センセの作品の一つである砦に拠るに纏められることになる。

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●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(1/2)

2009年07月28日 07時53分44秒 | Weblog

『松下竜一 未刊行著作集3/草の根のあかり』、7月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年2月刊。

 扉の写真は、得さん御夫妻。随分若く見える佐高信さん。旧婚旅行中のセンセご夫妻。『草の根通信』360号記念パーティでのセンセ。

 本巻は3部構成。第一部は『草の根通信』の一九八八-一九八九年、第二部は同じく二〇〇二-二〇〇三年の「ずいひつ」から。第三部は「朝日新聞」(西部版)掲載の「ちょっと深呼吸」から。

 日本赤軍の「せんすいひろし」氏に関連した、めちゃめちゃなガサイレ(p.7、381、393)。「そうか、警視庁から烙印を押されると、こういうことになるのかと私は唖然としました。当の本人がびっくりする程の〈過激派〉像がゆきわたっていくのでしょうね」(p.104)。12年間にも及ぶ国家賠償請求訴訟に勝訴(p.383)。担当弁護士は福島瑞穂さん。

 ルイさん(p.16,28、61、114、341、364、413)。
 山田悦子さん(p.14、27)。
 カマタ・トシヒコ、鎌田俊彦さん(p.84、169)。
 緒形さん(p.318、358、411)。「・・・さんは一度も講演を引き受けたことがないそうなので、破格の友情出演ということになる」(p.319)。
 岡部伊都子さん、「「大泣き」の図(1989.6)」(p.137)。
 箕面忠魂碑訴訟原告の古川佳子さん(p.142)。
 須賀瑠美子さん(p.188)。地域通貨。
 横田耕一(憲法学)さん(p.205)。
 松下和亜さんの寸又峡「山湯館」(p.224)。
 孤独なOさん(p.232)。「きっと不審者というよりは、帰る先を見失って途方に暮れている老人と見られたのにちがいない。/「ちゃんと説明して、わたしの保証人は松下竜一さんですと言ったらですよ、おまわりさんが急に態度を改めて、あっ失礼しましたといって行きました」/その情景が見えるようで、松下センセと細君はふきだしてしまった」。
 筑豊文庫の上野英信さん(p.234、264、288、372)。晴子さん(p.288)。
 筑摩書房の松田哲夫さん(p.242、251)。
 「松下竜一を勝手に応援するページ」の山口県立大学の清原万里(まさと)さんの急死(p.260、386)。
 「石原慎太郎という人物を容赦なく(てつけつ)し、彼に期待を寄せる最近の世の風潮の危うさをも同時に撃つといった評論集」の『空疎な小皇帝』の著者、斎藤貴男さん(p.284)。「〝幻の作家〟の正体は(2003.4)」(p.284-297)。
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●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(6/9)

2009年04月07日 07時55分50秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 本章のタイトルに採られた同名の節「少しビンボーになって競争社会から降りようよ」 (pp.256-267)。センセと『草の根通信』、「弁護士さえ、ついてくれなかった」「環境権を掲げての七人の市民」による本人訴訟。「・・・私のつくるミニコミは運動体の機関誌としては破格であったらしい。/あまりにもあけすけに内情をさらけ出しすぎるというのである」。「・・・うかうかと三人目の子を生んでしまい、・・・「わが家ではカンキョウケンが確立したのだ!」とうそぶいている」。「・・・このとき裁判所の玄関で掲げた垂れ幕アハハハ・・・・・・敗けた、敗けた」は、大いに物議をかもしたものだ。・・・これほど松下センセとその同志の心意気を表現した言葉はない。不真面目をいうなら、裁判所こそが不真面目だったのだ」。「その結果またしても発電所が必要となり、環境を汚染し資源を濫費してのこの悪循環はとめどなくなる」。「・・・原発の罪業は火電の比ではない」。「〈暗闇の思想〉などとたいそうな銘を打っているが、ようするにこの限りある環境と資源を濫費することなく、ほどほどに生きようよといっているにすぎない。/いっこうに変わることのないビンボー暮らしを綴ってきた三冊の本がひっそりと消えたというのに、いま四冊目の『底ぬけビンボー暮らし』に至って予想外に静かな反響を呼んでいる背後には、時代をおおう不安がより色濃く影を落としていると見ていいだろう」。 
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●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(8/8)

2009年01月13日 07時25分03秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
『いのちきセンセ奮戦の半生記抄』(p.274)。「・・・豊前火力反対運動をネタに、何冊の本を書いたろうか。『暗闇の思想を』、『明神の小さな海岸にて』、『環境権ってなんだ』、『五分の虫、一寸の魂』・・・松下センセは、はっきりと運動を喰い物にすることを公言してはばからなかった。・・・松下センセが住民運動をネタにしてしぶとくいのちきして・・・かつがつながらいのちきしてきたからこそ、豊前火力反対運動は十年を超えて続いてきたのである。・・・反対運動の同志たち・・・いずれ劣らぬいのちき下手という点では、みごとに似たもの同志なのだ」(pp.284-285)。「・・・研究室という、本来造る側の学問に身を置きながら、造らせまいとする住民運動に深くかかわってしまった彼は、そこから巧みに身をかわすという器用さをもたなかった」(p.286)。「しかし、松下センセの周辺でいのちき下手ということでは、梶原得三郎さん以上の者はいないだろう。いのちきオンチを自認している松下センセですら、彼のいのちきぶり(『小さな魚や奮戦記』)にはらはらさせられ続けてきたのだから」(p.286)

解説の山田泉さん『天国からの手紙』(p.371)。「いのちの授業」で有名な山田さん。この解説は20084月に書かれたもの。『草の根通信』にも寄稿しておられた山ちゃん、残念ながら11月に亡くなりました。
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●『松下竜一 その仕事29 小さなさかな屋奮戦記』読了(2/2)

2008年04月09日 08時00分08秒 | Weblog


「少しでも押しつけ商売になることを嫌う」(p.15)、「高潔」(p.16)、「コネを求めたり上役に取り入ったりのできない愚直」な得さん。得さんあっての松下センセ。二人とも「一生懸命いのちき(pp.1690141)。「寄せられた祝儀が四十万円では終わらなかった」のは、権力による苛めによって「・・・・・・ 職を喪っても生き方を変えない」得さんが、「それゆえ苦しい生活を強いられていることに心を痛めている同士は九州一円に沢山いる。・・・・・・夫婦の人徳」(p.51) だった。養殖での薬漬け、TBTなど薬剤漬け ・・・・・・ 「毒を承知でお客に食わせるのか」、「原則というのは、一度こわせばとめどなくなくなるんだ」(p.73)

ミニコミ月刊誌『草の根通信(p.129) が終わったこと、残念で仕方ない。

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●『ドキュメント 憲法を獲得する人々』読了(2/4)

2008年03月17日 08時07分00秒 | Weblog

田中伸尚著、『ドキュメント 憲法を獲得する人々』
「毎月2日は基地の前で」の渡辺さんは、松下さんの『草の根通信』でお馴染み。ちなみに、当ブログで「勁」という字を再三取り上げているのは、松下さんの追悼文集のタイトルが『勁 (つよ) き草の根』であるが故。

「私は裁判官になりたい」の神坂さんは、そのタイトルが表す通り。「どんな裁判にも憲法が隠れているんです。それを引き出すのが裁判官の仕事です」(p.24)、と語るのは哲さんや古崎さんの影響かな。「任官拒否」はまさに「いじめ」。お父さんへの意趣返しも一部含まれている。

「遺族が求めた合祀取り下げ」の菅原さん。最高裁大法廷の「愛媛玉ぐし料訴訟」での司法判断など意に介さず、あるいは、無視し参拝を強行する小泉元首相 (p.94)。「私と同じ遺族が、・・・中曽根を拍手と歓声で迎える光景・・・、遺族が喜ぶ・・・、拍手で迎える。この倒錯した光景は、あまりに悲しくて切なかった・・・」(p.95)。「侵略戦争の加害者として動員され、死んだ。国家は二重の意味で遺族に謝罪する責任(p.95) があり、「首相の公式参拝が遺族として耐えがたい屈辱(p.96)

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