何して遊ぼう

定年を迎えました。
「何して過ごそうか」というのが本題でしょうか。
そんな日々の事を書いてみようと思います。

村山籌子(童話作家)の石碑

2019-04-30 | 街歩き
スマホやラインの使い方の本を図書館で借りて以来、ほぼ2週間間隔で通っています。本の貸出期間が2週間なので「返却」して「貸出」というわけです。子供の時から文学的な本は苦手で未だに生物・地理・歴史のコーナーに足が向きます。
「奄美大島」で検索すると「深夜航路」なる興味あるタイトルの本が出てきました(検索理由は省略)。
   
 夜行便の船旅というと学生時代に東京での学会が終わるとスーツ等を東京駅のコインロッカーに預けて、時間つぶしにパチンコして浜松町(竹芝桟橋)から東海汽船で三宅島や八丈島へ行ったことを思い出します。島には早朝(三宅島)とか朝(八丈島)に着くのでその日に島内を観光して1泊し、次の日の便で東京へというパターンでした。もちろん2等雑魚寝席でした。それなりに揺れた船旅で面白い航路でしたが、この本の副題である「午前0時からはじまる船旅」には出港時間が合わず載っていませんでした。学生時代は列車や船を宿代わりにして移動する旅をしました。当時は夜行の普通列車がたくさんありましたし時間と体力もありました。今は時間はありますが・・・
 その本の中に高松市に関係する記載(神戸発ジャンボフェリー利用の項目)がありました。それも馴染みある「大的場」が舞台でした。
   
 私も散歩がてらに童話作家:村山籌子(かずこ)さんの碑を見に行きました。その文中(遺言の歌)にある「ここに泳ぎ」という言葉を絶対に入れるようにと頼んだそうです。水泳の達人でもあったようです。この碑はそちらの方が大きな感じでした。

大的場の沖合にある女木島です。あそこまで悠々と泳いだとは驚きです。今じゃ船が多くて実施が無理でしょう。そういえば高校時代には大的場と岡山県の渋川間のヨットレースがあったなあ~、ブル-リボンとかいう名が付いたレースのようでした(記憶違いかもしれませんが)。海を見ながらそんなことを思い出していました。 
   
 JR高松駅方面に向かって帰っていると道端に石碑がありましたので「何ぬ?」と見てみますと「二間波止水門跡」とありました。子供の頃に大的場海水浴場の中央付近にあった「二間波止」のことでしょうか。この波止の上に海水浴の監視場かそんな感じの物が海水浴期間中にあったと思います。私的には「二間波止」は幼き頃この波止の間(今考えれば5m程度の距離ですが)を怖い思いをして泳ぎ切ったという思いのある波止です。高校の部活の機関紙にも大的場の海産動物とかプランクトンという記事で採集地点地図の中に残っています(新しい書き込みは2019年)。採集に使った伝馬船を借りたお店が「エビスヤ」さんでした。そんなことでこの地図に名前が残っているのでしょう。伝馬船の漕ぎ方を先輩から教えてもらったのも大的場でした。その伝馬船の漕ぎ方を教えてくれた先輩とはお餅の「ヱビスヤ本店」さんでした。
 そんな懐かしいことをを思いながらの楽しい散歩となりました。
コメント
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