阿部ブログ

日々思うこと

海軍経理学校 ~築地と靖国~

2014年08月02日 | 雑感
海軍経理学校の碑が築地にある。明治7年、海軍会計学舎として発足。明治21年に築地に経理学校が移された。築地一帯は、海軍発祥の地とも言われる土地で、江戸時代は松平家の浴恩園であった。現在の東京中央卸市場である。

                     

『明治七年海軍会計舎が芝山内天神谷に設けられたが,のち幾変遷を経て明治四十年にそれが海軍経理学校となった。その間明治二十一年校舎は築地に移されたが、その敷地は松平定信邸の浴恩園の跡に当たった。
明治時代その付近には海軍の施設が多くその一帯は海軍発祥の地とも称せられている。校舎はさらに幾度か移築を経て、昭和七年この西側築地の一角に移築されたが、太平洋戦争中就学人員急増のため品川ほか地方三ヶ所に校舎を増設した。戦後の海軍解体に伴い昭和二十年九月同校は約七十年の歴史を閉じた。その間の出身者は万余をかぞえ輝かしい功績を残したが、戦後もわが国復興の中核となって活躍した。
戦後三十年を機にここにその栄誉と同校の跡を記念してこの碑を建てる。』

海軍経理学校の碑の裏には校歌が刻字されている。

『海軍経理学校 校歌   作詞 片岡 覚太郎
ゆるぎなき 御代のすがた うつすてふ東京湾頭
波よする築地の岸に 聳えたつわれ等が母校
星うつり 人はかはれど 古し庭昔をかたり
五十年光栄ある歴史 とこしへにわれ等をてらす 
ああなつかしきわれ等が母校
母校の光栄はわれ等が誇り この誇りすてず進みゆくこそ
われ等が担う永遠の使命ぞ』

築地にある海軍経理学校の碑は、題字、山本伍之助。施工は、株式会社青木建設である。

靖国神社を参拝し、境内を散策していると、海軍経理学校正門の敷石が一角を占めていた。
          

陸軍にも経理学校はあった。