まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

5つのパンと2匹の魚

2009-07-02 16:02:52 | 想い
今朝は、幼稚園のお母さんむけの聖書講座「みことばの集い」
だったんですけど

今日集まっていたのは「かつての幼稚園児の母」ばかり
しかも、3人とも洗礼を受けた信者だったりして

ま、幼稚園の保護者(もちろん未信者さん)を多く含み
10人くらい集まることもあるので

今日は「ちょっと残念な感じ~」ではあったのですが
でも
言いたいこと言えて、訊きたいこと訊ける、って感じではありました


今日の聖書の箇所は、(かいつまんで書くと
 ひとりの少年がイエスさまに差し出した5つのパンと2匹の魚を
 イエスさまが皆に分けると、5千人の人がおなかいっぱい食べられ、
 しかも余ったパンくずを集めると、12のかごがいっぱいになった
という箇所で
イエスさまが行った、有名な不思議なわざ(!?)の一つなんですけど

私は、先日6日間でも書いたように
聖書の記述のまま読み取ることはないと思っています。
つまり『5つのパンと2匹の魚を5千人に分けた』などと
読み取る必要はないと思っています

もちろん
『イエス様は、人間であると同時に神さまなのであります。
 だから、そんな不思議なわざでも、何でも、おできになるのです』
っという解釈を否定するつもりもありません

子どもたち向けの絵本には、『そのとおり』に描いてありますし、
そんまんまを信じるのも、全然アリだと思います


でも。
このような『奇跡』はイエス様の時代にしか起こらなかった、
なんて思ったら寂しいやんと、私は思うんです。

では、そこでは一体何が起こったのか!?
(一つの解釈、想像、創作でしかないと思ってもらっていいんですけど)

 実は、それぞれに自分のぶんの食事を持ってきている人は山ほどいた。
 一方、全く持っていない人も、たくさんいた。
 しかし。
 ある一人の少年が、自分の持っているすべてを「皆で分けてください」と
 差し出したことによって、
 そこに居る人たちが、めいめいの分をまわりの人たちと分かち合い始めた‥。

ってことだと思ってます
↑っという解釈について、神父さんを含めた皆で喋っていたんですけどね


これなら、摩訶不思議な、いわゆる「奇跡」とかじゃなくて。
いくらでも、今のこの世でも起こりうること
この「不可能と思われていたことも、可能になった」ところには、
神さまのはたらき『=しるし』が、間違いなくあると思うわけなんですよ

っというか
少年のパンと魚が差し出される前、
イエス様の弟子たちが「この多くの人々の食事はどうしたらいいだろう?」
と頭を悩ましている、その状況は、
今現在のこの地球上の状況そのもの、やと思ったりします

ベストセラーになった『世界がもし100人の村だったら』には、
こんな一節があります。

 全ての富のうち 6人が59%をもっていて
 みんなアメリカ合衆国の人です。
 74人が39%を、
 20人がたったの2%を分けあっています。

まぁ、普通に考えて
私たちはその6人には入らないし‥20人にも入らないのは明らかでしょう

この6人の人たちが、せめて74人の人たちのように
暮らすことができるなら、いっぺんに問題は解決しそうには見えますが
自分はどう考えてもこの6人には入らないんだから

74人の中の一人として、
たったの2%を分け合っている20人のために、
この不均衡、不平等を少しでも解消するよう、
どういう行動に移していくか?は、
考えることができると思います

まずは『足るを知る』こと、それを子どもたちに伝えていくことから‥かな
休まず続けていかなければと思います