フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

接触場面と言語管理研究会第6回

2005-10-16 00:35:23 | research
昨日は、第6回の研究会でした。
プラハのアメリカ人研究者に、プラハのアメリカ人伝道者の言語管理と、インターアクション・インタビューの課題について話をしてもらいました。私は司会だったのですが、英語で四苦八苦していたと言ってよいでしょう。なぜかと言うと、計画せずに英語が出てくる場面と、計画していた英語の話をしようとする場面とが入り交じって、頭の中でうまく調整ができなかったのです。たぶん、前もって計画しないほうが話はもっとスムースだったと思うのですが、そうするときっと細かな話ができなかったわけで、中途半端な能力は困ったものです。

インターアクション・インタビューではinformantsはこちらの期待に沿って特定の時間と場所の行動とそこでの言語管理について話してくれるとは限りません。むしろ、日常的に行っていることや規範的なこともよく口に出すのです。しかし、それはinformantsがだめだからではなく、さまざまな表現と内容を駆使することで、インタビュアーが強いてくる枠組みとは違う、自分の経験のリアリティを維持しようとしていると考えるべきだと思います。どのような内容と表現を使っているか、インタビューの文字化資料を検証することで、インターアクション・インタビューの欠点であるcross-examinationが出来ないという事実を補うことが出来るだろうと思っています。
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native speakerは母語話者か?

2005-10-16 00:24:05 | today's seminar
今学期の大学院講義は昨年に引き続き、Neustupny先生の論文の翻訳と注釈を行っています。その中での議論はまたどこかで触れることがあると思いますが、今日はnative speakerの訳語について少しだけ書きます。

じつはこれは学部1年生の教養科目で言語政策について話している中での話題だったのですが、問題は次のようなところにあります。mother tongueはまさに母語であって、親や育ててくれた人から習得したものです。しかし、native languageと言うと、これは国語とも言えないもので、かなり使われている範囲に制限があるようです。つまり、育った地域で話されている言葉というニュアンスがありそうです。つまり、これは母語ではなく、地域共通語のようなものなんですね。

日本にいるとわからなくなるのですが、学生の中に朝鮮族の人がいて、彼女は家や近所で話していたのは朝鮮語だけれど、それから買い物などでは中国語を話さなくてはならないようになり、最初は下手だったけれど今では血となり肉となっていると言うわけです。この場合、母語は朝鮮語であり、native languageは中国語ということになるのでしょう。

オーストラリアの知り合いの娘さんは8歳で香港からオーストラリアに渡り、両親は中国文化と中国語(広東語)を教育したつもりだったのですが、20歳のあるとき、自分の机の中から何を書いているかわからないノートが出てきたそうです。両親に「これは何」と聞いたところ、今度は両親のほうが驚いてしまったのです。なぜならそれは8歳まで彼女が中国語で書いていた日記だったのです。つまり、自分で書いた日記が読めなくなっていたわけです。母語はこのように消滅することもあるのです。

native speakerについての疑問はかなり頻繁に社会言語学では指摘されているようで、そうした著作では、fluent speakerという言葉のほうが適切だろうと言われています。
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