まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

父のこと

2007-04-07 23:43:16 | 想い
私の父が亡くなってから、もうまる3年。
命日あたりから、書きたい気持ちがぐるぐるしていたんだけど、
なかなかカタチになってこなかった。
命日から約2週間。
ようやく、カタチになってきたような、気がします。

脳梗塞で倒れ、ある日突然
普通の会話が成り立たない人になってしまってから5年。
夕方、熱さましの頓服を無理やり口に含ませ、
ぐっすり気持ちよさそうに寝入ったので
実家を後にしたのが最後、
次に母からの電話で駆けつけた深夜には、
家を出たときそのままの格好で
静かに横になっているのに、
息だけはしていなかった‥
あの日から3年。
「いいところばかりが思い出されるでしょう?」
なんて言われても、
「いえ、ぜんぜん‥」と即答してしまうくらい‥。
私はやはり、父が好きではなかった。
いいところなんて、果たしてあったんだろうか??
なんて、やっぱり思ってしまう‥人だった。
つくづく、変わったひとだったよな~とは、
ものすごく思うんだけど。

‥それでもやっぱり、
もうちょっと生きていたかっただろうに、
タのランドセル姿もユの制服姿も見せてやりたかった、
エにも会わせてやりたかった、
と思うのは、肉親やからやろうなぁ。

タやユが、
幼児特有の「困ったチャンぶり」を発揮するたびに、
ああ、こういうところをいつまでも持ちつづけたまま、
大人になってはった人やったなぁ、と、
父のことを思い出す。
そんな父もやはり「困ったチャン」やったわけで。

それでもね‥?
きっと、今は、神さまの国にいるに違いない、と思うのです。
まるで幼児のように、わがままだったし、
自分を客観的に見るということが全くできなかったから
何事も自分に都合よく勝手に解釈していたし、
ヘソの下に力を入れてエイっと嫌なことでもがんばってやる、
という、今、タに身に付けて欲しいと思っていることが‥
全くでけへん人やったし‥。
いろんな意味で、意思の弱い人でした。
努力というものをできるだけ遠ざけて過ごしていたくせに、
自尊心ばかり高く、
学歴だけはかなり高かったから、
人を見下したりしていました。
‥ほんとに困った人ではあったけど、悪人じゃなかった。
神さまから話をきいたわけじゃないけど、
倒れてから亡くなるまでの
「要介護度5」の人として過ごした約2年間で、
そうやって自分の弱さに甘んじて生きてきて、
まわりに迷惑をかけたりした全てのことを
「償った」んだと思います。
きっと、何がいけなかったか、今はよくわかっているはず。

いくらいい大学を出ていても、お金をたくさん持っていても、
私にとっては、全然羨ましいと思える人生ではなかった。
むしろ、気の毒に思えて仕方なかった。
「周りの人のために何かをして、
 喜んでもらえたことが、自分もうれしい」
そんな当たり前の、でも何よりもあったかい幸せな気持ちを、
知らないまま生きているような人だったから。


でも。
ほんと、ついこの間、気がついたことがあって。

 お父さん、あなたが遺してくれたものがあったから、
 この度のロフト工事を思いつけたし、
 実現できたことだったんよ。
 こどもたちも私もみんな、すごい喜んでるんよ。
 使い始める時に
 「亡くなったじいじが、自分のことには使わないまま、
  いっぱいお金を残してくれたから、できたことなんよ。
  お部屋を使う時には、じいじのことも思い出してあげてね。」
 ってよく言っておいたよ。
 こうやって、お父さんが残してくれたものは、
 私の家の中のとっておきの場所に姿を変えて、
 これからもいつも一緒に「生きて」いくんよ。
 どう??
 ひとに喜んでもらえるって、
 自分が思ったとおりにコトが運んだ訳じゃなくても
 やっぱり、嬉しくない?


きっと、父もロフトの完成を、今、喜んでくれてるはずだと‥?
思うんです。
だからもう、気の毒じゃない。

神さまの国で、いつの日にか必ず父と再会して、
そのへんの話をゆっくりするんだと、
「その時を楽しみに待つ」ことができる、
という恵みを、私はいただいています。
幸せなことです。

ぐでんぐでんに酔っ払うといつも
「我が故郷は この世ならで 
  はるか上なる 神の国ぞ」と
調子っぱずれのドラ声で歌っていた姿が、
今でも眼に浮かびます。
たぶん、歌詞もまちがってたんだろうけど‥。
あんなに憧れてた「神の国」に、今、居るんよね?
居心地は、いかがなもの(笑)?

明日は、復活祭。
ミサ中に、エの洗礼式とタの初聖体。
とってもとっても、幸せなことです。
いっぱい、いっぱい、感謝したいと思います。