フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

小林信彦 「うらなり」

2007-03-26 00:26:04 | my library
先週購入したばかりの本で、2006年6月に講談社から出版されています。

小林信彦さんについては私は何も読んでいないのですが、エンターテイメント系の本や評論が多いのですね。こういう人は一癖も二癖もあって、しかも実力者が多いように思います。

さて、この本は漱石の「坊っちゃん」の登場人物中、もっとも印象の薄い「うらなり」を主人公にして、昭和に入って老年に近づいた「うらなり」から松山での坊ちゃんの事件を回想するという設定で書かれています。「坊っちゃん」が書かれたのが1906年ですから、それから実に100年後の作品となります。

小林氏によると、「坊っちゃん」で起こる話の中では、校長・教頭対山嵐・うらなりの戦いが本筋であって、坊ちゃんはそこに軽薄に関わっているに過ぎないということなのだそうです。校長も教頭も坊っちゃんに殴られたりするのですが、実際には校長・教頭が勝利して、山嵐とうらなりは中学を首になったり左遷されたりします。事件はうらなりが左遷されてから起きているので、この小説では、老年に近づいたうらなりが東京で山嵐(堀田)と出会い、事件のあらましを聞くと同時に、左遷されてからの半生を回想するという流れで出来ています。

渋い落ち着いた文体でうらなりが語る半生はどこにでもある、主人公になるような性格を持たない多くの人々と共通したものです。しかし、それだけに、人の半生というものがよく感じられるように思います。さらに言えば、智に働いて角を立てたわけでもなく、情に棹さして流されたのでも、意地を通して窮屈になったわけでもないのに、時代に流されていくしかなかった人の哀感も感じます。(ただ、大阪船場のお金持ちに嫁いだマドンナに30年ぶりに再会した時、そのマドンナの指がささくれだって荒れていたという描写には疑問があります。船場の奥さんが洗い物なんてするでしょうか?)

最後に長めの後書きがあって、執筆の舞台裏が書かれています。その中で面白かったのは、ある時、これも漱石好きだった大岡昇平と会話をしたときの話でした。「坊っちゃん」は何よりB型ヒーローだ、というのです。つまり、そそっかしやの正義派という意味らしく、じつは大岡も小林信彦もともにB型なんだそうです。それだけではなく、かの漱石もB型だった(ほんとか?)なんて話が出てきます。こんな与太話を面白がる私もじつはB型なわけですが。
コメント
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