医院の患者さんの常連さんで、
顔を見ただけで全員がカルテ番号までそらで言える、という
通称金ちゃんという、80代後半のおじいちゃんがいます
金ちゃんは、足繁く医院に通ってきては、
薬をもらい、注射などしてもらって帰らはるんですけど
そのお薬の内容は、気管支の薬(ちょっとゼイゼイいいやすいらしい)
胸焼けの時の胃薬、頭痛のお薬、タン切りのお薬‥の中のどれか、くらいで
要は、持病ってもんはない訳で
前歯のないあの笑顔で「ありがとー!」と帰られるのを見送ると、
なんだかこちらも元気をもらうような気になります
その金ちゃん。
今朝はまた超ご機嫌だったのか
「今日は、朝から山に行ってきた~。あぁ、えらい、えらいわ~。」
と、発言の内容とは裏腹に、元気な様子で来られました
訊けば、「ワシの足と一緒やさかいな~」と、自転車で山に登ってきたと
いやはや、金ちゃん、元気すぎ
やっぱり、鍛えておられるから、基がお丈夫でお元気なんですね
と、私が答えると。
他に誰も患者さんがおられなかったこともあって、
金ちゃんの演説が始まってしまいました
いや~ほんま。帰ってきたときは大変やったで。
は!?どこから帰ってきたときの話!?
と、思っていたら。64年前の話でした
タイ国でなぁ、夕方の6時から次の日の朝までぶっつづけで
歩かされたんやで。
背中には、ごっつい荷物背負ってな。
でも、ワシら捕虜やさかいな。
戦争が終わったて聞いたんが、ワシら、8月の18日や。
もう、負けたんやったら、捕まって殺されてまうかもしれへんしな。
そんなん、文句も何も言うてられへん。
やっと船に乗れて、鹿児島の桜島んとこまで、
普通やったら3日で着くとこなんやけど、
船の上で検査やナンやイロイロいわれて、上陸でけへんかってな。
船を下りるのに1ヶ月かかったわ。
でもな、ワシら、まだマシなほうやったかもしれんわ。
ロシアのほうに行ってた兵隊さんたちは、
寒いトコやろ。ものすごいこき使われて、体も壊して、
ようけ死んでいったみたいやしな。
ワシら、あったかいほうやったさかいな、
まだ、よかったんかもしれへんわ。
それで、鹿児島から、ず~っと北へ向かう列車に乗ってやな、
順番に自分とこきたら、降りていくわけや。
京都では3人降りたかな。
滋賀のな、あこの大津駅で、降りたんは、ワシ一人やったわ。
あれ、7月の25日やったな。
え!?9月の間違い!?と聞き直したら、
ちゃうちゃう。ココまで帰ってくるのに、1年かかったんや。
それからも、モノがのうてな。まぁ~、大変な時代やったわ。
かつて、粗食しか摂れないまま
体を極限まで酷使しておられた金ちゃんの体は、
ぱっと見は、ものすごく細身で小柄ではおられますが、
私らなんかとてもじゃないけど及ばないくらい、
強靭に出来上がっているんでしょう
こういう時代の話を「ナマ」でしてくれる人は、
年々確実に減ってきているのだし
中には、昔の傷が癒えないまま、
今も思い出すことすら拒み、口をつぐんでいる人もいるのだろうから
いつもの金ちゃんの、あの前歯も屈託も無い笑顔からは、
想像もできないような過去のお話を聞けて‥。
今日は、得した(!?)気がしています
これが、いつまでも「かつての話」でありつづけるように‥。
私らは、金ちゃんの話を笑って聞いてるだけやったらアカンっ
そんなことも思いました
「過去の話」であり続けるように!!!!
今、自分にできることを、日々探し続けたいと思います
顔を見ただけで全員がカルテ番号までそらで言える、という
通称金ちゃんという、80代後半のおじいちゃんがいます
金ちゃんは、足繁く医院に通ってきては、
薬をもらい、注射などしてもらって帰らはるんですけど
そのお薬の内容は、気管支の薬(ちょっとゼイゼイいいやすいらしい)
胸焼けの時の胃薬、頭痛のお薬、タン切りのお薬‥の中のどれか、くらいで
要は、持病ってもんはない訳で
前歯のないあの笑顔で「ありがとー!」と帰られるのを見送ると、
なんだかこちらも元気をもらうような気になります
その金ちゃん。
今朝はまた超ご機嫌だったのか
「今日は、朝から山に行ってきた~。あぁ、えらい、えらいわ~。」
と、発言の内容とは裏腹に、元気な様子で来られました
訊けば、「ワシの足と一緒やさかいな~」と、自転車で山に登ってきたと
いやはや、金ちゃん、元気すぎ
やっぱり、鍛えておられるから、基がお丈夫でお元気なんですね
と、私が答えると。
他に誰も患者さんがおられなかったこともあって、
金ちゃんの演説が始まってしまいました
いや~ほんま。帰ってきたときは大変やったで。
は!?どこから帰ってきたときの話!?
と、思っていたら。64年前の話でした
タイ国でなぁ、夕方の6時から次の日の朝までぶっつづけで
歩かされたんやで。
背中には、ごっつい荷物背負ってな。
でも、ワシら捕虜やさかいな。
戦争が終わったて聞いたんが、ワシら、8月の18日や。
もう、負けたんやったら、捕まって殺されてまうかもしれへんしな。
そんなん、文句も何も言うてられへん。
やっと船に乗れて、鹿児島の桜島んとこまで、
普通やったら3日で着くとこなんやけど、
船の上で検査やナンやイロイロいわれて、上陸でけへんかってな。
船を下りるのに1ヶ月かかったわ。
でもな、ワシら、まだマシなほうやったかもしれんわ。
ロシアのほうに行ってた兵隊さんたちは、
寒いトコやろ。ものすごいこき使われて、体も壊して、
ようけ死んでいったみたいやしな。
ワシら、あったかいほうやったさかいな、
まだ、よかったんかもしれへんわ。
それで、鹿児島から、ず~っと北へ向かう列車に乗ってやな、
順番に自分とこきたら、降りていくわけや。
京都では3人降りたかな。
滋賀のな、あこの大津駅で、降りたんは、ワシ一人やったわ。
あれ、7月の25日やったな。
え!?9月の間違い!?と聞き直したら、
ちゃうちゃう。ココまで帰ってくるのに、1年かかったんや。
それからも、モノがのうてな。まぁ~、大変な時代やったわ。
かつて、粗食しか摂れないまま
体を極限まで酷使しておられた金ちゃんの体は、
ぱっと見は、ものすごく細身で小柄ではおられますが、
私らなんかとてもじゃないけど及ばないくらい、
強靭に出来上がっているんでしょう
こういう時代の話を「ナマ」でしてくれる人は、
年々確実に減ってきているのだし
中には、昔の傷が癒えないまま、
今も思い出すことすら拒み、口をつぐんでいる人もいるのだろうから
いつもの金ちゃんの、あの前歯も屈託も無い笑顔からは、
想像もできないような過去のお話を聞けて‥。
今日は、得した(!?)気がしています
これが、いつまでも「かつての話」でありつづけるように‥。
私らは、金ちゃんの話を笑って聞いてるだけやったらアカンっ
そんなことも思いました
「過去の話」であり続けるように!!!!
今、自分にできることを、日々探し続けたいと思います