フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

多言語使用者調査2

2007-03-06 22:45:46 | research
今日の多言語使用者調査のメモです。

日本に来たときに、日本人と同じように話せるようになるまで国に帰らないと自分に約束した。しかし、3年経った頃、そんなことは20年経っても出来ないことだと悟った。しかもどんなに上手になっても自分は外国人としてしか見られない。それでもしばらく落ち込んでも、何度もはい上がってやってきた。しかし6年経って、今は少し疲れたし、日本語ネイティブに近づく努力をするよりもっと自分を大切にしようと思うようになった。でもその自分は誰だろうという疑問がある。

日本人のよい友達が何人もいて、自分のまわりにグループのようになっている。ぼくは彼らにわざとへんな日本語を使ってみたり、新しい言い方や、大好きなアイロニーや、日本人的な考えにわざと理解できないと言ってみたりするんだ。彼らはぼくがわかっているから、今度はぼくにむかって、君はわかんないんだろ?って意地悪を言ったり、今度は変な英語を使ってみたり、アイロニーをまねてみたりする。双方向なんだ。ぼくはとても楽しくてリラックスしている。そんな友達がたくさん出来たのがとてもうれしい。

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上の2つの話は今回のぼくの調査のハイライトだった気がします。
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多言語使用は言語管理の一般ストラテジーである

2007-03-05 23:50:27 | research
今日は社文研プロジェクト報告書の校正を終え、印刷会社に手渡すことが出来ました。今週中に仕上がるとのことです。たぶん、言語管理研究会の研究発表会に持って行けると思います。乞うご期待。

それ以外はずっとここ数日考えてきた5月の多言語使用者についての発表のポイントをまとめる仕事をしていました。多言語社会についての研究会や文献を探してみたり、ネウストプニーの諸論文を読み直したりしましたが、なかなかぴんと来ません。ところが、5時を過ぎて帰ろうとしたときに、break throughがありました。重要なのは、多言語使用であって、多言語使用者ではないということ。そして多言語使用を選択するということ自体は言語管理の一般ストラテジーであるということが見えたのです。何のことかわからないと思いますが、いったんbreak throughが起こると、それまで考えてきた断片的な理解がすっと関連性をもって見えてくるものです。これはかなり快感です。

要するに、多言語使用が起こっている人というのは、その状態を選択したわけです。同じ言語環境にいても、多言語ではなく、相手言語のみに向かう人もいれば、母語使用に引っ込んでしまう人もいるわけです。ですから、多言語使用は少なくとも現代の日本社会においては自然な現象ではなく、意識的に選択したこと、つまり言語管理なのだと思います。

自分のおかれた言語環境とインターアクションの目的の設定の仕方によって、どのような言語使用の様態を選ぶか、このレベルの選択をここでは一般的ストラテジーと呼びたいと思います。
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春の風舞う

2007-03-02 23:03:04 | Weblog
今日は博士後期課程の合格発表でした。

昨年10月に来日して研究生をしていた学生さんも首尾良く合格したようで、キャンパスを歩いているとちょうど発表の掲示を見てきたばかりのところに出会いました。御礼を言われて、これから大変になるからしっかりやってくださいと言いましたが、彼女の周りに明るい風が舞っているようで、ほんの一足先にここに春が来たなとまぶしく思っていました。

午前中は少しポーズ研究の見直し。言語管理パネルの調査協力者がやっと見つかりそうです。
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